図書館の妖精
あれ?
出口が、ない。
なんで?
超マンモス校の桜ヶ丘春日南学院・高等部の図書館。
放課後、わたしはなにか本をかりて帰ろうと立ち寄っていた。
ここ広くて好きなんだよね。でもさ、広いって言っても、図書館の出口を小一時間も見つけられないなんてことある?
それに、いつからだろう、人が誰もいないんだけど。
「おかしいな…」
窓の外からは、オレンジの洪水。
まるで砂時計から落ちる砂みたいに、細かな粒子を含んだ空気が照らされて降り積もってる。
その様子は、なんだか幻想的で、まるで物語の中に入り込んじゃったみたいに見える。
……って、妄想に浸ってる場合じゃなかった!
整然と並ぶ本棚の影が、長く伸び始めちゃってる。
もうこんな時間なんだ。
もう一度。
図書館の壁伝いにぐるっと回る。やっぱり出口はない。
ていうか、どこから入ったのかも思い出せない。
いつも来ている場所なのに、なんで。
どうしよう。
ええい、もうなりふり構っていられない!
わたしは両手を口の横に付け、大きく口を開いた。
「だれかー!いませんかぁー!!!」
返事を期待していたかと言うと、微妙なところだった。
誰もいないのは、わかってたし。
だけど、それは背後からあっさりと返ってきた。
「呼びましたか?」
「えっ!?」
驚いて振り返ると、そこには1人の男性がいた。
銀縁の眼鏡をかけて、ピシッとスーツを着た知的そうな……。
「おや、自分で呼んだ割には驚いてらっしゃる」
「だだだだって、さっきまで誰も」
いなかったし!
足音もしなかったし、まるで背後からわいて出たみたいに……。
「ご存知ですか?」
彼はその知的な瞳を細め、笑った。
その笑顔は、意外なほどに人懐こい。
「この図書館には、妖精が住んでるんですよ」
「よう、せい……」
待って、待ってこの人何言ってるの?
頭のネジどっか行っちゃってるの!?
ってそれヤバい奴ってことなの!?
足元から恐怖が這いのぼる。
わたし……わたしどうなるの!?
「妖精っていうのは悪戯好きでね。時々こうして、人を困らせるんですよ」
駄目ですよと何度も言っているのですけれどね。彼はそう続けてまた笑った。
「お嬢さんをすっかり怖がらせてしまったようだ。お詫びに、プレゼントを送りましょう」
え、やだ……ほんとにヤバい奴じゃん……!
こ、殺されたらどうしよう。それよりも、それよりももっと酷い……ことになったら……。
目の前の笑顔が、一歩迫る。
わたしは一歩後ずさる。
そして、彼は両手を大きく開き、
パァアァァン!
「きゃあっ!」
彼の手から逃れようと後ずさろうとして、足がもつれた。
後ろに倒れかけ、
「おっと!」
誰かの腕がわたしの背中を支えた。
途端に、どっと周囲の音が耳に入ってくる。
ぱたぱたと足早に歩く足音。
本を棚に出し入れする摩擦。
ここが図書館なのを忘れて話に花を咲かす学生。
そして。
「京子ちゃんはいっつも危ないなあ」
「えっ!? 将人くん…!?」
わたしの背を抱きとめてくれた人物の、声……。
首だけ振り返ると、至近距離に俳優みたいに整った顔。それはやっぱり同じクラスの将人くんだった。
う、うわ、近いっ!
慌てて離れようと身をよじったのが間違い。
またしてもバランスを崩し、今度は横向きになって将人くんの腕の中に収まった。
や、ヤバい、心臓が口から出そう……!
見た目よりガッチリした腕と胸板。や、やだなに考えて……!
「慌てないでいいから」
呆れたような声で、将人くんはゆっくりとわたしを立たせてくれると、腕を離した。
大丈夫? と聞いてくれるけど、その顔を見ることが出来ない。
だってもう、顔が熱くて、もう、もう絶対ゆでダコに決まってるもん!
「京子ちゃんって、しっかりしてるようで抜けてるとこあるよね」
「そそそそうかな……」
声が上ずる。
まだ、彼の腕の感触が……。
「うん。気をつけてね。また明日」
「え」
ひらひらと手を振る将人くん。
そしてくるりとわたしに背を向けて歩き出す。
せっかく話せたのに、もう!?
「ねぇ将人くん!」
それはわたしの精一杯の勇気だった。
プレゼントを送りましょう、そんな銀縁眼鏡の男の声が耳元で聞こえた気がした。
今しかない!
振り返った将人くんは、かすかに首を傾げている。
がんばれ、わたし!
「ありがとう! あのさ、これからなんか予定ある?」
「いや? 帰るだけだけど?」
「そんじゃさ、駅前のクレープ屋さんに行かない!? 助けてくれたお礼させてよ!」
一気に言い切った。
将人くんは甘いものが好きだったはずだ。
これでも、ちゃんと好きな人の嗜好はリサーチしてるんだから!
「お、良いね! 俺、あそこのクレープ好きなんだ。京子ちゃんも?」
「うん、わたしも大好きなの! あの、好きなの頼んでいいから!」
わたしの勢いに、将人くんはおかしそうに笑った。
そんじゃ行こうと手招きしてくれる。
(これがプレゼントよね? 受け取ったわよ!)
この図書館には本当に妖精がいるんだ。
時々悪戯をしては、ああして銀縁眼鏡が助け舟を出してくれて。
「将人くんはどれが好きなの?」
そんな他愛ないことを訊きながら、彼の横に並ぶ。
夢みたいだ。
しかも、しかも将人くんの腕の中に収まれたなんて!
ああ、もうお風呂入りたくない! いや入るけど!
ああぁ、幸せ!
クレープは甘くて、幸せそのもので、将人くんのようだった。
お金を払ってくれたのは、将人くん。男が廃るとかなんとか言って、強引に奢ってくれた。
そんな彼にわたしはますます惚れてしまって、もう頭がおかしくなりそうで。
その後猛アタックを開始することになるのだけれど、それはまた、別の話だ。
END
関連作品 「OMATSURI」
https://kakuyomu.jp/works/1177354054892579699/episodes/1177354054892579770
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