セオドール軍務卿――平服組の青ざめた焦燥

 王国側の一方的勝利で幕を閉じるに見えた戦いに、暗雲が立ちこめました。


 マヒタン側勢力が、戦場にゴブリンを投入したのです。しかも、魔導師が催眠魔法をかけてコントロールするよりもずっと統制のとれた、自発的軍隊行動をとる「ゴブリン部隊」だったのです。


 知性や体格では人間が上ですが、なにより敏捷性、頑丈さ、暴力性に富むゴブリンですから、その軍勢に全戦線で大挙され、王国軍は一時劣勢に立たされました。


 有史以来の諸侯同士の正規戦に、ドラゴンや召喚獣などの「調教モンスター」ではなく、「教練モンスター」が兵力として加わった、初の衝突でした。戦いを見るに、その行動を観察すると、ゴブリンはすでに「練度の高い兵隊」と言っても過言ではありませんでした。


──マヒタンは魔王になるつもりか。


 そんなことが騎士団や兵士の中で噂されるようになっていました。


 その噂を軍務卿が聞きつけたようで、兵士の士気を下げるわけにはいかないと、国王軍の各部隊長と騎士団長が、軍務卿のもとに集まることになりました。会議場は前線に最も近い要塞の一室に設定されました。


 このような事態に、私のできることといえば、「より良い議場を準備すること」でした。会議場の大テーブルを磨き、椅子から埃を取り、図上演習のための駒を正確な位置に配置する――その他、お茶の準備や、会議が長引いた時のための軽食などの準備を「指揮」していました。奴隷の私がなぜ指揮していたかといえば、本来その立場であった人が戦死してしまい、ラファエロの身辺をよく見ていた私が指揮するのが一番都合がよい状況になっていたからなのです。


 各地から次々と部隊長たちが――つまりエンリケのパーティたちが集まってきました。久しぶりの再会となるはずでしたが、それを喜ぶ間柄でも状況でもありませんでした。部隊長クラスが一同に会して旧交を温め合う余裕があるわけではなかったのです。マヒタン軍が王城の目の前まで侵攻し、すぐに集まれるほどに戦線が後退していたのです。


 ラファエロが最後に部屋に入ってきて、一同が起立し、敬礼しました。


「軍務卿がお見えになる。しばらく待つ。デック、茶を出してくれ」


 ラファエロが気を利かせたのに対し、エンリケが小さく手を上げます。


「私は白湯で」


 言われた通り、私は会議場の大テーブルを囲む椅子の分だけ用意していたカップに、お茶と、一杯の白湯を淹れました。


 しばらくして、セオドール軍務卿が会議場に現れました。ラファエロ含めた全員が起立し、最敬礼します。


 セオドールという人は、軍人上がりではなく、王立大学校で歴史学を学んで王国の政務に就いた「平服組」だそうで、本人曰く「戦争の素人だからこそ、国にとって何が大切かを軍人に指摘できる存在」なのだそうです。


「どうするんだね、ん? もうすぐそこじゃないか、ん? 囲まれるぞ、ん?」


 貧乏ゆすりでたっぷりとした腹を揺らしながら、セオドールはラファエロに問い詰めます。図上演習の駒には見向きもしません。


「なにか良い案はないのか? 諸君らの策がなっとらんからこの有様なのではないのか? ん?」


 ラファエロをはじめとした「制服組」はみな黙り込んでいました。セオドールはお茶のカップを飲み干すと、肩ごしの虚空に掲げました。私はそれを盆で受け取って、新しいカップのお茶を淹れ、また盆にのせてセオドールに渡しました。


 セオドールがお代わりを飲み干すのを待って、最初に沈黙を破ったのは、グロッソでした。


「最初はわが国王軍がマヒタンの居城の目前まで攻め込んでいました。そこまで引っ張ってから奥の手を出したということは、むこうも何かリスクを伴っているはずです」


「リスク?」


 セオドールが聞き返すと、リンファが挙手して割って入りました。


「ゴブリンは戦争が終わっても市民には戻らない。つまり、納税や労働をしない。ずっと人や動物を襲い続けることでしか存在することができない。やがて国の資源を食い尽くしてしまう」


 リンファの言葉に、セオドールの顔は一気に青ざめました。


「マヒタンは、ゴブリンを国土に解き放った時点ですでに、国をもろとも荒廃させるつもりだったのでしょう」


「馬鹿なことを言うんじゃない!」


 セオドールはリンファに向かって叫んでいましたが、誰に怒っているのか分からないような、会議場を裂かんばかりの大声でした。


「そんなことさせてなるものか! わが王国の国土は万世一系の由緒正しき土地だ! それを一介の諸侯ごときに荒廃させられるなど、祖霊に合わせる顔がない!」


「でも、どうすればいいか、分からないですね」


 珍しくネフィが、いつもの小さな声で、そしてやはり空気を読まずに言いました。長い沈黙が、会議場を流れていきました。


「ゴブリンの弱点ってなんだ?」


 頬杖をついて問うエレラに、エンリケが苛立ちながらため息を吐きます。


「分からないから困ってるんだろ」


「蛍光草」


 それまで黙っていたユーキリスが、消え入りそうな声で呟きました。


「なんだい?」


 聞き返したラファエロに、深呼吸したユーキリスが答えます。


「蛍光草は、もともとゴブリン除けとして、田畑を囲むように栽培されていたんだ。その蛍光草を使えば、ゴブリンを退治できるかもしれない。あくまでも、かもしれない、だけど」


「本当かよ」


 エンリケが鼻で笑いましたが、やっと出番だ、とばかりにフリオが庇います。


「ゴブリン除けは本当です。修道会の薬草秘伝書にも、ゴブリンを確実に仕留める方法として、蛍光草を煮詰めた毒を矢じりに塗ることで、退治できると書いてありました。いま思い出しました。すみません」


 その言葉に、ユーキリスがフリオの肩を抱きます。


「なー! そうだよなー!」


 静かな会議場に声が響いて、ユーキリスが場違いな喜び方をしたことに気づきました。


「……失礼しました」


「じゃあその蛍光草とやらをかき集めてゴブリンにぶちまければゴブリンは死ぬな? すぐにでもそうしろ! 時間はない! 諸君らの健闘を祈る!」


 セオドールはそう言い残して、椅子を蹴るように立ち上がり、足早に会議場を後にしました。


「問題は蛍光草をどんな形でゴブリンの軍勢にぶちまけるか、だが……」


 会議場のドアが閉まったのを確認して、ラファエロはそう言って首をかしげました。すると、いままで黙っていた、ネフィよりも背丈が小さな男性――彼はエンリケのパーティではない――が、手を上げました。


「うちのドラゴン使いましょう」


 男性にしては高い声の彼が、竜騎兵団長のカルツでした。


「空から蛍光草を投下したあと、ドラゴンの炎のブレスで焼けば、煙でゴブリンを一網打尽に出来る」


「それ、最高じゃん……」


 ユーキリスが瞳を輝かせました。きっと自分がその煙を吸う妄想に浸っているのでしょう。


「ではどうやって、蛍光草を集める?」


「私が手配します」


 ラファエロに向かってリンファが高々と手を上げました。


「ツテはあるのか?」


「もちろん」


 ラファエロの問いにそう答えると、リンファはエンリケに向かってウインクし、エンリケも苦笑いしました。闇市のコネを使うときがとうとう来たのでした。


 その後、作戦会議は、今までの暗い空気を吹き飛ばすように進んでいき、大テーブルの図上演習の駒は大胆に動き、用意していた軽食も平らげられました。大まかな部隊ごとの役割が決定した頃にはもうすっかり日が沈んで、ランプの明かりだけが会議場を照らしていました。


「これでよろしいか諸君、よろしいか?」


 ラファエロが大テーブルの左右を見回すと、異議なし! と、部隊長たちは声を揃えました。


「ではこれにて解散! 諸君らの健闘を祈る!」


 ラファエロの激励に、皆が鬨の声を上げました。


 エンリケたちが会議場を出ていこうとする中、ラファエロがその中の一人を呼び止めました。


「ジョゼ部隊長!」


 呼ばれて振り向いたジョゼは、ラファエロの前に立って敬礼します。


「ここに」


 ですが、ジョゼを目の前にして、ラファエロは伏し目がちに黙り込んでしまいました。ジョゼが首をかしげると、ラファエロは、深呼吸して、一言、言いました。


「また、会おう」


 その時、一瞬微笑んでみせたジョゼの表情は、宿屋や、キャンプや、幌馬車の中でよく見た、淫蕩な冒険者のときのそれに戻っていました。


「もちろんです」


 こうして、ゴブリン一掃作戦の火ぶたが切られたわけですが、後々この作戦によって、王国の国土全体で蛍光草の汚染が進んだことは、果たして、やむを得なかったことなのでしょうか。

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