幻想歌集

はな

OMATSURI

 夢を、見ていました。


 あれは、高校一年の夏。とても蒸し暑い 日。毎年恒例の夏祭りの夜。わたしがたどり着いたのは、幼い日によく遊んでいた小高い神社の境内。

 神社の周りは鬱蒼とした森。夏祭りの笛や太鼓の音は遥か。


(わたし、どうしてこんなところに......)


 懐かしくて懐かしくてたまらない場所。でも、夏祭りは、そのざわめきは遥か。

 ただ、気がついたらここで、空に打ち上がる美しい花火に見惚れていた。

 さっきまで一緒にいたはずの親友・香穂の姿は何処にもない。わたしを心配して捜しているだろうか?

 空に、一段と大きな火の花。


(あぁ......)


 昔。ずうっと昔。ここで、この境内で花火を見た。見ていた。わたしの両隣には年上の幼なじみの男の子たち。わたしが子ども心に可愛いと思って着た浴衣を、散々似合わないって馬鹿にして。悔しくて哀しくて、泣き出したわたしを見て慌てていた。ごめん、嘘だよって。

 それがおかしくて、わたしは大げさに泣いて見せて。散々二人を慌てさせて、大笑いした。おかげで二人は怒ってわたしを追いかけ回して。いつもと同じように走ったわたしは、浴衣に引っかかってたちまち転んでしまった。でも、少し痛かっただけ。そのまま、地面に座り込んで三人で笑った。


 その頭上には、花火。大きな音が響いた記憶はない。わたしたちが遊んでいたここは、いつも静謐で、壮麗だった。子どもの視線で見上げたこの世界は、いつでも現実と切り離された不思議な空間だった。


 わたしたちは、ここが大好きだった。

 それなのに、いつからここに来なくなっ てしまったのだろう。いつから、わたしは 幼なじみの二人と遊ばなくなったのだろう。三人でいるのが、あんなに楽しくて好きだったのに。

 大人になるっていうのは、こういうことなんだろうか。


(違う、ような気がする......)


 幼かったあの頃、わたしたち三人は、いつになっても離れないと、ずっとずっと一 緒だと思っていたのに。それは新しい友達が出来たって、たとえ恋人が出来たって変わらないものだと。

 それなのに、現実は残酷だ。時間が経ってしまっただけで、わたしたちはいとも簡単にばらばらになってしまった。なぜなのか、わからないまま。


「神様、わたし、もう今は将人とも浩平とも一緒ではありません 」


 暗い神社に向かってそうつぶやいてみる。昔はこれが習慣だった。三人そろったところで、神様に手を合わせていた。神様、今日も三人で遊びます。だから、守っていてください、と。


 小さくため息をついて、社の階段に腰を下ろす。暗くても不思議と怖さは感じなかった。

 わたしのことを捜してくれているだろう香穂には悪いけれど、もう少しここにいさせてもらおう。

 ここは、わたしの思い出の場所だから。


 夏になれば、毎晩花火をした。一緒に花火を買いに行っては、あれがいい、これがいいと騒ぎながら買い物をして。そして夜になると、ここに集合して花火をした。夏の熱気も、蚊だって気にならないくらい夢中になって。

 わたしたちはロケット花火が一番好きで。たくさん買って、たくさん空に上げた。手に持ったまま導火線に火をつけて、 頃合いを見計らって空へと投げ上げる。タイミングが合えば、ロケットは綺麗に月へと飛んだ。


 三人で、よくかくれんぼもした。わたしはいつもじゃんけんで負けて鬼だった。足が速かった二人は、わたしより先に陣にたどり着くことが出来て、やっぱりまた、わたしは鬼になった。

 隠れるのが上手だった二人を見つけられずに、大声で二人を呼んで、それでも返事がないことに怖くなり、泣き出してしまったこともあった。二人はわたしを置いて帰ってしまったのではないかと。

 泣き出したわたしに慌てて、二人はすぐに出てきてくれた。わたしはすごく、ものすごく安堵して、安堵した途端に悔しくなって、さらに泣いた。泣きわめいて二人をぶった。二人は反撃しなかったし、逆に謝って、わたしをなだめてくれた。鬼もかわってくれた。我儘なわたしは可愛がられていたと思う。


 そうして、夕方は、人さらいが来るよって今じゃ鼻で笑われそうなことを言いながら、走って家に帰った。


 少し意地悪な二人。我儘だったわたし。ほとんど兄妹だった。そう思っていたからこそ、わたしたちの関係は永遠だと、変わらないとわたしは思っていたのに。

 あれは、子どもの幻想だったのだろうか。


「でも、今更そんなこと思っても......」


 遅い。わかっている。今更もう、どうにもなりはしない。かえらない。

 かえらないのだ。


 そう思うと、哀しくて涙が出そうになる。あの二人は今頃、どう思っているのか。少しでも、わたしのことを気にかけてくれているのだろうか。


(ああ、女々しいったら!)


 我儘だったわたしは、少し意地悪だった二人と一緒に育って、だから男の子っぽいことばかり好んでいた。ああ、でも昔からわたしは泣き虫だったっけ。二人の男の子に周りの意地の悪いことから守られていたお姫様だったから。

 助けて。そう言えば二人が必ず助けてくれていたから。だから、誰も表立ってわたしに悪意をぶつけられなかった。


 わたしは、大人になったよ。だからもう、自分のことは自分で出来る。お姫様で いなくてもいい。でも、だからと言って、 周りに誰もいないのは寂しい。あの二人が いないのはとても、寂しいんだ。

 だって大好きだったから。二人が大好きだった。わたしの大好きなお兄ちゃんだっ た。


「この場所に、わたし一人なんて......」


 なにかがすごく哀しくて、とうとう涙がこぼれた。やっぱり、わたしは泣き虫だ。けれどもう、今は一生懸命慰めてくれる人たちはいない。

 いない。

 そう思ってわたしがうつむいた、その時。


「だぁーれだ!」


 幼子の甲高い声が、わたしのすぐ後ろで響いた。そして、柔らかくて小さな手がわたしの目を隠す。


「えっ? だ、誰!?」


 誰かいたなんて、それもこんな小さな子 が! 気がつかなかった。


「あなた誰!?」


 あんまりびっくりしたもので、わたしは その子の手をつかんで、無理矢理振り返った。そこには、白い、どこかで見た事のあるような狐のお面。それを、その子はすっぽりとかぶっていた。そのせいで顔は見えない。

 身につけているのは、淡いパステルカラーの水玉の浴衣。その上に白い狐の面。髪は、黒いおかっぱだ。

 どうやら、女の子のようだ。


「え......?」


 思わず、あっけに取られる。


「えへへへへ。これ、もらったの。いいでしょ」


 その子は、そう言って狐のお面を触りながら軽やかに笑った。


「あなた、誰? お父さんかお母さん、ここにいるの?」


 こんな小さい子が一人で、こんなところにいるのはおかしい。見たところ小学生低学年と言ったところだ。花火でもしに来たのだろうか。幼かったわたしたちのように。


「んーん、いないよ」

「一人なの?」

「うん」


 彼女の返事は、いともあっさりしている。


「うん、じゃないじゃない! 今頃お父さんもお母さんも心配してるよ!」

「だいじょぶ、だいじょぶ。ね、お姉さん、下までついてきて?」

「えっ? ええ、いいわよ」


 きっと、一人でここまできたはいいが、帰りが怖くなってしまったのだろう。この子の口調からするに、下まで行けば両親の居場所はわかっているふうだ。わたしもそろそろ下に戻った方がいいだろう。


「じゃ、行こ!」


 彼女が差し出した手を握って、わたしは立ち上がった。一緒に歩き出す。


「ねえ、そのお面、取ったほうがいいんじゃない? 見えにくいでしょ?」

「そんなことないよ。よく見えるよ!」


 たしかに、彼女の足取りはしっかりしている。そればかりか、ぴょんぴょん飛び跳ねて、おーてぇーてーつーないでー、と歌い出してしまう。

 懐かしい歌だ。昔はわたしもよく歌った。将人と浩平と、しっかり手をつなぎ合って。


 やがて下へ着くと、彼女はこっちこっちと、どんどんわたしの手を引いて歩き出した。わたしも、彼女の親御さんのところまで送り届けないと心配なのでついて行く。

 やがて、ついたのは踊りの輪。


「ここ! ちょっとここで待っててね、お姉さん」


 彼女はそう言って、わたしの手を離してぱっと輪の中に飛び込んで行く。


「ちょ、待ってってなに!?」


 わたしの声に、彼女は輪の向こう側で振り返った。そして、静かに言う。そう、それは本当に静かに。けれど、祭りのざわめきにかき消されはしなかった。むしろ、一 瞬だけ、彼女の声以外の音が世界から消えた。そう、思った。


「わたしたちは、まだ、消えていないよ。大丈夫」


 そう言うと同時に、彼女は狐のお面を横へとずらした。ああ、そこから覗いた小さな顔! それは、それは!

 それはまさに、幼い日の、わたし! たしかに、わたしの顔!


「わたしたちは、消えないよ」


 彼女は、幼いわたしはそう言ってにっこり笑った。その途端に、どっと周りの音が蘇り、鼓膜を打つ。

 幼いわたしはきびすを返して駆け出した。人込みの中へと紛れて行く。その時だった。


「あっれぇ? 理恵か?」


 そんな低い声がして、わたしの肩を誰かがつかんだ。ううん、誰かはわかっていた。肩をつかんだ手が、それが誰かを教えてくれた。

 振り返ったわたしの瞳に映ったのは、懐かしい二人の顔。


「将人......、浩平」


 近くに住んでいるはずなのに、今ではめったに会わなくなった幼なじみ。その二人が、そこにいた。


「おう。ん、なんだ? 理恵、目赤くねぇ? 」


 昔とちっとも変わらない表情で、浩平が わたしの顔を覗き込む。


「ん、ううん、なんでもないの。さっき埃 が入って。もう、取れたから」

「ならいいけど。理恵、一人でなにしてんの?」

「あー、それがさ、香穂とはぐれちゃってさー。あは、あはははは」


 なんだか、夢を見ているみたいだ。

 二人が、将人と浩平が、ここにいる。二人そろって。


「ああ、香穂ちゃんか。元気?」


 そう尋ねた将人は、なにかと顔が広い。香穂とも、いつの間にか知り合いになっていた。


「うん、元気だよ。そ、それより二人こそ。家近いのに久しぶりだねー」

「たしかにな」

「そういやそうだよね。極めつけに学校も 一緒なのに?」


 将人もそう言って苦笑している。


「でもほら、部活とかあるからな。な、将人」


 そうだ。将人は空手部。 浩平は柔道部。わたしは部活をしていない。


「だよなぁー。あ、じゃあせっかくだし三人でその辺回るか。そのうち香穂ちゃんも見つかると思うし」


 その将人の申し出に、浩平もそうだなと頷く。

 もちろん、わたしも。


「じゃ、行こうぜ」


 二人は笑顔で踵を返す。わたしはその後を追う。いつかみたいに。

 一度だけ振り向いたら、そこに白い狐のお面が笑っていた。一瞬だけ。


 わたしたちは、消えない。


 白い狐のお面。あれは、そう......いつかの夏祭りに、将人と浩平がお金を出し合ってわたしに買ってくれたものだ。誕生日プレゼントだった。わたしは、もうすぐ誕生日を迎える。

 消えない。消えてなんかいない。そうだったんだ。


「ねぇねぇ、将人、浩平! 今度さ、海行 こうよ、海。久しぶりにさ」

「別にいいけど? な、将人」

「うん。浩平、部活いつ休み?」


 消えてなんかいなかったんだ!

 たとえ、昔のようにそろってなにか出来る事は減ってしまっても。大丈夫。

 わたしたちは、消えない。


 夢を、見ていました。暗くて、底の ない夢を。

 でも、もう大丈夫。

 お祭りの夜。わたしは夢から醒めて

 歩き出します......。




 Fin.




関連作品「図書館の妖精」

https://kakuyomu.jp/works/1177354054893536029/episodes/1177354054894179033


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