セペダ昴星王──またの名を無関心王

 エンリケが送った手紙の返事は、なかなか返ってきませんでした。その間にも、ピントン領の国境付近では「魔界の軍勢」と思しき異形の姿が散見されるようになり、目撃情報は王国各地へ伝わっていきました。


 大公国は魔界の軍勢に占領された──そんな噂が王国内で広がっていきました。大公国との国境にピントン領内の兵が徐々に集められるようになり、極西砦の魔法陣の工事は途中で止まってしまいました。

 

 そんな最中、国王からの勅命で、王城に諸侯が集められることになりました。それは戦役の準備を予告するものだと言って過言ではありませんでした。勅命の手紙を受け取った日、エンリケは執務室の壁に飾ってあった剣を降ろして、埃を払い、鞘から抜いて言いました。


「錆を落とさなければな。これも、私自身も」


 国王への拝謁の日、私はエンリケと共にドラゴンで王都に参じました。諸侯といっても様々で、馭者と馬車を持てる者もいれば、馬一頭だけで精いっぱいの者もいましたから、移動日程を踏まえて数日の猶予が与えられていました。ドラゴンでひとっ飛びできるエンリケは余裕のある分だけ、久しぶりの本格的な剣術稽古を行っていました。


 王国国内に領地を持つ諸侯たちが、王座の間に集められ、その中にはもちろん、グロッソも、エレラも、エンリケも、さらにアランキスもいました。病床のラファエロの代わりには、ジョゼが出席していました。セオドール軍務卿は大臣の一人として王座に近い場所で神妙な面持ちで立ち尽くしていました。財務卿の後ろには、リンファが姿勢を正していました。


 私は王座から一番離れた正面扉のすぐ手前に立っていました。奴隷の出身でありながら王座の間に入れるようになったのですから、大出世だと言えるでしょう。


 国王のお出ましの合図となるハンドベルが鳴ると、それまでざわついていた諸侯たちは一斉に黙り、王座の方向を向き、ひざまずきました。私も周りにあわせて、頭が出張らないよう、誰よりも深くひざまずきました。


 上目遣いで前を見ると、王座のすぐ横の扉が開き、セペダ昴星王が入ってくるのがわかりました。金色に輝く王冠を被り、大きな水晶玉のはまった錫杖を持ち、鷹揚な動きで王座に座りました。


「国王陛下、恐れながらここに、王国の諸侯、拝謁いたしましたっ!」


 宰相ギョエテの声が王座の間に響き渡りました。そのときの私はギョエテの姿を見ることはできませんでしたが、後日に目の当たりにしたギョエテの姿は、フレドニアが娘だとは到底思えない姿だったのをよく憶えています。


 ギョエテの声はさらに響き渡りました。それはセペダ昴星王から、拝謁する諸侯に向き直って発せられた声でした。おそらくは、書状か何かを読み上げている声と思われました。


「陛下より、勅令。ピントン領南部の大公国に接する国境付近に現れた怪異に対して、先立っての斥候と防衛を兼ね、王国軍より兵を送ることとする。これに伴い、騎士団と軍の再編を行い、諸侯にその尽力を求むるものとする」


 目の前に国王がいるにもかかわらず、勅令が伝言される状況というのは、つまり「国王は直接口をききたくない」というところにつきるのでしょう。それは、のちに「無関心王」と呼ばれるセペダ昴星王の素振りを、私が垣間見た初めての光景でした。


 私はそのとき、「直属」も「研究所」も、セペダ昴星王を廃位させたい理由を悟ったような気がしました。「研究所」はもちろん「直属」にとっても、王国を守るにあたって「無関心」なセペダ昴星王は、目障りだったのでしょう。


 ギョエテの声は続きました。


「並びに、勅令。病床にあるピントン侯爵ラファエロに代わり新たに騎士団長を、イアスレラ伯爵アランキスに任ずる。これに伴い、アランキスに侯爵の爵位を与える」


 その勅令が意外だったのは、私だけではなかったようで、ひざまずいた諸侯の間にため息のようなうめき声が広がりました。


「静粛に! これにて国王陛下、ご退座!」


 結局セペダ昴星王は一言も発さぬまま、王座の間から出ていきました。


 拝謁の後、王城の中庭で、諸侯たちは各々、茶の入ったカップを手に立ち話を始めていました。宴会の用意はありませんでしたから、自然に発生した立ち話に、城の侍従や使用人が気を回す形でカップに茶を注いで回り、茶会が始まっていました。エンリケはいつものように白湯を給仕に用意させました。


 エンリケの周りには、やはり、グロッソとエレラとジョゼが立っていました。私は「荷物持ち」として、諸侯同士でやり取りした土産物などの手荷物を両腕に抱えていました。グロッソの執事は帰りの馬車の準備でその場を外しており、ワイバーンで王都に参じていたジョゼやエレラはそもそも執事を連れていませんでした。


「納得できない。なんでアイツが騎士団長なんかに」


 エレラはそう言って男装の礼装の首周りを掻いていました。エレラはすでに「研究所」の側に取り込まれていました。北メンデシアの領内では魔法陣が着工していました。


「『直属』か?」


 エンリケが訊くと、グロッソが首を振りました。


「『直属』がアランキスを騎士団長に推して何の得がある?」


「宰相でしょうね」


 ジョゼはそう言ってカップの茶を含み、いつになく沈んだ面持ちで言葉を続けました。


「宰相は『直属』と、私たちと、両方の意図を既に握っているのでしょうね。とにかく陛下を王座から降ろす勢力を遠ざけたいんでしょう」


 すると、エンリケがため息交じりに三人に向かって言いました。


「なあ、いい加減、教えろ。私を王座に座らせるのが『直属』と同じ目標なのだとしたら、『直属』と共闘してもいいはずじゃないか。なぜそうしない?」


 その言葉に、グロッソが苦笑いしました。


「向こうがこっちを嫌ってる」


「王国の国土を好き勝手されるのが嫌なんだろう」


 エレラの言葉に、エンリケは舌打ちして、カップの白湯を一気に飲み干して言いました。


「私が『直属』のほうに付くと言ったら、諸君らはどうする」


 その発言はおそらく、エンリケなりの取引だったのでしょう。エンリケは『直属』と『研究所』の間で、自身が権力闘争のカードにされていることを自覚していたのだと思います。そう考えれば、主導権を奪われることを嫌うエンリケらしい発言だと思われました。


「付けると思ってるならそうすればいい」


 グロッソはエンリケの顔をえぐるような鋭い視線でそう答えました。


「人は王になるのではなく、王にさせられるのですよ。南メンデシア侯もそろそろその現実を受け入れたほうがいい」


 グロッソが睨むのに、エンリケは怖気ずくこともなく睨み返していました。ジョゼもエレラも、その様子を無表情に静観していました。 


 そのとき、遠くから聞き覚えのある大きな声の主がこちらに向かってきました。


「やあやあ! ピントン侯爵夫人! ご機嫌うるわしゅう!」


 それは騎士団長の任を拝命して自信たっぷりになったアランキスでした。


「この度は、ピントン侯から騎士団長の大役を引き継ぐにあたり、その使命の重さに身が引き締まる思いと共に、病床の侯爵にご自愛くださりたく、ご挨拶に参りました」


 まるで酒でもあおったかのようにすっかり上機嫌のアランキスは、ジョゼの前で膝を折ると、エンリケたち三人を上目遣いに確認して、含み笑いを浮かべました。


「閣下のお気持ち、痛み入りますわ」


 ジョゼは無表情にそう答えて片手を差し伸べました。アランキスはその手の甲に口づけると、私のほうを向いて、首を振りました。


「まだこんな奴隷上がりをお連れになっているのですか。そんなことだから陛下にお近づきにもなれないのではないですか、南メンデシア侯?」


 アランキスの言葉に、エンリケは鼻で笑いました。


「閣下のおっしゃる通りかもしれませんな。そのせいか痔に悩まずに済んでおります」


 その皮肉にアランキスは返事もせず、再びジョゼに向き直って膝を折りました。


「こんどの戦役、きっと私が諸侯をその指揮のもとに活躍せしめ、陛下と王国は再びの安寧を取り戻すでしょう! それでは、ごきげんよう!」


 そう言って立ち去るアランキスの後ろ姿を確認して、ジョゼはハンカチで手の甲を拭きました。エレラは今にも唾棄しそうな表情でアランキスを見据えていました。


「この状況でまだ身分の上下に汲々としているか。程度が知れるな」


「かといってこちらで感情的に『消す』わけにもいかない。閣下には『正しく死んで』もらう」


 グロッソはそう言ってカップの茶を飲み干し、給仕に代わりを注がせました。エンリケは白湯の代わりも求めずに、カップの底をじっと見つめて、呟きました。


「どうすればいい……」


 この茶会の後、王国は再び大きな戦役へと向かっていくのですが、この時点ではエンリケは「魔界の軍勢」よりも「王になる」ことへの関心が強かったようでした。しかしエンリケは「魔界の軍勢」との交戦によって、まさに「王にさせられる」強さを、王国に、世界に、知らしめることになるのです。

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