第2話

 私はそんなこと微塵も望んでないのに。

「だからさ、受験に就活に、それぞれやらなきゃいけないことがあるだろ。洪子だってそうじゃん。だから三年になって四月の新入生歓迎ライヴやった後は、俺たちは引退だよ」

「でも」

 抗う洪子の声を遮るようにギターは言葉を被せる。

「バンドやりながら成績トップのお前とは違うんだよ、俺達は」

 湿ったものを万力で圧縮するような空気。ベースもドラムも肯く。

 四人だけの部室に洪子の味方は誰もいない。

 最初にここに来たときにまだ一人だったときの心許なさが思い出される。あのときは不安よりも希望が強くて唇を引き締めてドアを開けた。

 仲間になったと思っていた三人と出会って、バンドを組んで、今日、もう一人なのかと思ったら顔が上げられなくなる。

「まだ歌いたいっていう洪子の気持ちは分かるよ。だけど俺達バンドで生きていく訳じゃないじゃないか」

 それは最初から分かってる。部活は部活で、人生の中心にはその人生の一時期にしか置かない、そういうつもりで三人がやってたのは分かってる。でも、早過ぎる。まだコピーしかしてないじゃない。

 ベースの声。

「ごめん。洪子の想いを踏みにじるつもりはないんだけど、俺も同じ意見なんだ」

 ドラムが継ぐ。

「だから次が最後のライヴになる。そこで思い切りやって、終ろうよ」

 私達はコピーバンドだ。高校生の部活だから許されるようなレベルで、文化祭とか新入生歓迎とか、そもそも場が用意されていなかったらステージに立てる技量ではなかった。だが、高校二年生の半ば辺りからそれぞれがテクニックを付けて来て、それ以上に一つの集団としてのグルーヴが生まれるようになった。私はこれはバンドが一皮剥ける兆候だと思っていた。その矢先だ。

 いつかはオリジナルの曲をやりたいとずっと思っていた。そのつもりの全くない彼等とはだからいつか別れるか、彼等が変わるかを待つかするしかない。でも、それはもう少し先のことだと思っていた。

 三年生の文化祭までは演ると思っていた。

 彼等は変わるつもりはなくて、続けるつもりもない。

 だから別れが少し早くなっただけ。

 洪子は顔を上げる。

 困った表情をした三人が、縮こまったように立っている。

「分かった。次で最後ね」

 出した言葉の反作用のようにお腹の辺りがグッてなる。

 口々に「ありがとう」、ほっとした表情の三人。

 最後のライヴには「Goat」の曲を三曲入れて貰った。私以外の三人も「Goat」をこの二年間で大好きになっていた。バンドをやった最大の成果はこれなのかも知れない。

 ステージで歌い終わって、達成感よりもずっと虚脱の方が大きくて、私は次のメンバーを探すことはせずに、受験をして大学に行った。受験勉強はライヴが出来ないことへの腹いせだったのかも知れない。


 大学は高校よりも年齢が高く、規模も大きいから、軽音部のレベルも高いかと期待してその新歓ライヴに行った。確かにそうだったが、自分が望んでいる程ではなかった。

 どこかで聞き齧った知識で、ライヴハウスやスタジオにはメンバー募集の張り紙があると言うことを思い出して、洪子はまずスタジオを見てみることにする。きっとそこに居る人の方がオリジナルをやったり、もっと先を見据えていたりするんじゃないか。

「すいません。スタジオを使う訳じゃないんですけどメンバー募集の貼り紙だけ見て行ってもいいですか?」

 スタッフと思しき人はにっこりと微笑む。

「もちろんです。でも、メンバーになった暁には、うちで練習して下さいね」

「ありがとうございます」

 指定されているのか、一面の壁だけがそう言うポスターで埋まっている。

 好きなバンドを五十個くらいびっちり書いているポスターが最初に目に着くが、気持ち悪いから却下。

 シンプル過ぎるポスターも得体が知れないから、避けたい。

 洪子の基準で連絡をしてみてもいいかなと言うフィーリングを持ったのは三件。どんな人が出て来るのかどんな音楽が出て来るのかなんて、蓋を開けてみないと分からない。だから、最初は勘でいい。

「ありがとうございました」

 店員さんに挨拶をして帰る。

 一件目。

「はぁーぅいー」

 年嵩のある男性の声。

「あの、スタジオ『雲雀』でヴォーカル募集のポスターを見たのですけど」

「はああ、あれね。俺は天才ギタリストなんだけど、一緒にバンドをしたいって人が、いないんだよね」

 粘りまとわりつく声。受話器越しなのに臭い。

「どういった人を募集しているのですか?」

「もう俺さ、四十なんだよ。四十。仕事はしてるよ? ニートじゃないよ? 毎夜毎夜コンビニで働いてるよ? でもさ、天才の俺がコンビニで働くよりは、それは他の人がして、俺はギター弾いてる方がいいと思うんだよね。どう思う? お嬢さんお名前は?」

「あの、やっぱりいいです。さようなら」

 彼にどれだけ才能があったとしても、この嫌悪感と共に音楽は出来ない。多分、ぶつかり合わない才能って言うのはこう言う人間的な不快感をお互いが持つから発生するのだ。

 深呼吸をして、次。

「はい。篠田です」

 好青年っぽい声。

「あ、すいません、ヴォーカル募集のポスターを見たのですけど」

「ありがとうございます。でもすいません、さっき決まってしまって。ポスター剥がしておきますね」

「そうですか。じゃあ」

「はい。失礼します」

 いい物件は早いもの勝ち。だけど彼等の音楽を聴いた訳じゃないから、仕方ない程度に思える。

 次。

「もしもし、霧谷です」

 再び好青年。

「ヴォーカル募集のポスターを見たのですけど」

「本当に!? 嬉しい。でも、僕達の音楽性を見てから決めて欲しい。そこが合わないといずれもの別れになるからね。丁度明後日の水曜日に、『雲雀』で練習があるから来て貰えますか? 僕がギターで、ベースとドラムも決まったところなんだ。どうでしょう?」

「行きます」

 勢いにほだされたと言うよりも、感じがよかった。

 当日、スタジオで待っていたのは三人の男性。高校の時のバンドと少しダブる。

「ようこそ。霧谷です。最初に三人で弾いて、僕が歌を入れるので、その後で歌ってみて欲しい」

 洪子の歌は霧谷の曲とフィットし、曲の感じも洪子は好きだったので、加入した。

 「The mist」。オリジナルを作り、ライヴハウスでやる。それは単調な繰り返しではなく、進歩のスパイラルだ。

 バンドは上り調子になり、固定客も付き始める。

 なのに、急に霧谷がバンドを辞めると言う。

「どうして? 今いい感じじゃない」

「曲がさ、書けないんだよ。今出しているのも半年以上前のストックで、もうそれと同じくらい書けてない」

「スランプってこと?」

 洪子が眉を顰める。ずっとそんなこと気が付かなかった。

「多分、もうちょっと深刻で、才能の枯渇なんだと思う。書いても書いても、駄作しか生まれない」

 才能の性質は使うものではなく伸ばすものだと思っていたから、やっぱり彼はスランプなのだと思う。

「また書けるよ、きっと」

 霧谷なしではバンドは成り立たない。だから私は待つ。他のメンバーも同じ気持ちだ。

「ごめん」

 そう言い残したその足で、霧谷は自殺した。

 棺桶の窓から見た顔に、「私はそれでも歌う」と告げた。涙はそのときに出し尽くした。

 霧谷なしではバンドは成り立たない。だから私達は解散した。

 また何もなくなってしまった。


 今度は洪子がポスターを出す。

『元「The mist」ヴォーカルです。バンド解散につき、一緒にバンドしてくれる方募集します。条件として、バンドを人生の中心に置く人で、何があっても死なないでバンドを続けるハートのある方限定です。よろしくお願いします』

 こんな書き方をしたら応募なんて来ないかも知れないけど、二回の失敗を繰り返したくはない。

 ところが、即日電話が掛かって来る。

「はい、洪子です」

「『雲雀』のポスター見ました。霧谷さんには悪いのですけど、俺、ずっと洪子さんの歌とやってみたいと思っていたんです。他のメンバーはもう揃ってます。曲調は『The mist』とは違いますけど、きっと洪子さんの声とハートと合うと思うんです。お願い出来ますでしょうか?」

 先のバンドをしていたことが、彼を私に惹き付けている。何もなくなってしまった訳ではなかったんだ。彼の話に乗ることが、霧谷君にさよならを言うことで、歌うことが供養だ。私はそして新しい歌を歌うなら、もう彼のことは思い出さないだろう。

「もちろん、こちらからお願いします」

 スタジオで挨拶をして、早速彼等の音楽を聴く。

 ああ、彼等と出会うために、二回、バンドは解散したんだ。

 間違いない、仲間とついに出会った。

 洪子の頬に涙が伝う。

 ダダン。曲が終わる。

「洪子、いや、もう子じゃないから、今日から洪です。一緒に歌わせて貰えますか?」

 四人のメンバーが顔を順次見合わせる。ギターが代表して問う。

「それは、今の話? それとも、これからの話?」

「これから、ずっとです」

 洪はその涙以上に煌めいている。四人はちょっと相談する。

「ようこそ。俺達のバンドへ」

 洪は一人ひとりと握手をする。

 帰り道、洪はポスターを剥がした。

 バンドは「水の宮」と名乗り、洪は長い髪の一部を青く染め抜いた。

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