カルツ竜騎兵団長──「九人目」にならずにすんだ青年

 カルツは、一見すると少年のような風貌でしたが、それでもユーキリスより年上だと聞いて、世の中は広いなと私は妙に感心したものでした。


 竜騎兵団長という地位にありながら、領地はなく、生活は質素で、竜騎兵団の基地近くの団地に独りで住んでいたそうですが、そこに帰ることもごく稀で、ほとんど兵舎でドラゴンと寝起きを共にしていたそうです。


 本来なら、マヒタン討伐とゴブリン一掃作戦で功績をあげた彼が「九人目」と呼ばれるべきなのですが、そうならなかったのは、カルツが神のお気に召した善人であったことの証拠だと思います。


 蛍光草によるゴブリン一掃作戦は功を奏し、戦況は再び好転していました。王国の領土は元の面積を取り戻し、フリオとリンファによる効率的な兵員の治療法の確立によって、王国側の戦力も回復していきました。


 いよいよマヒタン領地への再侵攻という時期が来て、ラファエロがカルツの竜騎兵団のキャンプを訪ねた時のことでした。私もラファエロに付き従っていましたから、ラファエロとカルツが同じテーブルで、同じポットのお茶を飲んだのを目の前で見ていました。


 炎を防ぐためなのか、騎士団のテントよりも厚手の生地のテントでした。その中で二人のカップにお茶を注いでいた兵士は、私のほうを睨みつけていました。きっと、奴隷が突っ立っているのが気に入らなかったのでしょう。


 すると、ラファエロがカップを飲み干そうとしたのを見計らって、カルツが聞きました。


「彼が、例の彼ですか?」


 私に目配せしたカルツに、ラファエロは頷きます。


「そう。例のね。少し貸そうか?」


 ラファエロの提案に、カルツは悪戯っぽい笑いを浮かべます。


「いいんですか、また貸しなんて」


「大丈夫さ。君からエンリケにありがとうと言ってくれたら、彼はしっぽ振って喜ぶ」


 そんなやり取りがあって、私は竜騎兵団のキャンプのお手伝いをさせていただくことになったのでした。きっと、奴隷が手持ち無沙汰になることで部隊の兵士たちが私に嫉妬を抱くことになるのを、未然に防いでくれたのだと思います。


 間近に見るドラゴンは、馬よりも臭いが刺激的でした。後日カルツの後任の竜騎兵団長に聞いた話ですが、その臭いは、炎のブレスを吐くための可燃性の高い体液がドラゴンの体表から漏れているからだそうです。ドラゴンが飼われている周辺は火気厳禁でした。


「ドラゴンに餌やったことは?」


「召喚獣になら」


「んー、まあいいや。ちょっと頼むわ、申し訳ない」


 そう言い残して、カルツはドラゴンのつなぎ場から離れました。


 申し訳ない、と言われて、そういえば私は、今までの人生で謝罪の言葉をかけられたことがあったかな、と記憶を遡りそうになりましたが、それよりも、仕事の内容に、酷くたじろいだ憶えがあります。


 死体桶の中には、塩水に浸かった人間の死体が無造作に入れてありました。その中から一体ずつ抱え上げて、巨大なまな板が貼られたテーブルの上に乗せ、鉈でドラゴンのひと口大にぶつ切りにしていきました。ちょうど握りこぶし大ぐらい、頭であれば八頭分ぐらいでしょうか。そうして刻んだ死体を、ドラゴンの餌桶に並べていきました。


 桶の中の死体をすべて刻み終わったところに、カルツが戻ってきました。


「作業早いね。死体を触るのは嫌じゃないのかい?」


「慣れてます」


 カルツの問いに私が答えると、彼はしばらく無言になってから、言いました。


「それも悲しいね。申し訳ない」


 当たり前ですがドラゴンというのは馬とは違って、人を喰い、火を吐き、空を飛びます。それを飼いならすには犠牲が伴うのです。死体の中には女性も、子供も、赤子もいます。ドラゴンはそれらを区別することなく食べます。


 私がもしそれまでの人生のどこかで死んでいたら、自分の死体に人の手が加わっていた可能性があったわけです。それを思って、そのときは不思議な感覚になりました。戦場の竜騎兵のドラゴンは、地面に転がっている死体をそのまま食いちぎっていたので、こうした作業がこの世の中にあることさえ想像もつかなかったのです。


 しかし、そのような特殊な生き物と生活に普段から触れているせいでしょうか、カルツをはじめとした竜騎兵団の人々にはエンリケたちにはない「慈悲の心」が感じられました。あらゆる行動の中で手を合わせ、印を切り、すべてに感謝する言動が身についているようでした。命に対する敬虔さとでも言えばいいのでしょうか。


「餌やり、終わりました!」


 私が報告すると、自分の愛竜の頭を撫でていたカルツは、白い歯を見せて私に笑顔を返しました。


「ご苦労!」


「次の指示がございましたら、お伺いします!」


 私が言うと、真顔に戻ったカルツはじっと私の顔を見つめたあと、近づいてきて、耳元で囁きました。


「蛍光草、ツテがあるって言ってたじゃん、君の持ち主さんたち」


「はい」


「あれ、絶対ヤバいでしょ」


 私は返事ができませんでした。


「言えないよねえ、奴隷の立場じゃ。……あ、ごめん。そういう意味じゃなくて」


 カルツはまた私に謝りました。なんだかこちらのほうが申し訳なくなったことを、いまでも憶えています。


 私の耳元から愛竜の頭を撫でに戻っても、カルツは私と話を続けました。


「思ったんだけどさ、エンリケ少佐って、何がしたいの?」


「と、申されますと」


 私が訊き返すと、カルツは竜を撫でている手とは逆の手を、顎にそえて、遠い目をしました。


「あんなに物事にがっつかなくても、幸せになれそうな気がするんだけどね」


 エンリケの素行をカルツは一言でまとめてしまいました。たしかにエンリケは様々な事柄にがっついて、功を上げようとしていました。それは昇竜王として戴冠したいまとなっても変わらない、エンリケの業のようなものだと思いました。


「カルツさまは、どんな時が幸せですか」


 私の質問に、カルツは優しく微笑みます。


「そりゃもう、コイツと空を飛んでるときさ」


 幸せ――エンリケたちには無縁の言葉だと感じられました。彼らは八人で完成するパズルのようで、揃っていれば完璧なチームワークのパーティですが、一人ひとりを観察すると、いびつに欠けた部分を埋められずにもがいているような、そんな感想を抱かせました。


「恐れながら、カルツさまは、将来、どんな方になりたいのですか」


「将来?」


 カルツは大きく首を左右に傾げたあと、また竜の頭を撫でました。


「できるだけ長くこいつと空を飛んでたいかなあ。ドラゴンって人間より寿命長いからさ、俺、先に逝っちゃうんだよね。だから、こいつの背中の上で死ねれば本望かなあ」


 その時、伝令の兵士が私とカルツの間に割って入りました。


「団長! 蛍光草、到着しました!」


 途端、カルツの表情が険しくなりました。


「よし! 準備に入れ!」


 カルツは素早い身のこなしで、愛竜の背中の鞍に乗りました。駆け寄ってきた兵士たちがつなぎ場の綱を大急ぎでほどいていきました。


「我々もいくぞ、デック!」


 遠く後ろからラファエロに声をかけられ、私はカルツに大きく頭を下げて、慌ててキャンプを後にしました。いま思えば、それがカルツへの最後の挨拶となったのですが、まともに言葉を交わすことができなかったのが残念でなりません。


 馬車の荷台の中から空を見上げると、蛍光草を抱えたドラゴンたちが一斉に飛び立っていく姿が、地上にたくさんの影を落としていました。


 戦況は着実に王国の有利に進んでいきました。反転攻勢に成功した王国軍は、その勢いのままマヒタンの居城に攻め込み、結果、エンリケがその首を獲ることに成功したのです。


 戦役が終わった後、カルツは王立病院のベッドの上で亡くなりました。急性の蛍光草中毒による心停止でした。


 カルツの葬儀に出席した後、ユーキリスが突然、何の脈絡もなく、私の尻を蹴って、こう言いました。


「蛍光草で死ぬようなヤワがドラゴンなんか乗ってんじゃねえってんだよ!」

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