【短編】親殺しのパラドックス

宜野座

親殺しのパラドックス

 21世紀がもはや過去の時代となった頃、ついに時間の壁をも越えられるようになった人類は、様々なパラドックスの検証に乗り出した。

 例えば、親殺しのパラドックス。

 青年Aが過去の世界に行き、自分の両親のどちらかを殺してしまうとする。

 その世界では青年Aは産まれて来なくなるはずだが、そうなると親を殺した青年Aの存在は論理的な矛盾となってしまう。

 このパラドックスに対して、研究者達からは多様な意見が出た。


 過去に行った時点で、そこは青年Aが元居た世界から枝分かれしたパラレルワールドになっており、たとえそこで青年Aの親を殺そうとも、元の世界に影響はなく、青年は矛盾なく存在し続けるという意見。

 あるいは、世界はパラドックスの解決のために矛盾となる存在を消滅させて世界を改変するため、親を殺した時点で青年Aの存在自体が無くなってしまい、人々の記憶からも青年Aに関する記憶は消えてしまうという意見。

 他にも多くの意見が出され、繰り返し議論が交わされたが、実際に時間を越えられるようになったことで、このパラドックスの検証も可能になった。

 親を殺すという、倫理的には大いに問題有りの検証だが、青年A役として岡部おかべという男が凄まじい熱意で名乗りを上げたこともあって、ついにこの検証が秘密裏に行われることとなった。


 巨大なカプセル型の装置に岡部が入り、科学者達がせわしなく機器の調整をする。

 調整が終わるのを待つ間、岡部は父親に対しての憎悪を大きく膨らませ続けていた。幼少の頃から自身を虐待し、母にも手を上げていたクズ男。いつか自らの手で復讐することを胸に誓っていた岡部にとって、今回の話は願ってもいないチャンスだった。

 特殊な形とはいえ、自分の父親を殺すことができるのは間違いない。過去であいつを殺し、もし無事に戻ることができれば、いつかはこちらの世界でもあいつを……。

 そんなことを考えている間に準備が終わり、過去への旅立ちの時が来た。

 政府のお偉方も見ている中で装置が起動する。岡部は静かに瞳を閉じた。そしてほどなくして、彼の耳からあらゆる音が遥か彼方へと遠のいていった。

 

 しばらくして岡部は、ホワイトノイズのような耳鳴りによって世界に音が戻ったのを感じた。そのノイズは数分の内に落ち着き、代わりに波のさざめきが耳に届いてきた。

 ゆっくりと瞳を開ける。岡部はすぐに、自分が海岸の砂浜で仰向けになっていることに気付いた。

 空には雲のかかった満月が浮かんでいて、体を起こした岡部は、ここが目的地の街から少し離れた場所に位置する海岸であることを理解した。

 岡部自身も幾度か訪れたことのある場所で、過去も未来も変わらない潮の匂いが胸の中に懐かしさを去来させたが、岡部はすぐに頭を切り替え、行動に移った。体中の砂をしっかりと払い落としてから、目的地に向かう。


 そして辿り着いた街の様子から、岡部は自分が本当に過去の世界へ来たことを確信した。元居た世界とは景色も、何もかもが違う。

 岡部の時代ではその街は飛躍的に開発が進んでおり、国内でも有数の大都市となっていたが、ここはまだ所々に大きな建物があるだけの地方都市という印象で、道行く人々が手にしているのも、岡部の時代ではもはや昔懐かしの端末と化しているスマートフォン、その最終世代モデルだった。パーソナルデバイスとして長きに渡る隆盛を誇ったというそのスマートフォンを、岡部は興味深げに見つめ、時には不審がられながら、街を歩いた。

 飲食店が建ち並ぶ通りに差し掛かり、岡部は足を止めた。

「あれは……」

 前方に、和気あいあいと語りながらこちらに向かって歩いてくる数人の姿があった。岡部はそそくさと物陰に隠れ、様子を見る。

 間違いない、学生時代の両親とその友人達だ。今夜の飲み場所を検討しているのか、周囲の店舗を行ったり来たりしながら、サイネージや看板に表示されたメニューを指差したりしつつ言葉を交わしている。

 

 ここだ。ここでる。

 

 岡部はコートの胸ポケットに潜ませた消音銃に手をやり、深呼吸した。

 頭の中でイメージ。すれ違いざまに、若き日の父親の頭を撃ち抜く。大丈夫だ、銃の扱いはしっかり訓練した。確実に仕留める。――覚悟しろよ、クソ親父。

 胸ポケットに手を潜ませたまま再び岡部が歩き出す。視線は伏せたまま、しっかりとした足取りで進む。

 もしかしたら、自分は消えるかもしれない。

 親殺しのパラドックスを解消するために、この世界に消されるかもしれない。

 ……それで構わない。この手で、何としても父親を殺す。

 

 ついに集団の傍まで来た。人混みの中でちらりと斜め前方を見やり、父親の姿を視界に捉える。

 岡部は母親と楽しそうに喋っている父親の顔に対して銃口を、銃自体は胸ポケットに入れたままで向けた。

 このままコート越しに弾を撃ち出す。絶対に狙いを外すな。誤って別の人間を殺してしまうことだけは避けなければならない。

 そこからは、全てがスローモーションになったような感覚だった。すれ違いざま、汗ばむ指でトリガーを引き、弾を撃ち出す。その弾丸はコートの繊維を破って一直線に父親へ向けて飛び、そのまま静かに額を貫いた。噴き出す脳漿と血液、陽から陰へと変わる人々の表情。


 ――さあどうなる。俺は消えるのか。それとも、やはり俺がここに来た時点で世界は分岐していて、俺は無事に元の時代へ戻り、更なる復讐へ乗り出すことができるのか――。


 岡部はそのまま歩を止めずに、パニックに陥った人々の群れに紛れた。

 消えない。まだ消えていない。岡部は自分の存在を確認した。

 ……大丈夫だ。この体は、確かにここにある。

 激しく鳴動する心臓と、滝のように流れ出る全身の汗。その全てが、自身の存在を証明していた。

 岡部は踵を返して、現場の様子を見に戻った。

 人だかりの中で、岡部の母親とその友人達が困惑、悲しみ、恐怖に打ち震えていた。

 ――これでいいんだよ、母さん。

 岡部は心でそう呟いた。そして、どうかこの世界では、母親が良い男性と巡り会って、幸せな人生を過ごせますようにと、天に向かって祈った。

 パラドックス解決。さあ、元の世界へ帰ろう。


 ◇


 元の世界へ戻るため所持していたデバイスを何やら操作していた岡部だったが、彼はまだ気付いていなかった。

 父親の額を貫通した弾丸が、その背後に立っていた両親の友人である男にまで届いていたことを。

 即座に絶命した岡部の父親の後を追うこと数分、その友人も失血多量で死亡した。

 「本当の父親」をも殺してしまった岡部は、そのことを知る由もないまま世界から消滅し、彼の存在は全ての人々の記憶から抹消された。

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