第8回
曾祖母が亡くなった。看取ることは叶わなかった。立ち会ったのは武彦叔父と、数名の側近のみだったようだ。普段どおり居眠りするように旅立っていった、とだけは聞いた。
葬儀にも出席していない。蟲の気配が完全に抜けるまで、表に出ることは許されない。
いつになるかは分からない。閉じ籠ったまま死ぬべきかもしれない。
「姉さま、少しは召し上がらないと」
膳を抱えた文乃が部屋に入ってくる。ここ数日は食べ物を口にした記憶がない。しかし彼女は諦めない。いったん下げ、次の食事の時間にはまた作り直して、私のもとへ運んでくる。好物ばかりを揃えてくれていて、それがまた悲しい。
「食欲がないの」
「関係ありません。今度という今度は、食べていただくまで動きません」
文乃は畳の上に座り込んだ。私はといえば空腹を通り越して吐き気まで覚えつつあり、漫然と横たわっているのがやっとという状況だった。出て行って、と告げて背中を向けたが、むろんその程度で従ってくれるはずもない。
「説得されても駄目なの。本当に、体が受け付けてくれないんだから」
「無理にでも召し上がってください。姉さまに置き去りにされたら、私は生きていけません。この意味、お分かりいただけますよね」
「ごめんね、文乃」
「謝っていただかなくて結構です。口が動くなら食事をしてください。さあ」
言いながら近づいてきて、私の肩を掴んだ。体を裏返して食卓に向けさせようとする。縮こまって抗っていると、そのうち文乃が癇癪を起こした。縋りついて泣きはじめる。
「姉さまが強情な方なのは承知です。でも意地の張りどころを間違えないでください」
「大お祖母さまのことは――順繰りだから仕方ない。でも久遠が死んだのは私のせい」
「そう言い切れますか? 確かめたわけではないんでしょう」
「あの叔父さまに本気で狙われて、生きていられるはずがないもの」
「迷い子が死んだのならば、姉さまに知らせが来るはずでは? 迷い子を探しに行かれたのは、蟲笛の力を取り返すためなのでしょう?」
「私はもう後継者を外されたの。蚊帳の外でも仕方ない」
「それも確定ですか」
「累がそう進言すると」
「姉さまの莫迦」
文乃が叫び、私を揺さぶった。その勢いに驚き、反射的に体を起こして彼女のほうへと向き直る。途端に頬を張られた。二度、三度。雷に打たれたような痛みに目を見開いた。
「どうしてなんでも悪いほうに決めつけるんですか? 捨て鉢になられるんですか? 姉さまはずいぶん、ご自身を軽んじられているようですが、そんな姉さまのことを、私はずっとお慕いしているのに、それが――」
言葉の終わりが嗚咽に呑まれ、曖昧になった。ぶたれた頬の熱さもいっとき忘れて、文乃の肩に両腕を回した。泣きじゃくっている彼女の耳元へ、できる限り穏やかな声で、
「本当に悪かった。文乃はずっと、私のことを思いやってくれていたのに」
「謝罪はいりません。とにかく食べてください。こんなに痩せてしまって――ああもう、体が紙みたいです」
立ち上がりかけて、くらりとした。体温がすっと低下するような、貧血特有の感覚に見舞われる。弱り切っていたのだ。体を支えきれずによろめいた。
「姉さま」
足でもぶつけたのだろう、机に置いてあった水差しが落ちた。文乃が慌てて屈みこみ、転がったそれを起こそうとする。
私が襤褸布を掴んで戻ってきたとき、眼前に広がっていたのは奇怪な光景だった。文乃もまた呆然として、私の顔を見上げていた。
畳が黒く変色し、焼け爛れたような穴が開いていたのだ。濡れただけでこんなことが起こるはずはない――零したのが普通の水であれば。
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