夢科

中津唐揚げ

一話完結

「今度ね、なんかよくわからないけど違う部屋に移動することになったの」

「そんなんや。面会時間とかってなんか変わるん?」

「多分少し短くなると思うけど、私の体調次第かな」

「じゃあうち今まで以上に元気出るネタ考えんといけんね」

とは言ったものの、彼女の前で諦めていないふりをしているだけで、人気お笑い芸人になりたいという夢は萎んでいた。

「お姉さんこそ、腕は大丈夫なの?」

「大丈夫よ。芸人やし元々体は丈夫なんやけ」

いくら体が丈夫でも仕事が無ければ使い道も無いんやけどね、と言いそうになるのをなんとか堪えた。

彼女の前では、私は夢を追い続けるふりをししているだけだ。


故郷を捨てて何年経ったかはもう覚えていないが、未だに陽の目を浴びることが出来ない私を見兼ねた事務所の社長が、同じような芸人を集めて体当たりロケを企画してくれた。

しかし気合いが空回りし体を張りすぎた結果、とても放送出来る内容ではない程の怪我をしてしまい、ロケそのものを中止にしてしまった。

その怪我を治療するための入院中、なかなか寝付けず院内を徘徊していた時にこの少女と出会った。

最初は入院の理由等の雑談をしていたが、少女の優しい話し方にいろいろとこみ上げてきてしまい、我慢出来ず私は一回り以上も年下の少女に泣きついた。

売れないこと、自分のせいで企画が潰れたこと、社長も仲間も責めることなく心配してくれてそれが尚更申し訳ないこと、小さい頃から人を笑わせることが好きでこの世界を目指したこと、早く売れて私の記憶に留まる間もなく離ればなれになった姉に見つけてもらいたいこと、もう限界なこと、でも人を笑わせる以外に自分の在り方が分からないところまで来てしまったこと。

とても少女に話すような内容ではなかったが、少女はぐっちゃぐちゃな私の話をひたすら聞きながら背中をさすってくれた。

そして私が落ち着いた頃、私ずっと入院してて暇だからお姉さんのネタ見せてよ、とだけ言った。


「今回のは2番目のが一番面白かったよ」

「一番作るの時間かかったのはその一個後のやったんやけどねえ」

「それも面白かったけど、私には難しい部分があったかなあ。シュールってやつなのかな、人を選ぶかも。二番目のは私にも分かりやすくてスッと笑えたもん」

あの日以来、定期的に少女にネタ見せをしている。慰めてくれたお礼はもちろん、芸人という夢はともかく人を笑わせたいという自己満足をなんとか満たすために。

「さっきのはお客さんの反応どうだったの?」

「あー。そこそこやったね」

嘘をついた。そもそも退院してから少女以外には一度もネタ見せなんか行っていない。

「この後予定あるけ、じゃあそろそろ」

嘘をついた罪悪感から逃げる為にまた嘘をついてしまった。

「えー先に言ってよ。もっと話したかったのに。じゃあ次はいつ?」

「来週の後半ぐらいやねえ」

「じゃあ私が違う部屋に移動した後だね。今日早かった分次はいっぱい見せてね」

「もちろん、でも体調次第やからちゃんと気をつけとくんよ?」

「ありがとう。お姉さんも帰り気をつけてね」

私はいつものように彼女に手を振りながら部屋を出て、彼女は最後までこの部屋を出られなかった。


守秘義務というやつで詳しくは教えてもらえなかったが、看護師の話ではあの二日後に急変したとことだ。

少女に会えなくなった悲しみや、笑わせたい人を失った喪失感や、この期に及んで自己満足が満たせないことにも喪失感を覚える自分の醜さなど、そういったもので感情がぐっちゃぐちゃになり涙すら出ない。そしてあの日とは違い、今の私のそばには背中をさすってくれる少女がいない。

待合室のベンチで項垂れる私に、先ほどの看護師が四角い物を渡してくれた。

ハンカチかと思ったが、薄く硬い。折り畳まれた手紙だった。

「あの子からです。一度だけ意識が戻った時に鉛筆と紙を貸してって言われて」

手紙は、「外の世界に出られない私に元気が出るようなネタを作ってくれてありがとう。そして本当は諦めたいお姉さんを引き留め続けてごめんなさい」から始まっていた。

気付かれていたことが衝撃で頭が真っ白になる。だがなんとか読み続けた。

手紙は、「このまま諦めてもお姉さんは今まで十分頑張ったんだから何も悪くないよ。でももしまだ頑張りたいなら、私は生きてそれを応援したかった」で終わっていた。

何故この子は鉛筆で手紙を書いたんだろう。私の涙が文字を流してしまいそうだ。


「あの芸人さん、やっと落ち着いて帰りましたよ」

休憩室に入った看護師が、ソファーに座る初老の男性に報告する。

「どうだった?」

男性が聞く。

「あの様子だと、また頑張ってお笑い芸人目指しそうですね」

「よし、じゃあ依頼は無事達成か。今回は長かったけどよく頑張った」

男性は、自分の隣に座ってジュースを飲む少女に顔を向けながら言った。

「大変だったんだからね。面白くないやつにも笑わないといけないし、子どもだから難しいネタは理解出来ないふりしないといけないし」

「まあまあ」

「この報酬でしばらくの間はお兄さんの入院費の心配がなくなったんだから」

男性と看護師が、ふて腐れた少女を落ち着かせようとする。

「それにしても、毎度毎度名演技よね。いっそのこと今回の依頼くれた社長さんとこの女優オーディション受けてみたらどうなの?」

看護師がなんとか話題を変える。

「あそこはお笑いだけだよ募集してんの。まずそういうの興味無いし」

少女はまだ少しだけふて腐れている。

「てかさ、そもそもあの社長さんが今回の人の姉さんだって自分から言えば全部解決じゃん。社長なんだから妹一人ぐらい養えるでしょ」

「妹のこれまでの努力をそんな簡単に奪いたくないから、最後の最後までするつもりはないってさ。やっと会えた妹が頑張ってる姿を見れて嬉しいんだと思うよ」

「わけ分かんない。大人なんだから割りきれるでしょ」

「子どもはそう思うかもしれないけど、大人って意外と大人にはなれないものだよ」

男性が諭すような口調で言う。

ふん、と鼻息をたてながら少女はソファーから立ち上がり、ゴミ箱に空き缶を捨てた。そのまま窓の前に移動し、ぼんやり景色を眺めている。

「じゃあ言わしてもらうけど、子どもだって大人が思う以上に子どもでいられ続けられないんだけど」

窓の景色を眺めながら少女は言う。

「無責任な言葉で人に夢を追いかけさせることがどれだけ酷いかってぐらい、今の私には理解出来るよ。この前のサッカー選手だってそうじゃん。気付かないふりしていただけで、怪我する前からチームのお荷物扱いだったの私知ってるよ。それなのに奥さんの依頼で無理やり復帰を促されて、それが本当にあの人の為なの?」

「だからせめて、君の最後の手紙には『諦めても悪いことじゃない』って一文を入れることを許可しているんだけどね。依頼主には内緒で」

しばらく無言が続いた。

「まあどうでもいいけどさ」

少女は男性に顔だけ向ける。

「で、明日来るのはバンドの人だっけ?目を包帯で隠すだけだからそんなに準備しなくていいよね?」

「違う、明日がさっき言ってたサッカー選手。足の怪我が治ってから初の試合」

「……じゃあ車椅子と男装用のウィッグ用意しといてね」

それだけ言い放つと、再び窓の方へ向き直す。さっきとは違い、今度は食い入るように景色を見ている。

今まで押してきたたくさんの背中の持ち主を、誰か一人でも見つけようとするかのように。



















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夢科 中津唐揚げ @nakathukaraage

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