第8回 適当な雑記(ひどいタイトル)

「鉢花 愛の劇場 第四話」


 夜のあいだ植物は呼吸する。

 二酸化炭素と光と水からエネルギーを得て酸素を吐き出す光合成と違い、酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すのである。


 シクラメンがガーベラとおなじ部屋で夜を過ごすようになってだいぶ経った。ガーベラは、すうすうと寝息を立てている。シクラメンは少し切なく、その様子を見ていた。

 シクラメンはガーベラに不可解な感情を抱いていた。ガーベラは葉っぱだけの姿で、台所に飾られている。自分ももしかしたら花が終わってもここにいられるのではないか、と思うと、ガーベラと幸せに過ごす己を想像せずにいられない。


 シクラメンは手入れの面倒さゆえに、ワンシーズン楽しんであとはうっちゃっておかれる場合が多いと聞いていた。自分もそうなるのではないか。そう思うとただただせつなくて、ガーベラと同じ部屋で過ごせるのももう何か月もないのでは、と思ってしまう。


 花が終わって、葉が落ちて休眠して、まさしくブタノマンジュウの姿をさらしても、ガーベラは友達でいてくれるのだろうか。

 それをさらす勇気が、シクラメンにはなかった。だから葉っぱだけでニコニコしていられる、ガーベラが羨ましかった。


 いちばん怯えているのは、自分ではないか。

 シクラメンはそう思って、小さく拳を握りしめる。

「ガーベラ……ずっと、わたしの友達でいてね……?」

 寝息を立てるガーベラに、聞こえないように小さくつぶやく。


 怯えちゃいけない。ガーベラに怯えるなと言ったのは自分だ。ブタノマンジュウという名の由来となった球根だけの姿になっても、怯えずに、ガーベラと友達でいたい。ガーベラは、葉っぱだけの姿になっても、自分の友達でいてくれるではないか。


 完璧主義者と評されたシクラメンである、自分の醜い姿をさらすのは怖いことだ。

 だけれどその、完璧主義者の殻を破って育たねば、ガーベラと友達ではいられない。ブタノマンジュウになっても、カガリビバナの矜持を捨ててはいけない。


 朝が来た。ガーベラが目覚める前にシクラメンは玄関に移動した。

 玄関のガラス戸のむこうは、新しい雪が積もっていた。冬だ。この国は冬は乾き夏は湿る。シクラメンの生まれたところと真逆の環境。シクラメンは己の中の「サークル」つまりシクラメンの語源となった「円環」を見定めた。どうか、わたしに勇気を、と、ソロモン王の王冠を飾った遠い祖先に願った。


 明日こそガーベラに思いを伝えるのだ。ガーベラを羨ましく思うことも、己の勇気のなさも、完璧主義を直さねばならないことも。

 

 ◇◇◇◇


 今回は特に話題を決めずに適当に書いてみようと思う(ネタが切れたのではない、ネタの方向性が一致しないのだ)。


 まずはNHK趣味の園芸のテキストが欲しくて仕方がない話から始めようと思う。なんでそんなもんを欲しがるのかというと、「多肉植物カード」が付録だからである。


 なんせわたしは子供のころのみならずいい大人になってからもシール欲しさにポケモンのパンを買っていた人間である(なおポケモンはオメガルビーから後のはやっていない)、そういう付録にとても弱い。カードとの付き合いは小さいころコロコロコミックのマジック:ザ・ギャサリングの漫画を読んでマジック:ザ・ギャサリングをほんのちょっとかじった程度だが、多肉植物の写真と品種のカードなんて欲しすぎる。しかしそれだけが目的で買って、ほかの植物のコーナーを読んでたとえば「椿の盆栽ほしい!」となったらお財布の中のレアカードであるヒデヨやイチヨウを墓地に送ることになってしまう。我慢する。


 植物というのは「これいいなあ」と思ったら最後、家を埋め尽くすまで集めたくなる。それじゃゴミ屋敷ならぬ植物屋敷だ。だからなるべく出会いを避けているのだが、前回書いたように塊根植物に興味がムクムクしていてとても困っている。「どこで売ってるんだろ、楽●で検索してみっか」を発動した場合イチヨウを墓地に送ることになるわけだが。


 ホームセンターですごくよさそうな多肉植物の土を見つけたことも書いておく。シーズンが来たらハオルチアを植え替えてみようと思う。


 それからクラッスラというのはどうすれば咲くのだろうか。神刀という面白い見た目のクラッスラを一鉢持っていて、そいつの名前でググると可愛い花が咲いているものが多いのだが、しかしどうすれば咲くのだろうか。クラッスラはブッダテンプルやワーテルメイエリー、アイボリーパゴダなどなどいろいろ育てたのだが、花が咲いているのを見たことがない。


 それから2019‐2020年の冬というのは記録的な暖冬で、外はあまり雪が積もっていない。節分からあとちょっと雪の日が続くようなのだが、勘違いしたフキノトウがぽこぽこ出てしまっている。早い! そしてフキノトウはばかでっかいフキになるのである!


 わたしの住んでいるところでフキがでっかい理由は、小学生のころ訪れた東京上野の国立科学博物館の先生によると「北のほうの植物は大きくなるんだよ」ということだった。これを尋ねたきっかけは、科学博物館に展示されていたカラスウリの標本が小さくてびっくりして、母と「なんかうちに生えてくるのと違うね」と言っていたのを聞いて科学博物館の先生がどこに住んでいるか訊いてきたことである。


 いやそんな、北のほうは植物がでっかいなんてそんな雑な。学者の先生にそう言われてしまったらぐうの音も出ないのだがしかしあまりにも雑だ。

 ああ、フキの煮つけ食べたい。


 それから近所のスーパーで、やたらぎゅうぎゅう詰めの多肉の寄せ植えが売られていて、「うわ可哀想」と思った。世の人は多肉植物を寄せ植えにするのが好きだということは知っているし最初から寄せ植えで売られている場合もあるしタブローといって水苔をネットにくるんでそこに切った多肉植物をブスブス刺して飾り物にするのも知っている(ここまでノンブレス)。


 しかし、植物には命がある。命をむやみに飾り物にしてはいけないとわたしは思う。


 それからそのスーパーの花屋で、「宿根シクラメン」なる植物が売られていて、「なにこれチョーカワイイ!」と思った。小さくてスミレみたいなハナをぽんぽん咲かせていて、欲しいと思ったらうちのシクラメンのおよそ2倍のお値段だった。買えるかそんなん。


 いま必死で物欲と戦いながら、3月発売の「あつまれどうぶつの森」をスイッチライトと一緒に買おうとお金を貯めているのだが、3DSの「とびだせどうぶつの森」でやり残したことを消化している。例えばバッジとか恐竜のミニチュアとかだ。その、とびだせどうぶつの森の自分の家は、メインの部屋にはサボテン各種、地下には観葉植物ぎっしりという夢の部屋になっている。なんせどうぶつの森の観葉植物は徒長しないし枯れないし水をやらなくていい。現実世界でインテリアにできないのでこっちでインテリアにしている感じである。


 というか我が家には猫がいるため、リビングに植物を飾ると高確率でかじりにいく。それでゲロを吐かれても困るし、そういうわけでリビングには植物を飾れないのである。


 それからシクラメンちゃんだが、最近古い花が萎れてくるようになったので、頑張ってぶちぶち根本から花を引き抜いているわけなのだが、新しい花がなかなか咲かないのは肥料不足なのだろうか。ホームセンターで安売りされていたアンプルタイプのものを買ってきたのだが、本を見ると固形肥料か液肥とある。液肥に分類されるのだろうが量や濃度をどう調べればいいのだろうか。難しい。だんだんと花が減ってさみしくなってきてしまったので、そろそろ肥料のやり時だろう。買って一か月経つし。


 それからこれは本当に「ちなみに」なのだが、いまGAの前期に投稿するため書いている作品のヒロインが「ハナ」という名前である。そのせいでこのエッセイを書いていればカタカナでハナと出るしその作品を書いていれば漢字で花と出る。なんとかしてほしい。


 そういえばNHKでやっていた「植物に学ぶ生存戦略」が面白かった。シリーズで三作目になるのがこの間放送されていて、ゲラゲラ笑いながら録画を見た。ネナシカズラのクズのヒモ戦略とかカラスウリのジュディ・オング戦略とか、とにかく面白かった。あの番組は傑作だと思う。NHKは「植物に学ぶ生存戦略」だけでなく「昆虫すごいぜ!」とか、アニメならいまやっている「映像研には手を出すな!」とか、ぶっ飛んだ番組を作ってくれるし、「聖☆おにいさん」みたいな変なドラマを流してくれるし、なにより「麒麟がくる」とか「スカーレット」とかすごいドラマを作ってくれるので、「チコちゃんに叱られる!」における岡村さんの独身いじりとかを見せられてもどうしても嫌いになれないのであった。いや「チコちゃんに~」好きだけどな。なんの話やねん。今回は以上でーす。

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