玉骨

深川夏眠

玉骨(ぎょっこつ)


 滅多に顔を合わさず、年賀状のやり取りだけが長年続く、淡い関係がある。一定の距離を保ち、向こうの領土に決してズカズカ入り込まないが、月に一度くらいは顔を思い出し、年末になると筆をって、ご機嫌伺いをする。かおるはそんな薄い友人の一人だった。

 住所どころか苗字まで変わっても、例年、元日に届いていたハガキが今年は来なかったので、ふと嫌な予感が頭をもたげたとおり、松の内が明けて寒中見舞いが訪れた。差出人は義母――すなわち、彼女の亡父ののちいらしい。

 手土産と香典を携えて、久方ぶりに薫の実家へ向かった。

「ご足労いただきまして恐縮です」

 迎えてくれたのは八重やえと名乗る義母、現在は一人きりで東雲しののめ家を守っているという未亡人だった。

 正面から顔を見合わせて安堵した。いや、少しガッカリしたと言うべきか。薫が折り合いのよろしくない義母を殺害し、自身が亡くなったことにして成り代わっていたら面白い……などと、不心得ふこころえな妄想を膨らませていたので、肩透かしを食ったのだ。

 薫もそんな、古風な探偵小説式のあくどい冗談が好きだったと思い出し、つい、軽く笑ってしまった。

「何か……?」

「いえ、失礼しました。お邪魔します」

 一口に美女といってもおもむきは様々だが、薫は溌溂とした豊かな表情の中に時折、哀愁を滲ませるタイプだった。片や未亡人は、薫の父の妻としては相当若い計算になろうが、和服姿もたおやかな、どこか浮世離れした雰囲気を湛えていた。もっとも、案外こんな印象を与える人の方が息災で、長生きするのだろうとも思えた。

 それにしても、八重未亡人が纏った着物には、どことなく見覚えがある。詳しくは知らないが、加賀かが小紋こもんではないだろうか。ずっと昔、薫の実母が着ていたものだったかもしれない。

 手向けた線香から、僅かに季節を先取りしたように、爽やかな梅の。遺影の薫は微笑んでいたが、眼差しは寂しそうだった。

 客間に移動すると、記憶にあったとおり、大きな丸窓に庭の梅の樹が映えていた。まだ花には早いが、先ほどの薫香が流れてきて、気分だけは梅見うめみの先取りといったところ。

「お待たせいたしました」

 未亡人がお茶を淹れてくれた。焙じ茶だが、ほんのり梅の味がする。お茶請けは梅花ばいかかたどった愛らしい最中もなか

 ここまで道具立てが揃ったからには、相手の腹を探らないわけにはいかない。いや、芳香に惑わされ、幻術に搦め取られては堪らない……という気がしていた。

 座布団の上で痺れ始めた足を静かに組み替え、襟を正す。

「お墓参りをしたいので、場所を教えていただけますか。霊園の、どの辺りか……」

「薫さんのおこつは、お納めしておりませんの」

 未亡人は意味ありげに、窓の向こうの老樹に流し目をくれた。梅香うめがかの幻惑。あってはならない光景が脳裏に浮かぶ。どんな諍いか、義理の母娘ははこが互いに罵り、掴み合った挙げ句に、八重未亡人が梅瓶めいぴんで薫のひたいを激しく殴打する映像が――。彼女は薄暗い部屋で着物の乱れを気にしながら荒い息をつくと、しばしののち、遺体を引きって庭に下り、古木こぼくの根方に不慣れな手つきで穴を掘って深く埋めた。空気が澱み、遠雷が轟く、おどろおどろしい晩だった……。

「ウフッ……プッ」

 未亡人は白魚のような手を唇に当て、俯いて小さく噴き出した。下を向いたまま肩を揺らし、しばらく笑いを噛み殺していたが、やおらおもてを上げ、

「怖いお顔。真っ青ですわ。安達あだちはら岩屋いわやにでもいらしたみたい」

「あちらの襖を開けたら、人の骨が山積みになっているんですかね」

「さあ、ホホホ。どれ、鬼婆おにばばは少々外させてもらいますよ。失礼」

 未亡人は目尻を残忍な色にたわめて席を立ち、廊下へ出た。脚が強張って言うことを聞かない。逃げ出したかったが思うに任せず、冷えた湯飲みを眺めながら、いっそ薫の上に被せるようにして埋めてもらえれば、ここまで来た甲斐があったというものだ……などと、胸の内でうそぶいた。

 だが、戻ってきた未亡人は捧げていた盆を卓に置き、覆いの風呂敷を取りけて、

「薫さんです。本人の希望どおり、遺骨を焼いて粉にして……」

 梅の意匠の、蒔絵のなつめ。ようやく思い出した。東雲しののめは梅の一品種だと、いつか薫に教わった――。

「遺灰、ですか」

「ええ。そして、こちらが……」

 ケースの中に、小さな宝石の粒が一つ。ラウンドカットのダイヤモンド風。

「これも薫さん。いわゆる遺骨ダイヤです。業平なりひらさんに持っていてもらいたいって。受け取っていただけますね?」

 未亡人の声に有無を言わさぬ気迫が籠もった。

「何故……」

「わたくしの口から申し上げるのも、どうかと思いますけれども。薫さんはずっと、あなたをお慕いしていたのでしょう。短い結婚生活が破綻して、この家に帰ってこられて、元々のお部屋で、また寝起きするようになって。浅はかだった、無駄な時間を過ごしたと悔やみながら、顔色を明るく一変させて語り出すのは、いつも、業平さんとの楽しい思い出話でしたのよ」

 長い年月に渡る細々こまごまとした情景のあれこれが、模造ダイヤの無数の面にチラリと浮かんで消えた。

 素っ気ない付き合いだなんて欺瞞もいいところだ。いや、敢えて自己弁護をすれば、薫については、たまに連絡を取り合う友達の一人だとでも思わなければ、平静さを保てなかった。どちらかが友情から恋愛へ重心を移そうとすれば相手の都合が悪く、グッと踏み留まらざるを得ない、そんな想いをずっと繰り返してきたのだ、お互いに。

 結果、こうして本心を見つめ直す機会を得たときには、薫はもう、手の届かないところへ遠ざかってしまった――。

「形見としては、重苦し過ぎると承知しています。何しろ当人そのものですから。後々、処置にお困りになる日も来るでしょうし。でも……」

「はい。頂戴します」

 頭を下げ、未亡人の顔を改めて見つめると、彼女は大仕事を成し遂げたとでも言いたげな、満足した面持ちで、そっと胸に手を当てていた。


 今日の一部始終は、八重未亡人の風貌から勝手に不謹慎な想像を繰り広げ、それを一刀両断に粉砕される自分の醜態を見越して、生前の薫が予めお膳立てを整えたプラクティカルジョークだったような気がしてきた。



                 【了】



◆ 2020年1月書き下ろし。

◆ お題〈謎語めいご画題がだい〉(文人画における、寓意を込めて付けた絵の題)

  →君子くんしこう:梅と竹の組み合わせの称。

  荘子の言葉「君子之交淡如水、小人之交甘如醴」が出典。


[種明かし]

 登場人物の苗字「東雲しののめ」は梅、「業平なりひら」は竹の品種。

 タイトルの「玉骨ぎょっこつ」は、

  ①貴人または美人の骨。

  ②梅の幹枝をたとえていう語。(コトバンクより)


*縦書き版は

 Romancer『掌編 -Short Short Stories-』にて無料でお読みいただけます。

 https://romancer.voyager.co.jp/?p=116877&post_type=rmcposts

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玉骨 深川夏眠 @fukagawanatsumi

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