第3話

「ごめんね祭ちゃん。うち今年はもう他の人に渡してもうたから……」

「そうですか……。お気遣いありがとうございます。また来年、良ければお願いします」


 ガチャ。

 インターホンが切れる音を確認してから、私は溜息をついて項垂れた。


 ……これで全滅だ。

 まさか団地丸ごと断られることになるなんて思いもしなかった……。どう考えてもおかしい。だって去年は半分以上の住民が御花を包んでくれていたのだから。皆明らかに私のことを避けている。どうやら事態は私が想像していたよりも遥かに深刻なようだ。


 どうしよう……。なんて考えても仕方がない。私がやることは既に決まっているのだから。

 足で稼ぐしかない。去年まで回っていたところには見切りをつけて、新天地開拓だ。


 でもそれは同時にリスクを伴う。

 まず単純に怖い。当然だ。全く知らない人の家に飛び込んで金をくれとせがまなきゃいけないのだから。


 それに花寄せには縄張りがある。去年まで皆が私に融通を利かせてくれていたように、住民は何処の町の誰にいくら御花を添えるかある程度決めている。勿論青年団もそれを把握していて、お互いにテリトリーを荒らさないようにしている。

つまり今から私がやろうとしていることは、他人の縄張りに土足で踏み込むようなものなのだ。当然それは諍いの種になるわけで。


「…………はぁ」


 それでもやるしかないと決め込んでいる私は情けないのだろうか……。誰か教えてほしい。

 纏わりつく重い足枷を無理やり引きづりながら夜の住宅街を歩く。見知ったはずの町なのに、歩いているだけで怖い。うんざりするぐらいの温かさがこの町唯一の取り柄だったはずなのに。


 ……温かさを求めたせいだろうか。

 気付けば目頭が熱くなっていた。だけど私はそれを流すことを拒絶して、ぐっと歯を食いしばる。馬鹿のせいで泣くのは中学生までだ。女子高生の私は、雑草のように強く逞しく生きるのだ。


 知らない家のインターホンを鳴らして自己紹介をする。まるで暗記しているかのように淀みない口調であっさり断られる。心が摩耗していく。自分でも分かるぐらい声が死んでいた。こんな奴に御花を包んでくれる人なんているわけないでしょ。分かっていてもやめない。最早それは意地との戦いだった。


 何件回ったか分からない。別の地区の青年団に詰問だってされた。夜がこんなにも長いと感じたのは、生まれて初めてだった。


「今日はこれで最後にしよう」


 言い聞かせるように呟いて、私はその一軒家のインターホンを押した。直後に小さく息を吸って心の準備。しかしインターホンから応答はなく、代わりにガチャンと勢いよく扉が開いた。


 そして、目が合った。


「あ」


 その声がどっちから漏れたのかは分からない。もしかしたら同時だったのかも知れない。

 目が合った私たちを襲ったのは、例えようもないほど気まずい沈黙だった。


 私はこの男を知っている。

 こいつはうちのクラスメートの岸田祭太だ。話したことは殆どないけど、私同様呪われた名前の持ち主なのでよく覚えている。名前とは裏腹に口数が少なく、目立つことも殆どない地味な男子だった。


「あのさ……」


 言葉に迷う。でも恐らく相手はもう要件を察しているはずだ。今朝私が教室のど真ん中で友達に泣きついて花寄せしてもらったのを見てるだろうから。

 そのせいもあってか岸田の私を見る目は冷たい。コバエでも見てるかのような視線だ。

 そんな目で私を捉えながら、わざとらしい溜息をついて、


「祭り祭りって、馬鹿なんじゃねーの」


 ……普段の私なら受け流していたと思う。

 こいつが言っていることは正しいし、私も常々思っていることだから。だけど私は限界だった。私を苛む数々の不条理に対する怒りが、その言葉をトリガーに爆発してしまった。


「お前に……」

 叫びと共に、思いっ切り鞄を振り抜いてやった。

「お前に私の何が分かるんじゃボケ! 何でもかんでも俯瞰して蔑んどったらいいと思ってんちゃうぞ!」


 風を切る鞄はその勢いを殺さずに岸田の顔面を捉えた。タオルがたんまり入った鞄によるダメージはかなりのものらしく、フッ飛ばされた岸田はドアに挟まれる。物凄い音がした。私はそれに負けないぐらい大きな声で、


「死ね!」


 叫んで逃げ出した。

 そりゃもう全力で逃げた。本当に、色々限界だった。気付けば涙が溢れていたし、嗚咽も止まらなくなっていた。何処まで惨めになればこの問題は収束するんだろう。分からなかった。分かりたくもなかった。分かったところできっとそれはどうしようもないことだから。


 この町を出たい。

 関西弁が存在しない綺麗な世界に行きたい。


 だからずっと封印していたのに、結局また使ってしまった。もう身体に染みついてしまってるんだ。私はどうしたってこの町の子で、あいつの娘でしかないから。

 そのはずなのに、今の私には帰る場所すら用意されてなくて。

 呼吸も感情もぐちゃぐちゃになった私を受け入れてくれるのは、名前も知らない公園の小汚いベンチぐらいだった。


 自分が座っているのか倒れているのかすら分からない。ただ確かなのは、誰にも顔を見られないように俯いていることだけ。皆が部屋の隅でこっそりやってることを、私は公園のベンチで曝け出している。それが堪らなく惨めで、いつまで経っても嗚咽を止められそうになかった。


 ……どれだけの時間、そうしていたんだろうか。


「おい」


 不意に声が聞こえた。それも今一番聞きたくなかった、背筋が凍るほどに冷たい声。

 まさかと思った。そのまさかだった。

 顔を上げた私を待っていたのは、怒りを微塵も隠そうともしない岸田と、全く躊躇のない右ストレートだった。


 喧嘩が勃発した。

 殴られた私は咄嗟に鞄を振り回す。それを予測していた岸田は肘できっちりガードをして、また右ストレートを打ち込んでくる。私はそれをもろに喰らって、だけどなんとか肘を掴んで岸田に噛みついた。

 多分、お互い殴り合いの喧嘩なんてしたことないんだと思う。喧嘩の様相を保っていたのは初めだけで、やがてそれは子供の取っ組み合いのような形になった。互いに耳や髪を力任せに引っ張ってダメージを蓄積させる。その繰り返し。だけど私たちは必死で、本気だった。私は岸田のことを殺してやるつもりでいたし、それはきっとむこうも同じはずだ。私たちは何がそうさせているのかも分からないほどの怒りをぶつけ合って、お互いの気が済むまでひたすら傷付け合っていた。


 結果は喧嘩両成敗。

 気が済む前に体力が尽きて、二人して大の字で空を見上げていた。そしたらなんかもう色々どうでもよくなってきて、一々落ち込んでるのが馬鹿らしくなってきた。


「お前、ほんとに何も知らないんだな」


 不意に岸田がそんなことを言い出した。


「……どういう意味」

「俺と一緒なんだなって」

「だからどういう意味って。馬鹿なの?」

「馬鹿はお前だよ」


 岸田は立ち上がって手を差し伸べてくる。なんだこれは、青春ごっこか? 冗談でしょ。

 私はその手を無視して自分で立ち上がり、血がたっぷり混じった唾を吐き捨てた。そして岸田を睨みつける。しかしどうやら奴は敵対心が失せたらしく、私に憐憫の眼差しを向けていた。それが私の神経を逆撫でしているとも知らずに。

 やがて岸田は長い溜息をついて、ぽつりと、零すようにして呟いた。


「お前んとこの親父、花代抜き取ってんぞ」


「………………は?」

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