エンリケ――私を買った「持ち主」

 奴隷市場で私を買ったのはエンリケでした。そのときのエンリケのパーティは、ユーキリス、フリオ、ジョゼの四人だったと思います。


 北方のある港町の埠頭に、奴隷商人は手鎖で繋がれた奴隷たちを並ばせました。その中の一人が私でした。ちょうど成人を迎えるくらいの歳だったと思います。奴隷船に載せられて、どこの港かも分からず降ろされ、私は不安でいっぱいでした。


 ずいぶん空が青い日でした。奴隷を買い求めにきた人々が、私たちの前を行きかいます。貴族、豪商、将校、修道士。彼らが私たち奴隷を品定めする目は実に楽しそうでした。まるで店先の野菜の鮮度を見比べるような、好奇心に満ちた、その一方で決して眼の前の存在に意思や命があるとは思っていない、酷薄な視線でした。


 過酷な強制労働に使われるのか、それとも玩具にして遊ばれるのか。様々な視線を受け止めながら、私は震えないようにするので精一杯でした。人前で震えるような奴隷は、売り物にもならず、竜騎兵団に飼育されるドラゴンの餌にされてしまうのですから。


 そんな視線の中に、一人だけ異質な出で立ちの男性がいました。


 大きなザックを背負い、頑丈そうなブーツをはいたその姿は、見るからに冒険者でしたが、亜麻色の髪を短く刈り込んで身ぎれいにしており、つやつやした革鎧を着て、銀細工が施された鞘に入った剣などを帯びて、実に金回りのよさそうな風貌でした。


 面立ちや見た目の華やかさに反して、青い目の奥から私をのぞき込むエンリケの魂は、奴隷市場に買いに来た誰よりも冷徹だったと記憶しています。後で知ったのですが、私よりも十も年上と聞いて、その若々しさと、怯みそうなほどの美しさに驚いたものでした。


 そのころのエンリケは、王位も爵位もなく、一介の平民でした。ただ少し違ったのは、盗賊や山賊を討伐して回っては訪れた村々に恩を売りながら、盗賊の盗品を売り払って荒稼ぎしていた、偽善的な冒険者だったということでした。


 私の目の前で立ち止まったエンリケは、私の顔を見て首をかしげたあと、唐突に訊ねてきました。


「馭者はできるか」


 私は最初、自分が訊かれていると気づきませんでした。


「私ですか」


「そうだ。できるか」


「出来ます」


 私は即答しました。馭者という職業に就いたことはありませんでしたが、馬車を駆って故郷の村を逃げ出した経験を、少し誇張して、しかし真実として答えたのでした。


「荷物はどれだけ運べる?」


「大人三人を肩に担いで運んだことがあります」


 一刻も早くこの奴隷市場から出たかった私は、死体、という言葉は使わず、戦場での思い出を美化してエンリケに媚びたのでした。


「俺は四人運んだぞ!」


「俺は牛を三頭を運んだことがあるぞ!」


 私の両隣の奴隷たちもこの市場を出たい気持ちは同じだったのでしょう、嘘か真か分からないことを言って自らの能力を誇示しました。しかし、エンリケの耳には届いていないようでした。


「お前に決めた。名前はあるか?」


「『デック』と呼ばれていました」


「よろしくデック。鎖を外してくれ」


 奴隷に向かって名前を聞き、挨拶をしたエンリケに、奴隷商人は驚いた様子を隠しませんでしたが、とくに何も言わず、金貨の入った袋を受け取ると、私の手鎖を外しました。


 こうして私はエンリケの正式な「持ち物」になったのですが、「持ち主」になったエンリケは、奴隷市場を離れて、人影がまばらになった通りに入ると、立ち止まって私をつま先から頭のてっぺんまでしげしげと見つめた後、背負っていたザックを私に投げつけて、言いました。


「荷物持ちをしてもらう。持ち逃げしたら殺す」


 エンリケの後についていくと、港の関門のすぐ外に幌馬車が繋いでありました。中ではユーキリスとジョゼが二人でシーツを被って動いており、それに背を向けるようにフリオが分厚い本を読み耽っていました。


 あの日から数十年が経ちましたが、未だにエンリケが私を選んだ理由は分かりません。エンリケに訊こうと思ったこともありませんでした。エンリケは日ごろから周囲に人を寄せ付けないような気迫を放っていました。人に用があるときは自分から動きますが、そのときも威圧的な態度を崩しませんでした。


 エンリケは私のような奴隷の身分の存在が質問を投げかける隙など一切見せませんでした。それはパーティの皆に対しても同じだったと思います。ジョゼと共寝する時は、ジョゼを睨みながら人差し指をひっかけるように動かして黙って呼びつけ、森の奥や、宿の自分の寝室に連れ込むのでした。ジョゼは無表情でそれに従っていました。


 後にパーティに加わる、ネフィを口説くときも、リンファに小遣いをせびるときも、少し声を張ったり、足音を大きくして近づいたり、エンリケは人に緊迫感を与えてから話しかけるのでした。


 エンリケは私によく物を投げつけました。荷物はもちろん、剣や革鎧、洗濯物に食べ残し。それも下から優しく投げるのではなく、上から勢いよく投げつけました。無言で、私のほうも見もせずに投げるので、いつ投げられてもいいように、私は気持ちが緩む暇もありませんでした。落とそうものなら怒鳴られますから、私はエンリケの持ち物になったその日から、彼の荷物を受け止める技術が高まっていくことになるのでした。


 高圧的な態度の一方で、盗賊やモンスターとの戦いになると、エンリケはパーティの盾のごとく献身的に体を張りました。悪党を目の前にして、まず自分から敵陣に切り込み、パーティのひとりが多勢に囲まれたり背中を狙われれば、いち早く駆けつけて、率先して攻撃を受け止めました。その姿はまさに勇者という言葉が相応しいものでした。


 そういったエンリケがパーティのリーダーとしてふるまう姿を、ユーキリスはあまり快く思っていなかったようです。しばしばエンリケとユーキリスの意見は食い違いました。元来の考え方が違うのか、ただ単に相手の考えたことと一緒になるのが嫌だったのか、それは分かりませんが、パーティの行動をまとめる時は、エンリケとユーキリスの双方を妥協させることと同義でした。


 エンリケとユーキリスが必ず衝突するのは、エンリケの偽善的な行動のせいでした。村や集落をめぐる際、エンリケは決まってその地域の長と会いたがりました。田舎の集落が困っていることと言えば、山賊かモンスターと相場が決まっています。その話が集落の長から引き出せればエンリケの思惑通りになりました。


 村民の願いという大義を得て、エンリケはパーティを引き連れて山賊のアジトやモンスターの住処を襲撃しました。そこにはやはり村々の金品や財宝が隠されていました。エンリケたちはそれを、村人に返すものと自分たちで拝借するものとを分別して、拝借するほうを私に渡しました。ズタ袋にいれたそれを抱えた私は、エンリケたちと別の路をたどって、村の外に繋いである幌馬車に積んで、他の誰かに盗まれないように見張るのでした。


 ユーキリスは盗賊から盗品を横領することには抵抗がなかったようですが、パーティ全員でそうしておきながら村人たちに恩着せがましい態度をとるエンリケが気に入らないようでした。フリオやネフィはエンリケとユーキリスを恐れて何も言わず、エレラとグロッソは見て見ぬふりをし、リンファは進んで盗品の勘定に精を出し、ジョゼははなから罪悪感などなかったようでした。


 エンリケはそんなパーティを横目に、村民たちから夜通しの歓待を受け、村長の娘の処女を頂戴したりしていたそうです。


 そういったエンリケの二面性が結果的に、彼をエンリケ昇竜王の身分まで上り詰めさせたということは、間違いないことだと思います。


 エンリケは日頃から、事あるごとにパーティに向かってこう言っていました。


「自分は天下を獲る人間だ。今のうちから従っておけば後々お前たちを悪い扱いにはしない。言う事を聞け。いいな?」

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