英雄から救世主へ

各々の思惑

修道会最高会議直属修道士フリオ――闇の尋問官

 目が覚めると、私は椅子に縛られていました。体のどこかを殴打されて痛めているというわけではありませんでしたが、私を固定する縄が腕と脚に食い込んでいました。


 目の前の床には、闇の中でただ一つ、煌々と照るランプが置いてありました。しかし、ランプの光は私の周囲だけを明るくしていました。フクロウが鳴いたりしていない静かな場所でしたから、室内であることは察知できたのですが、それなのに天井や壁が見えませんでした。それほど広い、室内の闇の中にいるということに、私は不安感を覚えました。


 この状況が、山賊やモンスターに拉致されたのではないということを、そしてそれが逆に、ただならぬ状況に私が巻き込まれているということの証左であることを私に理解させました。


 すると、前方から、足音が聞こえてきました。固い靴底が、固い床を蹴っている音が近づいてきて、私の前で止まりました。闇の中から姿を現したのは、修道会のなかでも、高位の僧侶がまとっているローブを着た、見覚えのある男性でした。


「フリオさま」


 私が驚いていると、口元に笑みを見せながらも、鋭い眼光で私を見下ろすフリオが、広いローブの袖口に手を入れて腕組みしたまま、肩をすくめました。


「久しぶり」


「どうしてこんなこと」


 私の言葉に、フリオはランプをはさんだ目の前で、下からの不気味な明かりに照らされながら、答えます。


「ちょっと話を聞きたいと思ってさ」


「私にお話があるなら、普通に召喚状を送って下さったら、本部教会に参じましたよ」


 私が言うと、フリオはゆっくり首を振りました。


「エンリケが君にそれを許すような心の広さがあるかどうか、わからないな」


「エンリケさまが許さないような内容を、私が知っている訳もないでしょう」


「もし、知っている可能性があるとしたら?」


 私はその反語の問いを聞いた時、気づきました。この状況を、闇の中から大勢の人間が見ているに違いない、と。それは修道会の人間なのか、それとも他の誰かなのかは分かりませんでしたが、とにかく、この尋問はフリオの個人的な事情によるものではないと分かったのです。


 椅子にも座らず、闇の中で立ちはだかるフリオは、私が黙っているのを見て、鼻で笑いました。


「これでもね、僕は修道会最高会議の直属なんだよ。――なあ、教えてくれ。グロッソは何を企んでる? 王権の打倒か? それとも中メンデシアの独立か?」


 唐突な話の展開に、私は反射的に首をかしげて、意識的に首を振りました。


「なんのことですか。本当にわかりませんよ」


「『運転式』のあと、研究所に呼ばれたろう。あそこで君とエンリケは何を見たんだい」


 なぜ、そのことを知っているのだろうかと思いました。もちろん、それほど内密なものでなければ、すでに国内で英雄となっていたグロッソとエンリケの、ある程度の動向は周囲に知られていてもおかしくはなかったのですが、問題は、フリオが「研究所で見た何かが重要なものだと知っていること」でした。


 おそらくは、フリオは研究所の中にあるものをある程度知っているが、その詳細が分からず、その確認のために私に質問しているのだろう――そう思い、私は変な隠し事をせず、事実を、しかし最小限の事実を話そうとしました。


「装置と、ゴブリンです」


「ゴブリンは何体いた?」


「一体です」


「ゴブリンはどんな風に管理されていた?」


「水槽の中で、たくさんの管に繋がれてました」


「そのゴブリンを、マヒタンはどうやって増やしていたか、とか、グロッソやネフィは何か言っていたかな」


 二人の名前が出てきて、私は努めて無表情を装いました。ここで二人の発言に関することを話せば、私が二人のことを告げ口したことが言質として取られてしまうと思ったからです。


「なぜ、そんなにゴブリンにこだわってるんです?」


 私が訊き返すと、フリオは初めて表情を厳しくしました。


「質問に答えろ。お前が質問する権利はない」


 そのとき私は、闇の中の全方向から、視線を感じていました。この質問に答えなければ、私はこの場から出られないどころか、命を取られてしまうのではないか、とまで思いました。奴隷の身である自分の命であれど、死ぬのは昔から怖かったですし、自分の立場が改善した状況で、私はこんな人生でも自分を惜しんでいました。


 私はフリオに命令された通り、質問に答えました。


「マヒタンが増やしていたとは言っていましたけど、どうやって、とかまでは。私もそんなに興味がありませんでしたし、どちらかというと、目の前の異様な光景にびっくりして、言葉もなかったぐらいで」


 私の言葉に、フリオはじっとこちらの顔を見据えた後、左右を振り向いて、また正面を向き、深くうなずきました。


「わかった。ところで、ユーキリスに最後に会ったのはいつだい」


 その名前を聞いたとき、私は言い知れぬ懐かしさと嫌悪感が胸に溢れたのを憶えています。なにしろあれだけ暴力を振るわれた相手でしたから、憶えていないわけはありませんでした。一方で、ユーキリスが見せた弱点に同情していた自分の人のよさに自分自身で呆れるような心情も、その時の質問によって、一瞬で心の中を駆け巡ったのでした。


「もう全然。マヒタン戦役終戦祝いの舞踏会で会ったのが最後です」


 正直に答えると、何年前だったのかを計算したのでしょうか、フリオは上を向いて、ゆっくりとまたこちらに向き直りました。


「会いたいかい」


「会ってどうするんですか」


「取引しようか」


「取引してまで会いたい人ではないですよ」


 私が少し語気を強めると、フリオは含み笑いで、ククク、と吹いたあと、組んでいた腕をほどいて、床に置いてあったランプを持ち上げました。


「取引に応じれば会える、というんじゃない、会わなければ取引に応じない、と言っているんだ」


「……申し訳ありません、少し、意味が」


 首をかしげる私に、フリオはランプを私の鼻先まで近づけて、私の顔をのぞき込んできました。


「デック、君がユーキリスに会わなければ、修道会は君の主人であるエンリケへの洗礼を取り消す。君がユーキリスに会えば、エンリケが王妃殿下と結婚したがっているのを、応援しないでもない、ということさ」


 その説明は、ほぼ脅迫でした。私は眩暈がするほど体から血の気が引きました。あの湖畔で話された内容は、途中からは、私と、エレラと、エンリケだけの秘密だったはずでした。村人たちは確かに全て締め出したはずでした。不敬な考えを語っていたのですから、エンリケが自ら他の誰かに話すようなことをしたとは思えません。


 洗礼を取り消されれば、エンリケは王冠を戴冠することはもちろん、王国の爵位も失うことになります。もちろん、他の国の修道会の洗礼を受ければ爵位を保つことはできるでしょうが、王国に領地を持つ以上、そんなことをしても意味はありません。領地を失うだけならまだしも、反逆者として討伐されかねません。


「なぜ、ご存じなんですか」


「言ったろう。僕は最高会議直属なんだって。『直属』は何でも知っているんだ」


 「直属」。私はそのあと、この「直属」の存在を恐れながら生きることになるのですが、この尋問の時は、まだその存在がどんなものなのか、印象さえつかむことができませんでした。目の前のフリオの言葉だけでは、「直属」が何を指していたかさえ、分からなかったのです。


「……会います。喜んで」


 私の回答に、フリオは特に喜ぶ風でもなく、さも当たり前のように無表情で、ランプを私の顔から離しました。そして、次の瞬間、私の意識は、馬車から降りた時と同様に、暗転しました。


 思えばこの時フリオが「エンリケが王妃殿下と結婚したがっているのを、応援しないでもない」と言ったことが、後々の王国の姿を予見していたことになるのですが、そんなことを気にしている状況ではなかったことを、読者の皆さんには理解していただきたいのです。

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