メンデシア侯爵マヒタン──謎は刎ねられた首と共に

 マヒタン討伐の戦役が終わった後、勲功者と貴族が一堂に会する舞踏会で、エレラはバルコニーの手すりにもたれながら、私を相手に管を巻いていました。無理もありません。彼女は男性と踊ることなどそのプライドが許さなかったのでしょう。


「いいかあ、お前、家族が殺される苦しみが分かるかあ? サイズの合わない甲冑着せられて領地を追われて逃げ出す苦しみが分かるかあ?」


 愚痴を聞かされている身とはいえ、私はその状況に救われていました。王城に上がることはできたものの、奴隷の身ということで、城内には入れず、城を囲むバルコニーで、舞踏場の様子をガラス越しにのぞき込みながら、私は飲み物を運ぶ使用人たちの冷たい視線を浴びていました。リンファに一張羅を用意してもらったのが申し訳なく思いました。


 そこに酔っぱらってやって来たのがエレラだったのです。私は嬉々として、使用人に飲み水を頼み、エレラを「介抱」したのでした。


「でも、お体も甲冑に合うように成長して、その領地もご自身の物に戻ってきたのですから、良かったじゃないですか」


 私の言葉に、エレラは拳で私の上腕を叩きました。


「馬鹿! 家族は戻ってこない! もーホントにこれだからお前は奴隷なんだよ!」


 繰り返し叩くのを、私は黙って耐えます。今日のエレラは甲冑を脱いだドレス姿だったので、少しだけ拳は痛くありませんでした。


 マヒタンの首が、当時のセペダ昴星王に献上されると、セペダ王はメンデシアの土地をエンリケたちに分け与えました。エレラはその中の、自分の父親が持っていた土地を含めた領地を拝領し、北メンデシア女侯爵エレラとなったのです。


 私はエンリケのもとに「返却」されていました。マヒタンの居城から宝物を盗むのを我慢した彼は、無事に南メンデシア侯爵エンリケとなりました。彼は、それまで冒険者として恩を売っていた村々を訪ねて、盛大に祝福され、多くの生娘の処女を頂戴したようですが、その中から妻をめとることはありませんでした。エンリケは舞踏場のフロアの真ん中で、軽やかに貴族のご婦人方と踊っていました。


「マヒタンの首、私が狩るのが本筋だったんだ。エンリケめ。あいつ、いまに鼻を明かしてやる」


 エレラはそう言って、水の入ったグラスを飲み干したあと、新月の星空を見上げました。


「お姉さまもあの騎士団長と話してばかり。私のことなんか、もうどうでもいいんだ」


 ジョゼはその夜、ラファエロと共に踊り、グラスを酌み交わし、話し込んでいましたいました。遠目から見ても、エレラの入り込む隙はありませんでした。ラファエロは余裕のない表情でジョゼに話しかけ、ジョゼはそれを黙ってうなずいて聞いているようでした。きっと真面目なラファエロのことですから、気の利いたジョークも言えず、一途な恋心をひたすらに語っていたことでしょう。


 私は慰めの言葉をかけることもできず、エレラが見つめる先の、昴星――この世界で月の次に強く輝く星――を一緒に見つめました。セペダ昴星王の尊称の由来となった星は、新月の夜も地上を明るく照らします。


 グロッソも中メンデシア侯爵となって、若い貴族の子女とダンスをしたりしましたが、どちらかと言えば出席していた騎士や軍人と話し込んでいる姿が遠くから目立ちました。


 ネフィとフリオは魔導師や修道士たちから、リンファは上級官吏たちから質問攻めにあっていました。舞踏会で踊らずに話している人々の話題はもっぱら、マヒタンがゴブリンを教練した方法の謎と、マヒタンの居城にあった「装置」の話だったようです。


 ゴブリンがあれだけ練度の高い兵隊として王国の脅威になったことは、国外の王侯にも注目されていました。軍事的な側面のみならず、魔法的な側面からの技術革新をマヒタンは独自で開発したはずだとの意見が、王城の使用人の噂話にものぼっていたくらいです。


 また、私は魔法のことは全く分からないのですが、なんでも、魔法の力で精霊同士を衝突させて、魔力の大爆発を起こす「装置」があったそうです。


「あんなものを起動されたら、本当に人間がこの世に住めなくなる」


 舞踏会が終わった後に、フリオが珍しく真顔でつぶやき、その直後にスキットルを懐から取り出して蒸留酒をあおっていたのは、今となっては的確な予言だったのだと言えます。


 マヒタンは様々なものを残していきました。しかし、それがどのように作られて、どうして彼が作ったのか、今となっては彼に聞く術はないのです。これは結果論ですが、マヒタンを生かして捕らえて、その罪状と、持ち得た技術についての知識を洗いざらい話させたほうが良かったのではないでしょうか。


 ちなみに、その舞踏会で、セオドールはワイングラスを次々に飲み干しては、楽しそうに、一人でステップを踏んでいました。


 私とエレラが昴星を眺めていると、また一人、舞踏場からバルコニーに人影が出てきました。礼装姿のユーキリスでした。


「おーどうしたんだよ、お前もダンスが上手く踊れないのか?」


 エレラがからかうと、ユーキリスは露骨に舌打ちしました。


「るっせーな、煙草だよ」


 煙草入れからパイプを取り出し、器用に煙草を詰めて、火打石で火をつけると、ユーキリスは深呼吸でもするようにパイプを吸って、火山から噴煙が立ち上るように煙を吐き出しました。


 そんなユーキリスを、エレラはじっと睨みつけたあと、言いました。


「お前が教えたんだろ、カルツに」


「だったらどうだってんだよ」


 エレラに目も合わさずに、ユーキリスは煙を吐きながら答えます。


「お前が殺したってことじゃねえか」


「……てめえこの場で殺されてえか」


「おう、私にも蛍光草、恵んでくれるのか、そりゃありがてえな」


 ドレス姿のエレラが腕をまくり、礼装姿のユーキリスが上着を脱ごうとするのを、私は慌てて止めました。


「おやめください! 皆が見てます!」


 私の大声に、使用人たちが振り向いて、その視線で二人は衣装を元通りに直しました。


 王国の国土に広がった蛍光草の煙は雲になって雨を降らせ、少なからぬ蛍光草中毒者が国民の中に現れました。幻覚や幻聴を訴える者への治療薬として、希釈したゴブリンの血液が必要だったことで、野生のゴブリン狩りが始まって需要が高騰したときは、ずいぶん皮肉なものだなと思いました。


「どうするんだよ、これから」


 エレラが問うと、ユーキリスが煙草入れの灰皿に灰を捨てました。


「また旅に出る」


 消え入りそうな声で言ったユーキリスを、エレラは高々と笑いました。


「一人でか? もう有名人だぞ? 蛍光草も人前じゃ吸えないぞ?」


「社交界は嫌いだ」


 吐き捨てるようにユーキリスが言った、そのときでした。


「やあやあ、これはご機嫌麗しゅう!」


 礼装姿のアランキスが、こちらに近づいてきました。


「よう奴隷、ずいぶん偉くなったな。他人の荷物を川にでも捨てて、も一度拾って、恩でも着せたか?」


 私が黙って聞き流すと、アランキスは鼻で笑って、エレラとユーキリスに振り向きました。


「この度は国王陛下からの領地と爵位の拝領、まことにおめでとうございます! 心よりお喜び申し上げます!」


 アランキスは、自分より地位が上になった二人にかしずいた後、首を上げて、下からギョロリと睨みました。


「調子に乗るなよ」


 そう言い残して、アランキスは再び舞踏場へと戻っていきました。その後ろ姿に、エレラは小声で罵りました。


「クソおやじ、一生城の周りを犬みてえにグルグル回ってろよ」


 舞踏会の夜は更けていき、所要のある人から、一人二人とその場をあとにしていきました。ジョゼとラファエロは真っ先に、パーティだった八人のなかで最後に出たのはエンリケでした。セオドールは酔いつぶれて、使用人に支えられながら舞踏場を後にしたそうです。

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