第79話 エピローグ
しばらくしてマーティスが戻って来ると、アンセルはヒビが入った柱に寄りかかりながら目を閉じて座っていた。
マーティスは何も言わずに、その隣に腰を下ろした。
長い間、お互いに何も喋らなかった。
アンセルは血で染まった布で巻かれている左目を抑えながら右目を開き、壊れた広場の扉の方にジッと目を向けたが、その目には扉は映っていなかった。
勇者が出発すると、急に力が抜けたのだった。
こうして自分として生きている事を、不思議に思っていた。
「傷は痛みますか?」
と、マーティスは言った。
アンセルは自分に向けられている優しい眼差しを見ると、現実にかえっていった。
「そうだな…」
アンセルはしばらく黙り込んだ。
ボロボロになり血に染まった服を見、自らの逞しい体を眺めた。白から赤に色を変えた包帯をゆっくり解くと、顔の左半分は紫色の痣で覆われていた。
アンセルはユリウスに抗ったことで出来た痣をなぞった。
この2ヶ月と少しの間に様々な事を味わい、体に刻み込まれた。
生と死と、喜びと悲しみと、絶望と希望。
ユリウスは勇者が英雄となる為に力を与えたが、アンセルの左目を抉り取り、準備を整えた。
もう慈悲をかけることはない。
次にユリウスが闇をまとえばアンセルの体を貰い受け、人間の世界に終わりをもたらす魔法陣を描いて右手を上げるだけだ。
自ら世界を終わらせ、恐ろしい死の影をさらに背負うのだろう。
アンセルはそれらを思うと、右手を握り締めた。
「俺は、この傷と共に生き続ける。
この傷は、俺が多くを乗り越え、勝ち取った証でもある。
この体に刻んだんだ。
俺が、このダンジョンの魔王であると。」
と、アンセルは言った。
マーティスは優しく微笑した。
アンセルの横顔は穏やかで、多くを背負える男になっていた。
「そうですね。
その方が、魔王っぽいですからね。」
マーティスはそう言うと、笑った。
「そうだ、強そうに見えるだろう?
魔王っぽいだろう。」
アンセルもそう言って笑うと、一緒に声を上げて笑い出した。
「勇者達の傷…いや、あの印は一体何だったんだろうな?
俺がアーロンの印を見た時…小さなドラゴンに見えたんだ。」
と、アンセルは言った。
「そうですね、僕も勇者を守るドラゴンだと思います。
勇者がユリウス様と交わした約束を守る印です。
勇者が守り、ユリウス様が守られる。両方の印です。
かつての勇者が世界を救おうとした時よりも、さらに大きく世界が歪んでしまった。
時が経つほどに、複雑化していきますから。
長期間続いた王政が終わると、一気に膿が溢れ出す。
自らの富と権力を奪われることで、英雄を疎ましく思う人間もいる。
平気な顔をして裏切る人間が沢山いる。
大切な人を人質にとられて己を見失う人間もいる。
自らの利益だけを考える人間もいる。
人間とは、本当に恐ろしい。
力だけでは足りないと思われたのでしょう。」
と、マーティスは言った。
「傷つけようとする者達から、彼等を守ろうということか?」
と、アンセルは聞いた。
「四六時中、彼等を守る存在なのでしょう。
武器に力を与えられ、どれほど彼等が強くなったとしても、力だけでは人間の感情までは読めませんからね。
混乱に乗じて暗殺される可能性もあります。
次の権力を握る為に、英雄を騙して殺そうとする愚か者は沢山いる。
ドラゴンはそのような愚か者から彼等を守るのでしょう。
傍観者であり神の願いを裏切った僕が弓の勇者の体に触れぬように毒の歯で威嚇してきたくらいですから。」
と、マーティスは言った。
「彼等と一つになって、守るのか…。
でもアーロンの腕に巣食っていたドラゴンは、彼の腕を喰ってたみたいだけど。」
と、アンセルは言った。
マーティスは短くなった髪の毛に触れてから、白き杖を取り出して眺めた。
「アーロンの望みは、魔法使いの子供達が本来の力を取り戻すまで守り続けることでもあります。
魔法使いの子供達が室から解き放たれれば、彼等の力を得ようとする者達が襲いかかってきます。
3つの国の子供達全員となると大変ですからね。
子供達は「恐怖」に支配されている。
その恐怖を超えるほどの圧倒的な力を持たなければならない。自分達を守るアーロンには誰も敵わないと子供達に思わせなければ、アーロンを守る為に犠牲になろうとする子供達もいるでしょう。
少し脅迫すれば、恐怖に支配された心は震え上がります。
今までが…そうでした…それほどの苦しみを味わっているのです。
ハーフのアーロンでは力が足りないのです。子供達を守れるほどの魔力が宿っていない。
だから、小さなドラゴンによって、彼の右腕を作り替え、ユリウス様の力も少し与えられたのでしょう。絶大な魔力が体に入ったことで叫び声を上げた。
僕にはそう思います。
まぁ、あの時、弓の勇者とアンセル様が立ち上がらなければ小さなドラゴンに喰われていたかもしれませんが。
実際のところは分かりません。
僕は色々とユリウス様を誤解していたぐらいですし。実際に側で感じてみないと、相手の事は分からないものですね。」
と、マーティスは言った。
「もしも彼等が…ユリウスが選んだ勇者が英雄になれなかったら、どうなるんだろうか?」
と、アンセルは言った。
「勇者達は自ら英雄となる道を選択し、ユリウス様と約束を交わされたのです。
ユリウス様は約束を守れるように、多くの力を与えられた。
交わした約束は、なんとしても守らねばなりません。」
と、マーティスは暗い表情で言った。
「そんな事は有り得ませんが、たとえば勇者が心変わりでもして自らの欲望の為に生きる道を選べば、勇者の名を守る為に印が動き出します。
その体に宿した小さなドラゴンが彼等の体を喰らい、ドラゴンが国を滅ぼそうとするでしょう。
槍の勇者の場合は、瞳から腐っていくのかもしれません。
英雄にさえ救えない国に未来はない。
選んだ責任をとろうとされるでしょう。」
マーティスはそう言うと、壊れた広場の扉を見た。
どこかの壁がまた崩れ落ちていく音が響いた。
「最も恐ろしい事が起こるかもしれない。
僕はもう神の声を聞くことは出来ません。
けれど、もし選ばれたる英雄が失敗したら、人間以外の全ての生き物も巻き込まれて、この世界ごと滅んでいくのかもしれません。
別の大陸に他の生命を逃がしてまで救うなどということは、神はされないでしょう
神は、世界を全てを無にかえすでしょう。
だからこそ、ユリウス様は慎重に選ばれた。
僕は、この目で神を見た事は一度もありません。
僕には許されませんでした。
うっすらとした記憶に残っているのは、何処まで続くのかも分からない数段の階段だけです。その先はあまりにも光り輝いていて眩しく、顔を上げることすらも出来なかった。
神々しい光に圧倒され、その先から響く声を聞くことしか出来なかった。
とても慈悲深くお優しい声でしたが、最後に感じたのは一瞬で心臓が止まり、体も粉々に砕け散りそうなほどの恐ろしい怒りでした。」
マーティスはそう言うと、届くことのない天井を見上げた。
白い光の粒が降り注いだ天井からはもう何も降り注がず、ただ彼を見下ろしているだけだった。
「最後に放った矢は、いつから考えていたのですか?」
と、マーティスは言った。
「分からない。
無我夢中だった。急にひらめいたんだ。
約束を守らないといけないと思ったのと、温もりを思い出した。
それが俺に力を与えてくれた。」
アンセルはそう言うと、側においていた弓を握りしめた。
「ユリウスが光の魔法使いとして動き出す時にも、俺の体は使われるのかな?
俺はどっちにしろ、このままではいられないのだろうか?
マーティスはどう思う?」
と、アンセルは聞いた。
「さぁ…どうでしょうか?
それは僕には分かりません。
適当な事は言えませんが、闇をまとったまま出てくるつもりならば、ドラゴンの体はのみこむ必要があると思われたのではないのでしょうか?
自らが作り出した勇者を守る存在を、その手で壊さなければならないとでも思われたのでしょう。
光をまとい動き出されるのでしたら、もっと大いなる力が新たなる体を与えられるのかもしれません。
僕としては、アンセル様が光り輝くように美しくなる姿を見てみたいですけど。」
「なんだよ…それ?
俺は、このままでいいよ。
俺は自分に満足してる。」
アンセルがそう言って笑うと、マーティスも笑った。
「マーティスの髪の毛も、今の方が似合ってるよ。
長いのも良かったけど、短いのもいい。」
と、アンセルは言った。
マーティスは少し微笑み、髪を引っ張った。
「重たくもないし、暑くもないですしね。
数年経てば、この髪も伸びるかもしれませんね。」
と、マーティスは言った。
魔力を使い果たし、今になってどっと疲れが出て来たのか、眺めていた白き杖を床においた。
色白の肌がぬけるほどに白くなっていた。
アンセルもマーティスの髪に触れると、ゆっくりと立ち上がった。しばらくマーティスを1人にしておいた方がいいと彼は思ったのと、もう一つやらねばならない事があった。
「アンセル様、どちらへ?
広場の片付けを放棄するつもりですか?」
と、マーティスは言った。
アンセルは弓と羅針盤を握り締めていた。
「ちがうよ、ちゃんとやるさ。
ちゃんと戻ってくる。
ヒビがはいったクリスタルを見て来る。
禍々しさがなくなり、本来の光の輝きを取り戻したクリスタルを。
そして、これをユリウスの側に置いて来る。」
と、アンセルは言った。
アンセルの顔は清々しかった。
「俺には弓は必要ない。
もう、次はないんだから。
血水晶も羅針盤も、闇の魔法の呪縛から解いてあげないといけない。」
アンセルはそう言うと、歩き出した。
*
「アンセルさま、起きてください。
もうお昼ですよ。」
あれから数日後、リリィがベッドで寝ているアンセルを揺り動かしていた。
「リリィ…俺はまだ眠いんだ。」
アンセルはそう言いながら逞しい腕を伸ばして、リリィをその胸に抱き寄せた。
「おねぼうさん」
リリィはそう言うと、アンセルの右頬を人差し指でムニっと押した。
アンセルは右目を開けた。
「おはようございます。アンセルさま」
「おはよう、リリィ」
と、アンセルは言った。
アンセルはとっくに起きていたが、「日常」が戻ってきた事を確かめたかった。
アンセルは右目でリリィを見つめながら、彼女の頭を撫でた。
「アンセルさま」
と、リリィは言った。
「どうした?」
「これからはリリィが、アンセルさまをお守りして、幸せにします。」
「これから?」
「はい!これからは、リリィが幸せにしてあげます。
いっぱい、いっぱい幸せにしてあげます!」
そう言ったリリィの瞳はどこか悲しげだった。
アンセルがミノスの事を父のように慕っていたのを、彼女は側で見てきたからこそ十分に知っていた。
アンセルは体の痛みと疲れが取れてくると、ミノスを失った悲しみが徐々に増していった。時折ふと表情が暗くなるのを、リリィは気付いていた。
アンセルが涙に暮れているのではないのかと心配になっていたのだった。
アンセルはその気持ちに気付いたのか、リリィの柔らかい髪の毛に触れた。
「ありがとう…リリィ」
アンセルはそう言うと、リリィの柔らかい頬を撫で回した。
「俺はずっと前からリリィに幸せにしてもらってた。
これからも、俺を幸せにしてくれ。
これからも、俺がリリィを幸せにするよ。」
アンセルがそう言って笑うと、リリィは嬉しそうな顔をした。
「リリィ、愛してるよ。」
アンセルはリリィをしっかりと抱き寄せた。
心も体も満たされるような愛する女性の温もりを、腕の中で感じた。生涯をかけて、リリィを幸せにすると心の中で何度も誓った。
そしてリリィの顔を見つめてから、柔らかい唇に触れ、キスをした。
(完)
*後書き*
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
長くなりましたが、沢山ある小説の中で、見つけていただき、ありがとうございました。
本当に感謝しかありません。貴重な時間を、ありがとございます。
アンセルが主役なので、ここで、この物語は終わります。
フィオン、アーロン、エマは、それぞれの指輪を渡した大切な人と幸せに生涯を送ります。3人がなんかなるとかは絶対にありません。
ちなみにマーニャとルークが、どちらを選択したのかは、彼等だけの秘密です。
本当に、ありがとうございました。
クリスタルの封印 大林 朔也 @penpen2017
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