ネフィ――心ここにあらざる魔女

 森の中で、山賊たちとの交戦中のことでした。エンリケたちが刃を振るい、リンファが弓に矢をつがえ、ジョゼが召喚獣を呼び出して戦っている間、フリオは逃げ回りながらパーティが傷つくのを見計らって回復魔法を唱え、私はといえば背負ったザックからリンファの矢筒に矢を足したり召喚獣に褒美のオヤツを与えたりしていたのですが、その日のネフィはエンリケに声をかけられても魔法を唱えず、その場に立ち尽くしていました。


「ネフィ! おいネフィ!」

 

 日頃からネフィは、歩いている途中で立ち止まったり、虚空を振り返ったりする癖がありました。私はネフィが魔導師だと聞いて、精霊や亡霊の声が聞こえたりするのだろうかと思い、とくに気にもしませんでしたが、戦闘中にそれをするのはさすがにおかしいと思いました。


 そんなネフィを遠くから山賊の弓が狙っていたのを見つけて、私は奴隷の身分も顧みず、ネフィに体当たりしてかばいました。幸い、私の耳元を矢はかすめて通り過ぎ、どちらも傷つかずに済みました。


「どうされたんですか、ぼーっとして!」


 私が思わず大声で訊くと、きょとんとした顔でネフィは答えました。


「白ブドウが食べたいと思って」


 ネフィは浮世離れという言葉では足りないほど、いつも目の前のこととは別のことを考えていました。パーティ内での話し合いでは自分から発言することはなく、質問されても話題に沿わない回答をすることが多かったのです。あまり冒険者向きではないことは明らかでした。


 パーティに加わったのも、どちらかといえばエンリケとユーキリスが無理やり連れてきたという感じがありました。街道沿いの宿の一角で占い師をしていたネフィが貼りだしていたプロフィールを見た二人は、逆にネフィをその場で面接して、次の日には幌馬車に同乗させていました。そういう時ばかりは、エンリケとユーキリスの意見は一致するのでした。


 ネフィは精霊の力を借りて、炎や風を操って敵を焼いたり、かまいたちで切り刻んだりすることができましたが、あまり積極的に攻撃に参加することを好んでいなかったように見えました。


 常にエンリケかユーキリスの指示や掛け声が掛かってから呪文を詠唱して、ときにはとどめの一撃が間に合わずに魔法が空振りに終わって、パーティを巻き込みかねないこともありました。そういう際、エンリケやユーキリスは特に気にしないそぶりを見せましたが、ジョゼやエレラは不満げにネフィを睨みつけました。


 するとネフィは、ジョゼたちの顔色をうかがいながら、エンリケかユーキリスに近寄って、ごめんなさい、と頭を下げます。すると、気にしなくていいよ、と二人のどちらかが必ず言うので、パーティはそれ以上ネフィを責めることができなくなってしまうのです。


 空気を読んでいるというより、周りの気分を味方につけて行動しているような印象を感じさせました。それはネフィにとっては無意識だったのかもしれません。


 また、ネフィは可憐な容姿の女性でした。日頃は黒いローブと帽子に隠されていますが、宿屋などに入る際に見せるその面立ちは、どこかの高貴な生まれを思わせました。金髪と透き通るような肌は、少女をの面影を残していましたが、私が彼女に出会ったときにはすでに齢は二十五歳を超えていたはずだ、と後々ユーキリスから聞きました。


 ネフィは八人の中で一番小柄でしたが、逆に彼女の荷物は一番大きかったと記憶しています。重くはありませんでしたが、何しろ嵩張りました。中に何が入っているのかをのぞき込むようなことはしませんでしたが、ネフィに袋を渡すと、魔法の道具よりも、人形やぬいぐるみがたびたび取り出されました。


 呪術の形代に使う人形とは明らかに違う、民族衣装に着飾られたかわいらしい人形や、動物をかたどったぬいぐるみなどが入っていて、それらはどうやら、魔法や呪術とは関係のない、ネフィの「コレクション」のようでした。


 ネフィはキャンプの焚き火のそばで寝る時も、荷物の中から人形を出して、抱え込むようにして寝るのでした。とても少女的でしたが、二十歳を過ぎた大人とは思えない姿だと私でさえ思ったのですから、パーティの中で目立たないわけはありませんでした。そして、その少女的なさまを盛んに責めたのはジョゼとエレラでした。


 ある日、宿屋から発つ寸前、ネフィが、荷物の中から、ぬいぐるみの一つが無くなったと言い出しました。


「いない、いない、ニルスがいない」


 珍しく感情を表して戸惑って見せるネフィを、彼女より背の高いジョゼとエレラは、見下ろしながら吐き捨てるように言います。


「いない、じゃなくて、無い、でしょう?」


「早くしてくれないか?」


 本当に無くなっただけなのか、パーティの誰かが密かに処分したかどうかは分かりません。どちらにしろ、名前を付けたぬいぐるみを失ったネフィは、上目遣いで、黙ってジョゼとエレラを睨みつけます。


 逆に、エンリケとユーキリスはそんなネフィの味方になりました。


「一緒に探してやれよ」


「おいデック! どうせお前が隠してるんだろ!」


 私はユーキリスに尻を蹴られながら、宿屋の隅々まで探しましたが、結局見つかりませんでした。


 そんなとき、グロッソは女同士の喧嘩には与しない賢明さがありました。フリオは馬車の中で黙って本を読んで見て見ぬふりをしていました。フリオの斜向かいでリンファは帳簿に視線を落としながら、眉間に皺をよせていました。


 明らかにエンリケとユーキリスはネフィに迫っていました。ネフィ本人は、困ったような、どうでもいいような表情で、それぞれの口説き文句を聞き流していたようでした。


 ある朝焼けがきれいな夜明けのことでした。キャンプをたたむ前に私が馬に餌を与えていると、ネフィが幌馬車から出てきて、小走りで離れていく姿が見えました。花を摘みに行くときは、ネフィは忍び足で草むらに向かうので、いつもと様子が違うことを察知した私は思わずネフィの後を追いました。


 ネフィは幹の太い広葉樹の陰に隠れました。私が幹を回り込むと、ネフィは顔を両手で隠して、しゃくりあげていました。


「ネフィさま」


 そのとき初めて私に気づいたのか、両手を降ろしたネフィは、目元を赤くして、大理石の表面を雨粒が滑るように、涙をこぼしていました。


「どうされたんですか」


 私が訊くと、ネフィは首を横に振りました。


「ふたりが優しくて、苦しいんです」


 ふたり、というのがエンリケとユーキリスを指していることは明らかでした。


「おふたりがお優しいなら、素晴らしいことじゃないですか」


「でも、ふたりが私に優しいと、みんなが悲しむわ」


 私は正直、ぜいたくな悩みだと思いました。ネフィを見ていると、自分の魅力に自覚のない女性は、自覚のある女性より魔性が強いのではないか、という考えを強くします。さらにネフィは無口で、その物静かさが謎めいた雰囲気に拍車をかけていました。


 私はユーキリスに、ネフィの魅力について聞いたことがあります。


「よくわかんない奴なんだけどさ、でも、なんて言うの、ほっとけないんだよなあ」


 放っておけない──この言葉がネフィの魅力の正体をよく表していたと思いました。


 ネフィの神秘性はその頃からすでに教祖として崇められる今日の立場を暗示していたようにも思えます。そして同時に彼女の「放っておけなさ」が、旧来からの権力者と対等に立ち回る、現在の教団の魅力とそのまま重なって見えるようにも思えます。

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