雪が降らないから

@miyakokokoro

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 暖かい。

 何処にも焦点のあっていない視界を空へ向けた。遠く続く曇天、鼠色の重い空気が子ども達のはしゃいだ声が響く公園の上を恨めしそうに這っていた。公園の木々は葉を落とし大人たちは分厚いコートに肩をすくめて寒々しく見えるが、私は寒さなど感じなかった。

 師走に入り、急に風は冷たくなったがただそれだけだ。時折冷たく乾いた風が吹き抜けるだけ。

「寒いね。」

 その証拠に、掛けられた言葉の意味がわからず反応が遅れる。その声に振り向き、言葉を返そうとするが何も出ず空いた口のまま戸惑いながら頷いた。その戸惑いには気が付かず、その年の離れた恋人は私の全身を見回した。

「相変わらずすごい寒そうな格好してない?足なんか丸出しだよ。もう12月も終わりなのに。」

「いいのよ、もう制服なんかあと数ヶ月しか着ないんだから。自分が可愛いと思った様に着るの。」

 あどけない話し方で彼の半歩前でクルリ、と一周回りながら私は返す。膝丈のスカートがふわりと弾んだ。このあどけない幼さを感じさせる話し方が彼は好きなのだ。父性本能を擽るのだろうか、

「LJK ってやっぱり強いね〜。まあ、所詮今だけだよね。」

 自分の35歳の大人の余裕を見せられるのが心地良いのか。鼻をフンを鳴らしながらも満更でもない様子で私の手を掴み、ポケットへ入れた。

「手は冷たいのに、無理しちゃってさ。」

「そんなこと言って、私が制服着られなくなったら寂しいでしょ。」

「うん、すごーく寂しいな。卒業してもお願いしたら着てくれるかな。」

 子供連れで賑わっていた公園はとうに抜け、高い塀の前で彼は意味有りげにニヤリと笑った。

「遼一さんにならいつでも見せてあげるよ。」

 すると、彼は満足気に前を向いた。前を向く彼の顔を私は今まで感じたことのない冷たい気持ちで見ていた。

 私よりも8歳年上の彼は、飲食店のバイト先で出会った。東京駅にあるビルの一角のイタリアンレストランで働き始めた私が初めてお料理、ワインについて教わったのが彼、弓削遼一。第一印象から彼は良かった。大人らしく落ち着いた雰囲気であり、英国紳士のように徹底してレディファストだったのだ。扉を開けて、まず私を先に入れてくれ、飲み物や食事も私達女の子から先に配ってくれる。

 さらに一緒に出かけるようになって驚いたのは、エスカレーター、エレベーターも私を先に乗せてくれ降りるときはそっと手を添えてくれる事だった。私のような高校生まで同等に扱ってもらい、すっかり今まで出会ったことのない彼の大人な部分に惹かれた。

 彼は私が自分のことを慕っていることを分かっていたのか、一年前初めて参加したアルバイト先での忘年会で皆と終電に向かって歩く雑踏の中、後ろを遅れて二人歩いた。冷たい空気に冷えた手を彼が握ってくれたのだった。

 その時の気持ちは今までの恋人に抱いたものとは違うような気がした。


「瑠美ちゃん、クリスマスは予備校だったよね?その後何か予定ある?」

「うーん、特に何も無かったかな。行きたくないなあ、予備校。」

 高校三年生、れっきとした受験生の私は実はこうして二人で手を繋いで歩くことも約1ヶ月ぶりなのだった。センター試験も目前に迫り、予備校内の皆はピリピリしている。もちろん、わたしも昨日の模試の出来に手応えがなく焦っている気持ちがあった。

「遊べないことが辛い気持ちは分かるよ。でも今だけ頑張れば、その分いい将来が送れるんじゃないかな。」

 私は無意識のうちに心の中で舌打ちをしていた。彼は年上の大人な男性なだけあって、勉学を第一に考えたお付き合いだった。しかし分かっていることを言われる程苛立ってしまう。

 あれほど憧れた大人の男性。これから先、何があっても理解してくれると思っていたその安心材料は、最近私の中で少しずつ要らない色が混ざり合い始めていた。きっと勉強疲れと模試のストレスだろう、そう思い込ませて無表情を繕う。大丈夫、彼は私の気持ちに気が付いていない。

「クリスマスはさ、予備校頑張ったら一緒にケーキを食べようよ。パティスリーササノのいちごタルトはどう?」

 暗い気持ちはパッといちご色へ変わった。何度もテレビやSNSで見た、あのキラキラと輝くいちごタルトが頭の中でクリスマスソングと共に踊っている。

 パティスリーササノはフルーツ本来の味を存分に引き出した大人のケーキ屋さんだ。店内もとてもお洒落で一見するとさながらバーのような雰囲気で映えるお店と評判が良い。が、高校生なんてとてもじゃないけど、友達同士では入れないと有名なのだ。

「本当!?お店でたべる?!」

 身を乗り出して興奮していると、彼は子供をたしなめるような口調で言った。

「勉強、頑張っているもんね。うんとお洒落しておいで。こんなお洒落なお店、瑠美ちゃんしか行けないんじゃない?」

「やったー!嬉しい!ありがとう!」

 クリスマスソングといちごタルトの流れる脳内の一部にまた怪し気な影があった気がしたけれど、そのケーキの味を考えるだけでその影はほんの一部だと思っていた。


「さすが!弓削さんだね!大人だな〜。瑠美ちゃんが羨ましいよ。」

 下の方で結んだ2つ結きを背の方に払いながら、予備校の友人の山下絵梨花は言った。学校は違うものの、お互いに志望校がいくつか被り情報交換や過去問の答案の教え合いを良くするようになった。絵梨花はふっくらした頬をさらに膨らませてコンビニのサラダパスタを頬張る。

「でも予備校にそんなお洒落していけないし、まず予備校がある時点でもう鬱だよ。」

「本当それだよね。なんでクリスマスの日に模試の答え合わせなんだろう。フリーの先生たちの陰謀だよね、絶対。」

「そうそう!荻ちゃんとか絶対首謀者だと思う!」

 二人で声をあげて笑った。周りの予備校生の視線が少し集まったが、もうみんな顔見知りだからか何事もなかったかのような素振りだ。

「あ、優愛お疲れ!一緒に食べようよ!」

 絵梨花が私の後ろに視線を送って1つ席をずれた。振り返ると金城優愛が立っていた。バサリとオシャレ感も何もなく切られたボブヘア。化粧気もなく、色白で血色も良くないがその切れ長の目はキチンと整えれば恐ろしく綺麗な人であることがわかる。

「ありがとう。瑠美、一緒にいいかな?」

「もちろん、一緒に食べよう。お疲れ様。」

 優愛と絵梨花は同じ高校だったので、わたしも絵梨花と仲良くなるの従って優愛との距離も近くなった。一見近寄りがたい雰囲気だが、もちろん普通の女子高生だ。ストンと私と絵梨花の間に座った優愛はお弁当箱を広げ始める。

「クリスマスまで予備校無理なんだけど。」

「いまその話してたの!絶対荻ちゃんたちの陰謀だよねって!」

「荻ちゃん?ああ、萩原先生のこと?あの人奥さんいるでしょ。」

「そうなの?」

「知らなかった!」

 絵梨花と私が立ち上がらんばかりに驚くので、優愛は目を丸くして人差し指を口に当てた。そして眉間にシワを寄せて静かに、と制した。

 思わず、受付にいる萩原先生を見た。長い前髪にセットされていない短髪。スーツを着ていても分かる、細すぎる足。年齢は40代くらいだが何より表情がない。ポーカーフェイスという言葉は彼のためにあるようなものだった。

「だっていなさそうなのに。信じられないよ。」

 まだ興奮してい絵梨花を無視して私に訊ねる。

「それより瑠美、彼氏はクリスマス良いの?」

「うん、終わってから合う予定。」

「終わったらご褒美にパティスリーササノのケーキ食べさせてくれるんだって!羨まし過ぎる!」

 悶えるような仕草をした絵梨花の手前で優愛は私の顔をじっと見た。色白な透き通るような肌色に何故か緊張してしまう。

「それって嬉しいの?」

「え?」

 意味が分からず私は優愛の顔色と表情を伺った。

「嬉しいよね!だってあんなお洒落なお店、高校生だけじゃいけないもん!大学生でも無理かも。年上彼氏の特権だよ〜。」

「特権?ああいうお店は自分で自立して稼いだ人が行くお店だと思ってた。」

 絵梨花がニコニコ答えるが優愛の返答に笑顔が固まる。

「高いケーキ食べさせてもらって、写真撮ってそれでそのケーキの価値は何が残るの?美味しかったってだけ?羨望の数?それだけなら、あんなに高い必要無いと思うけどな。」

 早口に私に向かって言うと優愛はお弁当箱に向かって頂きます、と手を合わせた。私は未だに優愛が何を言っているのか分からず、表情を見ていた。当の優愛は表情1つ変えず、冷凍の星型ポテトを口へ入れ直ぐ次のポテトを箸に挟んでいた。その奥の絵梨花は首を振りながら私に苦笑いを投げてくる。

「も、もう、優愛はそうゆう哲学みたいこと言うところあるよね!ちょっと私にはわからないな〜、兎に角ケーキは羨ましいよ。」

 いいな〜と続けながら、絵梨花はまた栗鼠のようにパスタを頬張った。わたしも整然としない気持ちのままコンビニのおにぎりを齧る。パリパリの海苔が白いテーブルに細かく落ちた。

「それより、今日わたし英単語めっちゃやったんだけど。これ見てよ!」

「これ、やったとゆうか作っただね。」

 絵梨花はサラダパスタの横の単語記憶カードの山を見せながら誇らしげに言うが、優愛に図星を刺されて二回目の苦笑いをした。

 そんな二人のやり取りを聞きつつも、私はテーブルに落ちた細かい海苔を集めながら優愛の言葉の意味を考えていた。嬉しくない訳がない。美味しい物をしかも大好きな人から贈られるのだ。嬉しいに決まっている、ただ、優愛の問いかけに何故反論できなかったのか。集めても集めても取りきれない海苔を必死に纏めながら彼の顔を思い出した。その顔は、あの鼻を鳴らした彼の顔だった。

「瑠美は単語覚えきれた?」

 優愛の言葉に彼の顔が頭の中から消えた。優愛は悪びれた様子もなくいつもと同じように私に話しかけた。


 クリスマスイブの日、予備校を早く出た。いつもなら学校帰りから23時まではいるのだが、今日は祖父母が家へ遊びに来ているので20時には予備校から帰っていた。街中はクリスマスの装飾で賑やかだった。明日着ていく服を考えながら私は駅へと向かう。

 ああ、やっぱり今年は暖かいな。全然寒くない。信号待ちの間に風が吹いたが何も感じなかった。と、信号待ちの右側横断歩道からネイビーのブレザーに赤のリボン、赤と紺のチェック柄の見慣れた制服姿が走ってきた。絵梨花と同じ制服だ。

 何気なく視線を向けると優愛だった。そういえば、今日は休んでいた。優愛は私に気づくことなく前を走り去る。目で追いかけるとそこには細身の男性の姿があって、優愛はその男性のもとへ駆けていき何か親しげに話をしている。心臓がドキンと鳴る。彼氏?いや、違う。あれは、萩原先生だった。

 私からは離れた位置で信号待ちをしている。このままでは、私がいることがバレてしまう。咄嗟に少しずつ後ろに下がり優愛達の視界に入らないところへ移動した。何か授業の相談かな、それなら予備校がやっているのに何故ふたりで?じゃあ、もしかして。その気持ちが大きくなり青信号になっても、その二人のことを追い抜かせなかった。否、追い抜かさなかった。気付かないうちに尾行していた。

 二人は手を繋ぐでもなく、不必要に距離が近いわけでもなく絶妙な距離感で歩いていた。しかし、二人はネオンの輝くホテル街へと入った。優愛は制服姿だったが、臆することもなく初めてではない様子でサッサと進む。何故か優等生の制服がネオンにとても、似合っていた。とゆうより、ネオンも制服のカラーの一部にしてしまったような背中に見えたのだ。コソコソしている様子は全くなく、堂々入場、そんな姿だった。

「萩原先生、奥さんいるよ」

 優愛の言葉が木霊する。知っているのに、何故こんなことを。絶対に誰にも知られたらいけない事を知ってしまったと、私は手に汗をかいていた。こんな展開はドラマやフィクションの物だけだと思っていたが、掌の汗だけが嫌にリアルだった。

 そして二人が入っていったネオンは、私には眩しすぎて見ていられず掌に事実を握って自宅へと急いだ。





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