最終回 カランコエ・リンリンと庭の開墾だなも

「鉢花 愛の劇場 終」


 夜の台所。

 ガーベラは窓の外を見ている。模様の入ったガラスなので、せいぜい色くらいしか認識できないが、しかしそれでも窓の外というものを見るのは気持ちがいいのだろう、とシクラメンは解釈した。


「あのね、ガーベラさん……」

「なんですか?」ガーベラの明るくて食い気味の返事。シクラメンは思わずびくりとなる。


「わたしね、すごく自分に自信がないの」シクラメンがそう言うと、ガーベラはきょとんとした顔で、「どうしてです? わたしに自信を持て、って言ってくれたの、シクラメンさんじゃあないですか」と訊ねてきた。


「わたし、夏になると葉っぱが全部枯れて、球根だけになるの。その球根は、ブタノマンジュウってあだ名されるくらいブサイクで、それを見ても――わたしのこと、好きでいてくれる?」

「あたりまえじゃないですか」ガーベラはばさりと断言した。シクラメンの頬を涙が伝う。


「なんでシクラメンさんがそんなどうしようもないこと気にするんですか。わたしなんか葉っぱぴょんぴょんですよ。果たして咲けるのか随分と謎の」


 ああ、ガーベラは本当に明るくて優しいのだ。シクラメンは涙が止まらなかった。


「枯れても、ずっとずっと一緒よ」

「はい! わたしは、シクラメンさんの友達です!」

「友達……より、もっと友達になりたいの。親友、ってやつ」

「え、そ、そんなのいいんですか? シクラメンさん……」

「わたしは夏には醜い姿をさらすし、いまもちょっと花がばらばらになってて、ちょっとカッコ悪いけど、それでも友達でいたいの。親友でいてくださる?」

「もちろんですよ。わたしがそうなんですから。この葉っぱぴょんぴょんの姿で、シクラメンさんみたいに素敵な方に親友でいて欲しいって言ってもらえるなんて、そんな素敵な話がありますか?」


 ガーベラはにっこりと笑った。シクラメンは、その笑顔には勝てない、と思った。

「シクラメンさんのこと、大好きです」ガーベラはなんの屈託もなく、そう言う。シクラメンも、明るく、

「わたしもガーベラさんのこと、大好きよ」と答えた。


 ◇◇◇◇


 謎のミニコーナーが終わってしまった。

 というわけでこのエッセイも最終回である。えっ早いよ。でも内容がカオスすぎてどうしようもないので仕方がない。


 現在、正月にホームセンターの初売りで買ってきたシクラメンは玄関の風除室と玄関の靴箱の上、それから台所を行き来する生活をしている。そろそろ肥料のやりどきのような気がするのだが、気温が六度を上回っていれば活動する、と本にあるので、もうちょっとあったかくなってからのほうがいい気がしている。わたしの暮らしているところは平年ならヤバい雪が積もりびゅーびゅー吹雪が吹き荒れている季節なのだが、今年は記録的暖冬で雪がなくて、県内の雪まつり的なお祭りがいくつか中止になったわけである。だって普段の年なら水道の凍結だの道路の凍結だの言ってる季節に、雨が降るんだからわけが分からない。


 わたしは占いの類は信じないが、どっかの伝統の占いで、滝にできたつららの大きさで米の収穫を占う行事がつららがなくて測定不能で「たぶん凶作」と出たというのだから、もしかしたら暖冬の反動で今年は冷夏になるのではと戦々恐々としている。


 春が早すぎるせいかスーパーの花屋コーナーがやたら充実していてそちらも怖い。最近並んでいる「カランコエ・リンリン」というのがすさまじく可愛い。ググってもらえば分かると思うが、花が超プリティなのである。欲しい。しかし来月には「あつまれ どうぶつの森」が控えている。もうソフトの予約は支払い済みだがその前にスイッチを買わねばならないし、画面保護フィルムだマイクロSDだと買うものがいろいろある。どうすんだこれ。


 しかしカランコエ・リンリンの可愛さは筆舌に尽くしがたい。スーパーの花屋にあるうちにお迎えしてしまえばいいのかもしれないが、あつ森の代金の出ていった財布はカスカスである。人間人生五十年下天のうちをくらぶれば夢幻のごとくなり。利子はトイチだなも。


 そう言えばあつまれどうぶつの森ダイレクトを見て、島に生えている花の種類の豊富さに本当にびっくりしたのであった。グラフィックがきれいなのでリアルな花に見えるのだ。


 ゲームの話なんぞどうでもいい。カランコエ・リンリンの可愛さに話は戻る。

 花がとにかく可愛いのである。リンリンの名に恥じない可愛さ。ちょっとぶりっ子した名前だがそれがピタリとくる。ううむ、欲しい。


 だがこれ以上花を増やしてどこに置くのか。カランコエ・リンリンはわりと花芽が高く伸びるので、なにかにぶつかったりしないように置いてやるのは難しそうだ。


 そうやって悩んでいるうちにしなびて撤去されちゃうんだよなあ……。


 ほかにもグリーンネックレスも売られていて、だれも買わないうちにだんだん萎れていくのを切なく見ている。植物をインテリアにするべからずという格言通り、この手のきれいな飾り物植物には手を出さないつもりだが、しかしかわいそうなのである。


 きっとこれ、よく分からないまま買ってって水やりのしすぎで枯らされたりするんだろうなあ……と、グリーンネックレスを見つつ考えている。



 花を買ってくるより自分のとこのひょろっているやつらを何とかするのが先決である。


 まずはハオルチア軍団を植え替えねばならないし、カリカリになって錆喰いビスコの出雲六塔みたいになってるブッダテンプルをなんとかせねばならない。ブッダテンプルが、カリカリのポリポリになって、なんというかギーガーとかベクシンスキーとかそんな感じになってしまったのだ。まだ生きている芽もあるのでそれだけでも助けたい。


 庭もなんとかしなくてはならない。まずはのさばっている笹竹をなんとかしなければいけないし、それから今年も生えてきて庭をジャングルにするであろうヤブカラシの対策をとらねばならない。夏になるとものすごいのである、庭をかき分けてイャンクックが出てきて「ケコケコケコケコ!」と嘴を鳴らしてもおかしくないくらいジャングルになる。


 せっせと草むしりをしていた祖母がいかに偉大だったか痛感するのであった。ライトノベルの新人賞を取れたら、玄関の戸とトイレの暖房便座を直して、それからパソコン買い換えて、ついでに庭の草むしりのおばさんを雇わねばならない(ついでかよ)。


 隣の長く留守にしているお家に、時々草むしりに雇われた外国人のお姉さんたちが来るのだが、異国の言葉で会話しながら草をむしっている様子はなかなか興味深い。うちの母氏の見立てでは、車で来ているようなのでフィリピンの人ではないか、ということだった。


 この調子だともうそう遠くなく雪が解けて、フクジュソウやクロッカスが顔をのぞかせるだろう。わたしが子供のころは庭でクマガイソウやカタクリが咲いていた。それも、祖母が山から持ってきたもので、レアな植物が当たり前に生えている我が家の庭はとても面白かった。


 いまはどうだ。木は伸びたい方向に伸びっぱなし、笹竹がごそごそ生えて荒れ地状態である。これは「あつまれ どうぶつの森」で無人島を開墾するより先に我が家の庭を開墾しなくてはならんのではないか。利子はトイチだなも。

 というかどうぶつの森の名物といえば借金生活であるが、無人島移住に参加して渡航費や土地代をむしられるのは、どこからどう考えてもいわゆる原野商法ではなかろうか。


 だからどうぶつの森はどうだっていいのである。これは植物エッセイなんだなも!


 いつか「植物男子ベランダー」の主人公のように、欲しいと思った植物をかたっぱしから買えるライターになりたい。枯らしても「死者の土」とかいって肥料にするくらいの心の強さが欲しい。


 植物は、不思議である。身近なファンタジーである。SFである。

 これを読んで、なにか育ててみたいと思う奇特なひとはいらっしゃらないと思うが、とにかく植物をせっせと世話するのは楽しいので、ぜひ挑戦してみてほしい。

理不尽の連続かもしれないが植物を育てるのは楽しい。枯らすとショックだが植物を育てるのは楽しい。ぜひみなさんも、植物と友達になってみてほしい。そして、「鉢花 愛の劇場」みたいな植物擬人化をもっと読みたい(それか)。


 なんの役にも立たないどうしようもないエッセイだったが、書くのはとても楽しかった。

 それではまた。

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変態女の楽しい植物生活 金澤流都 @kanezya

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