第5話
岸田の手を握ったまま夜の町を歩く。もう既に日付は跨いでいて、馬鹿共もすっかり寝静まっていた。恐らくうちの馬鹿も深酒でいびきをかいて寝ているはずだ。そうでないと困る。今からだんじり小屋の鍵を拝借しに行くのだから。
決行を今日にしようと言い出したのは私の方だった。そうしないと決意が緩んでしまう気がしたから。私の中にある当事者意識は、時間の経過と共に薄れていく確信があった。そうやって今まで色んなことを諦めて来ていたから。
「ねえ岸田、だんじりを燃やしたらどうなると思う?」
私の問いかけに岸田はあくまでも冷静に答える。
「まあ、色んな人が悲しむだろうな」
「どうしてそんな後ろ髪引かれるようなことを言うの……」
「逆だろ寧ろ。だからこそ清々するってもんだろ」
「あんたって、陰湿……」
「知ってる」
平然と言ってのける岸田はこちらを見ることすらしない。私は少し肩を落とし、溜息をついて項垂れた。すると岸田はおもむろにこちらを向いて、
「そう言うお前はどうなんだよ」
「私? そうだな……。私はまあ、変われるんだと思う」
「変われる?」
「そう。あんたが何処までうちの家庭事情を知ってるのか知らないけど、うちはあの馬鹿の独裁政治なの。あ、馬鹿ってのは父親のことね。あいつの前では何を言っても無駄でさ、特に祭りのことになると馬鹿に拍車がかかるわけ。それに嫌気が差したお母さんは逃げちゃったし、私は適当に聞き流しつつ何でもやるイエスマンになった。まあそれが一番賢い生き方だからね」
「…………」
岸田がチラリとこちらを見たことを気にせず、あっけらかんとした口調で続ける。
「別に今でもその考えは変わってないかな。だから後一年半耐えきって卒業したら速攻で出て行ってやるって思ってた。それが私にできる精一杯の仕返しだってね。まあ端から見たら仕返しにもなってないんだろうけど」
――だけどさ。
私は立ち止まって岸田の方を向いた。岸田と目を合わせて、続ける。
「ずっと思ってはいたんだよ。それってやってることお母さんと一緒だよなぁって。そうやって自分を殺してまで生きて、その先に何があるんだろう。きっとお母さんだって今別に幸せなんかじゃなくて、毎日あいつに怯えながら息を潜めてるだけなんだろなぁって。そう考えたら色んなことがやるせなくなってさ、何してても楽しいなんて思えなくなっちゃった」
視線を上げて夜空を見つめながら、
「だから岸田の計画を聞いた時は素直に凄いなって思ったし、そうするべきなんだろうなって思えた。私の為にもね」
そして私は無邪気にはにかんでみせた。柄じゃないなんて百も承知だ。だけどそれでいいんだと思う。既にニヒリズムの時代は終焉を迎えたのだ。
そんな私を見て岸田は何度か目を瞬かせて、
「お前、めちゃくちゃ喋るな」
「……この話聞いた感想がそれって、あんた頭大丈夫ですか」
「お前よりかは」
「殴るぞ」
言いながら私は岸田に腹パンをした。すると岸田は私の頭を上から押さえつけてぐりぐりとこねくり回してくる。
「やめてキモイムカつく!」
そう言いつつも頑なに岸田の手を放そうとしない私が一番キモイことは勿論自覚している。
△
やはり馬鹿は馬鹿であった。赤子の手を捻るかの如く容易く鍵を拝借した私たちは再び岸田の家へ。そしてバイクに跨り、今度はだんじり小屋へと向かった。
この青いバイクは岸田のお父さんが乗っていた代物らしい。岸田のおじいちゃんが整備を続けて維持してきたんだそうな。こいつに乗る為に岸田は中型二輪の免許を取って、今日が記念すべき初乗車らしい。初乗車が二人乗りって大丈夫なんだろうか……。多分、いや、間違いなく大丈夫じゃないんだろうけど何も聞かないでおこう。
何度かエンジンをかけ直した直後、けたたましい音を立ててバイクが走り出す。
速度はゆっくりだけど、半袖じゃ寒いぐらいには風が吹いていた。私はそれに対し寒いだの怖いだのと一々大袈裟に喚いて岸田に文句を付ける。しかし岸田は運転に必死なのか、その背中が動くことはなかった。
――どうせまともに聞こえやしないだろうけど。
心の中でそう前置きをして、私は岸田に話し掛けた。
ねえ岸田、私思うんだけどさ。今からすることは復讐でも断罪でもないの。きっとこれは願掛けなんだよ。この町の誰もが抱えている後ろめたさを晴らして、皆がやり直せる為の。だからこれも祭りなんだよ。祭りの後には何も残らないかも知れないけど、皆改めて考え直してくれると思う。私や岸田のことは勿論、うちの馬鹿やあんたのご両親のことも。
そしたらさ、この町はきっと良くなるよ。私たちがこれから何処に行ったって、温かく出迎えてくれる。そんな町になるよ。この町の人たちって本当は優しいからさ。
その時にもう一回だんじりをやるって言うなら、私はそれに参加したいと思う。その時はあんたも一緒で、うちの馬鹿は大工方で、皆が一体になって祭りは大成功するの。そしてそれをご両親に報告しようよ。そうすればきっと、岸田のお父さんも浮かばれると思うから。
言い切った後にふぅと息を吐く。
いつのまにか身体が火照っていた。どうやら柄にもないことを言い続けると体温が上がるらしい。しかも岸田は一向に反応してくれないので身体は火照る一方だ。きっと今、私は耳まで赤くなっている。
バイクが風を切る音だけがいつまでも続いていた。その音と岸田の背中に全てを預けて、私はそっと目を閉じる。夢想した世界は、ずっと憧れていた外の世界よりも遥かに素敵だった。
そうやっていつまでも揺らされていると、バイクは神社の前で停車した。どうやら目的地に到着したらしい。岸田はヘルメットを外してこちらを見る。それから唐突に鼻で笑って、
「都合良く考え過ぎだな。俺にとってこれは復讐だし断罪だよ」
だけど。と少し間を開けてから、
「もしもお前が言う通りこの町も人も変わっていくんだったら……。俺も変われたらいいなって思う」
岸田は笑っていた。私に手を差し伸べた時と同じ、綺麗な笑顔で。
だから私も嬉しくなって、自然と笑みが零れていた。
バイクを押していく岸田と横並びで歩く。鳥居をくぐって境内に入り、その端にポツンとある小屋の前で立ち並ぶ。南京錠を開けて鉄扉を引くと、だんじりがそこで待ち構えていた。
何故だか岸田と目が合って、頷く。
そのままバイクを押して中に入って、だんじりの隣に停める。燃料キャップを開ければ、後はバイクごと燃やすだけだ。
「いくぞ」
岸田がマッチを取り出す。
擦って火を灯して、ゆっくりと腕を伸ばす。私が岸田の手に掌を重ねて。
――パッと、手を離した。
だんじりはとてもよく燃えた。
だんじり燃やす ナツメ @chaunen
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