北メンデシア女侯爵エレラ──新たな恋と策略

「私は殿下を、めとるぞ!」


「デンカって、どなたですか?!」


 私が大声で訊き返すと、エレラも大声で返しました。


「決まってる! ソニア内親王殿下だ!」


 言っている意味が分からないと同時に、エレラなら言いそうなことだ、と思いました。


「めとって、どうなさるおつもりです?!」


「決まってるだろ! 騎士団長の座を奪うのさ!」


 ソニア王女をめとったらなぜ騎士団長になれるのか、私にはその理屈がよくわかりませんでしたが、それよりも、エレラの口から結婚の話が出ることに、私はすこし驚いていました。


「しかし、結婚というのはお子を成すもので、同性どうしでは……!」


「そんなもの! 愛があればなんとかなる!」


 そう叫んで、エレラは私の乗っているドラゴンから離れるように、自分のドラゴンの手綱を引いて、大きく旋回していきました。私は慌ててエレラを追いました。エレラのドラゴンより一回り小さい私のドラゴンでは、追いかけるのも一苦労でした。


 愛とか純潔とか、エレラは相変わらずでしたが、北メンデシア女侯爵という地位を得て、領民を治めはじめた彼女は、それでも精神的に成長していました。なにしろ、男と見てすぐに剣を抜いたりしなくなっていましたから。 


 私はそのとき久しぶりに「荷物持ち」をしていました。といっても、昔のように盗品のズタ袋を受け取ったり、生首を投げ渡したりするわけではありませんでした。


 空飛ぶドラゴンに乗って、エレラとエンリケが弓で狩った鳥を、空中で受け止める役目を受けていたのです。


 エンリケがドラゴンを買うと、それを聞き付けたエレラもドラゴンを手に入れました。空の上で戦うためには弓を習う必要があったので、リンファから腕のいい予備役の竜騎兵を紹介してもらって、エンリケとエレラは定期的に、「乗竜」の練習会を開くようになっていました。


「いついかなる時も戦に備えるのが領主たるものだろう?」


 エンリケはそう言っていましたが、どちらかというと領民に見せ付けたい雰囲気が垣間見えており、地上で勇者のように剣を振るう姿と違い、弓を取り扱う姿はお世辞にも格好いいとは言えませんでした。


 ドラゴンによる鷲狩りは、エレラの勝利で終わりました。エンリケとエレラと私は、南メンデシアの湖のほとりに作ったドラゴンのつなぎ場に着陸しました。


 私はドラゴンから降りると、両腕に抱え込んだハクトウワシと、ドラゴンの脂っぽい体液が染みついた乗竜服を近くに住む村人たちに預けました。奴隷だった私が、ドラゴンの乗り方を習い、平民の村人に着替えさせてもらっているという、少し昔なら信じられないような状況になっていました。


「それにしても、ずいぶんいいドラゴンじゃないか」


 乗竜服を脱いだエンリケがそう言うと、エレラは得意げな表情をしました。


「閣下への借金の形に、こいつをもらっていった」


「ドラゴンを飼っていたのか、閣下が?」


「正確に言うとドラゴンじゃない。ワイバーンという召喚獣らしい」


 エレラの言葉に、エンリケは不思議そうな顔をします。


「召喚術を使えるようになったのか?」


 召喚獣が召喚術の使い手の周りでしか生きられないのは、召喚士が身近にいた人間であれば常識でした。そして、召喚術はそのほかの魔法よりも習得が難しいことも、良く知られた事実でした。


「まさか。このワイバーンは、お姉さまの作った魔法陣の中で暮らしていたら、自然とお姉さまの元から離れても生きられるようになったらしい」


「魔法陣って、あのピントンの城か?」


 エンリケが訊くと、エレラは黙ってうなずき、感慨深げに言いました。


「さすがお姉さまだ。あの酔っ払いとは違う」


 ラファエロはいよいよ首が回らなくなってきていました。借金の形として、城内の美術品や宝飾品はもちろん、ご自慢の馬まで手放し始めていました。一方で、ジョゼの召喚獣への浪費は止むことはなく、ピントン領内の砦に二つ目の魔法陣を建設する計画が持ち上がっていました。国内では、ラファエロが領地を手放すか、ジョゼと離婚するか、どちらが先かを賭ける遊びが流行り始めていました。


「ということは、餌代はゼロか」


 エンリケが感心したように言うと、エレラは得意げに答えました。


「ご名答。リンファが随分と驚いていた」


 そんなやり取りを見ていて、私は恥ずかしながらうらやましく思いました。それはドラゴンの餌代についてではありませんでした。


 エンリケがドラゴンを飼うにあたって、使用人たちからは奴隷の購入を強く求められました。平民の生まれの彼らが、餌にする人間の死体に触るのを断固として拒んだからです。たしかに、ドラゴンを飼っているほかの諸侯や貴族はドラゴンの世話を任せるために、奴隷を買うか、予備役の竜騎兵を雇うかしていました。


 予備役の竜騎兵を雇う案も考えましたが、リンファに止められました。乗竜の指導員として一人二人雇うならまだしも、餌やりだけのために予備役兵を雇うのは高額すぎると言うのでした。また、死体の取り扱いは下っ端の地上兵の仕事であるため、予備役の竜騎兵でも、あまり好んでやりたがらないということでした。


 私は悩みました。エンリケに訊けば簡単に奴隷の購入が決まってしまうのは明らかでしたが、奴隷の生まれの私が他の奴隷を下に見て暮らすことが、自分の中で許せるだろうかということでした。無論、執事の私が、仕事に私情をさしはさむのはあってはならないことでしたが、そのとき初めて、「奴隷を買う」とはどういう事かを考えさせられると同時に、グロッソの顔も脳裏にちらついたのでした。


 結局、ドラゴンの餌やりは私が一手に引き受けることで、使用人たちの争議は避けることができました。ドラゴンの餌やりは手間ですが、自分が買って出たことで、平民の使用人たちも、どこか留飲を下げたような雰囲気がありました。


 三人の着替えが終わって、湖のほとりで茶話会が始まると、自然、エレラの「結婚」が話題に上りました。


 エレラがソニア王女に惚れこんだのは、この「乗竜会」の先月のことでした。エレラがまだ十歳の王女に初めて拝謁した際、エレラは「あの時と同じ感覚」に襲われたそうです。


「殿下はお姉さまと同じような、なんというか、包み込むものに溢れている。そうそう出会える女性ではない」


 十歳の子供にどうやったらジョゼと同じ性質を見出せるのか私は甚だ疑問でしたが、エンリケは違うことを思いついたようでした。 


「そうか、その手があったか!」


 水を口にしようとしていたエンリケが突然、誰にというわけでもなく、叫びました。エレラは怪訝そうな顔をします。


「なんだ貴様、私の王女をどうするつもりだ?」


 すると、エンリケが目配せしたので、私は予備役兵と村人たちをその場から引き上げさせました。三人だけになったテーブルで、エンリケは、水の入ったグラスを置き、腕を組み、脚を組み、椅子にふんぞり返りました。


「北メンデシア侯、もし貴方が内親王殿下と結婚出来るようになるなら、私を妃殿下と結婚できるように働きかけてくれるか?」


「妃殿下とって……まてお前、いや、待ちたまえ南メンデシア侯!」


 エレラが顔を真っ青にして、テーブルに身を乗り出しました。


「国王陛下を、どうするおつもりだ」


 エレラに凝視されても、エンリケは気圧されるそぶりも見せませんでした。


「なにも、殺しはしない。謀反を起こすつもりもない。私はただ、妃殿下と結婚したいと言っているだけだ」


「仮に妃殿下と結婚出来たところで、内政への参画も、まして……」


 エレラは数瞬黙ったあと、絞り出すように言葉を吐き出しました。


「……まして、王位継承権だって、手に入らんぞ」


「それは侯爵が王女と結婚できないのと同じだ。今はな」


「変えるというのか」


「変えたくないのか」


 エンリケの言葉に、エレラが珍しく、動揺の表情を見せました。エンリケも身を乗り出して、その顔を覗き込むように見つめます。


「王女への愛はその程度か、侯爵」


 そうエンリケに言われて、冷や汗をかいていたエレラの顔が、燃えるように紅潮しました。


「そんなことはない……そんなことはない! よかろう! やってやろうじゃないか!」


「さすが侯爵、それでこそ国を救った英雄だ!」


 そう言ってエンリケが高らかに笑うと、エレラも負けじと声を張り上げて笑いました。


 私は二人の会話を間近で聞きながら、久しぶりに、運命の成すがままに身を任せる「奴隷根性」を思い出し、覚悟を決めたのでした。


 それでも、エンリケが本当に妃殿下と結婚して王座にまで上り詰め、さらにエレラがソニア王女と本当に結婚するとは、まさか私も思うはずがありませんでした。


 私はそれ以降、人間の世界が、力あるものの都合によって簡単に変わるのだということを、悪い意味でも、良い意味でも、思い知らされることになるのです。

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