第3話#仕事

"水無都屋"と書かれた店先を、黒髪の少女がくぐりぬける。

「…燈、仕入れか?」

少女、燈が顔を上げると"売り子"の頭が目の前に立っていた。

「いえ。椎さんから、護衛と精神緩和を頼まれた商品のところに。」

今日の私の商品は、寝ていますよ。

口先だけを動かして燈は頭にそう告げる。

(お前に"私の"なぞ、言われたい女はごまんといるぞ。)

頭の、そんな、苦々しい腹の裡は少女にはわかることはないのだろう。

「、頭は?」

「帰りだ。お前の商品に会ってもいいか?」

「……今日のは、駄目ですね。」

精神緩和で寝かせているだけなので。

ゾッとするほどの冷たさで少女はそう告げた。「精神干渉」、「精神緩和」。生まれながらできる人間はとてつもなく少ないが、そ以上に練習してできるようになる人間は少ない。燈も、自身のからだにその術を、この仕事のためだけに叩き込み、血眼で体得した少ないうちの一人である。文字どおり、相手の精神に入り込み、コントロールして落ち着かせたり、記憶を読み取ったり。それらを施している、つまりは傷つけずに保護することを目が利く燈がした、ということはある程度の上玉なのだろうと頭は頷いた。

「…まあ、この店にもあの子を犯そう、拐かそう、って輩はいるみたいなので。鍵、渡しておきます。起こさないなら品定めは可能ですと上にも伝えてあるので。鍵の管理、お願いします。」

そう一礼をして去っていく少女の背を見送りながら、頭・天野は手のひらに踊るカードキーをみつめた。

燈の解釈にはすこしだけ語弊がある。

少なくとも、水無都屋には幼き子供を犯したり拐かすなどの馬鹿な真似をする人間は置いておかれない。けれど、燈が指す"あの子"は確かに危険に晒されるだろう。鬼の居ぬ間に、とはよく言ったものだ。どのみち、子どもをどうこうすることが目的ではないと天野は見ていた。燈の経歴に、仕事ぶりに、その力に、傷をつけることが目的故なのだろう。今まで、"被害"にあってきた商品たちはどれも上玉でそのうえ、燈が直に仕入れたか精神緩和・護衛等の仕事を手伝ったかの二択で燈と関わっている。明らか、誰かが燈を憎んでいるのだ。まあ事実はどうにせよ、燈がその危険性を重々承知なのは変わらないのだから、自分の今の仕事は燈の商品を守ることだろうと天野は結論づけた。

(しかし、燈が仕入れたのがひとり、これから護衛と保護をするのがひとりとは。出荷するまで到底気が抜けんなあ。)


***ーーー***


「椎さん、例の子は?」

無人タクシーにスマートフォンを吸い込ませて決済を終え、スーツの胸ポケットにそれをしまいながら燈は椎の方へ歩いていった。途中寝ていたせいか、体がわずかに熱を孕んでいるようだ。

「いまは、ほら、一緒の見習いの子がいるでしょ」

椎のその声に、燈は頭のなかでデータを整理する。

(椎さんとニビ。いまはニビが対応にあたっている?)

ニビ。少しまえに水無都屋に子を売った母親である。貧民街ーアーケード・スラムーの出で、鈍色のような汚れをかぶっていたからという単純な理由で、頭の天野がそう名付けた。燈よりもはるかに年上だが椎よりは年下で、アーケード・スラムにいたとは思えない優しい目をした女性。

「怪我とかは?怪しい輩は?いませんか?」

たてつづけに口のなかの質問を晒す燈に椎は苦笑を呈す。

「だいじょうぶよ。今はニビの心配をするべきだと思うの。」

まあうなり声は聞こえなくなったからきっと大丈夫な筈だけど。

そんな椎の呟きはどんどん小さくなっていく。

「椎さんの判断じゃないんでしょう?」

ふ、と鼻腔を軽く響かせて燈は笑んだ。

「え」

「ニビに対応させろ。上からの指示でしょ。そのデータ、私のスマホが拾っちゃって。」

ぐーぜんイヤホンが拾うことってあるじゃないですか。

くしゃ、と笑った燈の目元には浅く皺が刻まれる。

「ほんとはニビはまだそんな技術、持ち合わせてないはずですよ。経験も浅い。何があっても、嘗て同じく子どもを売った母親として、守るべきですよね?」

燈の口調は緩まないが顔は笑ったままだ。

「…そう、ね。」

ど ん 。

そこで、重い音がした。

ち、と舌打ちを燈がする。

「椎さん。あなたは私を買ってくれた。優しかった。優しさ故に上がニビのためと言うと断れないのもわかります。でも」

真意を理解せぬまま動くと、大切なものは儚く散りますよ。

椎の耳元でそう囁き、燈は地面を軽く蹴って高く跳躍した。

重い音がした方へ、アーケード・スラムを飛びながら急ぐ。

スマホの位置情報を表示させ、場所を確認する。現在地を示す赤いマークとニビの位置を示す青いマークが重なった。

「ニビ!」

扉を大人しく開ける気など燈の中には毛頭なく、豪快に、かつ破片が飛ばないようにそれを蹴破る。

「っあ、とう、さん、」

ああそうだよ如何にも燈だよ、あんたの上司は馬鹿ばっかだくそ野郎、ホントにすまん。

心のなかでいっきにそう叫んでから、燈は商品の姿を探した。

「報告。」

「ー、商品逃走、誤って発砲してしまいましたが商品に怪我なし。」

よくやった、とお世辞にも言えない結果。

上が何を狙っていたのかがすぐわかる。

(椎さんは、もう辞職を促される歳になったのだろうか。)

ニビのため。

そういってひとりで荒れている商品の対応をさせる。

勿論、失敗すれば全責任は教育係の椎へ。

(汚えよ。)

「ニビ。」

「はいっ!」

「あんたは責めない。……次任されたときは噛みつかれないように。いい?」

ニビの返事を聞くか聞かないかのうちに燈は踵をかえした。

ニビのことは椎がなんとかしてくれる。椎の処遇は上に掛け合うつもりであるし、今から商品に追い付けば上に警告するだけで済む。

とん、とん、ととん。

右足、左足、右足の順に跳ね、勢いをつけ飛び上がる。

(どこにいる?)

自分が仕入れた商品の足を消毒して靴を履かせる作業の中で、タブレット端末に来た椎からの応援要請には15歳前後、亜麻色の髪の毛、長髪、ぼろぼろのワンピース、裸足、と記されていたのを頭の中で反芻する燈。

裸足でアーケード・スラムにいたくらいだから遠くへ行くことはかなわないだろう。風がみみもとをひゅうと切って行く。スラム街をぬけたところ、もと高級マンション、いまは廃墟が立ち並ぶような場所に入ったところで人影に気づく。亜麻色の、低く束ねられた腰ほどまでの髪。裸足。黒いレースのワンピース。

(みっけ。へえ、悪い育ちじゃないんだ。)

そう思ってすぐにまあそれは自分もか、と燈は自虐の笑みを噛み殺す。

(ひとつ、落ち着いて対処せよ。)

よたよたと走る影に声をかける。

「こんばんは。」

「っ?!」

驚いて振り返ったその瞳は恐怖に揺れていた。ニビが失敗したわけではないのかも知れない、と燈は直感的にそう思う。

「な、なに。あ、なた、さっきの、ひとたちの、なかま?」

(発音に難あり。)

15歳前後というには酷く辿々しい発音である。

(監禁されていた?もしくは酷いストレス?)

今までもそんな事例はいくつか見てきた。親や保護者から買い取ったあとにひどく怯えて逃げたり、飛び降りようとしたり。椎は精神緩和が必要と判断して燈に連絡をした。それは正解だろうに、何という使えない上司たちだろうか、と燈は心の中で幾度か舌打ちを重ねた。と同時、頭の中に鈴の音を響かせる。そのなかに水の流れを思い浮かべながら、燈は商品である少女の目を見つめた。

「?!」

ぐら、と少女の上体が揺れ、倒れるところを抱える。

「椎さん」

胸元のマイクに向かい、そう呼び掛ける。

「商品、確保。戻ります。ニビは?」

「混乱してはいるけど、大丈夫。有り難うね。」

そこで通信を切り、燈は来た道を引き返す。

最後の、慈しみを持って伝えられた"有り難うね"が燈の耳の奥に広まった。

(あんなに柔らかいひとも、弾かれてしまう。)

いつか売り子の代替わりは来る。商売だから失敗ばかりではならない。失敗が重なれば、そうなることも致しかたない。

(でも椎さんは失敗をしていない。今日のを除いては。)

辞職させたい、という狙いまではやすやすと見えるがなぜ辞職させたいのかはわからない。

燈が抱えた少女がみじろぐ。

「ご、めんなさ、い…。せん、せ、い。い、やだ。」

精神緩和で眠らせただけで精神干渉してはいないため咄嗟に記憶をたどり少女に見えているものを覗くことはできず、燈は取り敢えず、走ったところで特に乱れもしない息を更に整えてから少女に囁いた。

「だいじょうぶ。もうあなたは安全なところにいるの。ね、"朱雀"?」

精神緩和をした状態でそう囁いているのだから、この少女の名前はとうぶん"朱雀"になる。次に燈がゆするまで起きないだろうし、起きて暫くは燈の言うことしか聞かないだろう。本当は、頭である天野がつけた名前を囁かなければならないが、いかんせん椎とニビのことで上と掛け合わねばならない。それには燈の言うことしか聞かない商品という、切り札があった方がやりやすいのだ。

(見たところ、"上玉"だろうし。……ごめんね。)

のぼったばかりの月が雲に隠された。椎とニビの姿が見えてくるのにあわせ、燈はできるだけ柔らかい表情を作った。

「回収できました。精神緩和をかけてるので大丈夫。」

停めおいたままの無人タクシーに乗り込み、燈は膝に朱雀を抱いた。


***ーーー***


「お、帰ったか。」

天野が燈、朱雀、ニビ、椎を迎え入れる。

ニビと椎が早々と自室に引き上げたところで燈は朱雀の体を消毒し、サイズがあうジャージに着替えさせ、パスコードをカードキーにプログラムして保管室に入れてから自身のスマホから水無都屋の主・笹の部屋のAIに面会を申し立てした。

「面会が承認されました」。

無機質な文字がそう告げてから燈は歩きだす。

こんこん、と2回ノックをする。

「ニンショウコードlefj13、ナイブAIヨリショウニンサレテイマス。オハイリクダサイ。」

AIの指示に頷き、足を踏み入れた。

(さて、ここからが本当のしごと。)







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そして境界線は死んだ。 ray. @forget_to_tell

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