ジョゼ──多淫なる召喚士の憂鬱

 ジョゼが、水晶の埋め込まれた杖を地面に突き立てると、杖はバランスを保って垂直に立ち、そこから波紋が広がるように光を放つ魔法陣が描かれます。すると、魔法陣の中から、サイクロプスが、ベヒーモスが、ガルーダが現れ、敵に襲い掛かります。それがジョゼの「召喚術」でした。


 体のラインがはっきりとわかる紺青色のワンピースに、ペットのように懐いた水龍を巻き付けながら、どこか物憂げに微笑んでいて、眼の前の人間を日頃から品定めするような――ジョゼに最初に会ったときの私の印象は、そんな感じでした。


 大人びた雰囲気があったので、エンリケより年上だとか、ああ見えてネフィより年下だとか、パーティ内では色々な予想が立ちましたが、年齢不詳であることは皆の意見の一致するところでした。


 そもそもジョゼが、本当にジョゼという名前の女性かどうかさえ不確かでした。ジョゼの荷物を持って城下町や宿場町を歩いていると、すれ違いざまの冒険者に絡まれることが多々ありました。その度、冒険者の男たちがジョゼを呼ぶ名前は違ったのです。


 私がとある城下町でユーキリスとジョゼの買い物に駆り出され、魔法の道具や消耗品を両手と背中の袋に詰め込んで、ふたりの後ろをついて歩いていた時でした。


「おいリエッタ! あんたリエッタじゃないか!」


 ジョゼを呼び止めたその男は、無精ひげを生やして、長い癖毛は櫛も通さず、ブーツも泥だらけで、服からは汗のにおいが滲み出ていました。


 ジョゼは黙って振り返りましたが、その後ろにいたユーキリスは舌打ちしました。


「またかよ」


 私はそのときは、眼前の事態に遭遇したことは初めてだったのですが、ユーキリスの言葉で、よくあることなのだなと察知しました。


「リエッタ、なあ憶えてるだろ? ドリスだよ!」


「うーん? 知らない」


 男が名乗っても、リエッタと呼ばれたジョゼは首をかしげます。すると男が、視線をジョゼからユーキリスへと移します。


「なんだお前、リエッタの今の男か?」


 薄笑いを浮かべながらユーキリスは、タイル貼りの地面にブーツのつま先で落書きの素ぶりをしながら、言います。


「だからリエッタって誰だよ」


 男がユーキリスを睨みつけていた視線がジョゼに戻ると、その目元が捨てられた子犬のように潤みます。


「憶えてるだろリエッタ? 俺の始めてを受け取ってくれたの、あんたじゃないか!」


「なに、こいつの筆下ろししたの?」


 男の言葉を聞いてユーキリスは爆笑しました。ジョゼはやっぱり首をかしげます。


「憶えてないなあ」


「そんな……! っざっけんなよ!」


 男が逆上して鞘から剣を抜くと、行きかう人々が驚いて立ち止まったり、散るように逃げたり、興味深げに近づいてきたり、様々な反応を示しました。


「リエッタ……こんな男に気を遣って、かわいそうに……いますぐ自由にしてやる!」


 そう言って飛び込んできた男の剣を、ユーキリスは小さく動いてかわし、腕の関節を極めて、剣を奪い取って投げ捨て、絡めた腕をそのまま引っ張り上げるようにして男を投げました。


 一瞬のことでした。男は腕を歪められたまま、道に倒れて気絶してしまいました。


「雑魚だな」


 ユーキリスは吐き捨てるように言うと、早足で歩きだしました。城下を見回る兵隊が駆けつける前に、ジョゼも、荷物を抱えた私も、ユーキリスの後を追います。


「やっぱり強いねえ、ユーキリス殿」


「いや、お前が誰とでも寝るからこうなるんだからな?」


 ユーキリスの言葉に、ジョゼは口をとがらせて反論します。


「そんな事言うと、もうサせてあげないよ」


 このように、ジョゼはエンリケのパーティに加わる前から、たくさんの人々と寝ていて、そうした人々に出くわすたびに、同行しているパーティはその痴話喧嘩に巻き込まれました。相手が女性の冒険者だったときもありましたし、ときには討伐に行った山賊の全員がジョゼと既に関係を持っていたということもありました。


 ジョゼを言い表すなら、放埓の一言に尽きると思いました。パーティの男たちとは全員肉体関係を持ち、ときにはエレラやリンファと同衾することもありました。しかし今思えば、彼女の淫蕩さが、結果的にパーティの結束を高めていたようにも思えます。


 エンリケとユーキリスが些細なことで言い合いになると、大抵、ネフィがおびえた様子でそれを眺め、フリオやリンファはそれを無視して自分の帳面に筆を走らせ、エレラとグロッソと私が仲裁に入ります。その状況を少し離れたところで、ジョゼはなにか企んでいるような表情で見守っていました。


 そういう日の夜、ジョゼはエンリケとユーキリスを呼び、宿屋であれば自分の部屋へ、キャンプを張っていれば茂みの中へ誘って、二人を同時に相手にするのでした。すると翌朝、エンリケとユーキリスは不思議と仲良く朝食を共にしているのでした。


 誰かと誰かが喧嘩をすると両人を呼んで三人で絡み合う。そうしてパーティの平和を保つ。ジョゼの淫乱は、我の強い面々をなだめるのに必要な淫乱でした。


 しかしジョゼは、ネフィと寝ることはありませんでした。


 ネフィがパーティに加わるまで、ジョゼはエンリケとユーキリスの寵愛を一身に受けていました。エンリケがジョゼの肩を抱くと、ユーキリスが割って入ってジョゼの肩を奪うように抱いたりして、その反対のこともよくありました。そうされている間、ジョゼはまんざらでもなさそうにニコニコしていました。


 ネフィがパーティに加わると、そうした「明るい三角関係」の役割が、ジョゼからネフィに移りました。それだけならまだしも、ネフィが二人の接近につれなくし続け、それでもエンリケとユーキリスが諦めないさまを見て、ジョゼが苛立っていたのは明らかでした。


「ねえ、アンタ、ネフィのこと、どう思う」


 ある日、手綱を引く馭者台の私に、馬車の幌の中から顔を出したジョゼはそう訊いてきました。


「と、申されますと」


「ムカつかない? セックスなしで二人にあれだけ『かしずかれてる』なんて」


 二人という言葉が指す人が、エンリケとユーキリスのことであろうことは想像に難くありませんでした。


「お二人のことを、好いておられるのですか?」


 私が訊くと、ジョゼは首を横に振りました。


「別に。ただ、女として負けてるような気がして。あいつら、私を抱きながら、頭の中ではネフィのことを抱いてるんだ。ムカつく」


 それまで何百の人間と夜伽を繰り返してきた人間が言う言葉とは思えませんでした。よほど自尊心を傷つけられているのだなと、私は返答に細心の注意を払いました。


「私は経験豊富ではありませんが、男というのは目の前のことで精いっぱいなものですよ」


 奴隷の身分の私がジョゼに誘惑されることはありませんでした。私を男性として見ていないのは明らかでした。しかし、痴情の利害の外にいたためか、ジョゼは私に愚痴を――パーティには話せないであろう様々な愚痴を――よくこぼしました。


「そう。で、どう思うの? ネフィのこと」


「私は奴隷ゆえ、パーティの皆様に誠心誠意、仕えていくだけです」


「逃げるな。奴隷なら質問に答えろ」


 私は冷や汗をかきながら、頭脳を独楽のような速さで回転させ、ジョゼの不機嫌をなだめる言葉を振り絞りました。


「昼に飛ぶ鷹と、夜に飛ぶフクロウは、互いの勝ち負けを決めるでしょうか?」


 そう私が答えると、ジョゼは鼻で笑いました。


「そうね。まあ、いっか」


 ジョゼが一人の男性、もしくは女性に惚れたり肩入れすることはないようでした。肉体関係と人間関係の距離感は常に六分儀で測られていたかのように適切でした。ともすると、共寝する相手との相性に関心がないのかもしれないとも思われました。


 もしジョゼが執心した人間がパーティ内で居たのだとしたら、それは逆説的にネフィだったと言えると思います。ジョゼが私へ零す愚痴の中で盛んに登場したのがネフィだったからです。無関心であればそんなにも話題に出てくるはずがありませんでした。


 無理もないと思いました。ジョゼにとっては、自分より後からパーティに入ってきた女性が、少女のような振る舞いで一切体を許すこともなく、男性を虜にしていたのですから。


 そんなジョゼが今や王国の魔導卿なのですから驚きです。八英雄と共にした時間が私に教えたものの一つは、「業の強い人間でなければ偉業は成せない」ということでした。人並外れた性欲は、ジョゼが大業を成す力があったことの裏返しだったのかもしれません。

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