第9回
「これ、どういうことなの」
「こんなこと――私はただ、姉さまの体に利くからと」
「なに? 私になにを飲ませていたの? 答えなさい」
文乃は小さくかぶりを振り、唇を震わせながら、
「具体的になんなのかは分かりません。姉さまに必ず飲ませるようにと、累さまに命じられたのです。私はただ運んできただけで――姉さまを害する気など、これっぽっちも」
「文乃のことは疑ってない。ずっと信じてる。だから詳しく教えて。累がそう言ったのね? この水はいつから?」
困惑したように視線を彷徨わせながらも、文乃ははっきりと、
「最初に森から戻られた直後です。ずっとふたりきりでいて、私だけが外出していたでしょう? あれは水を受け取りに出ていたのです」
思い出した。あのときも水を飲めと、しつこいほどに繰り返された。あれは文乃の意思でなく、累の指示だったのか。
「薬になると言い含められた。そういうことね? 私の体はいま、この水で満たされてる。こうしていられるくらいだから、命に関わるような毒は入っていないんでしょうけど、だったら――」
ある可能性に思い至った。背筋に怖気が立った。
「音楽を奪ったのは久遠じゃない。この水なんだ」
取り返しのつかないことを口にしているのかもしれない。しかし確信があった。息を吸い上げて思考を整理する。
「私たちはずっと、蟲笛を使って蟲と関係を取り結んできた。しょせん懐柔策に過ぎないと見做す人は、昔からいた。今まではどうにか抑え込めていた不満を、誰かが爆発させたんだとしたら? 武力で決着をつけようとしたら、蟲笛吹き、それも私みたいな蟲に同情的な人間は邪魔者でしかない」
健在でさえあれば、村の采配のいっさいは蟲笛吹きが執り行う。私に任されていたなら、強硬策は決して選ばない。いくら弱腰と思われようとも。
「表立って排除するのは難しくても、薬で無力化することはできる。なにもかも蟲のせいにしてしまえば、強硬策を選ぶ理由にもなる。私が取り憑かれて、大お祖母さまが亡くなって――迷い子の久遠が現れたのも、彼らにとってはむしろ好都合だった。考えすぎとは思えないの」
文乃はしばし、ぽかんと唇を開いたままでいたが、やがて頷いて、
「そうなのかも――いえ、そうに違いありません。実はここ数日、村じゅうで蟲への憎悪が煽り立てられているんです。まさに姉さまの仰った理屈で」
「戦争になりそう?」
「先ほどのお話を加味すると――おそらくは。何事もなく静まるという雰囲気ではなさそうです」
「止めなきゃ」
私も、と文乃。眦をごしごしと擦ってから、上着を取ってくると言い出した。
「いいの? 村の全員に憎まれ――ううん、最悪死ぬかもしれないんだよ」
「構いません。そのときは姉さまと一緒に死にます」
きっぱりとした口調だった。彼女は続けて、
「以前にもお話ししましたが、私には蟲に関することは分かりません。でも姉さまが蟲たちを慈しんで、共生のすべを探ってこられたとは、自信をもって申せます。姉さまのお傍にいることが私の誇りです。準備をして参りますから、姉さまはどうかお食事を。肝心のときに力が出ませんよ」
ありがとう、と言ってお膳へ向かった。箸をつけてみると止まらなくなり、泣きながらすべてを平らげた。お腹が膨れると肝が据わった。私も信じようと決めた。
久遠は生きている。あの子も、蟲たちも、死なせはしない。
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