信者フレドニア――初期ネフィ信徒の登場

 ソニアの死を、母親のフレドニアが謀らんとしている――その事実でさえ愕然とするものがあったのですが、それがもし、「直属」などの外部に漏れたらどうなるのかと思って、私はめまいに襲われて、フレドニアの部屋の隅で立っているのがやっとでした。


 沈黙で満たされていた部屋の空気を打ち破ったのは、突拍子もないフレドニアの乾いた笑いでした。


「それにしても侯爵、あなたは王座を奪おうというのに、宰相や『直属』を如何にするかを、お考えではなかったのかしら?」


「それはつまり、殿下」


 エンリケはそう言うと、フレドニアを真っ直ぐに見つめました。


「宰相に首謀者の濡れ衣を着せようと仰るのですか」


「それが手間がなくて良い選択でしょう?」


「お言葉ながら、ご愛嬢とお父上でございますが」


 エンリケの言葉に、フレドニアは目をつむって、想いを馳せるような表情で言いました。


「行いに、ためらいは、要らないのよ、かけらも」


 フレドニアのカップに残された冷え切った茶に、傾いた日の光が跳ね返って、私の目元に射しました。目の前が白んで、二人の姿が遠くに見えるような気さえしました。


「……ところで、なぜ、現国王陛下から、わたくしに王位をつなぐことを、お許しになろうと思し召したのですか?」


 エンリケのその問いに、フレドニアも真顔になって答えました。


「宰相からこの国を取り戻すためよ」


 それは、フレドニアが父親のギョエテを憎んでいることを露わにする言葉でした。


「宰相が、何をされたと?」


「何もしないから腹立たしいのよ」


「私が申し上げるのも僭越ですが、宰相はご立派にお勤めを果たされているかと」


「宰相は中メンデシアを良く思ってらっしゃらないわ。なんの支援もしないどころか、領地の剥奪さえ陛下に勧めようとしていると聞きます」


 そういって、フレドニアは南の窓を眺めました。日差しは強く、低く差し込み、空は寒々しく澄んでいました。


 エンリケはギョエテと対立するつもりはなかったのでしょう。しかし、フレドニアの協力を得るためには、ギョエテと対立する道を選ばざるを得ないことが、目の前の茶話のテーブルの上で明らかになっていました。


 エンリケが肩を上下させるほどに、深呼吸して、言いました。


「それはつまり、私が王位に就くにあたっては、中メンデシアを支援することが、どうしても必要、ということなのですか?」


 フレドニアは窓から視線をエンリケに戻して、柔らかな微笑みを浮かべました。


「話が早くて、助かりますわ」


「そうまでして、殿下が、中メンデシアを引き立てようとするのは、なぜなのですか」


 エンリケは首をかしげて言いました。するとフレドニアは、胸の前で印を切って、両手を合わせたのです。


「私に道しるべをくださったの。ネフィさまが」


 フレドニアの切った印は、修道会の教徒や竜騎兵団の行うそれとはまったく異なる、私の見たことのないものでした。異教、という単語が頭に浮かぶのを、私は咄嗟にかき消しました。


「その方は、中メンデシアの魔法研究所の、ネフィ所長のことで」


 フレドニアの印のことには触れず、エンリケは確認しました。フレドニアは合わせた手をほどいて、胸に当てました。


「ネフィさまのこと、お嫌いですか?」


「嫌いなわけがございません。むしろ、その魅力を、平民の頃から、近くで、遠くで、見守っておりました」


 エンリケが答えると、フレドニアは満足げにうなずいて、冷たい茶を口に含みました。


「ネフィ所長は、どのような『道しるべ』を、奉じられたのですか?」


 エンリケの質問に、フレドニアはカップをソーサーに戻すと、怜悧な表情になりました。


「魔界の軍勢がこの世界にやってきて、混乱に巻き込まれる。それを救うのは、ほかでもない『八英雄』だと」


「八英雄?」


「あなた方のことですよ。メンデシアを与えられた、冒険者八人組」


 フレドニアが真面目にそういうと、エンリケは指を顎に当てて、考え込んでしまいました。


「この世界の危機を救うために、王国は中メンデシアをないがしろにしてはならないし、『八英雄』の指揮の下で、魔界の軍勢と戦わなければならないと、そういうことなのです」


 フレドニアはまばたきもせずに、エンリケをじっと見つめて言いました。エンリケは、すっかり困り果てた顔をしていました。


「恐れながら、それこそ宰相閣下に、殿下からお言付けされるのが、早いのでは」


「無駄よ。あれは、国の体裁のことばかり考えて、国家のこと、国民のことを考えてはいないわ。わたくし、この国が、この世界が好きよ。その世界が魔界に襲われるのを、見過ごしてはいられないわ」


 熱弁するフレドニアの前で、エンリケは無意識だったのか、腕を組んでしまいました。


「……お手紙でも『魔界』の話は盛んに書かれておられましたが、それは、先のマヒタン討伐の際の、ゴブリンの軍勢より恐ろしいのですか?」


「比べ物になりませんわ」


「その目でご覧になられたのですか?」


 エンリケの問いかけに、フレドニアは鋭い視線を送りました。


「ネフィさまを疑うおつもり?」


 フレドニアに気圧されて、エンリケは腕組みを解き、黙って首を横に振りました。


 そのやり取りを眺めながら私は、厚かましいとは思いつつ、エンリケが困る姿に自分の奴隷時代を重ね合わせていました。有無を言わさず同意を求められ、意見することもできない状況の悩ましさを、私は痛いほど知っていました。


「それでは、妃殿下の内親王殿下へのお心も、ネフィ所長はご存知で?」


 エンリケが訊くと、フレドニアはゆっくりうなずきました。


「むしろ、ネフィさまがわたくしにご教示くださったのよ」


 エンリケの表情は凍り付いていました。きっと私の顔も青ざめていたでしょう。まさかあのネフィ――場をわきまえない見当違いなことばかり言っていた魔導師――が、謀略の教唆に携わっているなどとは、思いもよらなかったのです。


 そしてフレドニアのその告白は、リーゼの言葉を直に聞いた私の、一連の事態への理解をより不可解にしました。フレドニアがソニアへ殺意を抱いていることをリーゼは知っているのか。それをネフィが教唆したのを知っているのか。知っていながらフレドニアをグロッソの側へ引き込もうとしているのか。それらの疑問が、私の頭の中で澱のように溜まっていったのでした。


 エンリケは、きっとその場の空気の重さに耐えられなかったのでしょう、深呼吸して、胸元から出したチーフで額を拭い、私を呼びました。


「デック、ドラゴンは腹を空かせてないか?」


「三日分、たっぷり食べさせてございます」


「すこし多めに運動させても大丈夫そうか?」


「プディングを持参しておりますので、機嫌を損ねることはないかと」


 私の回答に、エンリケは細かくうなずいて、再びフレドニアに向き直りました。


「殿下。もしよろしければ、私と一緒に空の散歩といきませんか?」


 エンリケの提案に、フレドニアは賛同しました。


「あら素敵。わたくしも魔法陣を空から眺めてみたかったところですのよ」


 二人は部屋を出て乗竜服に着替えると、私のドラゴンにエンリケが乗り、エンリケのドラゴンにフレドニアが乗って、魔法陣の上空に飛び立っていきました。


 二頭の竜が旋回する姿を眺めながら、私は、そういえば、ネフィが占い師だったことを思い出しました。きっとネフィは、様々な悩みを抱えたフレドニアと出会ったとき、すでにその魅力で、フレドニアを「信者」に変えてしまっていたのでしょう。その後ネフィは新たなる教祖となるわけですが、私の知る限り、フレドニアは、ネフィの信徒の先駆けだったと言えるでしょう。


 また、私がそのとき思っていたのは、グロッソ側の情報も、「直属」の側の情報も真実だとしたら、なぜセペダ昴星王がそこまで嫌われているかが理解できなかったということでした。私の無知ゆえだったのかもしれませんが、修道会の破戒僧や、貴族の不貞を見る限り、国王の衆道が、王座まで追われるほどの不道徳だとは思えなかったのです。そうなれば、「直属」の側にも、セペダ昴星王が失脚することで何らかの利益があるはずなのですが、その時の私にはそれに気が付くことができませんでした。

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