第4話
「判明したのは去年の祭りの後だ。花寄せで集金された金額が去年より少ないって話になったんだよ。でもその時は皆別に疑っていなかった。そもそも集金額は年々減少傾向にあったし、その想定を大きく超えるほどの減収でもなかったからな。だが一つ不自然な点があった。お前の花代だけ明らかに下がってたんだよ。お前は祭りにも寄り合いにも参加しないから全く気付いてなかっただろうけどな」
岸田は声に感情を乗せず淡々と話を進めていく。それとは裏腹に私は色んな感情が綯交ぜになって、立っているのもままならないぐらい血の気が引き始めていた。
「まあそもそもがおかしかったんだ。大工方まで務めている人間が花寄せを娘に任せっきりなんて。普通じゃあり得ない。それが曲がり通ってるのは皆お前の親父さんに何も言えないからだ。きっとこれは今に始まった話じゃなくて、お前が花寄せを始めた頃からずっと続いてたんだと思う。ただ、親父さんが仕事を辞めたせいで例年より抜かれる額が増えたってだけで」
遠ざかっていく意識を手繰り寄せて必死に穴を探す。見つけた穴は開いているのかも分からない程小さかったけど、それでも私は声を絞り出した。
「どうして……。どうしてあんたがそんなこと知ってるの。青年団でもないくせに」
私の言葉を聞いて岸田はいっそう悲しそうな顔をした。そしてゆっくりと私から目を逸らして、伏し目がちで、
「逆なんだよ、和泉。この町でこの話を知らないのは……お前ぐらいだ」
その瞬間、私の中の何かがバラバラに砕け散ってしまった。
「ああああ」
変な声が漏れる。
視界が明滅して赤黒く染められていく。ふらついて、膝から崩れ落ちてしまった。
皆死ねばいいのに。
何もかもが気持ち悪かった。他人様の金に手を付ける馬鹿も、それを黙認するこの町も、そいつらに養われていた自分も、背中を摩ってくるこいつも。気持ち悪くて仕方がなかった。
バラバラになった破片が私を傷付けて細切れにしていく。
その感覚に身を委ねるのが、今の自分にとって何よりも心地よかった。
「なあ和泉、頼みがあるんだ」
聞く気なんてなかった。
なのにその言葉はするりと耳に入ってきて、私の脳を激しく揺さぶった。
俺と一緒に、だんじりを燃やさないか。
…………どうしてあんたなんかと一緒に。
声にならなかったので睨みつけて促す。岸田はそれを察しているはずなのに、中々話を切り出さない。躊躇っているのが見て取れた。それでも岸田は視線を外さない。それがこいつにとっての誠意なのだろう。
やがて岸田は何かを決意したかのように頷いて、
「さっきお前は俺と一緒だって言ったよな。その理由を説明するから聞いてほしい」
そして岸田はまた淡々と語り始めた。この町の、呪いと言ってもいい昔話を。
十七年前、俺たちが生まれたばかりの話だ。相変わらずこの町は祭りが世界の中心で、どいつもこいつも日夜祭りの準備に明け暮れていた。勿論それは俺の親父も同じで、親父は当時青年団の団長を務めていたらしい。お前の親父とツートップでな。ゆくゆくはどっちかが大工方になるって話だったそうだ。
お前は聞いたこともないだろうけど、俺の親父とお前の親父は親友だった。生まれも育ちもこの町で、家族ぐるみの付き合いだったそうだ。仕事も一緒で結婚したタイミングも同じ。しかもどっちの結婚相手もこの町で育った幼馴染だ。ハッキリ言って気持ち悪いと思えるぐらいの時間を共有していた。まあでも、この町じゃそんなに珍しいことじゃないんだろうけど。
そんな二人が中心になってだんじりが行われる。当然、俺たちも見に行った。母さんたちはお前みたいに頭をきっちり編み込んで、法被を着て親父たちの勇姿を楽しみにしていたんだ。
そして迎えた当日……。カーブを曲がり切れずにだんじりが転倒してしまった。
俺の親父を下敷きにして。親父は母さんの目の前で死んだ。即死だったらしい。そりゃそうだ。あんなもんが倒れかかってきて助かるはずがない。
……勿論祭りに事故はつきものだ。この事故だって数ある中の一つに過ぎない。皆それを承知の上で参加しているし、常に細心の注意を払っている。でも皆、事故が起こった後の対応はおざなりだ。
――俺が全ての責任を取る。
お前の親父は母さんにそう説明したらしい。そして夫婦で揃って土下座したそうだ。
ほんと、最低だと思ったよ。だってそうだろ? こんなの母さんの優しさや情に付け込んでるだけだ。最愛の人を失って、その上親友を破滅に追いやるなんてできるはずがないんだから。
結局事故についてはお咎めなし。不起訴だ。母さんは泣き寝入りして、お前の親父さんはこの話を美談に昇華させた。岸田の死を乗り越えて最高の祭りにしようってな。今でも祭りの初っ端は親父への黙祷から始まるらしい。それがお前の親父さんが言うところの責任って奴なんだそうだ。お前知ってたか? 知らねえよな。だって俺たちはずっとひた隠しにされていたんだから。それも町ぐるみでな。だからこの町は誰もあいつに逆らえない。
俺がこの話を聞いたのは去年だ。それまでずっと親父は交通事故で亡くなったって聞かされていた。十六の誕生日に母さんが泣きながら教えてくれたよ。それからずっと謝っていた。おかしいだろ。母さんは全く悪くないのに。本当に謝らなきゃいけないのは、責任の所在をうやむやにしたあいつらだってのに……! どうしてあいつらはのうのうと祭りなんてやってんだよ!
……俺は許さない。決めたんだ。だんじりを燃やして、全部終わらせてやろうって。そうしないとあの馬鹿共には分からないだろうから。この悪しき伝統を、俺が立ち切ってやるんだ。
だから協力してくれないか。
そう言って岸田は改めて私に手を差し伸べてきた。相変わらず無表情で、静かに私の返事を待ち続けている。
……私にその手を取る資格はあるのだろうか。
ぼんやりとそんなことを考えていた。自分でも驚くぐらい冷静なのは、あまりにも突拍子がないせいだと思う。きっと私はまだ事態を上手く呑み込めてなくて、もっと言えば咀嚼すらできていない。これから私はたっぷり時間をかけてこいつを呑み込もうとして、吐き出して、もがき苦しみ続けるんだろう。考えるだけでゾッとした。……だけど、
「燃やしたら全部、許されるんかなぁ」
口から衝いでた言葉は何処か曖昧で、歯切れが悪い。最早独り言同然だった。
それでも岸田は何かを確信したかのように頷いて、
「約束する」
と表情を緩めてみせた。
――その笑顔がとても綺麗だったから。
私の腕は自然と伸びていて、岸田の手をぎゅっと握っていた。
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