特異点(連作「六姫」⑥:洪姫)
真花
第1話
兄貴が家でよくかけてたバンド「Goat」は洪子が自分の意志で彼女らの歌を聴き始めたときには既に解散していた。
「どうして解散してるの?」
「知らないよ。俺は確かに好きだったけど一時期でさ、お前の方がもう完全にファンだよ。自分で調べろよ」
中学三年生の夏休み。帰省した兄貴の応えは、言われてみれば至極当然のものだった。
私の中の何かが、調べてはいけない、と防衛線を張っていたのかも知れない。だって、バンドが解散する理由がハッピーな訳ないじゃない。私は調べる能力を有していたし、パソコンはリビングにあった。条件に足りないのは私の動機だけなのだ。
でも、兄貴に言われて、自縄自縛の呪いが解けたように、そうだ調べよう、と思った。
『「Goat」一年限りの再結成、します』
検索でヒットしたのは想定外の内容、いや、プレゼントに思える。
期間は今年中。何と、東京でライヴをするらしい。ライヴなんてものに行ったことはなかったけど、考えるだけで緊張するけど、行きたい。私は「Goat」のライヴに行きたい。
「兄貴、お金貸して。『Goat』再結成してる。ライヴに行く」
「マジか。俺さ、北海道の大学に今行ってるじゃん」
話聞いてるのか?
「でさ、バイト結構してるんだよね。お前の誕生日のプレゼントも何年も滞ったままだし」
洪子は生唾を飲み込む。
「奢ってやる。そもそも『Goat』ファンになったのも俺の責任もあるし」
「やった。じゃあ、一枚、チケット買って」
「え、俺も一緒じゃないの?」
「好きの度合いが違い過ぎる人とは行きたくない」
兄は苦笑いをこねて、まあ、でも、そうか、と呟く。
「確かに、俺はオールドファンでかつ、もうそこまで愛してはいないかも。お前は現役でバリバリ愛している。うん。この差は埋まらないな。分かった。一人で行っておいで」
我が家には彼女らのバンドのC DとライヴD V Dがある。全盛期の頃とそれよりも少し後の時代を合わせて十年くらいの幅の期間の分だ。私は全部の曲が好きな訳ではないけれども、ライヴ映像を見る限り主要と考えられる曲は歌える。カラオケでも歌うが、同級生は全く知らなくて白い目で見られたことがあって、だから、家か一人でカラオケに行って歌っている。
失恋をしたときは「Goat」を聴き、歌う。
気分が落ち込んだときもそう。
逆に嬉しいときにも聴く。もちろん自然に歌を口ずさむ。
こころに何かがあったときには、「Goat」がいつも必要だった。
彼女の歌がなければ、私は今の私にはなっていない。私の何割かは彼女の歌で出来ている。
どうしで彼女の歌は届くのだろう。
洪子は「Goat」ヴォーカルのケイちゃんの書く歌詞と、彼女の様が一致していることがきっと重要なことなのだろうと思っていた。その結果ひと繋がりのものしてスクリューのように胸に届く。正直歌唱としてはそこまで上手くないのかも知れないが、とにかく届く。
高い技術の届かない歌と、少し妙だけど届く歌なら、後者の方がいいに決まってる。
ライヴはクリスマスイヴ。受験生としてはその辺りでの一日のロスは大きいけど、その日にライヴに行かなかったら人生をロスする。
だから、勉強を頑張る。一日のロスを補って余りあるように。
強烈な引力のあるライヴの予定は糧だ、頑張る。
夕方からの公演で、開場を待ちながら、冷える手をさすりながら会場に集まってくる人を見ると、殆どが年上で若いおじさんおばさんばかりだ。解散した時期、ヒットを飛ばしていた時代を考えると当然なのだけど、心細いような、逆に自分が特別に彼女らを愛しているような。
開場とともに入る。チケットはアリーナのスタンディングで、中央辺りに陣取った。
周りには一人で来ていると思われる人も多数居て、いつもの世界なら絶対にスマホをいじる待ち時間なのに誰もそうせず、それぞれが物思いに耽っている。
みんな、「Goat」のために今ここに居るんだ。
連帯とは違う。だけど、胸がキュンとする。
私がでも一番「Goat」を愛してる。どれだけ過去にライヴに行ったかでも、ファンイベントに参加したかでもない。私の中にどれだけ彼女らが居るかだ。
天井を仰ぐ。高いたかい天井。
この中に彼女等の音が響き渡るんだ。本物のケイちゃんが来る。
胸がドキドキする。
私もDVDの客がやっているように登場で叫ぶのだろうか。
それとも固唾を飲んで見守るのだろうか。
照明が落ちる。
期待を煽るような音楽。
バーン、とステージに光があたる。
「ただいまー!」
ケイちゃんの声。本物の声。本物のケイちゃん。
津波のような歓声。私も気が付けば叫んでいた。
「ケイちゃーん!」
舞台中央のマイクに構えるケイちゃん。歓声は全く鳴り止まない。
「行くよー!?」
クラッシュを叩く音から始まる。
ライヴ。
これがライヴ。
知っている曲なのに、全く違うように聞こえる。
会場のみんなが歌っている。なのに、ケイちゃんの声が届く。
洪子は何度も涙を流しながら、ケイちゃんの声に溺れて、また顔を出しては歌を聴く。
汗。熱い。
飛び跳ねるから。私も歌うから。腕を挙げるから。
ケイちゃんが歌を歌っているから。
一方的に無限大の愛情を、受け取った。
明転はもうアンコールがないことを示していて、それによって会場の熱気は急速に抜けていく。周囲に在った熱狂も、取り戻しつつある落ち着きと共に帰路に、それぞれが元のバラバラの人々になって、就き始める。
もうステージに彼女達は居ないし、戻って来ることもないと分かっているのに、洪子はその場を動かずにじっと空のステージを見詰める。人波が徐々にさざ波になり、ついに会場には洪子一人になった。
空気の素子に付着していたライヴの力もいずれ全て地に落ちて、空間と私だけがある。
でも、この胸にさっき渡されたものは消えない。
決して消えない。
胸をギュッと押さえる。大丈夫、こぼれない。
洪子は遮り干渉して来うるものが全部この場所から居なくなったことを確認して、自らも帰路に就いた。
私はケイちゃんと共に生きて来た。
でも、本物のケイちゃんから発せられるものは、愛情としか言いようのないものだった。
今私はそれでひたひたになっている。
私は、ケイちゃんのようになりたい。ケイちゃんがしたことを出来るようになりたい。
だから私が歌うのは必然だ。
私は歌を歌って生きるんだ。
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