エレラ――純潔騎士は功を急ぐ
エレラがパーティに加わったのは、ある城塞都市の門前でのことでした。
城壁の外では、門の中へ入ろうとする馬車の渋滞が起きていました。日が沈む前に宿をとれるかとか、そんなことより腹が減ったぞとか、パーティの皆が口々に文句を言い始めました。
ようやく門の前まで来ると、人だかりができており、番兵が十数人、甲冑姿の騎士を取り囲んでいました。騎士といっても、馬には乗っておらず、その甲冑の紋章が生まれの良さを示すだけで、汚れと錆が浮いた甲冑を着たまま町に入ろうとする様は、没落騎士であることが見て取れました。
「通りたいならその兜を取れ」
番兵の一人が言うと、甲冑の騎士は首を横に振りました。
「断る」
「それならここを通すわけにはいかん」
「それも断る」
「つまりどういうことだ」
番兵たちが槍を騎士に向けます。騎士は背中に背負った、自分の背丈ほどはあろうかという剣の柄に手をかけます。
「捕らえろ!」
その声で、取り囲んだ番兵たちが騎士に迫りました。騎士よりも頭一つ大きい番兵もいましたから、たとえ甲冑で身を固めているとはいえ、勝ち目は厳しそうに見えました。
しかしその騎士は、取り囲んだ十数人の兵士たちをその剣でいとも簡単になぎ倒したのですから、城壁の内側に住む野次馬たちも、外側で見物していたエンリケたちも、思わず感嘆の声を上げてしまいました。
番兵たちが門前に倒れ、野次馬がゆっくりと帰っていくなか、応援の番兵たちが来るのも気にしないのか、エンリケが甲冑の騎士に向かって歩を進めました。
「その甲冑しか服がないのか」
そう訊かれて、騎士は抜身の剣を手にしたまま、エンリケのほうを向きました。
「ない」
騎士が切り捨てるように答えますが、エンリケは抜身の剣が怖くないのか、自分の剣は鞘に納めたまま、騎士にじっと視線を送ります。
「お手合わせ願おう。お前が勝ったら俺が服を買ってやる。ついでにこの城の主に、番兵たちとの喧嘩の話をつけてやる」
「負けたら?」
「俺たちの仲間になれ」
「奴隷になれと言うのか?」
「奴隷はもういる。剣士がもう一人欲しい」
その言葉のあと、十歩ほどの間合いで正対していたエンリケと騎士は、互いに身構えました。
一瞬だったのか、長かったのかはよく思い出せません。パーティは無表情にじっとその決闘を見守っていました。その当時はグロッソはいませんでしたから、無駄な戦いはやめろと理性的に止められる人間はいませんでした。私は応援の番兵や、日没とともに門が閉まることや、宿が満室になることを心配していました。
先にしびれを切らして動いたのは騎士のほうでした。地面を蹴って大剣を上段に構え、エンリケに向かって飛び込んでいきました。エンリケはその場から動かずに、腰の鞘から剣を抜きました。
その瞬間でした。エンリケは騎士の剣を己の剣でからめとるようにして跳ね上げました。騎士の手元から巻き上げられた剣は空中を高く舞って、私たちパーティの頭上を越し、立木の上に薪を割るようにして落ちました。
剣を巻き上げられたままの姿勢で、しばらく呆然と立ち尽くしていた騎士は、腰に手を当てて首を横に振った後、甲冑の兜を脱ぎました。騎士が女性だったことが分かったのはその時でした。
「私の負けだ。諸君らにお供しよう。エレラと呼んでくれ」
そう言ったエレラでしたが、友好の表情は見せませんでした。ちなみに、門前での喧嘩はうやむやになりましたが、結局その日は城の外でのキャンプとなりました。
エレラは最初、パーティと親密になろうとはしませんでした。馬車に乗ることを拒んで甲冑を着たまま走ってついてきたり、見回りに行くと言ってキャンプからひとり離れて食事をとろうとしたり、小川や泉を見つけても頑なに沐浴を断ったりしました。
荷物も自分で持ち歩きたがりました。甲冑の背中に背負った大剣の、さらにその上からザックを背負っていたので、私は、荷物をお持ちしましょうか、と訊いたことがありました。するとエレラは、鞘から大剣を抜いて、私の喉元に突き立て、低い声で唸るように言いました。
「去勢されたいのか」
そんなエレラに愚かしくも女性の肉体を見出して迫ったのはユーキリスでした。節操がないユーキリスのことですから女性とみると肉欲を露にするのは日常茶飯事でした。しかしその日、エレラは、焚き火の番をしながらユーキリスの口説き文句を聞き終わった後、また大剣を抜いて、ユーキリスに襲い掛かりました。
跳び起きたパーティの全員でエレラとユーキリスの間に入って二人を止めました。私がユーキリスに蹴られ殴られしながら地面にかがみこんでいると、エンリケに羽交い絞めにされたエレラは、こんどはエンリケに向かって、顔を真っ赤にして叫びました。
「離せ不心得者! 私の純潔を狙おうとは、恥を知れ!」
没落した騎士の家系の子女が大切にしていた、なけなしのプライドだったのだと思います。
純潔――いさかいを仲裁した直後の緊張した雰囲気の中、その古びた言い回しを聞いたパーティの面々の顔色をのぞき込みました。
ほとんどの怪訝そうな表情を浮かべていましたが、その中で含み笑いを浮かべていたのは、ジョゼでした。
ジョゼは剣を持ったままのエレラの手を取り、両手でエレラの震えをなだめるようにさすりました。
「わかるわ」
するとエレラは、剣を取り落とし、ジョゼの両手を両手で握り返しました。パーティが馬車や焚き火に戻るなか、ジョゼとエレラはしばらくの間、焚き火から少し離れたところで、満月の光に照らされながら、じっと向き合って立っていました。
その三日後に着いた宿場町で、エレラとジョゼは宿屋の同じ部屋で一夜を共にしました。同衾したのは明らかでした。
エレラは夜が明けても陶然とした面持ちで、私が手綱を引く馬車の馭者台のすぐ後ろで、移ろいゆく街道の風景を眺めていました。
「どうかなすったんですか」
私が訊いても、エレラは不機嫌になることもなく、少し笑みを浮かべて答えました。
「私のお姉さまは、ジョゼ様しかおりませんわ」
一方で、ジョゼはというと、馬車の奥で寝息を立てていました。
エレラにとってジョゼは一人だけだとしても、ジョゼにとってエレラは大勢の中の一人でしかないことを、私は諭したいと思いましたが、エレラが幸せそうにしているのを目の前にすると、そのような口は利けるはずもありませんでした。
しかしそれでも、ジョゼとの一夜を過ごしてから、エレラはパーティとも打ち解けていきました。とはいえ、エンリケたちの盗品売買には当然ですが驚いたようです。
「こんな……盗っ人と同じじゃないか!」
「俺たちは前からこうしてきた。お前もパーティに入ったならそうする義務がある」
「嫌だと言ったら?」
怒りをあらわにしながらエレラが訊きました。
「こいつと交換だ」
そう言ってエンリケは地面に転がっていたものをつかんでエレラに放りました。エレラの足元に転がったそれは、盗賊の首領の生首でした。普段であればエンリケがそれを領主や村長のもとに持っていき「勲功」とするのを、譲るということを言いたかったのでしょう。
「……そういうことか」
エレラはニヤリと笑って生首を拾い、口から喉に紐を通して自分の腰に結び付けました。
「悪くない」
そう言って深くうなずいたエレラを目の当たりにした時、ああ、この人もとうとう、このパーティに本当の意味で加わってしまったのだな、と私は思いました。
ジョゼから聞いた話でしたが、なんでもエレラは過去に、領地を持っていた父を、隣の領地との争いで失い、一家は悪者に仕立て上げられて新しく入ってきた領民たちから私刑され、エレラ自身は父親の遺品である甲冑を身にまとって、命からがら逃げてきたそうです。
「力が欲しい。男にも負けない力を。そうすれば、父の敵を討つことができる」
エレラはそう言って、自分より背の小さいジョゼの胸を枕にして泣いていたそうです。
エンリケが功に貪欲だとするなら、エレラは功を急いでいました。何としても早急に父親の名誉と、地位と、領地を回復せんがために、焦っているようにさえ見えました。それを見逃さなかったのか、エンリケが「大きな功績」を我が物にして「小さな功績」をエレラに譲ることが、旅を共にするにつれて多くなっていきました。
諸侯の命を受けて行う大義名分の清廉な討伐隊の隊長など「大きな功績」になる仕事は自分で率先して指揮を執り、それまで行ってきた盗賊狩りやモンスター討伐など、盗品を売買しなければ元が取れず、足がつけば逆に追われる立場になるような「小さな功績」の仕事をエレラに指揮させるようになりました。
盗賊の首を取るたびに、エレラは嬉しそうに、ジョゼに報告します。
「お姉さま、やりました! これで百個目の首です!」
そんなエレラに、ジョゼは寂しそうに微笑みかけるのでした。
「そうね。よくやったわ」
いま、エレラが過去の醜聞を様々に抱えているという理由で、騎士団長の座をエンリケから剥奪されそうになっているのは、そういった経緯があるのです。無論、エレラに全く非がないわけではありませんが、それ以上に、エンリケが狡猾であったことは、間違いないと私は思います。
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