メンデシア侯爵夫人リーザロッテ――彼女が預かったもの

 私とリーゼは竜小屋に入り、落ちている人間の死体の切れ端を拾って隅によけながら、肩を並べる二頭のドラゴンの間に立って、向かい合いました。ドラゴンたちは小屋の壁際に置かれたプディングの入った鍋を気にして、つなぎ場から首を伸ばしていました。


 するとリーゼは、手で印を切りながら、呪文を詠唱し始め、その終わりに手を床につきました。その手の先から、同心円状に白い光の輪が波紋のように広がっていきました。ドラゴンたちもおとなしくなりました。


「この結界の中なら、話し声は外に漏れないし、私たちの姿も他からは見えないわ」


 私はリーゼの言葉を真に受けるわけにはいきませんでした。まだこの段階では、私はリーゼのことを本当に「直属」の人間でないかどうか、判断しかねていました。


「私は魔法に詳しくないのですが、言葉を逐一記録する魔法である可能性はないのですか?」


「私が貴方に秘密を話すのに、なぜ記録する必要があるの?」


「それもそうですが、まだ貴方は私の信頼を得ていない。まず、あなたが『直属』ではないことを証明して頂きたい」


 私が言うと、リーゼは手首の先をくるりと回して、使用人の服の袖から封筒に入った手紙を取り出しました。手品のようだと思いましたが、先ほど魔法を使った相手だと思えば、不思議はありませんでした。


 リーゼはその手紙を私の目の前に差し出しました。私は恐る恐るその手紙を受け取って、中を改めました。その中の文章を読み進めるうちに、私は冷や汗が体中から噴き出していったの強烈に憶えています。


「これは」


「南メンデシア侯がネフィさまに送ったお手紙。あなたからお返しするのが、秘密も守れて、信用もされるかと」


 研究所宛てのその手紙には、エンリケからネフィへの謝罪の文言が綴られていました。研究所への事務的な通信を装った簡素な封筒の中に入っていましたが、銀箔で装飾が描かれた華やかな植物紙に、青いインクで書かれた文字の筆跡は、確かにエンリケのものでした。しかし、その弱気で乞い願うような文言は、日頃の高圧的なエンリケからは想像できないものでした。


 私はひとまず、リーゼを信用することにしました。「直属」が研究所の内部の詳細を知ることができずにいることを考えれば、このあまりにも内密に過ぎる手紙を持っているということは、少なくとも、リーゼは「直属」の人間ではないと、判断できました。


 私はその時点で、リーゼが属するところはどこなのか、おおむねの見当はついていましたが、一応確認しました。


「あなたは誰の命で動いておられるのです?」


「魔法研究所長ネフィ様と、中メンデシア侯爵グロッソ様よ」


「では、この手紙を、侯爵さまも?」


「それはご心配なく。ネフィさまが内々に、あなたにお見せするようにと申されたので」


 その言葉を聞いて、私は安心しました。それと同時に、新たな疑問も起こりました。


「それならいいですが、ちょっと伺いたいのですが、私やエンリケさまがこの城に戻ってくる際、『直属』はどのようにして私たちを部屋に運んだのですか?」


「広域の魔法で使用人たちを眠らせて、その間に忍び込んで、お二人を寝床に運んでいたようね」


 それを聞いて、きっと私やエンリケも、同様の魔法を施されて、「直属」に拉致されたのだろうと思いました。


 私はリーゼに訊き続けました。


「あなたが『直属』でなく、ネフィさまたちの命で動いているなら、私たちが部屋に運ばれるのを、なぜ黙って見ていたのですか?」


「申し訳ないわ。私も『直属』の監視から身を隠している立場だから」


「派手に立ち回ることはできなかった、と?」


 そう訊くと、リーゼは小さくうなずきました。


 いろいろな疑問が解消されては沸き上がってくる状況に、私はすこし苛立っていました。きっと下品に大声でリーゼを問い詰めていたのだと思います。声の漏れない結界の中であることがせめてもの救いでした。


「……あなたは、というか、あなた方は、というべきなのか。いったい私に何を要求しようと言うのです? 中メンデシア侯は、どうされたいのですか? 本当に、なにかを謀らんとされているのですか?」


 私の問いに、リーゼは真っすぐこちらを見つめて答えました。


「時間がないの。魔界の軍勢が、この世界に攻め込んでくる。信じて。ネフィさまと中メンデシア侯は信じたわ」


「魔界?」


 冗談にしては真剣なリーゼの表情に、私は戸惑いました。


「魔界の軍勢とはなんですか? ゴブリンや召喚獣が大挙して王国を攻め込んでくるとでも?」


「もっと恐ろしい軍勢。火を噴く馬のない馬車に乗り、鉄で覆われた竜が空から攻め込んでくる。それも王国だけではなく、他の国にも攻め込んでくるでしょうね」


「それをネフィさまたちが信じたということは、証拠はあるのですか?」


 私が訊くと、リーゼは深呼吸して、言いました。


「私は、メンデシア侯爵マヒタンの妻だった。リーザロッテと名乗っていたわ。『装置』の開発にも、ゴブリンの複製の技術の開発にも、深くかかわっていた。その知識を研究所の方々にお話したら、自然、研究所のみんなが信じてくれたわ」


 その言葉は衝撃の一言では足りませんでした。私は、看過すべからざる大悪人の妻を目の前にしていたのだということに、脚が震えそうになりました。しかし、その後にも衝撃の言葉が続いていくことを、私はまだ知る由もなかったのです。 


「マヒタンのご夫人であったなら、なぜ中メンデシア侯が貴方の身柄を王国に預けないのですか?」


 懸命に足を踏ん張りながら、私は単刀直入に聞きました。リーゼは数瞬黙ったあと、小刻みに言葉を継ぎました。


「それは、侯爵が、私を、処刑台にかけることよりも、魔界の軍勢との戦いに、備えることを、お選びになったからかと」


「侯爵が、王国に隠れて、何かするということですか」

 

「隠すおつもりはないかと。機を見て私を王国に預けることもされると思う」


「……侯爵はあなたを、利用価値が続くまでの間、生かしておいているだけ、ということではないんですか」


「それでも一向に構わない。私は、マヒタンから預かった使命を果たすために生きているのだから、それが果たされればいつ何時、命を奪われても本望」


 竜小屋の壁の隙間から差し込む西日が、リーゼの悲壮な表情を赤く照らしていましたが、その蒼白な顔は、覚悟に震えていました。私はかける言葉を探しながら、根本的な疑問に立ち入ろうとしていました。


「それで、あなたはなぜ私にその話をしたのですか? 私にどうしてほしいと言うのですか?」


 私がそう言うと、リーゼは口元を真一文字に結んだあと、深く息を吸って、答えました。


「あなたにも、これから話すことに、賛同して、協力してもらったほうが良いと思ったから」


「何を?」


「中メンデシア侯とネフィさまが研究されていることを、王国への反逆とみなすのではなく、王国から支援してもらえるように、取り計らってもらいたくて」


 リーゼの恐れ多すぎる発言に、私はかぶりを振りました。


「私は南メンデシア侯の執事です。侯爵のお考えが私の考えです。私の賛同や協力を得るなら、侯爵に申し上げることです」


 そう言いながら、私はそのときは、リーゼの発言に望みがないだろうと思いました。なにしろ、エンリケとグロッソが不仲の最中であることを、私は目の当たりにしていたのですから。


 しかし、リーゼは食い下がりました。


「いいえ。あなたには協力してもらう。なぜなら、南メンデシア侯が必ず協力してくれる条件を、あなたは自分から侯爵に伝えなければならない」


 その言葉に、私は沈黙したまま首をかしげました。リーゼは続けました。


「私の計らいで、侯爵と妃殿下の、密会の機会を作ることができる」


 リーゼのその言葉の意味をくみ取るのに、少し時間がかかりました。私は思わず、鼻で笑ってしまいました。


「ご冗談を。どうしてそんなことができるんですか」


 するとリーゼは、口元に笑みをこぼして、言いました。


「マヒタンは内親王殿下の父親だからよ」

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