刺青の女(その5)

「まちがいようがありません。あの女はじぶんで欄干を乗り越えて身投げしたのです」

土間で簪を作っていた与太は、顔をあげた。

『どうして、そんなことを確かめに、わざわざ深川くんだりまで?』

怪訝そうな顔には、そう書いてあった。

「だれかに、無理矢理大川に投げ込まれたんじゃないよ、・・・ね?」

とたずねても、与太は首を振るだけだった。

「身投げするとき、そばにだれもいなかった?」

しばらく考えていた与太は、

「ああ、そう言えば、橋の向こうから虚無僧がやって来ました」

「虚無僧だって?」

「女が飛び込むと、その虚無僧もすぐにあとを追って飛び込みました。おそらく助けようと・・・。泳ぎが達者だったので、きっと助け出したはずです」

「『はず』って、助けるところは見なかったのか?」

「すぐ、浮さんのところへもどったので・・・」

与太は、やはりことばが足らない。いつものことだが・・・。

しきりに頭を掻いていた与太だが、太ももに『写楽命』の刺青がある女の絞殺死体が百本杭にひっかっていた、と浮多郎が教えると、

「同じ刺青の女がふたりいたということですか?」

と、こちらはすぐに察した。

「『写楽命』なんて刺青を太ももに彫る、頭のネジのはずれた女なんか、そうそういるもんじゃありませんて」

名誉挽回とばかりに、

「浮さんが、深川女郎に目星をつけたのはその通りとして、あっしがこのあたりの彫師を当たってみます」

与太にしては上出来のことを口にした。

ー深川の彫師は与太にまかせることにした浮多郎は、両国橋を渡り、大川の西岸の柳橋あたりを歩き回った。

五軒目で、その刺青を彫った彫師を、たずね当てた。

馬喰町で上州の博労相手に細々と商売をしている、彫辰という年老いた彫師だった。

「さあ、五月の終わりごろでしょうかねえ」

昼から酒臭い息を吐く、髪も眉も真っ白な彫師が、団扇でふところに風を入れながら言った。

「ちょいと頭のいかれた女ですね、・・・あれは。写楽の団扇絵から28枚の役者絵すべて揃えたと自慢してました。へへ、写楽に憑りつかれたんですよ。商売ものの玉門すれすれに彫れっていうんですからね。金ができたら、背中に鬼次の奴江戸兵衛も彫ってくれ、とのたまわってさ」

昼酒が回ったせいか、彫師はべれべらとよくしゃべる。

「やはり岡場所の女郎ですかね?」

「へい。すぐわかりました。かなり崩れてますね、顔も肌も。見た目も話しぶりもひと目でそれと」

押しかけてきた女とやはりちがうようだ。

「あとの女とは大ちがいで」

「あとからって、・・・別の女が来たのですか?」

浮多郎は、思わず身を乗り出した。

「『お滝さんに聞いたので、同じように』と。写楽に惚れた、ものずきな女がふたりもいるとは驚きです」

「『お滝さんに』?・・・いつのことです?」

「つい三日ほど前です」

生唾を呑み込んだ浮多郎は、

「どんな女で?」

と畳みかける。

「お滝とやらとは、月とすっぽん。若くて上品ないい女で、肌も白くてなめらか・・・」

「女郎ではないと?」

「ちがいますね。町屋の女でもなし、はて・・・」

「名前とか住まいとかは?」

彫師が、そのいい女への思いにふけるのに水を差してたずねたが、

「さあ」

と首を振るだけだった。

ー浮多郎は、つい目と鼻の先の八丁堀の岡埜同心の役宅で帰りを待った。

「女の身元が分かった。仲町の吉備津屋の女郎お滝だ。浅太郎が見つけた」

岡埜は、役宅の前に立つ浮多郎を見るなり、そう言った。


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