第6回

 ぬるく纏わりつき、胸を詰まらせるような空気。隊列を組んで歩くだけでもじっとりと汗ばみ、足が重くなる。消耗しきった体とは裏腹に、耳だけが冴え冴えとしている。

 さざめきが聞こえている。恨みがましいさざめきが。

「お出ましか」

 すぐに蟲の群れに出くわした。しかし柔らかな光も、優美な羽も、そこには見られない。歪な蠢きだ。尖った触覚、木肌や宙を掻く脚、複雑に折り重なった殻、甲高く耳障りな音。

 怒りに満ちた真紅の複眼。

 再び踏み入った西の森は、一週間前とはまるきり違った気配を湛えていた。明確な敵意を宿らせた蟲が、私たちを威嚇している。

 それでも迂闊に近づいてこないのは、なんらかの機会を伺っているせいだろうか。たとえば森の奥へと誘い込んでおいて、あの大蜈蚣に襲わせるといった――。

「大丈夫だ、千歳。今度はしくじらない」

 叔父が携えているのは、今日のために研ぎ直したという短剣だ。従者たちの数も、武装の厳重さも、前回の比ではない。太鼓を打ち鳴らし、火を掲げながら、暗い森の中を突き進んでいる。

 蟲に憑かれた迷い子は、やがて森の魔力を身に宿すという。そして相対した者の魂を吸い尽くすのだという。

 ついに病で寝たきりになった曾祖母が深く記憶を辿って、そう叔父に語ったそうだ。

「その迷い子に、蟲笛吹きの力を奪われたんだよ。おまえだけを連れ去ったのも、それが目的だったのかもしれない」

 出発前、叔父はそう見解を述べた。美しい蟲の舞いを見せたのも、水琴を聴かせたのも、私に蟲笛を吹かせるための罠だった、と。

「連中が明確に人間に勝っている点は? 数だよ。笛にほだされる奴がいなくなり、すべての蟲が団結して向かってきたらどうなる? ただでは済まない」

 密集した木々や蔓草が途切れた。前回、大蜈蚣と戦ったのはこのあたりだ。崖に沿い、谷川の上流へと向かう。私がそちらへ這っていくのを、複数名が目撃していたらしい。

「見つけました。これを御覧ください」

 累が屈みこんで叔父を呼んだ。その視線の先にあるのは単なる林と見えたが、彼の目には違うものが映っているようだ。叔父もまたにんまりとして、

「千歳、分かるか? 微妙に草が倒れて、枝が退けられている。なにかがここを通ったんだ。人間だとしたら大したものだな」

 私にはまるで認識できない痕跡を、迷いない足取りでふたりが辿っていく。森歩きにも狩りにも習熟した人たちだ。どれほど巧妙に隠蔽したところで、彼らは誤魔化しきれない。見つけるべきものを適切に見つけ出し、執拗に追いつづける。

 草叢を抜けた。黒々とした掘立小屋が、私たちの眼前に現れた。

 全員で取り囲んだ。家と呼ぶには屋根も壁も薄っぺらな、物置のような作りだった。一晩二晩の寝泊まりならともかく、生活の拠点とするには質素すぎる。

 叔父の合図でひとりが戸を蹴破った。覗き込んだ男がすぐに振り返って、

「誰もいません。しかしなにか、得体のしれない道具が仕舞ってあります」

「見せろ。ここへ持ってこい」

 小走りに出てきた男の手許を見るや、声を上げかけた。あの形。見紛うはずもない。

「これはなんだ。見当のつく者はいるか?」

 水琴だ。私の説明した「不思議な楽器」を目の当たりにしているのだとは、いまだ気付いていない様子だった。

 叔父さま、と言いかけて、家の裏手側から突如として湧き立った気配を察し、立ち竦んだ。私がかしらを巡らせるのと、男たちが武器を構えるのとは、ほぼ同時だった。

 全員の視線の先に久遠がいた。蟲たちと同じ恨みの籠った虹彩で、私たちを凝視していた。

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