第17話 託された犠牲

「空が青いな…」

 こんな日じゃなければ、昼寝にはぴったりの晴天なのに。

 満身創痍の葉月は、土の地面に大の字になって空を仰いだ。

 肋骨にわずかな痛みを感じながらも、特に意味のない言葉を呟く。

 私はその痛みの箇所に手を当てた。

 こりゃ折れてるわ…。

 顔は煤汚れ口の中は鉄の味がして、瞼は切れ、流血していた。

 

 離陸からわずか20分足らずの機内戦。

 飛騨山脈の詳細のわからない森の中に、葉月と自衛隊が保有する輸送機が大破した状態で、炎と黒煙を上げながら激しく燃えていた。

 大型燃料タンクに十分な燃料が入っていたら、私たちは跡形もなく吹き飛んでいたに違いない。

 

 ――およそ1時間前。

 埼玉県狭山市にある航空基地に、椎名葉月と朝比奈結希、水守奏の3名はゲートをくぐった。

 所属する養護施設へ物資を届けにきた7tトラックを奪取し子供たちを荷台に乗せ、葉月の知人であり恩人でもある“先生”と呼ばれた老人にその身柄を託した。

 先生は里親協会の会長を兼任していたこともあり、約30名の子供たちは全国各地の里親に引き取られる手筈となっている。

 あの日、防衛省直属であり国民を守るべき自衛隊の知られざる一面を知ってしまった葉月は、E.planの即時停止及び施設の破壊、そして残りの子供たちの解放という謀叛を企てた。

 そんな映画のような展開を実行するには、葉月自身の立場を使う他はない。

 しかしあまりに無謀だ。

「できるわけがない」

 葉月自身がそう声に出していた。勿論それは十分に理解している。


 完全に組織化された自衛隊を動かすとしても、E.planを知らされていない隊員は味方にできるが、少なからず隊員の中には“こちら側”の人間が潜伏している可能性は十分に考えられるし、気づかれてしまえば全隊員は私の敵となりうる。

 陸自に潜入しているとすれば、それはおそらくある程度の地位があり、左官クラスが妥当だと考えた。

 いや最早、陸自だ空自だ海自という隔たりはないのかもしれない。そう考えておいたほうがいい。

 これらの事情を話している猶予はなく、残された選択肢は奇襲しかない。

 これはマニュアルに沿った正規の戦闘訓練ではなく、前例のない少数精鋭による大規模な作戦となる。

 正義の為の戦争か。

 それとも私自身のエゴなのか。

 

「どうかされました?」

 細身で色白な、一瞬女かと思ってしまう容姿の男が、考え事をしていた私に声をかける。さっと階級を目視する。

 何故か襟首に、ピンクの花をあしらったヘアピンを刺している、如何にも人畜無害そうな空自の一等空尉である。

「キミ、名前は?」

 広報部に立ち寄り、輸送機を穏便に拝借するために基地の予定を把握し、協力してくれそうな人物を探していた。もちろん“正規の手続き”ではない。

「狛江といいます」

 狛江はこちらの階級を見ても、ニコニコした表情で答えてくる。

 なるほど、彼か…。

「そうか、狛江一尉。少し込み入った話があるんだが、こっちへ来てくれ」

 カウンター越しに、他の隊員に聞かれないように注意をしながら耳打ちをした。

 狛江という男は「はて?」という顔をしながらも、他の隊員が不思議そうな顔をするのを余所に、受付けのカウンターから軽快に出てきた。

「なんでしょう?」

 建物の中もマズイかもしれないと思い、そのまま出入り口から外へ誘導する。幸い私の階級のお陰で、空自であっても命令には従ってくれる。少しの罪悪感はあったが…。

「これから話す内容は、国家機密の極秘事項及び任務であるから、口外はするな。わかったな?」

 狛江はそれを聞いて、何故か表情をパッと明るくした。

「な、なんでしょう!」

 こいつ、信用しても大丈夫か……。

「訓練ではないんだぞ。しっかりと聞け」

 語句を強めて険しい表情を向ける。

「もちろんです!」

 ああ~なんだろうワクワクしちゃいますね、と小声で付け足し笑顔になる狛江。

 自衛隊員に不謹慎ながらも一定数いる『有事の際にアドレナリンが出ちゃうタイプ』らしい。咎めたところでこれは直りそうもないと判断して話を進めることにした。

「狛江一尉。現在我々陸自の特殊精鋭部隊と空自により、極秘の共同作戦を敢行することになっている。総理直属での指揮により、輸送機一機を使用するが正規の手続き及び連絡は不要だ。それと…」

 ここが肝心だった。

「…パイロットはいるか?」

 狛江はそれを聞いて、これまたぱあっと表情を明るくした。

「僕、できますよ!」

「えっ、いや…、お前は広報だろう」

 狛江はその反応を予め予想していたのか、

「陸将殿、ナメてもらっては困ります。フライトシミュレータープログラムで優良判定だった僕に不可能はありません!」

 と、えへんと威張る子供のように捲し立てた。

「……つまり、正規のパイロットじゃないんだな?」

 ますます不安が募る。その自信はどこからくるんだ…。

「いえいえ、正規でなくても自動運転に切り替えれば誰でも飛ばせますから、なんならサルでも飛ばせますよ~」

 なに…?いやまて。“自動運転”というフレーズを直近の記憶と照合し、おぼろ気ながら心当たりが浮かんだ。

「この基地にはAFCS(オート・フライト・コントロール・システム)、自動航行制御システムを搭載した最新の輸送機がありますから」

 狛江は取扱い説明書を読み上げるようにサラサラと答えた。

 つまりこういうことらしい。

 端的に言うなれば、離陸から着陸までのすべての工程をオートでプログラムしていれば、パイロット不在でも飛ばせるということだ。

「いえ、少し違います」

 私の推察に対して、臆することなく補足を入れてくる狛江。

「離着陸に関しては多少の人的操作を要します。しかし、それ以外は僕が組み込んだプログラムで飛ばすことができるんですよ」

「『僕が組み込んだ』?」

「ええ。この輸送機やこれから配備されていくAFCS搭載機のプログラムは、全て僕が書いたものなんですよ、どうです、すごいでしょう?」

 なんとも稚拙な振る舞いだが、どうやら技術力は確かなようだ。

「そうか、それは頼りになるな。だが、先程は『サルでも飛ばせる』と言っていなかったか?」

「いやだなあ。言葉のあやですよ、陸将殿。偉い人は細かいところを気にしすぎなんですよ。」

「…っ!」

 なんとも小生意気だ。言葉の端々が癪に障る…。わざとか?わざとなのか?

 落ち着け私、落ち着け…落ち着け。

 ぐるぐると頭のなかで考えあぐねていたことを一旦全て取っ払った。

 

 やめだ、階級なんてどうでもいい。


 すぅっと深呼吸をすると、にこっと笑って狛江に申し付けた。

「狛江くん、その技術力を見込んで頼みがあるわ。この座標までのプログラム組んでちょうだい」

 予めメモ書きしていた紙を内ポケットから取り出し、狛江に手渡す。

 急に口調が変わって目を丸くした狛江は、言われるがままメモを受け取り目を通す。

「N36度30'11.3364、E137度36'0.0144……ってこれ、飛騨山脈じゃないですか。…あとこれは?」

 そういいながら一瞬視界から消えたかと思うと、私の足元にある封筒を素早く拾い上げ、裏に表とまじまじと見た。

「ん?未開封の手紙のようですね」

「!」

 私は思わず狛江の手から封筒を奪い取った。

「これは関係ない!」

 訝しげな目で見返す狛江の視線なんか気にならなかった。私の…大事なもの。

「なんですか急に。そんな大事なものなら落とさないでくださいよ」

 僕が悪いみたいじゃないですか、拾ってあげたのに。と、忘れずに小言を付ける。

「悪かったわ。…それより狛江くん、あなたいつもそうなの?」

 そう聞きながら私は急いで且つ確実に、封筒を内ポケットにしまった。

「『いつもそう』ってなんです?」

 ニコニコした表情を崩すことなく狛江は答える。

「その言動よ。私の階級知ってるわよね?」

「ええ、もちろん。有名人ですからね」

 自分の肩の階級章をポンポンと指で弾き、私の桜星を意識させた。

 ふと私の脳裏にある推測が浮かぶ。

 口にしてはいけない気がしたが、狛江の性格であれば素直に答えそうだ。

「狛江くん――あなたもしかして、降格されたんじゃないの?広報に」

 彼の言動が直接の原因でなくても、上官に嫌われれば嫌がらせとして降格させられることは有り得るし、事実ある。

 そう考えれば狛江の本来の階級は【三等空佐】、もしくは【二等空佐】だった可能性が高い。

「ええ、そうですよ」

 予想通り、狛江はニコニコしながら答えた。

「狛江くん」

 私の中に妙な引っ掛かりがあったが、これでわかった。

「なんでしょう?」

「どうしてそんなに嫌われようとするの?」

 狛江は一瞬右目の下瞼をピクリと反応させた。

 本当なら、一秒でも早く目的地に向かいたい。しかしお互い合意の上で協力が得られなければこの作戦は成功しない。

 いや、成功率が極めて低い作戦だからこそ、私は対話をしなければならないと思った。

「なっ、なんですか藪から棒に…」

 狛江は明らかに動揺して声を上擦らせた。

 そして同時に私自身も、彼を騙して利用しようとしていることに再度、強い罪悪感を覚えた。

 覚悟を決めろ、葉月。

「狛江くん、私も正直に言うわ。だから、ちゃんと聞いてほしい。上官としてでなく、私一個人として。」

 狛江は何も茶化さずに私の目を見た。

 やや間をあけて、私は丁寧に伝える。

「私があなたに頼んだことは、下手をしなくても軍法会議、いいえ、内乱罪もしくは内乱等幇助罪に問われるものなの。いま自衛隊の中で、一部の上層部たちが子供たちの命を使った研究をしている。国民を守る立場でありながら。私はそれを止めにいく。失敗すれば消されると思う。おそらく国家絡みだと私は睨んでいるわ」

「まじっすか…」

 流石の狛江も、開口一番取り繕う言葉選びもできずにいた。

「だから、早急に輸送機を一台お願いしたいの。それと武器、弾薬も。指定座標は先ほどの紙に書いてある通り。すべての責任は私一人が負う。」

「ちょちょっと待ってください!それは流石に無理ですよ!確かにAFCSがあれば飛びますよ、飛びますけど。でも燃料だって補給してませんし、大体いま基地にある航空機だって夜間飛行訓練に出さなきゃならないんです。絶賛メンテナンス中なんですよ!いやそうじゃない…そうじゃなくて、そもそも!国家に対する反逆なんて僕は嫌ですよ、お先真っ暗じゃないっすか!」

 狛江はまくしたてるように一気に吐き出すと、感情的になったことにハッとして急に押し黙った。

「当然よね、わかってる。」

 ここへ来る数時間前『狭山の広報に狛江という隊員を説得してください。もしかしたら力になってくれるかもしれません』と、奏から助言があった。詳細までは触れなかったものの、彼の経歴に気を使ったのだろうと理解した。

「あなたが上官を嫌い、挑発するような言動をするのは不当な扱いによる降格が原因ね?…いや、本当は“自ら降格させるように仕向けた”。本来のあなたは正義感の強い、そして誰よりも優しいひとなんじゃないかしら」

 私は以前、AFCSの開発について専門ではないにしろ、その記事を読んだことはある。おぼろ気な記憶のカケラを拾い集め、話しを続けた。

「AFCS開発のキッカケになったのは確か、関東豪雨災害による救助の際に度重なる出動に疲弊した隊員の操縦ミスで救助者を死なせてしまったからだと読んだわ。小さな女の子だったそうね」

 パイロットの負担を軽減させ、人為的なミスによる死者を出さないために開発された技術。

 その操縦者こそ、当時二等空佐の狛江和樹だった。

 狛江は唇を噛んだまま俯いた。

 依願退職をしまえばその苦悩から幾何か解放されたのに、狛江はAFCSを開発しつつもその自責の念にかられ、上官を逆撫で、わざと降格した。自暴自棄ともいえる。もういっそ、懲戒免職にでもしてほしかったのだろう。

 それでも彼の中に燻る消えない贖罪の気持ちが、彼を辛うじて航空自衛隊へと留まらせていたのかもしれない。

 襟首にあるピンクの花のヘアピンは、彼自身への戒めなのだろうか。

 暫し無言になった狛江はニコリともせず空を仰ぎ、独り言のように呟く。

「……まったくイカれてますよ、あなたは。初対面の部下に『一緒に死んでくれ』って言ってるようなもんなんだから」

「まったくだわ」

 思わず自分でも笑ってしまった。

 狛江は何かを納得したように、まるで同級生へ向ける表情で私をみた。

「五番機。既にメンテナンスは終了しています。ただ…」

 狛江はすっと右手の指を立てて、

「三分待ってください」

 と言った。

 私は声を低くして、

「三分だけ待ってやる」

 と言った。 

「うわっ。こんな時に不朽の名作を出してくるとか、自衛隊の風上にも置けないですね」

「こんな時だからこそよ」

「こんなこと頻繁にあったら国家転覆ですよ」

 狛江は呆れたような声で、それでいてなんだか楽しそうだった。

 二人は目を合わせて、ふっと笑う。

 私はそれを合図のように「ありがとう」といって肩の無線機に手をやり、狛江を見ながら短く通話ボタンを押す。

「ユキ、かなで。準備できたわ、来てちょうだい」


****


『あくまで僕は上官に騙されたんです。最低限以外は手出ししませんよ。僕は何より保身を大事にしていますからね』

 狛江は離陸直前に葉月へそう告げた。

 時間の都合上、燃料の追加は出来なかったが、それでも二百㎞は飛べると言っていた。

 そして、武器や弾薬といったものも入手できなかった。

 輸送ヘリは武甲山を越え、左側には日本を代表する富士山が聳え立っている。

 暫し山麓を飛行すれば千曲川の上空を通過し、更に十数分飛行すれば会染に到達する。

 葉月の手元には1本の日本刀が握られていた。抜刀しないでいられるなら、それに越したことはない。

 かの時代に“天誅”という言葉があった。

 私のしようとしていることは、その時代でいえば“天誅”なのだろう。

 正義とはなにか。何かを犠牲にして得られるものが正義というならば、その定義そのものが本人の主観に委ねられ、同時に、定義そのものが他者によって否定される。

 多世界などという不確かな存在に、私も一度は醉心した。

 この手にした日本刀は父の意思そのものだ。

 人を生かし、未来を紡ぐ刀。

 刀が作るのではなく、人が未来を創る。武器を手にした者は、その責任が伴う。


「うぅ……」

 座席には朝比奈結希、水守奏、そして向かいに拘束具を付けられ座席に縛られた大柄な男性隊員と隣に私が座っていた。

「目が覚めたのね、鍛冶屋」

 プロペラの回転音で聞き取れないとわかっていても、反射的に声をかけた。

「……」

 鍛冶屋は声を出そうとはせず、拘束されていることを察して首の動ける範囲で周りを確認した。

 私は奏にヘッドセットを付けるように合図を出す。

 座席を立って奏が鍛冶屋にヘッドセットを付ける最中、鍛冶屋は『むう』と一声上げる程度で大人しくしていた。

「あー、あー。聞こえるかしら?」

 装着を確認して、テストしてみる。

 むん、と仏頂面をしたまま鍛冶屋は何も言わない。口元を塞いでいるわけではないけれど、敵に口を割りたくないのだろう。

「鍛冶屋くん、貴方に危害を加える気はないわ。それに、先日のダメージでまともには動けないと思うけど」

 実家での戦闘を脳裏に浮かべつつ、私は岩のように動かない鍛冶屋に声をかけた。

「いいわ、時間もないからそのまま聞いて」

 私は可能な限り、彼の心に届くように言葉を選んだ。

「鍛冶屋くん、率直に言うわ。私たちに協力してほしいの」

 私は一度深呼吸をした。

「あなたの経歴を調べさせてもらったわ……。奥様と小さな息子さんがいたのね。あなたがこの作戦に参加したのは、つまり、そういうことよね」

 鍛冶屋の心情は理解できる。いや、この場にいる全員同じ気持ちだろう。

「俺を懐柔しようとしてるのか」

「違うわ」

 私はキッパリと言い放った。

「鍛冶屋くん、私たちはお互いの弱味に漬け込まれて利用された者同士よ。最初から同じだったの、私はいま貴方に対して敵意はないわ」

「なら、この拘束具を外してくれ」

 結希がチラリとこちらを見ると、私は頷いて拘束具を外すように指示する。

 両足、手首、胴体の固定を順番に外し、結希と奏は身構える。それに気付いた鍛冶屋は、

「パラシュートも装備してないんだ、ここで戦闘をしても逃げれんだろ。安心せい」

 それを聞いて二人は幾何か安堵の表情を浮かべる。

「鍛冶屋くん、私たちはいま飛騨の施設へ向かっているの」

「!」

 鍛冶屋はそれを聞いて表情を険しくした。

「…なにをするつもりだ?」

「ご想像の通りよ、装置を施設もろとも破壊する」

「そんなことをしたら…!今までの犠牲を無駄にするつもりか、やめろ!!」

 鍛冶屋は怒号をあげた。

「俺たちは同じと言ったな、だったらわかるはずだ。俺はこの実験の為に修羅になると…決めた。どんな犠牲を払ってもたどり着くと決めたんだ!」

「いつになったら会えるの!?保証がどこにあるっていうのよ!」

「今日の実験が扉を開くかもしれん!特殊な子供なんだ!」

「そうやっていままで私たちは何人の子供を犠牲にしてきた?!ゲートを開いてそこへ行けたとしても、それはこの世界を無かったことにすることと同じなのよ!」

 地位や立場も無関係に、互いの信念の殴り合いとなる。

「最愛の者が居ない世界になんの価値がある…!僅かな可能性に賭けて何が悪い!」

 普段は冷静な私も、この時ばかりはそれを失っていた。

 気付けば鍛冶屋の胸ぐらを掴み、知らぬ間に涙を流していた。

「私にだって、愛した人が…いるの。でも、その人が生きた世界はここなのよ。それを無かったことにして、生きている世界に私たちが干渉することは、死者の墓を暴く行為に等しいのよ」

 私の声は叱責を受けた子供のように震えていた。

 それを聞いた鍛冶屋は奥歯が砕けんばかりに歯を噛み締めた。

 2人のやり取りを固唾を呑んで見守っていた結希や奏も、その頬には涙が伝っていた。

 わかっている、本当はみんな最初からわかっているんだ。


 ヘリは間もなく飛騨山脈を捉えようとしていた。

 その時、機内にけたたましい警報音が鳴り響く。

「なんなの?!」

 私は感傷に浸る間もなく素早くベルトを外し、その音源である操縦席へと移動した。

 後ろから着いてきた鍛冶屋が声を上げる。

「ロックオンされてるぞ!」

「どういうこと!?」

「この機体が敵機として認識されてる!撃ち落とされるってことだ!」

 瞬時にそれが防衛省の差し金であると察した。やられた…!

 飛騨基地にレーダーでもあるのか?地対空ミサイルか。それにしても対応が早すぎる…。

「ゆき!かなで!パラシュートは装備してるわね?今すぐ降下して!それと鍛冶屋くん!」

 私は一刻を争う事態に、頭をフル回転させる。

「葉月さんを置いていくなんて、そんなことできません!」

 結希が割って入り必死に訴える。

「これは命令よ!今すぐ降下して!」

「ゆきちゃん、葉月さんの命令に従おう…!」

 奏は持ち前のお姉さん気質を発揮して私とアイコンタクトを取ると、任せてくださいと言い頷き結希の肩を掴んだ。

「鍛冶屋くん、この機体にはフレアが装備されているわ!ギリギリまで引き付けて撃ってちょうだい!」

 操縦席に乗り込むと、素早くオートからマニュアルへ操作を変更する。

 鍛冶屋も操縦席に座り、後方の2人がパラシュートを開けるギリギリラインまで上昇するようにと私へ告げた。

「陸将…」

 急上昇を始めた束の間、鍛冶屋が呆然とした声をあげる。

「戦闘機二機が相手だ…勝ち目がない…」

 時間にして二秒ほど。正面に見えていた小さな黒い点が、轟音と共に瞬く間に視界から消え、それが旋回して後方に着くのは明白であった。

 その時である。

 機内に装備されたスピーカーから、この場の空気感とは掛け離れた呑気な声が流れる。

「あっれ~?もしかしてピンチだったりします?」

 狛江一尉である。

「もしかしなくてもピンチよ!」

 こっちは一刻を争う事態なのよ、なにを呑気に…。

「ピンチはチャンスって言いますけど、ピンチはピンチのままなんです。イーグル相手でも陸将だったら切り抜けられますよね?」

「あなた…いまなんて?」

 状況を伝えたわけではないのに、狛江一尉は正確に現状を把握していた。

 一体これは……。

「勘の良い人は嫌いじゃあないんですけどね、ねえ陸将?情に流される脆弱な裏切り者は死んでくださいよ、そこのゴリラと一緒にね!」

「!!」

 バラバラに散らばった欠片が一つに繋がる。

 迂闊だった。

 すべてを信じた私が馬鹿だったのだ。

 ドラマのように結末がハッピーエンドになるなんて、そんなことは世の中にはない。

 私は思わず操縦席から飛び退いて結希の姿を確認した。

「かなで!!!!!!」

 タイミングを合わせたかのように降下した二人の、パラシュートが1つだけ開いた状況をみて私は愕然とした。

 水守奏と狛江和樹は繋がっていた。

 手の込んだ芝居にまんまと騙されてしまった。もはや狛江という名も、私を騙すためのエピソード作りに利用されただけの別人なのだろう。

 パラシュートに何らかの細工をされ、そのまま転落しているのが朝比奈結希であることは言うまでもない。

 呆然とする私に、操縦席の鍛冶屋が声を荒げる。

「撃ってきたぞ!!!」

 鍛冶屋はフレアを発射して、それに誘導されたミサイルが機体のすぐ近くで爆発し、その爆風で機体が大きく揺れた。

 次はない。

 頭ではわかっているのに、身体が動かない。

 ダメだったんだ。もう何もかも終わりだ。

 この状況を打破する策も、奇跡も起きない。

 信じた仲間は裏切り者で、国さえ敵になっている。もし生き残れたとしても、生きる術がないのだ。

 遠くで警告音が鳴り響く。

 彼もいない。私に生きる希望さえ残されていない。だったらいっそこのまま死んでしまったほうが楽になれるのではないか?

 杉浦さん、やっと会えるね――

 

 二発目のミサイルが到達することを悟った葉月は、静かに目を閉じる。

 身体が強い衝撃で崩れ、葉月の身体は機外へと放り出された。


 時が止まったかのような感覚。


 衝撃による無重力の中、葉月の身体を鍛冶屋が掴み、そのまま引き寄せる。

 その強い力に自由落下に身を委ねていた葉月は目を開ける。

 あの状況下で鍛冶屋は、咄嗟に行動に出たのだろう。

 鍛冶屋が叫んでいる。

「あなたはここで死ぬべき人ではない!!」

 なに言ってるの、この高度で助からないわよ。

 地面まで十数秒と無い。

 スカイダイビングの経験はないけど、よくこんなことできるわよね。などと、葉月は呑気なことを考えていた。

 空中で葉月はそっと鍛冶屋を抱き締めた。

「ありがとう」

 その声は届かない。

 眼前には爆破され、くるくると黒煙を上げながら共に墜ちる機体があった。

 あと何秒だろう。

 後悔といえば、結婚をして子供を作らなかったことかもしれない。

 人生の半数を自衛隊に捧げ、男勝りな私は月経がなかなかこないことも多かった。子供を身籠ることが難しい身体だったから、これが天命なのかもしれない。

 

 眼前に森林が見えてきたその時、突然背中を鷲掴みにされ、鍛冶屋が白い歯を見せてニヤリと笑い何かを言った。


――生きてりゃ万事オッケーっす――


 鍛冶屋は落下するその体勢から、上腕の限界を越えて、葉月を空中へ投げ返した。

強烈な風圧を受けてはためいていた全身が一瞬、無重力となる。

 再度重力に引かれた身体は生い茂る森林の中へ、崖から不法投棄されたガラクタのように転げ落ちる。顔に脚に枝葉がぶつかろうとも、痛覚が麻痺して痛みを感じなくなっていた。

 葉月が地面に落ちるとほぼ同時に、少し離れた場所に機体が轟音を上げて爆発する。

 落下の衝撃で脳震盪を起こした葉月は、ぐったりとしたまま仰向けに倒れた。

 わずかに目を開けたものの、何重にもフィルターがかかったようにピントがずれて、はっきりと見えなかった。


 意識が朦朧としている中、葉月は奇妙な感覚に襲われる。

 ざらざらとした不快感、恐怖心、そして憎悪。

 誰に向けられたものかも分からぬこの発信源は、感覚的にかなり近いと感じた。

 

 地面の下――?

 確かにここ一帯は、既に陸自の敷地内ではある。

 何故場所がわかるのか、葉月自身もわからない。ただ“それ”だけは確信できた。

 まるで電磁パルスのような波が葉月の背中を通り抜ける。

 一回。

 二回。

 空が、オレンジ色や紫色にパラパラと切り替わる。

 走馬灯?いや違う。

 三回。

 四回。

 五回。

 目まぐるしく空が変わる。

 朱色、灰色、漆黒、そして――。

 鼓動に似たパルスの波がいよいよフィナーレを迎えるかのような錯覚に陥った時、また不思議な感覚に襲われる。

 それは葉月自身が、目眩く景色の“全てに存在している”という感覚だ。

 合わせ鏡に自分が無限に映り込む、その無限姿の1人1人が“個々に人格を持っている”、そう感じた。

 この場所に、幾重の世界に存在する自分自身が“同じことをしている――”

 葉月は父親の言葉を思い出した。

『完成された抜刀は時間(とき)を穿つ』

 その意味を、理論ではなく感覚的に理解した。

 同時に、E.plan計画というものが本質的にどういうものかも理解した。

 Elemental-Childrenなど必要ない。装置も、理論も必要ない。

 ただ分かることは、

 “世界は完成されたまま変化する存在”なのだ。

 これらを理解した時、葉月は宇宙と繋がっているような気持ちになった。

「私、どこへでもいけるわ」

 最後の高次元パルスがやってくる。

 私の望みは――――。


****


「もう開店の時間ですよ、葉月さん」

 起きてはいけない。

「葉月さん――?」

 いま目覚めてしまったら、私は“元には戻れない”

 どうしてそんなことを思うのか、私にだってわからない。

 昨夜はカリグラフィー検定の資格を取る為に、ちょこっと徹夜をしただけだ。

 メニューの書体を全てカリグラフィーに変えて、お洒落にしてみたいと思い立って始めたのだ。

「さては、狸寝入りですね?」

 彼が私の頬っぺたをツンツンする。

 私は泣きたくなった。

 既に大粒の涙を流していた。

 どうしてかはわからない。

 机に突っ伏して寝ていた私は、おもむろに右手で左の薬指に触れた。

 確かな絆がそこにはあった。

「葉月さん、どうしまし…た?」

 どうしようもない衝動に、カウンターチェアーをふっ飛ばして立ち上がり、側に立っていた彼の胸に飛び込んだ。

「…ただいま!!」

 きょとんとした彼は、悪い夢でも見たんですねと、優しく葉月の髪を撫でた。

 葉月は夫である杉浦颯の瞳を見つめて、

「タチの悪い夢だったの!!」

 と、目を腫らして訴えたのだった。

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