サイドストーリー

SS①【ルイの章】前編

 私の名前は櫻井麻衣。


 思い返せば、私を強く逞しく成長させてくれたのは、長い長い眠りの中で出会った、6人の“心友”のおかげだ。


 そうはっきりと断言できる。


 私がこの“在るべき”世界で目覚めた時、知らない天井がそこにはあった。

 病室の天井だった。

 私は戻れた安堵よりも、この6人のことが真っ先に頭に浮かび、涙が溢れた。


 ―私は、成すべきことを成したのか。


 私が旅をした数々の世界は、カラフルだったりモノトーンだったり、時に傷つけられたり、癒したり。

 泣いて、笑って、困惑して、いっぱい悩んで、自分を見つめ直して。

 人間とは何か、心ってなんだろうと。

 今まで考えたことがないようなことを、たくさん考えた。

 

 これまでのことを私は決して忘れない。忘れたくない。


 だから、私の物語をここに記す。


 彼らと共に生きた証として。

 

****


 眼前に広がる山麓と広大な高原。

 鮮やかなグリーンの草木たちが、一吹きのそよ風に撫でられて、艶髪に櫛をいれるように美しくたなびいている。

 その山の頂には白い石材と城壁で建築された、中世を彷彿とさせるお城がそびえ立っていた。


 この世界には樹齢3000年を越える巨大樹がいくつか存在し、その巨大樹がある場所を中心に国が繁栄し自然と人間が共存していた。

 元の世界では草木の成長には日光は欠かせない存在であるが、この世界の場合は【星の光】が草花や生命に必要なエネルギーを供給してくれる。

 星の光を受けた巨大樹は、あの世界でいうところの『電気』や『水』をその内部で生み出し、人々は大地に張り巡らされた根の部分からその恩恵を生活の基盤として利用していた。

 夜になれば人間は活動的になり、太陽が昇ると眠りにつく。

 周期は定かでないものの、星の光には数百年に1度、とてつもなく強大なエネルギーを照射する時があるようで、その光を受けた大樹は瞬く間に巨大化し、あらたな文明の礎となる巨大樹へと成長するようだ。

 そして既に巨大樹となっている大樹がこの星光を浴びると、水や電気の生産が通常の6千万倍になり、その膨大なエネルギーを変換するために巨大樹は【超巨大樹】へと成長する。

 そして【霊星御光れいせいぎょこう】の周期には、もう1つ特殊な変化がある。

 この世界には現在、8つの巨大樹があり、その中でこの霊星御光が最も強く降り注ぐ大樹からは神が生まれる。

 その『神』はこの世界にはない知識や技術、能力を有してるという。

 各巨大樹国家は、この神が降臨するであろう巨大樹の支配権を巡り、日夜激しい抗争…ならぬ口喧嘩をしている。


 この世界の最大の特徴は、人々の生命力に際限がないことであった。

 言い換えれば『無限の命』が与えられているのだ。

 その基盤となっているのが他でもないこの巨大樹にある。

 体内の老化となる物質は皮膚から大気中に飛散し、それを巨大樹が養分として吸収する。変わりに生命の源となる目には見えない素粒子レベルの“雫”を飛散させて、それを皮膚呼吸で体内へ吸収する。

 そのサイクルは人が呼吸をするような無意識下のものと同じで、特に意識するような事柄ではなかった。

 身体は二十歳前後の見た目で止まり、その成長速度を元の世界で算出するのなら、外見年齢が1歳増えるのに実に30年の歳月を要するという時間の違いがある。

 そしてこの世界の法則として『生命を故意に奪うと、その対価として奪った者の生命を消滅させる』という等価交換ともいえる秩序が存在している。

 故に、戦争や殺人のようなことは起こらず、覇権争いをするにも子供の口喧嘩程度で十分事足りるという、実に平和な世界であるのだ。


 ……と、ここまでは私が『目覚めた』時、既に脳内に予めインプットされていた情報だった。

 何を隠そう、私はその霊星御光の『神様』として降臨したらしい、新たな女神なのだ。

「私、確か教室で倒れたはずなんだけどなあ…」

 櫻井麻衣、女神サマとは程遠い単なる女子高生。

 身長もさして高いわけでもなく、妹の加奈や由衣と並んでみるとスレンダーとも言いがたい、絶賛成長期の女の子。

 何故か私は『女神様が降臨されたあああ!!』うおおおお!!という怒号にも似た歓声の中で目が覚めた。

 巨大樹が淡いエメラルドグリーンの光沢を発している最中、まるで映画の台本を読み上げるように巨大樹の頂上に立ち、

「不命の星、大樹の民よ。私は星霊より遣わされし八星神の1人、風の女神である!」

 などと、恥ずかし気もなく口が勝手に開いて観衆を響めかせた。


「夢にしてはリアルすぎる…」

 私の体感では既に1ヶ月の月日が経っている。

 

 この世界のことを理解するには十分すぎるほどの時間を過ごしてきたのに、なかなかどうしてか現実へ戻る兆候はみられなかった。

 【風の女神】などと高らかに言ったものの、最初は何が風の女神なのか理解できなかった。

 この世界の人間、所謂【下界】の民との直接的な交流は降臨したその日以降禁じられているようで、暇を持て余した風の女神の私は、飛翔能力を使って毎日あちこちの巨大樹を探しては空を駆け巡った。

 降臨から数日で気づいたことは、神様としてこの地に降りた私は、下界の民に存在が見えないということがわかった。 ただ存在を感知する人間はいるようだった。

 降臨した時に恥ずかしいセリフを言ってしまったものも実際この世界の民には聞こえておらず、霊能力者のような強い感応性をもつ人間が、神のお告げとして大衆へ伝えていたのである。

 巨大樹自体が、降臨した神の種類を発光させて知らせるらしく、私の場合は鮮やかな翡翠色を示した。

 そして、もうひとつ。

 八星神、というからには別の神様も存在するのだと察した私は、他の巨大樹を巡って『神様探し』をしてみた。

 私の降り立った土地、メラルド地方から飛翔日数で23日、初めて別の巨大樹を見つけるまで飛び続けた。

 神様には空腹や眠気、疲労などは一切なく、地球とは規模が桁違いの大地をどれだけ飛び続けてもなんともなかった。


 そして、私は出会った。


 巨大樹の見た目は、巨大な蘿(つた)が螺旋状に巻き付いて一本の大木として鎮座しており、土地の名はアンバー地方というらしい。

 降臨周期は数百年に1度と言われているが、このところ数十年に1度は新しい神様が降臨していることを私はこの時初めて知った。

 そして降臨したときの巨大樹の発光色は琥珀色だったそうだ。


 小柄な白銀の髪の少年は、名を『土の神、ルイ』と言った。

 

 私が蘿の巨大樹頂上へ降り立ったとき、彼は既にその場所で私を待っていた。

「巨大樹は神様がいる方向へ根っこが伸びていくんだ!」

 と元気よく解説してくれた。

 だから、私が飛翔して巨大樹へ向かっている数十日の間で、根っこが私の方向めがけてすくすくと成長したそうだ。

 私は無自覚だったのだけど、風の女神が飛んだ軌道には、新たな草木の生命が芽吹くようで、この世界の伝承では「風の神来(きた)るところに繁栄あり」と記されているようだった。


「ルイくん、聞きたいことが沢山あるんだけど」

 蘿の巨大樹に2人は並んで腰かけている。

「なんでも聞いて!」

 元気良すぎぃ…。

「長い間、話せる人が居なかったから寂しかったよ!」

 と、切実な心情を吐露した。

 しかし表情は小学校低学年のような、屈託のない笑顔そのもの。

「そ、そうなんだね…。えっと…」

「お姉さんはどこから来たの?!」

 ちょっ、なんでも聞いてって言ってたじゃない…。

 そこはグッと我慢してお姉さんらしく振る舞うことにした。

「私はメラルド地方から来たの。この世界には1ヶ月前くらいに風の女神として降臨したの」

「空飛べるってすごいね!」

 少年はお構い無しに話しかけてくる。

「ボクは土の神さまで、結構地味なんだよね!硬い岩とか壊せるけど!あと土も掘れるよ!」

「そ、そうなんだ」

 矢継ぎ早に話すので、こちらのターンが来ない。

「ルイくんは、この世界にきてどれくらい?」

「覚えてないけど、結構前だよ!」

 アバウトすぎる。これじゃ埒が明かないので、早期に話を詰めてみることにした。

「ルイくんは地球ってわかる?」

「え?」

 急に少年は真顔になった。

「私は地球から来たの。あなたはどこから、どの星から来たの?」

「………」

 少年はこちらを見ることはなく、黙って下界の土地を虚ろな瞳で見下げていた。

「どうしたの?」

「…無理ゲーじゃん」

「え?」

 今度は私が真顔になった。

「VRMMORPGじゃないのかよ、こんなの無理ゲーすぎる…」

 なんだって?

 VRMMORPGという単語を知っているということは、私と同じく元の世界の記憶があるということだ。

 それも私と同じ地球の。

「ルイくん、私もわからないことが沢山あるの。順番に話そ?」

 少年は手を頭の後ろにまわし、はあ~っと寝転んで言った。

「ムリムリ。やっと謎が解けたよ、どーりで…なるほど確信が持てた」

 ルイくんの口調には先ほどまでの子供っぽさは無くなっていた。

 それもそうだ。

 彼の見た目は子供でも、この世界では外見年齢が1歳増えるのに30年の歳月を要するのだから、精神年齢はひょっとしたら私より上の可能性だってある。

 “覚えてないけど、結構前”とルイくんは言っていた。

 そう思ってルイくんの顔を見てみると、急に大人びた人に見えてきてしまう。

 ルイはふぅ、と溜め息をついて私を見ると、耳を疑うような人物の名前を口にした。

 

****

 

 土の神、ルイ。

 本名を佐久間瑠偉という。

 東北育ちの裕福な家庭で育った彼は、小学3年生でありながら学校には通っていなかった。

 イジメが原因で、というありきたりな理由ではなく、プロゲーマーとして生計を立てていたため学校に行く理由がなかった。

 巧みな戦術を立案することに長けており、この時代の主流であるVRガンシューティングゲームの国内最年少プロとして活躍していた。

 裕福な家庭であったためか、暫し彼の家は同級生の溜まり場になることも少なくなかった。

 学校に行かずとも友達はできるし、良いところへ働くために勉強しなくても、一般的な社会人の収入以上は稼いでいた。

 世の中は年齢を問わず、そのような生活形態にも寛容になりつつあり、そしてそのような特殊技能を持つ人物を持ち上げる傾向にあった。

 両親は我が子に関心がなく、瑠偉は孤独の中で育った。

「瑠偉、必要なものは家政婦に言って頂戴」

 母親はそういって、教育や身の回りのことを専属の家政婦へ丸投げし、瑠偉が『ゲームが欲しい』というと、わけも分からず最新のVRゲームを家政婦は買い与えた。

 世の中の出来事は全て仮想空間で学んだといっていい。

 

 それからというもの、瑠偉はVRゲームに没頭した。

 【策丸】というキャラクターネームを使い、大人顔負けの頭脳戦とAIMスキルで、1日約20時間前後は仮想空間で過ごしていた。

 策丸というキャラクターから【ただの小学生】に戻り、4時間という短時間の睡眠時間の後、またあの世界へダイブする。

 元々ショートスリーパーの瑠偉にとって、睡眠とは単なるインターバルでしかなかった。

 次の戦場へ。また次の戦場へ…と。


 そんな生活をしていたある日、瑠偉はいつものようにVR空間から現実世界へ戻り、軽い食事をしてから一気に深い眠りへと落ちた。

 彼がある種の覚醒を遂げたのは、この時が初めてである。


 Type.F…予知夢

【foresight dream】

 近い未来の出来事を的確に俯瞰、もしくは体験する。


 瑠偉は、見たことのない研究所のようなところにいた。

 高そうなスーツを着て、眼鏡をかけた先生みたいな人と、側にはTシャツに短パンという場違い感がすごい大学生のような人もいた。

 瑠偉はぐるりと周囲を見渡すと部屋の一角に、いかにもSF映画に出てきそうな、人が寝転んで宇宙旅行に使うコールドスリープマシンみたいなものが10台ほど鎮座していた。 

『よく来てくれたね、ルイくん。これからわが社SANYの最新VRMMORPG、初めてのフルダイブテスターとして、ルイくんには特別に体験してもらいたいんだ』

 先生(?)は瑠偉の正面に立ち、終始にこやかな表情でルイに語りかけた。

『いやしかし、キミがわが社に電話した時は驚いたよ。僕のことも、村上のことも、ましてや“MMP”のことも知っていたからね。予知夢というのは本当に驚かされるよ』

 小学生とはいえ、瑠偉の知能指数は高校生レベルに匹敵するほどだったため、大人の会話であってもある程度理解できた。

 男は興味深そうにルイの目を覗き込むと、何かの考えを巡らせてこう言った。

『そうか、なるほど。いま僕が話していることは、ルイくんが既に知っていることになるね。逆にいうなら“知っておかなければならない情報”が必要になるということだ。いうなれば合言葉だね』

 さて、何にしようか。

 男はそういって、暫し考えるふりをした。

 男は既に“合言葉”を決めていたのだ。

 そして耳元で囁くように、それでいてハッキリとした口調で言った。

 

 “えむえむぴー、えすあーるぜろわん”


 その言葉と同時に、予知夢の中のルイと、ベッドの中の瑠偉はシンクロするように重なりあった。

 ―――ドクンッ!

 心臓の鼓動1回が、毛細血管の末端まで血液を送り出し覚醒を促す。

 ―――ドクンッ!

 水滴が落ちた水面のように、血液が足の爪先まで到達したとき、それに呼応して瑠偉は睡眠からわずか2時間で飛び起きるように目覚めた。

「――っ!」

 明朝だった。

 動悸は激しく、身体中のあちこちからは粒のような汗が噴き出していた。

 脳裏には起床直前のやり取りが走馬灯のように頭の中に散乱していて、バラバラになっているピースを脳内で組み上げて、初めて“合言葉”を短く呟いた。

「えむ…MMP、SR01…って、なんだろ」

 義務教育を自ら放棄している瑠偉にとってそれをノートに書く、という考えは即座に浮かばなかった。

 その代わり、祖父に買い与えてもらったハイスペックなデスクトップPCを慣れた手つきで起動して、ネットで検索するという考えに至った。

 机の上に並んだ3台のゲーミングモニターが、暗がりの室内と瑠偉の全身をぼんやりと照らし出し、いくつかのデスクトップアイコンが表示された。

【SANY_MMP_SR01_VRMMORPG】

 と素早くタイプしてエンターキーを叩く。

 案の定、SANYのワード検索で多数の関連タイトルとその概要文が閲覧できたが、MMPやSR01は検索にはかからず、VRMMORPGまでもがまったくヒットしなかった。

 VRMMORPGがSANYと関連して検索ワードでヒットしないのは妙だな…と瑠偉も思った。

 一昔、様々なデザインが施されたバーチャルリアリティのゴーグルタイプはSANYに限らず、数多の会社がこぞって製作していたし販売もしていた。

 フルダイブに関しては米軍が2016年頃に『脳に1㎠のインプラントを埋め込み、脳内のニューロンを電気信号に変換することで脳とデバイスをつなげる役割をさせる』という研究に多額の資金を投入していたし、日本の国公立大学でもフルダイブ技術の研究は実際行われていた。

 しかしそれは30年以上も前の話しである。

 当然、技術的に実現可能であればOKというものではなく、倫理的問題や法律上、健康上の問題点をクリアせねばならず、実用化には膨大な時間を要するであろうことは容易に想像できる。

 しかし…。――やはり、ただの夢か?


 瑠偉は疑心暗鬼になりつつも、ひとまず朝の8時まで待ち、先ほど調べたSANY代表取締役兼CEOの高城透へコンタクトを取る方法を考えた。

 瑠偉は自身のネームバリューを利用することにした。

 でなければ小学生のイタズラ電話だと、取り次いでもらえない可能性が高かったからである。

 瑠偉の目論み通り、いや、瑠偉が思っている以上に【策丸】の知名度は大きすぎた。

 【瑠偉】改め策丸は、国内最年少プロゲームというネームバリューを武器に、SANYへ“専属スポンサーになってもらえないか”と持ちかけた。

 既に複数のスポンサーが付いている策丸はそれらを全て解除し、SANYの様々なオンラインゲームソフトウェアの広告塔になりたいと申し出た。

 更に策丸は「他の企業からも多数オファーがきているので、いますぐ取り次いでもらえないなら他の企業にいきます。その場合、全てお姉さんの責任ですよ」と小学生とは思えぬブラフをかました。

 これには受付嬢も驚いたらしく「少々お待ち少ください!」と慌てて高城へと取り次いだ。

 瑠偉は言葉こそ淡々と言ったものの、取り次ぐ数十秒の間、心臓がバクバクしたままだった。

 しかしこちらの気持ちとは裏腹に、電話の相手、高城透の第一声は実に気さくな声だった。

「はい、高城です。策丸さんですね?噂は兼ね兼ね伺ってますよ」

 それもそのはず、いくら最年少プロとはいえ小学生なのだ。高城が緊張するはずもない。

 高城と瑠偉は短い談笑をしたのち、

「社長さん…あの、」と本題を切り出した。


 その後の展開は目まぐるしく、高城とその側で呑気にパソコンを叩いていた村上は“MMP SR01”の単語にひっくり返り、2人は本社から自家用ヘリで佐久間邸まですっ飛んできて、年間契約として数千万円の小切手を両親へ手渡した。

 瑠偉は両親が小切手の額に満面の笑みを浮かべている姿をみて、心底『リアルの大人はクズばかりだ』と落胆した。

 そしてそのまま、最もらしい理由を付けて瑠偉を本社に連れ帰った後、例の地下施設へと案内された。

 それからの出来事は、瑠偉が“夢の中で見た”ままの展開となる。


****


 VRMMORPG、フルダイブテスター。

 通常のVRガンシューティングゲームしか知らない瑠偉にとって、フルダイブ型というフレーズは、ゲーマーの好奇心を掻き立てられるのに十分だった。

 脳のデータ全てを仮想空間にダイブさせるというのは、ライトノベル小説の世界や空想科学の領域だと思っていた。

 もちろん“米軍などは実のところ成功していて、戦闘機の疑似パイロットとして戦場へ実戦投入している”なんてことはあるかもしれないが、今日までどのゲーム会社も公表せず、水面下で商用化の試行錯誤をしていたのだとSANYの社長である高城の口から直接聞かされれば、ネットの検索でヒットしなかった謎も頷けた。

 それ故、瑠偉はなんの疑いもなく“フルダイブ”のテスターとして、高城の『人体実験』に参加した。

 頭にキャップ型の電子機器を装着され、そこに繋がれている数多くの配線が、SEである村上の座るデスク周辺の機器に接続されていた。

 瑠偉は全長約2mのカプセル型装置に仰向けに横たわり、これから体験する未知なるVR空間に心躍らせていた。

 村上が最終チェックを済ませ「しゃちょ、オッケーっす!」と声を上げると、それを横目に高城は瑠偉の横たわる装置へ歩み寄り、顔を覗かせた。

「瑠偉くん、気分はどうだい?」

 瑠偉は歯科治療のユニットに座らされた子供のように全身を硬直させ、口の中がカラカラに渇きながらも辛うじて答えた。

「だ、大丈夫です…」


 高城は目を細めた。

 米国Lppleのウォズワックによれば、deeperと呼ばれる人種が存在し、それらは『別世界の記憶を有している』とされていた。

 ―このガキはdeeperではないが、利用価値はある。

 直交座標系にX軸を【多世界】、Y軸を【時間軸】とした場合、瑠偉にメモリーオーバーライトを施したら、ひょっとするとY軸に干渉できるのではないかと高城は考えた。

 しかし、いざ実験が始まるとその予想は大きく覆された。

 瑠偉の入るカプセルへガス麻酔剤を送り込むと、その小さな身体は直ぐ様眠りに落ちた。

 高城は村上に、90分後にメモリーオーバーライトを実行するよう指示を出し、その通りに睡眠中の瑠偉へ高城の脳データの上書きを行った。ところが、ここに高城の誤算があった。

 瑠偉は元々ショートスリーパーである。

 常人の半分の時間でレム睡眠とノンレム睡眠の周期が訪れる。

 入眠直後はノンレム睡眠、ほとんど夢を見ないとされている時間だ。

 90分後はレム睡眠と高を括っていたが、瑠偉は既にそのサイクルを一巡して二巡目に入っていた。

 眠りの深くなるノンレム睡眠時にメモリーオーバーライトを施したことにより、瑠偉の記憶容量に“高城の記憶データを追加”してしまった。

 もう1つの誤算が“上書き”ではなく、その“追加”という点である。

 高城と瑠偉の決定的な差は「記憶容量の絶対量」、つまり総量にある。

 幸い、瑠偉の思考回路と高城の思考回路には互換性があった。


【戦略的】


 ルイがこのファンタジーワールドで目覚めたのは偶然の産物でしかなかった。

 麻衣と同様、この世界の理は覚醒時には既に頭の中にあり、フルダイブのVR空間なのかどうかはまだ半信半疑だった。

 ルイがこの世界で過ごした年月は地球換算で【8年と10ヵ月、そして24日】

 地球でいうなら高校3年生に近い精神年齢となっている。

 【土の神】とはこの世界で【商業の神】といえる存在だった。

 長らく蘿の巨大樹頂上から、長年の習慣で高所から全体を見渡せる『索敵』に適した場所にいることが多かったが、待てど暮らせど敵など現れない。

 それは3日程で理解した。

 そして開拓の神であるルイは、この世界の神々について学んだ。


【土の神】

 土壌開拓や鉱石など、資源を中心に発展した、商業の神。

【風の神】

 自然の再生や癒し、動植物の楽園を司る、恵みの神。

【雷の神】

 電力を中心とした工業で栄える機械の神。

【大海の神】

 海面の干満を操り、世界の気象を保つ、天候と漁業の神。

【火の神】

 鉱石や鉱物など、有りとあらゆるものを溶かし、工具や日用品などを造り出す、鍛冶の神。

【旋律の神】

 楽器を奏で、音波を自在に操る娯楽の神。

【司書の神】

 すべての歴史を書物に記し保管、超巨大図書館を有し、完全記憶能力をもつ、管理の神。

【転移の神】

 未だかつてその存在を見たものはいない、神出鬼没な孤独の神。


 そしてこの神々は約300年のサイクルで新しくこの世界に降臨するらしい、という情報を掴んだ。

 自分が降臨したということは、神々の世代交代である節目をこの世界は迎えているということになる。

 

 この約9年間、ルイは高城の記憶に何度も思いを巡らせた。

 一時期は何かの記憶障害かと思った。 フルダイブ型VRMMORPGとはいえ、これほどの長期的なログインはまずあり得ないし、それに下界の人間たちは明らかにNPCではない。

 ゲームのクオリティーを越えた『現実感』を目の当たりにしたルイは、もしかしたら異世界転生でもしたのかもと考えた。

『多世界へのアクセスには子供の脳が最も効率が良い。自由な発想力が多世界への跳躍を容易にするからな。老いぼれになると頭が固くて使い物にならん』

 高城の記憶がルイの脳裏をかすめる。

 自分がテスターとして入ったカプセルは恐らく、フルダイブ型のゲーム機械ではない。

 だとしても、ならばこの世界は何なのか?

 ルイの中にある高城の記憶は断片的で、確信に至る情報が見つけられずにいた。


 そんなある日。

 この世界にきて9年目が近づいたとある朝、日が昇り人々が深い眠りに就いていた頃。

 ルイの頭に直感のような、閃きに似た感覚が舞い降りた。

 ―新たな神がこの世界に降臨する。

 その方角と大まかな距離、そして属性。

 神様同士はその感応によって周囲の物との間に引斥力が起る。

 簡単に言えば【相性】ということだ。

 麻衣がルイの方向を無意識に目指したのも、この相性という引力に引かれたに他ならない。

 逆に相性が悪ければ無意識に斥力が働き、その神様へ近づかなくなる。

「…考えることは、みんな同じか」

 ルイは蘿の巨大樹頂上で胡座をかいて座り、ひとり呟いた。

 4年前【火の神】が降臨した時、何故かその神様はルイを探してアンバー地方へ遠征してきた。

 火の神というからには、体格がマッチョの筋骨隆々な大男かと思いきや、まさにMMORPGに出てきそうな全身深紅の鎧に身を包んだ可憐な乙女が現れた。

 名をカノン、と言った。

「我が名はカノン、天界より遣われし火の女神であります。土の神であられる貴殿に……」

 正直ぎょっとした。もっと正直に言うなら「なにこのひと怖い」

 如何にも高貴な誇り高き戦士みたいな物言いをして、子供相手に膝をついて頭を下げるなど、ルイにとっては初めての経験だったからだ。

 基本ルイは、巨大樹から動くことがない。

 悪く言えば元の生活が「引きこもり」に近かった故、こちらの世界でもその習慣が色濃く反映され、滅多に遠征をするようなことがなかった。

 だからカノンがわざわざ遠征してきたし、実は2年前には雷の神も遠方から遥々訪ねてきていた。

 “動かざること山の如し”

 ルイは孫子の兵法の1つとして、自身の引きこもり癖を戦術と言い聞かせ、強引に納得した。

 火の神カノンは『鉱石や鉱物の取引』、雷の神ディーンは『工業地帯の拡大に伴う開墾』を、それぞれ依頼してきた。

 巨大樹の各神々は、下界の民の生活を第一に考えて神界での政治的な外交を行う。

 ところが、ルイは他の降臨した神様とは違って、この世界の歯車とは噛み合わないイレギュラーな存在だった。

 だから麻衣が現れた時も、また外交の話かと思い、子供っぽさを演出して適当に流そうとした。ところが、

「ルイくんは地球ってわかる?」

 風の女神は確かにそう言った。

 さらに、

「私は地球から来たの。あなたはどこから、どの星から来たの?」

 と言った。

 久々に狙撃銃でヘッドショットを食らった時のような気分になった。

 ゲームじゃないのかよ……。

 時間加速器を使って、外部とゲーム内の時間に大きな時差が『あるかもしれない』と考えていた。

 神様は天界から遣わされるという『設定』だと思いたかった。

 SANYの社長に『してやられた』とは思いたくなかった。

 かもしれない、かもしれない、という仮説に仮説を立てて、約9年という歳月をそれなりに楽しんできた。

『もしかして、僕は何かの研究に使われたんじゃないの?』という仮説からは目を逸らしてきた。

「ムリムリ。やっと謎が解けたよ、どーりで…なるほど確信が持てた」

 気付けばそんな言葉を発していた。

 ここはフルダイブ型VRMMORPGではない。

 この麻衣という女子の発言からそれは紐解けた。

 普通、ゲームでの住んでいる場所、つまりどこからログインしているかというのは、都道府県で答える。「私は東京在住、ルイくんどこ住み?」というように。

 そもそもこの世界にはレベリング要素がない。アビリティとかそういうゲーム要素が皆無である。

 そして、麻衣は1ヶ月前に降臨して直ぐ、このアンバー地方を目指したことになる。

 カノンもディーンも降臨してから数年の期間をあけてからこちらに来た。それは自身の巨大樹がある国の管轄を見守る時間が必要だからだ。

 つまり麻衣はそれらの【神界の掟】を知らない、イレギュラーである可能性が高い…いや確信した。この人は間違いなく同じ地球から来た『あの人の犠牲者だ』


****

  

「SANYの高城透社長を知ってる?」

 ルイは蘿の巨大樹頂上で寝そべっていた上体を起こし、まっすぐ麻衣を見据えて言った。

「え??」

 何故いまその名前を出したのかと困惑の表情をしている。

「だーかーら、知ってるの?知らないの?」

「知ってます…」

 先程までお姉さんぶっていたのに、彼女は敬語を使い小さくなった。

「僕はね、高城透社長にフルダイブ型VRMMORPGのテスターとして呼ばれて、変な機械で眠らされてここに来た。もう9年くらい前の話。」

 それを聞いた麻衣は頭の整理が追い付かないようで、文字どおり固まった。

 それを尻目にルイは、これまでの話を事細かく全て話した。

 覚えている範囲の高城の記憶、この世界のこと。地球での自分のこと。

 2人は背中合わせになるように座り、ただ黙々と話をした。

 麻衣はそれを終始黙って聞いていた。


「…それで、お姉さんもテスターになったの?」

 話終えたルイは、単刀直入に聞いた。

「う…えっぐ、うう…」

 返ってきた返事は嗚咽だった。

「な!なんで泣いてんだよ!」

「だって~…ひっぐ」

 いまの話で泣く要素あったか?!なんならミステリアス要素のほうが多いと思うんだが!

「違うよ、こんな長い間…ずっと1人でさあ…寂しかったよね。寂しいよ」

 麻衣はそういうと突然、ルイを背中から包み込むように抱きしめた。

「…!!」

 なんの前触れもなく抱きしめられたルイは硬直した。

「大丈夫、なんとかなるよ。キミはキミのままでいい。頑張り過ぎなくていいからね」

 耳許で優しくささやく麻衣。

「あっ…」

 瑠偉の頬に一筋の涙が流れた。

 バカヤロウ…親にもしてもらったことないんだぞ。これはアレだ、目にゴミが入っただけなんだからな…。ああ~くそ、止まんねぇ…。

 僕にもこんな姉ちゃんがいたらな…。


 2人はしばらく無言のまま、夕陽が沈む景色を眺めていた。

「ねえ、ルイくん」

「ん、なに?」

「私たちって300年経たないと、この世界から出られないのかな?」

「うーん、重力ワープみたいなのがあれば出れるんじゃない?」

 ルイはSFに出てきそうな仮想の装置を提案してみた。

「ルイくんの身体の本体って、SANYの本社にあるんでしょう?私はたぶん病院だと思うけど…」

「病院?!」

 あっ、そうか。私もゲームに参加してるかどうか聞いてたわ。

「学校で倒れちゃってね、突然すんごい眠くなって意識がなくなったのよ」

 それを聞いてルイは愕然とした。

 高城の記憶の中に、いくつかの同じワードの単語が多くあったからだ。

 【睡眠】

 【多世界跳躍】

「姉ちゃんはあのマシンに入ってないの…?ただ眠った、だけ…?」

 ルイの脳内は高速演算を始めた。

 睡眠、多世界、空間、跳躍、SANY、Lpple、マシン、重力、時間、土、風、水、火、雷、音波、知識、転移、記憶、データ、上書き、夢……!

「できるかも、しれない…!」

「え?なにを?」

 1人ではできない。でも、みんなの力を1つにすれば。

「姉ちゃんを元の世界に戻すことが!」




 その物語は後に、この世界で永久に語り継がれる伝説となるのだった。


   ――ルイの章 前編 完――

 

 

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