刺青の女(その6)
「するってえと、百本杭にからまっていた女は、深川の年増女郎だったということか」
政五郎は半身を起こし、お新がこさえてくれたうどんを、左手で握った箸で、危なっかしそうに食べていた。
「へい、ここに現れた女はまったくの別人で・・・」
「で、岡埜さまの見立ては?」
「吉備津屋の主を奉行所に呼び立て、お滝の死体を本人と確認しました。主の申しようは、『お滝の年季はとうに明けたが、太い客をつかんでいるので、住み込みの自前にしてやった』そうです」
「住み込みの自前ねえ・・・」
通いの自前で客をとる深川芸者もいると聞いてはいたが、これは浮多郎にも初耳だった。
「少し頭がいかれてきているところを、このごろはいっぱしの写楽通になって、あげく『からだを写楽の刺青で埋め尽くす』などと言い出して手に負えなかったとか」
「太ももに『写楽命』とあるのは、店も客も知っていたようだな」
「へい。お滝本人が、それを隠すどころか、じまんして見せびらかしていたそうです。写楽がじぶんのイロだ、と」
とんでも話が、とんでもない方向へ逸れてしまった・・・。
「お滝がいなくなったのは、別の女がここへ現れる前々日の夜です。野暮用があると言って、日暮れ時に出かけてそれっきり・・・」
「出かけた先は分からないのだろうな?」
政五郎はつぶやくように言ったが、その答えがないのは本人がいちばん知っていた。
「数日前に馬喰町の彫辰で『写楽命』と彫らせた女と、ここへ『写楽の居所を教えろ』とやってきたのは同じ女でしょう。この女が『お滝さんに教えてもらった』と彫師に言った・・・ということは、この女はお滝の知り合いだった」
浮多郎が言うと、政五郎はどんぶりを置いて腕組みをして考え込んだ。
「これは、お滝の周辺を洗うしかないな」
ー養父の言うことはもっともだと思い、浮多郎はすぐに深川へ出かけた。
浅太郎親分は、この間と同じように、土産物屋の店先にどっかと座ってキセルをふかしていた。
浮多郎を見ると、バツの悪そうな顔をしたが、
「女の身元を割り出してお手柄だそうで、おめでとうございます」
いささかの皮肉もなく褒めそやすのに、相好を崩した。
「親爺が、『ここはどうにも親分さんに助けてもらえ』と言うので、お願いに上がりました」
浮多郎が頭を下げ、吉原名物の甘露梅の包みを差し出すと、浅太郎はニヤリと笑った。
ー吉備津屋の番頭を、近くの蕎麦屋に呼び出し、酒をすすめた。
深川の顔役の浅太郎親分がすぐ横にでんと控えるので、番頭はかしこまっていたが、根は酒好きらしく、やがて茶碗酒に手を伸ばした。
そこへ、浮多郎が飯台の下から、親分に見えないように小粒を握らせたので、『何でも聞いてくれ』という顔になった。
「あの日の夕方に、お滝さんは『野暮用がある』と出かけたそうですが、行く先は言わなかったので?」
番頭はうなずいた。
「住み込みで自前だったそうですが、ちょくちょく出かけていたのですか?」
「客がいなければ、勝手にさせておきました。いちいち行き先は聞きません。ただいつも半刻ぐらいで戻ってくるので、たいして気にもしません」
「戻らないので、心配した?」
「そうですね、一刻ほどして店が込んで来たので、『あれ、どうしたのだろう』とは思いました。とうとうあの夜は戻らなかったので、客と示し合わせて出会い茶屋にでもしけこんだろうと思っていました」
「そんなことはしょっちゅうあったので?」
「いや、ありません。翌日も戻らなかったので、『これは、客と駆け落ちでもしたな』と、主と話していました。次の朝、浅太郎親分から百本杭でお滝らしい女の溺死体が見つかったと聞いて驚きました」
「駆け落ちするような客でもいましたか?」
「・・・主とそんな話は、たしかにしたのですが、お滝の馴染みは身元のたしかな木場がらみの客ばかりで、駆け落ちなど思い当たりません」
「『写楽命』の刺青はいつごろ彫ったので?」
「五月五日の歌舞伎の夏興行の初日に合わせて、役者絵が出たはずです。写楽の版画に惚れ込んで、すぐ刺青を太ももに彫ったようです」
「馬喰町の彫辰とやらに・・・」
「それは知りません。客に聞いたのかもしれません。でもすぐに評判になりました」
「店でも、客の間でも?」
「深川あたりぜんぶです。なにせ、『じぶんのイロは写楽だ』と所かまわず吹聴するのですから。いかれた女です」
「店で親しい女はいませんでしたか?」
「主が甘やかし放題なので、じぶんは特別な女だとのぼせ上がり、大奥のお局さま気取りで女郎たちを仕切っていました。嫌われこそすれ・・・」
酒が醒めて来たのか、番頭は苦い顔をして吐き捨てるように言った。
「その中で、いちばん嫌っていた女郎って?」
「あ、いや・・・嫌疑をかけようってえつもりではないので」
と水を向けると、
「お滝は、お静ってえ女郎を嫌ってましたね。当の本人は受け流していましたが・・・同じように通いで自前だったので」
「なんですって。吉備津屋さんには、もうひとり自前の女郎がいたので?それも通いで!」
番頭は、あわてて口を押えた。
振り向くと、入り口に立った虚無僧が、おもむろに取り出した尺八を吹きはじめた。
「うちは、門付けはお断りだよ」
と女将が小銭を握らせると、虚無僧はすぐに消えた。
ーその夜遅く、夜回りが、富岡八幡宮の境内で、無残に斬り殺された吉備津屋の番頭の死体を見つけた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます