フリオ――破戒僧の童貞時代

「なあデック、僕も、女とヤりたいんだ」


 のちに破戒僧として名を馳せるフリオは、真剣な顔でそう聞いてきました。それは、私がユーキリスに投げつけられた先に尖った岩があり、腕の骨が露出するほどの怪我をした日のことでした。


 私は馬車の幌の中でフリオの治療を受けていました。人ひとりがくるまりそうな大きな布の上に魔法陣が描かれており、その上に横たわった私は、薬草を塗り込められた傷口の痛みに耐えながら、フリオの施す魔法の効果を待っていました。


「どうすれば、女を抱けるかな」


 あまり気持ちの余裕がないところに場違いな質問をされたので、私は少し苛立ちながら返しました。


「ジョゼに頼めばどうですか」


「ジョゼは、ちょっと。不潔というか」


 フリオは首をかしげました。


 僧侶としては俗物に過ぎるフリオでしたが、治癒魔法の使い手としては当時から超一流だったと言っても良いと思います。フリオと会わなくなった後にも治癒魔法の治療を受けたことはありますが、それでもフリオを超える技量を持った僧侶や回復魔導師に出会ったことはありませんでした。


 フリオと出会ったばかりのころ、神学校を首席で卒業したという彼がなぜ冒険者に身をやつしているのか、私は理解できませんでした。可能性があるとすれば、フリオのその性格によるものなのかなと思いましたが、それは想像の域を出ないものでした。


 フリオはいつもパーティの仲間に対して腰が低く、ともすれば卑屈ともいえる態度をとっていました。ユーキリスやエンリケが日常的に高圧的だったからこそ、その態度は処世術としては適切だったと思います。


 一方で、フリオは私に対して、パーティの皆が見ていないところで、ユーキリスたちよりも刺々しい態度を取ったり、ときに甘えてみたり、ユーキリスたちを侮蔑するような愚痴をこぼしたりしました。


「僕はこれでも神学校を首席で卒業しているんだ。お前やあいつらなんかと頭の出来が違うんだ。なのにあいつら、女を抱いたことがないなんて言って馬鹿にするんだ。僕だって女の一人や二人、抱くことだって簡単さ。そう思うだろう、デック?」


 キャンプで皆が炊事に追われている隙を見ては、フリオは私に唐突に愚痴をこぼしたりしました。私はどうにも聞き流せない性分なので、馬に餌をやりながら、フリオに意見してしまうこともありました。


「でも、そうしたら、教義に背くことになるでしょう。僧侶は神様との契約があると伺っていますが」


「生意気な道端クソ奴隷だな! 神はその者の信ずるところを行くことを否定しない。信じながら行かないことを恥ずべしと言うさ。僕が信ずるところを行くことは全く契約に背かないさ」


 このような矛盾に限らず、フリオは言い訳じみた理屈をこねるのが得意でした。かといって若い頃は、開き直るところまでは――とくに性交渉が未経験であることを開き直るまでは――至っていないようでした。


 冷静に思い出すと、フリオが性体験への憧憬を盛んに口にするようになったのは、ネフィがパーティに加わってからのことでした。


 キャンプで炊事をしたり焚き火の番をしている間、エンリケやユーキリスがネフィをしきりに口説く光景が日常になるころ、フリオは魔導書を呼んでいるふりをして、じっと口説かれるネフィを見つめていることが多くなりました。


 そして、そんなフリオの視線に気づいたユーキリスが睨み返すこともありました。


「あんだよ」


「いえ、いえ、何も」


 フリオはユーキリスの眼光に怖気づいて首を振り振りその場から逃れ、幌馬車の陰に隠れるのでした。


 そんなユーキリスとフリオを、ネフィは視界にでも入っていないように無視していました。もちろん私が薪をくべているのも目に入ってはいなかったでしょう。ネフィはいつも目の前のこととは違うことを考えているようでした。


 出会ったころのフリオは俗物でありながら、教義と業との狭間で揺れ動き、悩むだけの真面目さが残っている人間だったと私は見ていました。私と歳の頃が同じくらいでしたから、そういう青臭い悩みを持っていても無理はなかったと言えるでしょう。


 あの日、女を抱くまでは。


 それは宿場町に泊まった時のことでした。その日も私は宿の外で、馬の世話と幌馬車の掃除を終えて、馬小屋の片隅に寝床を作るところでした。そこへ、フリオが忍び足で、周囲の人の気配を気にしながらやって来ました。


「驚いた。どうされたんです?」


 私が訊くと、馬小屋の入り口で立ち尽くしたまま、フリオは私から視線を逸らして、ひとりごちるように言いました。


「なあデック、付き合ってほしい場所があるんだ」


 夜の馬小屋の暗いランプのもとでも、フリオの顔が上気しているのがわかりました。かといって、ネフィに想いを伝えるような大胆なことは彼にはできないと、私には分かっていました。


「決心なさったんですね」


 その宿場町は大きな娼館があることで有名でした。ジョゼに対して不潔と断じておきながら、娼婦を抱くことには一歩踏み出すのだなと、私は半ば呆れた心地がしたものでした。


 私とフリオは娼館のある裏通りへ向かいました。フリオが私を連れるというより、私がフリオを先導しているような歩の進み方でした。


 裏通りの入り口に着くと、私とフリオは立ち止まって、娼館の軒先に煌々と照る、かがり火の灯りを見つめました。娼館の真向かいには、かがり火の明かりを僅かに受けて控えめにその存在を主張する酒場がありました。


「着きましたよ」


「分かってる! 黙ってろ!」


 怒鳴ったフリオの顔は、月の光を受けて青ざめていました。赤くなったり青くなったり、フリオの感情が忙しく揺れ動いている様を見ながら、私は溜息が出そうになるのをぐっと堪えました。


「……行ってくる。そこの店先で待っててくれ」


 フリオは顎で酒場を指した後、小走りに裏通りを駆けていき、その勢いのまま娼館に入って行きました。


 私は言われた通り、酒場の店先に突っ立って待っていました。自由に使える金の無い奴隷は主人がいない身ではどんな店にも入れませんから、そうする他なかったのです。


 ひょっとしたら夜が明けるまで待つことになるかもしれないと覚悟していましたが、意外にもフリオは月が少し傾いた程度で娼館から出できました。


「いかがでした?」


 私が訊くと、フリオは首を振りました。


「……酒が飲みたい」


 酒場の大勢の酔客にとっては、それは異様な光景だったかもしれません。僧侶のローブをまとった青年が奴隷を連れて入ってきて、ビールを一杯、ワインをひと瓶、蒸留酒を一杯、次々に飲み干すと、下を向いて黙り込んでしまったのですから。


「急に飲むからですよ。空腹で、しかも体力を消耗したばかりなのに。大丈夫ですか?」


 私の心配をよそに、フリオはテーブルに伏せって、泣き始めました。


「ネフィじゃない! あの婆はなんだ! ネフィとは大違いだ!」


 そのとき、フリオがネフィに懸想していることを私は初めて知りました。


「……もう、後戻りできないんじゃないですか」


「戻れないのではない……神の子さえ知らぬ新たな境地に進もうとしているのさ……」


 その後、フリオは蒸留酒をスキットルに入れて懐に忍ばせ、常習的に飲酒するようになりました。そして、ジョゼとも夜を共にするようになりました。ユーキリスとも少しだけ仲良くなったようで、共に酒を酌み交わす様子も見られるようになりました。エンリケはと言えば、そんなフリオを軽蔑の目で見ながら、最低限の会話しかしなくなりました。


 フリオが「破戒僧」として知られながら、一方で修道会の指導者としてゆるぎない地位を確立しつつあることに、運命の皮肉を感じます。きっとフリオが生真面目な性格で、順当に修道会のキャリアを一歩一歩進んでいったとしたら、今のような最高位に立つことはなかったでしょう。フリオの俗物な性格が「八英雄」への導きとなり、世界の救世主の一人になったことが今のフリオたらしめたのは、疑いようのない事実なのですから。

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