第3話 トモダチ
木下 アカリが不思議そうな顔をして振り返ると、晃は思わず声を荒げた。
「何で無視するんだよ?! バカにしてるのか?!」
せっかく人が親切に……と言いかけるとアカリが困った表情を浮かべて手を動かしている。潤んだ瞳から涙が溢れるとバツが悪い。
「何とか言えよ」
ごめんなさい。とか言ってくれると思っていた。こっちにも許すきっかけが欲しい。けれどもアカリは何も言わずに頭だけ下げた。それ以上何も言えなくて憤慨したままその場を後にする。彼女が落ちたメモ帳を大事そうに手に取るのが、何だかやるせなかった。
帰ろうかとも思ったが、家に帰っても何もすることがない。だから本屋に戻ると店員さんに声をかけられた。
「ありがとう。アカリちゃん、喜んでたでしょ?」
「別に……」
もうその話はよしてくれと思ったのだが、店員の次の言葉で耳を疑う。
「あの子産まれた時から耳が聞こえないから喋れないし、手話の分からない人と話をする時はいつもあの手帳使ってるから」
「は?」
急に胸の辺りが凍りつく様な嫌な気持ちになった。罪悪感とでも言うのだろうか? 確かにそれなら、いくら声をかけても気付かなかった事に説明がつく。
「それで……」
さっき本棚の上の方に並んでいた本を眺めていたアカリを思い出した。手話の絵本を見た時に察してあげるべきだった。自分は耳が聞こえているから相手も当然聞こえているだろうと勝手な先入観を持った。
思わずさっき彼女が見ていた手話の本を手にとった。レジで会計を済ませてお店を後にする。もう近くにいないかもしれない。家に帰ったかもしれない。それでも、会って謝らなければと思った。
さっき別れた場所にはもういない。角を曲がって小路に入ると背中を丸め、泣きながら歩いているアカリがいた。
ああ、何て声をかけよう。じゃなくて聞こえてないから……どうすればいいんだろう?
あれこれ考えて彼女の前に回り込む。アカリは急に目の前に現れた晃に目を丸くした。
「えっと、その……ごめん!」
深々と頭を下げると、アカリはおどおどしながらメモ帳を開く。
【ごめんなさい】
【みみ】
【きこえない】
ページを捲りながら申し訳なさそうに文字を指し示した。生憎自分はペンも紙も持ち合わせていない。彼女のメモ帳に挟んであった可愛らしいペンを取り上げ、レシートの裏に文字を書く。
【ごめん、ゴカイしてた】
アカリはそれを読んでにっこりと笑ってみせる。メモ帳を捲り、【だいじょうぶ】を指した。
「その……俺もさ、手話覚えるから……じゃなくて」
と呟きながら再びレシート裏の空きスペースに文字を書く。
【トモダチになってくれませんか?】
買ったばかりの手話の絵本を見せるようにその文字を差し出した。
「手話勉強するから!」
聞こえていないアカリに向かって宣言した。アカリが文字を見て嬉しそうに笑う。その笑顔がたまらなく好きで、もっと彼女の事を知ろうと晃は思った。
メモ帳落とした 餅雅 @motimiyabi
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