何でも屋ユエン

何でも屋ユエン

 か弱い女子、というのはまだ存在するのだろうか。本が隙間なく詰められた大きなケースを運びながら、そんなことを考えていた。昨日読んだ本のせいだろう。昔、ほとんどの人間がナチュラルだったころ、当然男性の方が女性より力があった。男性に重いものを持ってもらう、というきっかけから恋愛に発展する、そういう内容の古典恋愛小説だった。

 そもそも百パーセントナチュラルの人間なんて、今時幼い子供たちぐらいだろう。ほとんどの人間は体に不具合が生じると、人工臓器や機械に代替している。便利さや美しさを求めて進んでそうする人も珍しくない。そして、人口の二割ほどは私の様に百パーセント人工物、アンドロイドだ。誰もが簡単に体を補強できてしまう今、か弱い女子、というのは無理がある。つまり出会いの機会が昔よりも減っている、ということかもしれない。

「ユエンちゃぁんっ、進捗いかがぁ?」

 舌足らずな甘い喋りの古書店主が上で呼んでいる。紙の本が印刷されることが少なくなった現在、書店は激減した。数少ない書店の中でも古書も扱うこの店は人気がある。重要なのは私に仕事を依頼してくれる数少ないお得意様だということだ。今日は大量に仕入れた本の運搬と収納の依頼だ。最後の本をストック棚に納めて叫び返した。

「ペイパさぁん、今終わりましたぁ」

 空調をチェックして一階に上がる。古書の中にはかなり古く傷みやすい物もあるので、空調管理はかかせない。

「湿度も温度も調整してあります」

「さすがユエンちゃん、気が利くぅ。なんでも屋辞めてうちで働けばいいのに。古書の知識としてユエンちゃんの長い稼働年数を存分に生かせるし、毎月の生活費気にしなくて済むようになるよ?」

 小柄なペイパさんは珊瑚色のポニーテイルを揺らし、表情豊かに私を説得してくる。

「初期タイプなのに綺麗なフォルムだしぃ、接客もばっちりだしぃ」

 たしかに初期のアンドロイドはごつごつと直線的なデザインが多い。私が創造された当初、それまで作れなかった人間と大差ない曲線的で柔らかい体のラインや動きは話題を集めた。試作品ということもあり世界に五体しか存在しない同タイプ達は今どこで何をしているのだろう。残念ながら量産には至らず、私が稼働して十年ほどで研究所自体なくなってしまった。

 それから三百五十六年経つが、もう私が街を歩いていても目立たなくなった。これぐらいは当たり前の技術なのだ。悔しいのはそんなことではなく、数百年稼働し続けてきたのに恋人がいたためしがないこと。

 博士の声を思い出す。

「君は感情を学べるんだ。つまり君は恋や愛が何かを理解できる」

 博士は優しく私の頭を撫でてそう言っていた。アンドロイドはそれなりに個性があるが、感情を育むわけではない。もともとのプログラムから個体ごとの環境に応じて発展させていくだけで、リセットされてもほぼ同じ環境なら同じような個性に育つ。でも私は違う。違うはずなのだが、未だに恋愛というものが理解できない。研究所での十年間、父親の様に優しく色々なことを教えてくれた博士に申し訳ないと思っている。

「カッコいい女性が増えたら嬉しいしぃ。ここ半年ずっと生活苦しいんでしょ」

「そうなんですけどね。まぁもう少し続けてみます」

 お給料が安いせいか慢性的に人手不足なのと、私が心配なので、毎月二回以上は私を使ってくれている。そして毎回私をスカウトしてくれるのだ。でも色々なところに出向き、色々な人と出会える何でも屋が私には向いていると思う。

「今日もスカウト失敗?」

 ペイパさんの後ろから山鳩色の髪の背の高い人間が出てきた。ペイパさんの伴侶のリンドさんは女性でも男性でもない。ペイパさんとは正反対でどんな時も落ち着いている。良い具合に凸凹がはまり合っている素敵な組み合わせだ。

「こんな逸材がうちのスタッフになってくれたら、売り上げあがるのに」

 リンドさんは心底残念そうにため息をついて、右腕を差し出してきた。今日の報酬をいただくべく、私は手のひらをリンドさんの指輪にかざした。視界に浮かぶ金融取引を進めて受領する。

「そういえばボンちゃんが猫、探してなかったぁ?」

 ペイパさんがリンドさんを見上げて唐突にそう言った。

「確かにボンドさんそんなこと言ってた。居なくなって二日だっけ?」

「ユエンちゃんにお仕事紹介できるかもっ」

「是非っ」

 思わず食い気味で返事をしてしまった。今月は特に依頼が少なく、このままだと月末の支払いが厳しい。私が骨董品なみの初期タイプであることが広まったのだろうか。でも常に最新のパーツや機能を取り入れているから引けを取らないはずなのに、依頼が激減している。

「今月もかつかつなの?」

 心配そうに私を見る二人に微笑み返した。二人はまるで家族の様に心配してくれる。

「なんだかんだやりくりしてくんで大丈夫です」

「とにかく私がボンちゃんにユエンちゃん紹介してみるっ」

 珊瑚色のボニーテールが嬉しそうに揺れる。私は微笑んだまま、頭を下げた。


 事務所兼自宅に帰る道中、早速ペイパさんから連絡が入った。ボンドさんのメッセージの転送で、一日一万ゼニで一週間雇いたいということだった。個人のなんでも屋には破格の金額だ。しかも経費まで別途支払うという。破格すぎて怪しいが払ってもらえるならいただくまでだ。すぐに依頼を受けると返信した。

 不謹慎ながら、期間いっぱい猫が見つからなけりゃいいのに、と思う。そうなれば今月はお金の心配をしなくて済む。


 翌日、早速仕事に取り掛かった。ボンドさんなる依頼主は、一日六時間以上捜索に費やすこと、その証拠としてリアルタイムの行動ログの開示を条件に入れてきた。ログを見られるのは体を覗かれているようで好きではないが、仕事用に設けたログへのアクセスコードを送信した。昨夜のうちに私自身のセキュリティレベルを再構築して最大限に上げておいたし、送ったアクセスコードは、プライベートではリンクをオフにできて、私の思考や五感には向こうからアクセスできないように設定してある。早速ボンドさんがログにアクセスしたのを感じたが、いじってくるような動きもないのでほっとした。

 昨夜のうちに長年の経験で取得してきたあらゆる手段で、データベースの中をさ迷い歩き、依頼主のことを調べた。一人でやっていく為には身の安全と賃金は自分で確保するしかない。非公開な場所にも忍び込んで徹底的に調べた結果、怪しい、その一言に尽きる人物だった。最低限の個人情報以外の痕跡がネット上に存在しなかった。カード使用歴や現住所などの情報がない。いくつかの免許を取得しているようだが、職歴も見当たらない。これだけ怪しければ、普段は仕事を断っている。でもペイパさんの手前、依頼を断りにくい。何よりお金も欲しい。

 一日六時間を超えた時点で日当を振り込んでくれるらしいので、初日の様子を見てから判断することにしよう。そんなわけで私はすぐに猫探しに取り掛かった。


 依頼の猫は、とても特徴的だ。送られてきたホログラムを見ると私の髪と同じ砂色で毛足が長い。手入れのしやすさ重視で刈り上げている私の髪より確実に長い。しっぽはふわふわで人間の太もも位の太さ、大人の腕ぐらいの長さ。足は妙に短い。耳は大きめで鹿を思わせる形。複数の動物の掛け合わせかペットロイドか。ボンドさんに猫の詳細を問い合わせたが、返答はない。どういうセンスか猫の名前が十二文字の英数字だ。呼びにくいので毛色にちなんでサンド、と呼ぶことにする。

サンドがいなくなったのは遊んでいた街外れの広い公園からだという。動物を放して遊べるエリアで、なだらかな丘の様に起伏がある場所で見失ったらしい。早速公園で聞き込みをしてみると多くの人が目撃していた。

 目撃した人の中に、サンドに威嚇された子がいた。母親によると、サンドは普通の猫の倍ぐらいの大きさに膨れあがって牙をむいたらしい。ただの猫ではないことは確定だ。

「最初は仲よくしてくれてたのに、急に怒っちゃって」

 五歳ぐらいの少年はしょんぼりとそう言って、母親の足に抱きついた。

「ぼく怖くって目を閉じちゃって。そしたら逃げちゃった」

 少年が申し訳なさそうに呟いて、母親を見上げた。母親の方は作り物とわかる金色の目をあさっての方向に向けて考え込みながら口を開いた。

「危ないと思って、私が猫に怒鳴っちゃって。男の人のほうに走っていったので、飼い主だろうと思ってましたけど」

「どんな人か覚えていますか」

「華奢で、明るい水色っぽい髪の男の人だったと思います」

 ペイパさんに聞いたボンドさん像に一致するが、できれば映像を確認したい。機械の目を持っているなら、アクセスできる。母親が快く映像を共有してくれたが、終始息子にピントが合っていて、肝心の猫と人間の様子はよく見えない。映像を処理してみたが、日常最低限スペックの眼球で、特徴が分かるほど鮮明にはできなかった。

「ご協力有難うございました」

 私が諦めてそう言うと、少年は母親の足を離れて私を見上げた。

「お姉さん、猫さんと飼い主さんにごめんなさいって伝えてくれる?」

 少年が眉を寄せて、真剣な目で私を見つめている。私は自分の目を指さしてうなずいた。

「今伝えたから、大丈夫だよ」

 行動ログを通して見ているのは分かっているが、念のため視覚映像をボンドさんに送信した。案の定何の反応も見せない。

 サンドが駆け寄ったという場所で痕跡を探してみた。だが人の出入りの多い場所で、人間の方も猫の方も足跡は見分けられなかった。いくつか感知した匂いも手掛かりになりそうにない。人も動物も多い場所で、私の嗅覚レベルでは役に立たなそうだ。

 周辺にあった監視カメラの中でシステムの緩いものに片っ端から侵入して探したところサンドを見つけることができたが、公園を出て五十メートルも行かない所で死角の建物の隙間に入ってしまい見失った。そこから半径百メートルのカメラをチェックしたが見つけることができなかった。

 口座を見ると、一万ゼニと公園までの交通費が振り込まれていた。仕事続行だ。

 そのあと家に帰り四時間ほど、無断でこっそり手に入れた監視カメラ映像を細かくチェックした。ガラスの映り込みなども確認して発見したのは、盗撮とスリ。さらに二匹の犬に詳しくなったが肝心のサンドは見つけられなかった。悪者二人を通報して、今日の仕事は終わりにする。まだ一日目だし、仕方ない。

 翌日、探し始めてすぐ嫌な予感がし始めた。簡単に見つかると思っていたのに、手がかりが途絶えてしまった。監視カメラの死角になっていた通りにくまなく足を運び聞き込みをしたが、何の情報も得られなかった。痕跡も見つけられない。依頼主同様、サンドも煙のようだった。特徴的なサンドを見て、たった三日で忘れてしまうなんてことは考えにくい。目撃されていないのなら、例えば怪我をしてどこかに隠れているかもしれない。隠れ場所が多そうなところを再確認したが、野良の動物の痕跡自体がなかった。

 私の共有している行動ログで、なんの手がかりも見つけていないと分かっているだろうに、ボンドさんは六時間経った時点で無言で報酬を振り込んでくれた。何も言わないのはまだ二日目だからかもしれない。

 私は公園から半径五キロ圏内の知人全員に、サンドを見かけたら連絡がほしいと伝えた。快諾してくれたが、探し回ってくれるわけではない。それでも賭けてみるしかなかった。情けないがこれぐらいしかできることがなかった。

 行動パターンの予測も立てたかったが、そもそも猫ではないのだから、参考にするデータがない。あったとしても予測を立てるためのサンドの情報がなかった。

 三日目と四日目も聞き込みに費やしたが収穫がなかった。ボンドさんはどれぐらいサンドの帰還を願っているのだろう。振り込まれた報酬を確認しながら、失敗した場合のことが頭をよぎる。一週間経って見つからないと報告するよりは、途中で仕事を降りるべきだろうか。七日分の報酬は惜しいが、このまま手掛かりすら見つからなかったらと思うと、今すぐ辞退して代わりに追跡専門の人間を紹介したほう良い気がする。


 五日目、ついに目撃情報が入った。二日目に声をかけた知人の取引先の人が公園から十五キロ離れたオフィス街で、サンドのような動物を見たらしい。連絡をもらってすぐにその場所へ向かった。

 目撃情報のあった場所は、オフィスや研究所の多い高級感の漂う地域にあった。おしゃれなカフェやワークスペースが多く、人の往来も少なくない。冷たい印象の四角いビルが並んでいるかと思うと、急に奇抜なデザインの建物に出くわす。行きかう人々は、最先端の機能を持つ端末を埋め込まずにあえて見せびらかすように体から突き出させている人もいれば、ナチュラル百%に見えるほど自然なフォルムと肌の人もいる。ほとんどの人が最先端の機能を兼ね揃えていると考えて間違いない。

 私は髪を二・八できっちり分けて撫でつけた。服もこの街に合いそうな落ち着いた色味の服を選んできたので、溶け込めるはずだ。

 目撃した本人とは直接会うことは叶わなかったが、サンドにはこれと言って変わった所はなかったという。一匹で気ままに日向ぼっこを楽しんでいたらしい。

 教えてもらった場所は聞いたことのない研究所の敷地内だった。白い粘土のようなマットな質感のタワービルの周りを青く澄んだ池と緑の芝生が囲んでいて、ベンチも配置されている。ビルの正面には灰色を帯びた白い橋がゆるやかな弧を描いてかかっている。一見欄干がないように見えるが、光の加減で高さ一メートルぐらいの無色透明な欄干が見てとれる。目撃者はこの研究所に仕事で訪れた時にサンドを見かけたらしい。

 敷地内のビル以外は一般開放されていて、人々がくつろいでいる。ビル自体は高度で最新のセキュリティで守られていて、何か特殊な研究機関なのかもしれない。今の私には関係ないことだ。サンドさえ見つかればそれでいい。

 五日目ともなると、行動ログを監視しているのに何のコメントもなく、成果もないのに高額の報酬を振り込まれるのが気持ち悪かった。ただ静かに行動ログにずっとアクセスされるのはストーキングされているような気分だ。アクセスコードを渡したのは私だし、仕事の様子を見たいという依頼主も、ボンドさんが初めてではない。仕事が捗らないことに対して、私が後ろめたさを感じているからだろう。今も見えないボンドさんの視線を体中に感じている。

 なんとか気持ちを切り替え、歩き回って聞き込み、監視カメラなどを探った。一見カメラなどなさそうだが、虹彩レンズを切り替えて周囲をセンサーで見渡すとカメラや集音マイクが複数見つかった。こんなに警戒するぐらいなら、開放しなければいいのに。折角見つけたものの、システムへの侵入は難しそうだ。家でいくつかのマシンをつなげばできないことはないが、少なくとも体一つで侵入は無理だろう。映像を探すなら、行きかう人たちの体か持ち物に侵入して内蔵カメラを見るしかないが、他人のプライベートを侵すようなことはしたくない。聞き込みも空振りに終わった。

 植えられている木はまばらだし、小川の様に水路が張り巡らされているから視界を遮るもの自体が少ない。隠れられそうな茂みはもちろん、餌になりそうなものもない。

 無性に叫び声をあげたくなった。このどうにもならない依頼への苛立ちを発散したかった。もう二度とペット探しの仕事は受けない。絶対。

 いっそこの研究所に入っていって、監視カメラ映像を見せてくれないか、もしくはサンドが映っていないか確認してくれないか、直接聞いてみようか。やましいことなど何もないのにこちらを威圧する、最新鋭のごついアンドロイドの警備員に聞いてみてもいい。そうやって威圧した相手にサンドはいなかったか。

 何か行動しなければ、その焦りに動かされて案もなくビルに続く橋を渡り始めた。その時、弾丸が空気を切り裂くような音がした。とっさに腰をかがめて見渡すと、橋の右側、池の中に馬鹿でかい砂色の毛玉のようなものが突然姿を現して、身を震わせている。間違いない。サンドだ。

 私はすぐに透明な欄干に足をかけて飛び降りようとしたが、それよりも早くサンドが私を見つけて跳びかかってきた。なぜまだ何もしていない私に跳びかかってくるんだろう。考える間もなく、サンドに押し倒される。

 明らかにサンドは私を敵とみなしている。完全に抑え込まれる前にサンドの左頬を全力で殴りつけて体の上から払い落とし、後ろに飛びのいた。

 サンドは空中で身をよじり、着地すると私に向かって低い体勢で構えた。体は馬ぐらいの大きさになっている。お互い無傷では済まないかもしれない。

 大けがを負わせないうちに確保できるだろうか。素早く周囲を確認した。両側の透明な欄干は丈夫そうだ。軽く叩きつけるだけでも、結構な衝撃が与えられるかもしれない。ふとさっきまでのんびりしていた人たちが一人もいないことに気がついた。避難したのだろうか。悲鳴すら聞いていない気がするのは、私がパニックだからか。

 周りに気をとられた一瞬をついて、サンドがうなり声をあげて突進してくる。私がもう一度殴り飛ばそうと腰を落とすと、サンドは一メートル手前で止まり素早く太く長いしっぽを鞭のように打ちつけてくる。私は咄嗟に左斜め後ろに飛び去った。ただの猫探しだったから武器は何も持っていない。思わず舌打ちしてしまった。

 サンドがしっぽを振りきった直後、一気にサンドに駆け寄る。サンドが体勢を立て直そうと前足を持ち上げた。その瞬間に、私はその胸元に下から思いきり体当たりする。グレイが後ろに倒れかけたので、首元に左ひじを叩きつけて、仰向けに押し倒した。激しく前足を動かして私をひっかいてくる。柔らかい人工皮膚は引き裂かれて、その下の筋組織も多少傷ついたが、致命的ではない。大きな体で激しくのたうつのを抑えこむため、左腕に体重をかけた。息苦しさからサンドの動きが鈍ったところで、右手で腰のポーチから捕獲用のロープを引っ張り出す。

「自由を謳歌してたとこ悪いけど、家に帰る時間だよ」

 サンドの黄金色の目をのぞき込むと、その目には私の言葉を理解したような知性の光が浮かんでいた。何が猫だ。言葉を理解できて、こんな攻撃力がある猫なんていやしない。ロープをかけようとした瞬間に研究所の正面ドアから青磁色の髪の細身の男性が出てきた。

「ユエンさん、有難うございました」

 男性にしては少し高めの声が、静まり返った敷地に響いた。その声を聴いて、サンドは仰向けのまま男を見上げたあと、体をぶるりと震わせ猫サイズになった。私がそっと腕をどかすと、サンドも私を警戒したままそっと体を起こした。

「君は逃げ出してなんかいないんだね」

 私がサンドの目をのぞき込んで話しかけると、サンドは明らかに私の言葉にうなずいた。その場で美しく姿勢を伸ばして座り直し、優雅に長いしっぽを揺らしている。

 改めて周りを見るとやはり誰もいない。この短時間に混乱なく完璧に避難するなんて不可能だ。仕組まれていたとしか思えない。

「あなたがボンドさん」

「ええ、そうです」

 彼がゆっくりと近づいてくる。ふと吹いてきた風の匂いを嗅いではっとした。この懐かしい匂い。間違えようのない、博士の匂い。

「あなたは一体」

 沢山のことを教えてくれた私の父。いつも優しく私の頭を撫でてくれた乾いた手。匂いに紐づいて記憶が一気にあふれ出す。私が固まって動けずにいると、彼はどんどん近づいてきて、私から三十センチほどしか離れていない場所に立った。

 日に透ける青磁色の髪。緑がかった鉄色の瞳。白い肌にそばかす。初対面なのに何故か知っているような、奇妙な感じがした。

「僕はあなたを創った博士の直系の子孫です。ずっとあなたを探していました」

 彼はまぶしい物でも見るように目を細めて言うと、緊張した面持ちながら微笑んだ。

「資料映像の通りだ。なんて綺麗なんだろう」

 私に意識がないとでも思っているのだろうか。無機物に対するように呟いて、嬉しそうに微笑んでいる。彼の右腕が手を伸ばしかけてぴくりと動いた。ただの機械に言っているような響きは失礼すぎるが、彼の言葉が嫌ではなかった。その腕を伸ばして触れくれても良いのに、とすら思った。


 その後ボンドさんはビルの中に私を招き入れ、嘘の依頼を詫びて説明してくれた。

「僕が小さいときにうちのデータベースの封印を破ってあなたたちを見つけたんです。あなたたちは世間から忘れ去られていた。あなたたちが博士と過ごして少しずつ感情を覚えていく映像記録やデータを見たました。あなたは本当に美しかったし、初めて柔らかく微笑んだ日の記録は強く僕を惹きつけた。どうしても会いたいと思いました」

博士の研究所が閉鎖した後、私たちは表向き破棄されたことにされ、秘密裏に信頼できる人に別々に譲渡された。博士はデータベースに残っていた私たちに関する情報全てを封印したらしい。その後の長い年月の中でアンドロイドにある程度の市民権などが認められ、生活が自由になったことで私たちの痕跡は途絶えてしまった。私たちが量産されず研究所が閉鎖になったのは、人間のように感情を育んでいく私たちは人間と人工物の境界を侵すと、強い批判の対象になったかららしかった。当時はまだ稼働十年で世論のことはよく理解できなかった。もしかしたら意図的に博士が私たちに隠したのかもしれない。業界トップにいた博士の一族や研究にかかわった人はおぞましいものを作りだしたと糾弾され、落ちぶれていったそうだ。

それから彼は私たちを見つけ出すための資金や人脈を作るため、研究所を立ち上げてのし上がってきたのだそうだ。

「博士の件があるし、僕は幼少期から頭が良かったこともあって、結局すぐにマークされて今じゃ政府監視下だけど、同時に政府御用達でもあるんだ」

 彼はすりよってきたグレイを抱え上げて、顎の下をかいてあげている。

「それから見つかった少ない情報を寄せ集めて、やっと一人見つけたんだけど優秀なはずのその人が生活ギリギリのなんでも屋をしているなんて信じられなかった。だからちょっと試してみようと思って、古書店に近づいて僕の創った被検動物の一匹に一役買ってもらったわけです」

 彼は上目遣いで私の様子を窺っている。私が怒ると思っているのだろう。何世代も経っているのに、目元にわずかに博士の面影が見て取れた。

「あ、それと僕の依頼を確実に受けてほしかったから、今月の依頼をいくつか潰して。それからあの目撃証言も嘘であれも僕が」

 思わず手を振ってボンドさんの話を遮ってしまった。

「成功報酬と私の腕の修理代を二倍請求します」



 閉店後の古書店でペイパさんとリンドさんと三人で珈琲片手に寛いでいた。

「大変だったねぇ、それはぁ」

「大変というか、騙されたことが悔しくて」

「しかし本当になんでもできるんだね。やっつけるとか」

「まぁ長く生きているもので」

 先日のボンドの依頼を話しながら、香ばしく贅沢な香りを吸い込む。珈琲はどんなに上等な機械より、リンドさんのハンドドリップの方が美味しい。

「それで、その後もボンちゃんと連絡取り合ってるんだってぇ?」

 ペイパさんは期待したような顔で私を見つめてくる。ペイパさんのことは好きだがなんでも恋愛話に持っていくところはいただけない。私は珈琲に視線を落とした。

「ボンドさん、ユエンさんがつれないってこぼしてました」

 珍しくリンドさんまでそんなことを言う。私は二人を軽く睨みながら珈琲をすすった。

「二人が期待しているような関係じゃ」

「お茶ぐらい誘いに乗ってあげたらぁ?」

 入り口のベルが鳴った。一斉に振り向くと姿を現したのは噂のその人だった。足元には今や見慣れたグレイがいる。あれから毎日のようにご主人様とともに私に会いに来るのですっかり仲良しになった。グレイはお店に入ってくるなり私の足元に駆け寄って体を擦り付けてから、膝の上に飛び乗ってきた。

「リンドさんからお茶してるって聞いて来ちゃいました。僕も一杯良いですか?」

 私がリンドさんを睨むと、彼は逃げるように珈琲を注ぎに行った。

 確かにボンドに対して、私は今までに感じたことのない不思議な感情を抱いている。でもそれが何なのか知るのが怖くて、最近は彼を避けていた。

「それで、ついにユエンが僕とお茶をしてくれるって話かな」

「まったく違う」

 私が即座にそう言い返したのを、ペイパさんがにやにやと見ている。

「ユエンは素直じゃないよね。そういうところも気に入っているけど」

 ボンドがおかしそうに笑いながらそう言って、軽く私を抱きしめてから椅子に座った。

 これは私の懐事情以上に厄介かもしれない。

 みんなの会話が進む中、私は眉間にしわを寄せたまましばらく考え込んでいた。

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何でも屋ユエン @akira06

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