壊れた人間の末路

しゅら犬

壊れた人間は、もう元には戻らない

 ――小さな頃から不思議だったことがあった。

 どうして僕は一人なのだろうと。

 親はいた。兄弟もいた。

 けれど――いつも一人だった。

 ここは自分の居場所ではない。

 そう思いつつ、生きてきた。

「ああ――」

 きっと僕が間違っている。

 正しいのは外の誰かであり、僕は正しくない。

 それこそが世の常であり、他の人間こそが正しい。

 父親は話さない/それは僕が間違っているからだ。

 母親は八つ当たりをする/それは僕が間違っているからだ。

 兄弟と関わりはない/それは僕が間違っているからだ。

 間違って、間違って、間違い続けている。

 ならばきっとこの結果に行きついたのは自明の理。

 なるべくしてなった結果にすぎない。


   ■


 もう永くはない。

 そう医者に言われてきた病室では父親が横たわっていた。

 既にモルヒネも投与されていて、あとはこのまま死を待つばかりの一人の病人の姿だった。

 これが――あの父親の姿か。

 無関心と酒とギャンブルを続けた父親だ。もはや僕にはこの人に向ける感情はなかった。

 普通の人ならばこの姿を見て悲しむのだろう。

 事実、隣にいる母親と兄貴は悲しんでいる。

 しかしながら僕にあったのはそうかという気持ちだけだった。

 僕の中にあるのは相手からもらった無関心と同じである。貰ってないものを返すことはできなかった。

 壊れている――。

 改めて僕は自分が壊れていると自覚をした瞬間だった。

 ……馬鹿な。だからどうしたというのか。そんなことはとうの昔に分かり切った事である。今更自分が壊れている事を目の前に突き付けられたからといって何になるのか。

「じゃあお母さんちょっとお医者さんと話してくるから。●●、お父さんと待っててね」

 僕がこくりと頷くと、兄貴と母親が外へと出ていく。

 残されたのは最早動くことすらできない父親と、つくろった外面をもった僕だけだ。

 ――参ったな。話すことなんてないんだが。

 そもそも話すなんて今までしてこなかった間柄あいだがらだ。この父親が何を考えて、何を思って生きてきたか。趣味と言えばせいぜいがパチンコであり、外の事なんて何も知らないのだ。

「ああ……えっと」

 適当に何か話す。

 内容なんてない。そもそも相手も話せる状態ではなかった。

 これは、無意味だ。

 そもそもいつ死んでもおかしくない状態の相手に会話なんて不可能だし、意識だって朦朧もうろうとしている。正確な判断すらできない相手に声をかけてなんになる。

 だが……普通ならばここで話をかけるのだろうという客観視から行っているだけに過ぎない。昔から行ってきた擬態の一つだった。

 そうこうしている内に母親が戻ってくる。

「ああ、そうだ。バイト先にちょっと連絡してくるから」

 返事も待たずに病院の外にでる。

 バイト先への連絡は直ぐに終わった。

 問題は――この胸の痛みか。

「……何を期待しているんだか」

 最後ならばと少し期待していた。

 せめて少しは会話ができるのではないかと。

 だが待っていたのはただの呻きに似た音だ。

 しかしそれもその筈だ。会話できる状態ではないのだ。どうやって話すというのか。

 馬鹿か。俺は。

 どう考えてもこの胸の痛みは、けして相手が死ぬから痛いのではない。

 悲しみからくる痛みではなく、己が壊れているという見たくない事実を見たが故の痛みだった。

「ズレているとは思ったが、ここまでか」

 他人とのズレ。本来ならば構築しなければならなかったコミュニケーション能力。

 それを獲得できなかった代償にすぎない。そもそもこの考え自体がきっとおかしいだろう。

 ……だが問題が分かったのならば、どうにか対処はできるだろう。

 後はただ自分を偽るだけだ。

 それっぽく演技をして、この場をすませればいい。

「どうせ、それぐらいしかできやしないんだ」

 立場なんてない場所だ。

 自分が何かを意見したところで変わる事は何もない。


   〇


 葬式はすんなりと進んだ。

 人もそれなりに集まり――とはいえ多くは親戚であったが――けして悪い葬式ではなかっただろう。

 外面だけは良かった親だ。

 中から見た父親と外から見た父親では見え方も違うだろうから、人が集まった事自体には不思議ではない。

 ――まさか涙すらでないとはな。

 問題は――やはりというべきか――僕は壊れていたらしい。

 周りが泣いているなか、僕の内からは何も出なかった。

「分かってた。分かってたけど――」

 ――きっついな。

 お前は壊れているのだと、現実を突きつけられたような気持ちだった。

 元より分かっていた事ではある。しかし流石に最後ぐらいは涙の一つぐらいはでるだろうと思っていた。それ程までは自分は壊れていないだろうと信じたかった。

「…………そうかい」

 そもそも内から湧き出るのが父親に対する感情ではなく、自分の事であるという時点でどうしようもない。

 きっと――普通の人ならばこんな事を思う事はないだろう。

「いいさ。それならば、それでいい」

 ずっとそうだった。

 自分がズレている事は分かっている。

 ならばそれを受け入れて、擬態するしかない。

 

   ■


 壊して、壊して、壊して、壊した。

 自分が世間とズレているといつから思っただろうか。

 この世界で生きるためにはそのズレを隠す必要があった。

 だから自分を殺した。

 嫌だと思ったそれを壊して、内に封じて、外に別の何かを張り付けて。

 心を壊した/一つ、何かを感じなくなった。

 心を壊した/一つ、何かを感じなくなった。

 心を壊した/一つ、何かを感じなくなった。

 何か違和感を感じるごとに――一般的に生きるために――何か自分の心を殺してきた。それがもっとも効率が良かったし、何よりも自分がズレている事を自覚していたから。

 だがその先に待っていたのは、何も感じない心だけだった。

 ――壊れている。

 これが、この状態が正しいのかすら最早自分にはわからない。

 かつて嫌な事すらもはや何も感じないし、好きだったことすら感情が動かない。

 ただ分かっているのは生きている人間としては、どう考えてもこの状態は正しいとは思えないという客観的な視点である。

「……これがあんたの望んだことなのか」

 父親の墓前で紫煙を曇らせながら呟く。

 残った金はくだらないことに使い、後に残さず。残された母親は頼りなく、他人を食い物にし。その二人に育てられた兄は両親の金の使い方を学んでしまった。

 残されたのはそんな人間を外から見て、壊れた人間だけだ。

「馬鹿みたいだな」

 自分は壊れている。壊れているが――それ以上に周りも壊れているだけだった。ならばやっぱりこうなるのは自明の理だ。壊れている人間がまともな何かを作れる筈がない。

 紫煙が空に向かう。墓前に添えた父親が吸っていたタバコと、自分が咥えたタバコを消す。

 喫煙もこんな事は似なくてはも良かったのになと思う。けれども何か縋るものがなけば生きることすらできなかたっただろう。

 かといって人に対して希望を抱く事は僕にはできない。それを抱くのは今まで歩いたことを嘘にしてしまうし、なによりもそれを頼る相手なんいない。

「もうここには二度とこない」

 来る理由は最早存在していない。

 踵を返してこの場をさる。 

 ――ハンプティ・ダンプティ。壊れたものはもう元には戻らないのだから。

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