王立魔法学校生体魔法科教師リーザロッテ──王妃のための不倫

 マヒタンが妃殿下と姦通していた――リーゼの言葉はそういうことでした。自分の夫であるマヒタンが、妃殿下と子供を作っていたことに、リーゼは確かに笑みをこぼしていました。


 そもそも、エンリケが妃殿下への接近を試みていることを、なぜ「直属」でないリーゼに知られているのか、私は気になりました。加えて、そのことを「直属」と同様に手助けしようとする態度も引っ掛かりました。


 怪しい――一言でいえばそういうことでした。私を利用して、エンリケを陥れようとする勢力が、二つもあるのではないか、いや、そもそも二つではなく一つの勢力なのではないか、という疑念がそのとき沸いてきました。


「あまり変な嘘を吐くと、それこそ処刑台にかけられますよ」


「嘘ではないわ。もう一つ加えれば、ジョルゼッタは私とマヒタンの子供よ」


 真偽は別にして、一度にたくさんの情報を詰め込まれて、私は内心混乱していました。驚くことにさえ疲れ、そして、毅然とした態度を取り繕うのに必死だった精神が、自棄に傾いていくのが分かりました。


「分かりました。聞きましょう。あなたの思い出話。一から話してくださいな」


 私は結界の中で、リーゼの発言の全てを受け止める覚悟をしました。たとえ嘘だったとしても、誰も聞いていなければ、私の中で留め置いておけばいいと思ったのです。


 しかし、リーゼから語られる「真相」はその後、大きな運命の流転のきっかけとなるのでした。


「それは妃殿下が――フレドニアが王立魔法学校の生徒だったころ。つまりそれは私が魔法学校で生体魔法科を教えていた教師だったころ」


 フレドニア妃殿下を呼び捨てにして、リーゼは続けました。


「私はフレドニアと交際を始めたわ。もちろん学校の生徒や職員には秘密で、肉体関係もあった」


「まって、ちょっと待って」


 急な展開に私が思わず止めようとすると、リーゼは目を見開いて言いました。


「一から聞いてくれるんでしょう?」


「……そうですね。続けてください」


 私はリーゼの気迫の強さに押されて、彼女を促しました。リーゼは私を見据えてしっかりとうなずきました。


「すると、フレドニアにも縁談が舞い込んだの。しかも国王との。すべて彼女の父親のギョエテの差し金ね」


 ギョエテ、と、宰相をも呼び捨てにして、フレドニアは乾いた笑いを放ちました。


「でもご存知の通り国王は小姓にご執心。フレドニアには興味も持たない。でもフレドニアにはお世継ぎを生むという役目があった。国民からの冷たい視線……彼女がかわいそうでならなかったわ。でもそのとき、わたしは思いついたの。マヒタンの子供を産ませて、せめてもフレドニアに子供を産む能力があることを、世の中に示せればと思ったの」


 リーゼは白髪の耳元をかき上げながら、語り続けます。


「そのときもうジョルゼッタを生んでいた私は、マヒタンのことを尊敬していた。マヒタンと出会って、私は初めて男性で素敵な人に出会えたと思って、結婚を決めたわ。侯爵夫人の私に教師という仕事を続けさせてくれたし、私のような女性好きの女でも、抱かれて、子どもを産んでもいいと思えた男性だった。だからフレドニアも言ったわ。マヒタンはあなたのこともきっと優しく抱いてくれる、って」


 ジョルゼッタという名前がジョゼのことを指していると頭の中で読み替えながら、私はひたすら、その恐ろしい話の内容に、震えないようにしていました。


「そうして生まれたのが、ソニア王女。でも宰相は、ソニア王女の誕生に満足していなかったみたいなの。お世継ぎは男子でなければならないと決めていたみたい。ソニア王女の誕生で盛り上がっていた女子へ王位継承権を与える議論も、ギョエテが握りつぶしたというわ」


 日が沈んだ竜小屋の中は、普段なら蛍光肝灯――蛍光草の発光成分に漬けた人間の肝臓を照明にしたもの――を点けなければ真っ暗になっていましたが、その時は結界の淡い光の中で、私たちは向かい合ったまま、話すことができました。


「マヒタンもソニア王女とフレドニアに情が移っていたんでしょうね。王女の冷遇が決定的だと聞いて、マヒタンは相当怒っていたわ」


「それで、決起を決めたと?」


 私が訊くと、リーゼはしばらく虚空に目を泳がせたあと、ゆっくりうなずきました。


「でも、それだけではなかったわ。私たちの研究に、宰相も修道会もあまり良い顔をしていなかったから」


「『装置』と、『複製』の研究に?」


「そう。正確に言うと、ゴブリンでの複製までは成功していたけど、人間の複製は上手くいってなくて」


「人間を複製しようとしていたのですか?」


 私は唇の震えを噛み締めながら言いました。リーゼがこちらを見据える視線は、一切迷いがありませんでした。


「そうよ。仕方いじゃない。これも魔界の軍勢に対抗するためよ」


「その間に、ジョゼ……侯爵夫人……ジョルゼッタさまは、どうされていたのですか」


 私の問いに、リーゼは深く息を吸うと、下を向いたまま、涙を地面に零しました。


「マヒタンの命を受けて、旅に出たわ。ずいぶん若い時だったわ。そして今もその旅は続いている。ジョルゼッタが巨大な魔法陣を作り続けていることも、魔界の軍勢に対抗するため」


「でもジョルゼッタさまは、マヒタン討伐に、つまり、父親の討伐に参加されていましたよ」


「対立する勢力の両方に、それぞれ同じ意志を持った人間が居れば、どちらかが倒れた時にも、意志は引き継がれるわ」


 私はそこまでの話を聞いて、気が付きました。


「ひょっとして、エンリケさまが妃殿下と親しくなりたいと思っていることが、伝わったのは」


「北メンデシア侯からジョルゼッタに、そして私たちに」


 確かにあの時、エンリケはエレラに向かって、妃殿下への接近の謀略を話していました。だからこそ、エレラがジョゼにその危険な秘密を打ち明ける可能性を考えておかなければならなかったのですが、私はそこまで注意が至っていませんでした。


 予想以上にエンリケの謀略は知れ渡っている――私はそのことを思って、手足がしびれるような不安感に襲われました。


「そういうわけなの」


 私は苛立っていました。落ち着きを取り戻そうと、結界の淡い光の中で蛍光肝灯を探しました。そして、竜小屋の壁にかかっていた蛍光肝灯のなかの肝臓を蛍光草の液体に漬けて、明かりをともしました。


「それで、私にどうしてもらいたいんですか」


「南メンデシア侯と、フレドニアの密会に、協力してほしいの」


 その言葉に、蛍光肝灯を壁に戻しながら、私は返しました。


「ご存知かもしれませんが、私は奴隷の出身です。妃殿下に拝謁するなんて、とてもできません」


「それは私が、とりもつわ。なにしろ密会よ。身分は関係ない」


「だとしても、エンリケさまがそんな危険な誘いに乗るわけないでしょう」


「だからあなたからお伝えして。侯爵にフレドニアがお会いになるのを楽しみにしているとお伝えすればいいんだわ」


 リーゼは涙を流したことなどすっかり顔から消し去って、私に意地悪い笑みを投げかけます。


「つまり、私の責任で、お二人を会わせるようにしろということですね」


「私と、あなたの責任ね。侯爵とフレドニアが密会したのは、二人の使用人の悪戯な謀略だと言うことにすれば、主人の顔に泥は塗らなくてすむでしょう?」


 その提案に、私の心の中では少なからず抵抗がありました。私は、自分の人生を投げ打ってまで主人の地位を守ろうとするほど、エンリケに忠誠を誓っていませんでした。


「……承知しました」


 私が絞り出すように言うと、リーゼは満足げな笑みで胸を張りました。


「フレドニアには、今後は私たちの手で、侯爵と手紙をやり取りできるようにすると、伝えておくわ」


 そう言って、リーゼが手で印を切って地面を触ると、結界の光は消えて、蛍光肝灯の薄暗い明かりだけが竜小屋を照らしていました。


 リーゼはそれまでの高慢な調子から一転して、貧相な使用人の姿勢に戻り、鍋の中のプディングを、ドラゴンたちに食べさせ始めました。


 私は竜小屋から出て、自室に戻り、机に向かいながら、重苦しい未来の幕開けに、頭を抱えました。

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