第15話 Memorys Drip

【颯人】はやと

 殉職したとされる椎名葉月陸将が、例の養護施設で初めて会った時に付けた名前だ。


 初夏のよく晴れた正午。

 桜の季節が懐かしく思えるほどに木々は生い茂り、時折吹き抜ける風が囁くような葉音を鳴らす。

 葉月はベビーコットの前に屈み、書き終えた乳児の氏名プレートを上部へ貼り付けた。

 この児童養護施設(仮)は乳児や幼児も関係なく、実に年齢幅の広い子供たちが収容されている。

 入所してくる人数と出所する人数が不均衡であっても、施設内はある程度一定の人数で保たれていた。

 乳児での入所は珍しいことではなかったので、葉月は特段気にすることはない。

 それよりも、新しく来た子供の“名付け親”になれるのが少し楽しみになりつつあった。

 葉月は1年の大半を施設で過ごし、残りを下界に降りて陸将としての任務に従事していた。


「先輩は保母さんって感じより、お母さんって感じですね!」

 去年新しくこの施設に配属された新米の朝比奈結希准尉が、自衛官らしからぬ呼び名で後ろから話しかける。

 葉月が“この施設内限定”で階級付きでの呼称を廃止した為、朝比奈准尉も『准尉』とは呼ばれず「ユキ」と葉月から呼ばれるようになった。

「ハヤト君かあ~!センパイ、名付けの基準って元カレとかの名前だったりするんですかー?」

「なーにバカなこと言ってるのよ、ホントあなたって子は…」

 溜め息まじりにユキへ振り返ると『図星ですね!』と、人差し指で葉月の鼻先をチョンとつついた。

「こらあ!一応上官だぞ!」

 冗談ぽく右手の拳を振り上げる仕草をすると「パワハラですヨ!」などと言って、乳児室の扉から飛び出して行った。

「あわわ…!」

 出会い頭に結希はもう一人の新米自衛官、水守奏准尉と派手に衝突して、奏が手に持っていたタオルケットを盛大に床へ撒き散らした。

「ひえー!ごめんごめん奏!」

 両者とも実に機敏な動きでテキパキとタオルケットを回収する。

「奏は無音だから気づかないのでありますぞ!」

 結希はプンスカしながら、奏の手にタオルケットを渡した。

「もお~、安全確認なんて基本中の基本だよ~」

 奏はおっとりとした口調で結希を嗜める。

 彼女の動きは機敏だが会話とのテンポが絶妙に噛み合わず、しかしそのアンバランスさが奏の持ち味でもあった。

 とあるスイッチが入ると二重人格かと思えるほどに変貌するらしいが。

 3人の自衛官はこの施設で過ごし、朝比奈や水守に限っては今後10年以上、この施設の中枢を担う人材となるべく葉月の指導を受けることとなっている。


「いずれこの子たちも、旅立つ時が来るんですねぇ~」

 庭先の原っぱで元気に走り回る子供たちを食堂から見ながら、昼食のカレーを上品に頬張る水守奏がポツリと呟いた。

「エレメンタル・チルドレンかあ…特別な脳波を持つ子供たちって短命なんだとかって聞きましたよ?」

 続いて朝比奈結希が、おかわりをすべく椅子から立ち上がって、炊飯器の前で杓文字を卓球のラケットのように持ちながら話しに加勢した。

「脳に腫瘍があって、リング稼働時に発生する電磁波のようなものが治療になるってアタシは聞いたよ」

 ライス特盛になったお皿にカレーのルーを並々とかけてユキは席に戻りながら話を続けた。

「治療できた子供たちって里親に引き取られるんでしょ?元気にしてるのかなあ」

 その様子を黙って見ていた葉月は、おもむろにユキへ視線を移した。

 目をぱちくりとさせて不思議そうに葉月を見返すその瞳は、邪気無さの残る純真無垢な少女そのものだ。

 暫しの沈黙に『ありゃ?なんかマズイこと言っちゃった?』と、咀嚼もせずに丸飲みしたカレーが喉を鳴らす。

「ユキ、あなたには双子の姉がいたんだったわよね?」

 唐突な思いがけない言葉に、結希は口へ運ぼうとしたスプーンを、静止画のようにピタリと止めた。

「え、ええまあ…。高校生の頃に病気で亡くなっちゃいましたケド…あはは」

 非常にデリケートな話題ではあったが、葉月は動じることなく会話を続ける。

「私は父親を、ユキは姉、奏はお母さんだったかしら。私たちそれぞれに想い人がいて、取り戻したい人がいる」

 葉月は深刻な話題をするつもりはないとばかりに、柔和な表情で2人をみていった。

「この施設の子供たちも、私たちの想い人も、どちらも大切。私たちは国を、この国の未来を守る仕事をしているわ。ゲートの稼働が私たちの大切な人へ繋がり、その副産物として子供たちを助ける治療になるのなら、この仕事に誇りを持っていいと思うの」

 結希と奏は反射的に背筋をピンと伸ばし、真剣な眼差しでコクコクと頷いた。

 ここで葉月は話の路線をさらりと変えた。

「私ね、実は結婚してもいいかな~って人がいたのよ」

 ガタッ!

「どこの殿方でありますか!?」

 結希が勢いでパイプ椅子を後方へ吹っ飛ばし、身を乗り出して葉月の答えを即した。

「そ、そんなに驚くことじゃないじゃない…」

「何言ってるんですか!!葉月陸将といえば殿方も恐れる超超!!スーパーエリート幹部ですよ!日本でただ1人の女性陸将ですよ!!桜星3つ!3つ桜!どこの馬の骨に惚れたんですかあ!」

「馬の骨はマズいよ…」

 奏は焦って結希を制した。


 自衛隊は本来、絶対的な階級社会で、部隊の秩序を保つために指揮命令系統を明確にしておくことが必要とされ、その階級は16等級に分けられている。

 大別すると、上位8階級が「幹部」。中間に「准尉」があり、下位7階級が「曹」と「士」となる。

 上位7階級の「幹部」は、幹部自衛官とも呼ばれ、一般的な軍隊でいうところの「将校」にあたる。

 陸上自衛隊の階級は偉い順に、陸将>陸将補>1等陸佐>2等陸佐>3等陸佐>1等陸尉>2等陸尉>3等陸尉であり、海上自衛隊であれば「陸」が「海」に、航空自衛隊は「空」になる。

 幹部自衛官のうち、最も下の階級が「尉官」、つまり1尉、2尉、3尉で、一般的な軍隊でいえば、大尉、中尉、少尉にあたる。

 結希や奏のように防衛大を卒業し、幹部候補生学校での教育を終えた新米の幹部自衛官は、3尉からスタートし、昇任の階段をのぼっていくことになる。

 しかし幹部自衛官の最下位とはいえ、3尉といえば数十人を率いる「小隊長」クラス。ベテランの曹など、自分よりずっと年上の部下を持つこともある。

 尉官よりひとつ上の階級が「佐官」で、上から1佐、2佐、3佐。

 一般的な軍隊の階級でいえば大佐、中佐、少佐に該当する。

 1等陸佐であれば1000人規模の部隊を率いる「連隊長」、1等海佐であれば、例えば海自最大の護衛艦である「いずも」といった大型の護衛艦の艦長クラスになる。

 葉月はさらにその上官ということになり、部下の数は数千~万人規模にもなる。

 想像しやすいのは【有事の際、机に座って現場の総指揮を執る人】といえばイメージしやすいだろうか。


 葉月のことは日本国民であれば、自衛隊マニアでなくても広く認知されている。

 それもそのはず、日本が自衛隊を設立した1954年7月1日以来初となる【女性自衛官、陸将】なのだから、マスコミや各メディアが挙って取り上げたのは他でもない。

 当然、女性隊員からは憧れの紅一点でもあった。もちろん男性隊員もその限りではない。


 結希や奏がこの施設に配属された初日のこと。

 2人が着任の挨拶で部屋を訪れた時には何故か部屋に誰も居なかった。

 外からは子供たちのはしゃぐ声が響き渡り、暫しの間2人は顔を見合わせて状況の確認を始めた。

 着任日を間違えたかと思っていたら突然、施設内の一角から叫びにも似た悲鳴が聞こえた。

 2人の新米自衛官が猛ダッシュで駆け付けた先は、調理場だった。

「どうされましたか?!!」

 厨房周辺一帯からは、焦げた臭いと室内に立ち込める白い煙で「火災か?!」と緊張が高まっていたのだが、そんな緊張をも崩れさせてしまうくらいのひ弱な泣き声で、デシャップカウンターに姿を現したのは椎名葉月陸将だった。

「これ、どうしたらいいの~?!」

 まさかの陸将登場に度肝を抜かれたのは当然だが、それよりも片手に火柱を上げた状態の鍋を掴んで、階級からは想像もできないような情けない声をあげていることに、新人2人は口をパクパクと開けて固まってしまっていた。


「ふうむ……、子供たちのプリンを作る為にカラメルソースを自作していたわけでありますかぁ…」

 結希は加熱し過ぎて炭のように黒焦げになった鍋を見て、引き攣った苦笑いを浮かべた。

「陸将殿!加熱による砂糖の状態変化を、僭越ながらお伝え致します!」

 そう言ったのは、3人の中で唯一料理が得意な水守奏だった。


 初日から3人はイレギュラーな顔合わせとなったが、そもそも准尉両者2名とも、葉月がこの施設の責任者であることを知らされていなかった。

 例えば超大手外資系企業の日本支店での採用面接で、最高経営責任者が面接官だったら就活生は度肝を抜かれることだろう。なんなら“トイレの扉を開けたらCEO”みたいなものだ。

 結希や奏も、まさにそんな気持ちだったに違いない。

 施設そのものが秘匿性の高い軍事機密扱いであったため、致し方無いといえばそれまでだが。


「馬の骨はスミマセン…それで、葉月センパイを射止めた殿方どんな人なんですかっ」

 結希は奏の静止を振り切らんばかりに、机から身を乗り出して葉月の返答を即した。

 こうなると葉月が答えるまで結希は動かない。


 葉月は苦笑いをしながら、おもむろに席を立った。

「???」

 結希と奏は、さすがにおふざけが過ぎたかと一瞬固まったが、

「コーヒー、飲む?」

 といって振り返った葉月の、なんとも形容し難い表情に「ハイ」と、か細く2人は答えた。

 厨房へ行くのかと思っていたら「お湯だけ沸かしておいて」とだけ伝え、自室へ行き、何かを手にして戻ってきた。

「えっ、葉月先輩。コーヒー豆なんてお持ちだったんですか?」

 驚いて声を上げたのは座ったままの奏だ。

 葉月の手にはキャニスターに密封保存され、その瓶に半分ほど詰められた珈琲豆があった。

 そしてそのキャニスターと一緒に持ってきたのは、使い込んで年季の感じられる手動のコーヒーミル。

「…センパイ、コーヒーなんて飲んでましたっけ??」

 結希は訝しげな表情を浮かべた。

「ここでは、初めてよ」

「…ここでは?」

「そうよ」

「フムフム、なるほどなるほど」

 結希は指先を名探偵よろしくこめかみに当てて、まるで葉月の中にある秘密に気付いたかのように唸ってみせた。

 そして突然机をバーン!と叩いて、

「謎は!全て!解け…」

「そろそろ黙れ」

「うえっ!!」

 奏の手刀が結希の喉元に容赦なく叩き込まれて、名探偵は悶絶しながら席にうずくまった。

「ひどいよおカナデぇー」

「レンジャー資格の名が泣くよ~」

「鬼神の銃剣使いに言われたくないわあ!」

 こんなコントみたいなやり取りは日常茶飯事なので、葉月は気にも留めず、せっせとコーヒー豆を挽いている。

 自分の記憶を辿りながら、粉受けから出した粗挽き程度の粉を布製のフィルターへ入れていった。

 それを見ていた奏が、

「ネルフィルターだなんて、珍しいですね。色々と本格的過ぎませんか?」

 と素直な感想を述べる。

 葉月は懐かしそうにふっと笑って、

「実はあんまり覚えてないの」

 と言った。

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