第13話 准教授

 ピピッ。


 村上のデジタル時計が午前10時を知らせるビープ音を発した。

 と同時に2人しか居ないハズの社長室の扉が遠慮がちにノックされる。

 高城は身体を取り巻く魔王のようなオーラを瞬時に体内へ引っ込めた。

 手早くネクタイを締め直し、表情は別人のように優しく作り替えた。

 「どうぞー!」

 その声は恋人を待ち遠しく思い、その日を待ちに待っていたかのような、笑顔ならぬ笑声であった。

 重厚な木製の扉がそろりと開かれ、ちょこんと片方の顔だけ覗かせた少女がそこにいた。

「なにしてるんだい?早く入っておいで、あかねちゃん」

 名前を呼ばれて顔を紅潮させた萩野あかねは、この日の為に新調した新しい桜色のワンピースを見せるのが恥ずかしいのか、もじもじと部屋に入って扉を閉めた。

「…透さん!」

 緊張と羞恥心と嬉しさがごちゃ混ぜになったあかねは、仔犬のように高城の胸のなかへダイブした。


「会いたかったよぉ…」

 彼の胸の中で精一杯の愛情表現を口にするあかね。

 高城は右手で女子高生らしいシャンプーの香りのする髪を優しく撫で、左手をあかねの腰にまわし、ぽんぽんとたたいた。

「…あかねちゃん」

「…え、――あっ…」

 oh!これはまさかの…!と言わんばかりに、高城はあかねの両頬に手をあてがう。

 潤んだ瞳で暫し見つめ合う2人。

 このシチュエーションは紛れもなく…と思われていたが。

 高城はその両頬をホットドッグを潰すかのようにムギュっと押して、そのまま顔をPCに座る村上へ向けた。

「ちぃーす、あかねちゃん」

 村上は腫れ物を見るような目でこちらを一瞥して右手をかざし、五指をヒラヒラとしながら適当に挨拶をした。

「むむむむ村上さん!!!ななんでここにいるんですかっー!」

 恥ずかしさドMAXを越えたあかねの顔からは赤面の湯気が立ち上がっている。

「なんでって言われても…仕事っスうおわっ?!」

 高城の両手からスルリと抜け出したあかねは、持参のカバンでバンバン村上をタコ殴りして「だいたいそこの椅子は透さんの席なんだからね!」と追い出しにかかった。

 高城は右腕である、人類最強システムエンジニアが駆除される姿を生暖かく見守っていた。


 高城と萩野あかねはこれまで、何度も《デート》を重ねた。

 初回の顔合わせは、年の差のある両者ともぎこちない2人だったが、幾度となく会話を重ねる毎に最初はツンツンしていたあかねも次第に心を開いていった。

 deeperである前に、萩野あかねは純粋な1人の乙女である。

 同級生の稚拙な男子と比べ、別格の大人の男性というものを目の当たりしたあかねが恋心を抱くのは、決して難しいことではなかった。

 一人っ子で兄が欲しかった、というのも拍車を掛けた理由かもしれない。


 お互い十分に距離が縮まったと悟った高城は、検査だと称してあかねを本社地下施設で眠らせ、隈無く調査をした。

 ここで1つの発見をする。

 これまでの6人と比べ、強制睡眠時に見られる脳波の乱れが全くなく、それどころか真逆の反応を示したのだ。

《幸せが満ち溢れている、安心した精神状態》


 咄嗟になにを閃いたのか高城は村上に、自分も強制睡眠状態にするように指示を出した。

 そして全てをモニタリングするようにとも合わせて指示を出した。

 眠りからわずか4時間で高城は目覚めた。

 村上が「どんな夢をみたっスか?」と聞いたところ、高城はよくある曖昧な夢の話をした。

「知らない旅館みたいな場所にいた。気がついたら学校の教師みたいになっていて、1人の生徒が、知ってるような知らないような、そんな女子生徒が俺の名前を呼ぶんだよ…俺は『どこかで会ったことがあるか?』と聞いたところで目が覚めた」

 しっかり覚醒してからみた自分のマヌケな喋り方の映像に、高城は些か不機嫌になった。

 しかし、次いで目覚めた萩野あかねが話した内容でその不機嫌さは消し飛ぶことになる。

「透さんが、学校に来た…。私のこと知らなくて『どこかで会ったことがあるかな?』って聞かれた」


 これには高城も心底驚いた。

 滅多に本音が顔に出るタイプではない高城でも、この数秒だけは「マジかよ」という表情になっていた。


 そもそもdeeperではない高城が、夢を夢と認識するのは目覚めてからである。

 ちなみに初めて萩野あかねと電話で話した時に『僕もdeeperだ』と言ったのは当然ウソだった。


 高城はこれまでの被験体からの情報を分析し、タイプ別に区分したものが以下の通りである。

 

 Type.A…人類の97%はこれにあたる。

 夢の中(多世界)の自分を俯瞰的に眺めているだけで自発的な行動はできない。

 非現実なものと認識する。

 覚醒時、記憶は曖昧か忘却される。


 Type.L…明晰夢に区分。

 夢の中で自発的な行動ができる。

 夢を夢と認識する。

 覚醒時、記憶は曖昧か忘却される。


 Type.F…予知夢に区分。

 未来の出来事を的確に俯瞰、もしくは体験する。

 覚醒時、記憶はしっかりと保持されている。


 Type.D…多世界へ干渉できる者。

 主人格である本体が睡眠時、どの世界に主人格が移動しても記憶の維持ができ、際限なく往来が可能。

 

 Type.X…物理的な多世界干渉が可能な者(仮)

 …これは村上が面白がって追加したものである。

 

 そして新たに別のTypeが追加される。


 Type.S…共有夢に区分。

 双子、親子、夫婦、兄弟、恋人のような親密な間柄で、同じ空間(多世界)を共有することができる。

 心の親密度合いが大きく影響。

 覚醒時、両者とも記憶はしっかりと保持されている。


 高城はこの発見にゲラゲラと笑った。

 それは無罪が確定した知能殺人犯のような、品性の欠片もない粗雑な笑い方だった。

 Type.Sである共有夢というのは実際のところ数多くの報告例があり、高城が立てた仮説の段階では、この現実世界に最も酷似しているパラレルワールドの1つではないかと仮定していた。

 故に、人類の大半が睡眠時に最も往来している空間で、逆に全く異なるパラレルワールドへ移動している者は、その跳躍力に個人差があり、ゲームで例えるなら《時空転送レベルが高い》、ということではないかと考えていた。


****


 カッカッカッカッ。

 白いチョークで大きな黒板に書きなぐった、お世辞にも上手とは言えない正方形の箱に見立てた図形を書いた。

 国内のとある国公立大学の大教室で、生徒数百人が収用できるであろう広さの3分の2程度が埋まった状態で講義をするのは初めてだった。

「えー、量子論を代表する現象のひとつに、量子的重ね合わせの状態があります。箱を開けて観察するという行為をもって生死が決定される「シュレーディンガーの猫」に例えられるように、この量子的重ね合わせの状態では“生”と“死”という2つの状態が共存しているわけです」

 正方形の箱の中に簡略化したネコの絵を書き足したところで、どこかの席の生徒が失笑するのが背中越しでもわかった。

 小難しい話の、小難しい空間を和ませるために幼稚園児が書くようなネコを描いたわけでなく、僕には真剣に絵心というものがなかった。

「――すると、人間が夢を見ている時の状態というのは、肉体は現実Aにありながら意識は現実Bにあるという2つの状態が共存した量子的重ね合わせの状態であるのかもしれないのです。」

 雑念を振り払うように、声色を変えず、淡々と解説を続けた。


 今となっては櫻井准教授となった僕は、遠い昔にドイツへ留学して無事【博士号】を取得した。

 おまけに最愛の彼女と出会ったと思ったら情けなくも彼女から逆プロポーズをされ、めでたく妻となった三咲は日本へ帰国して実家の旅館を継いだ。

 僕が日本へ帰国した後、助教、非常勤講師、そして准教授とステップアップしていく間、3人目となる三女の由衣も、つたい歩きができる迄に成長していた。


 《衣食を足りて礼節を知る》という意味合いも込めて麻衣と名付けられた長女。

 《明朗で活力旺盛な人気者。感性が豊かで、芸術、学術、芸能などで才能を発揮するでしょう。》

 と、姓名診断で字画の良かったことから決めた、次女の香奈。

 由奈か由衣で半年悩み、出産直後に『ユイにする!』と三咲が直感で決めた三女。

 あいにく男の子には恵まれなかったが、三咲の家系は女系家系らしく、三咲自身も三姉妹だったようで「こればっかりは仕方ないよね」と、女子家系の運命を受け入れていた。


「――そして“目覚める”ことで毎朝、現実Aに“決定”されるのです」

 僕の脳裏には、三咲と出会って間もないあの日の光景が思い浮かべられていた。

「――ではこの“現実B”のほうは実在する世界なのでしょうか?」

 半狂乱で書き殴った《魔法の理論》

 白衣を纏ったもう一人の“櫻井教授”

「――そこで魅力的な概念として浮上してくるのが、多世界解釈や多元宇宙論で考えられている“パラレルワールド”です。もし夢を見ている最中の我々の意識がパラレルワールドにあるとすれば、この“現実B”も実在する世界ということになります。」

 三咲の脳内にはこの禁忌目録が克明に記されている。

 “現実B”の僕はこの理論を完成させてどうするつもりだったのか?

 あのときの彼と僕は、一時的にではあるものの完全に同期していた。

 悪事に運用しようとしていたわけではない。それはこの僕が保証する。

 何かのために、使命感を帯びた感情が彼にはあった。

「――その証拠になるかもしれないのが、たいていの夢は我々が現実に生きている世界(現実A)と基本的にあまり違いのないビジュアルと設定の世界であることです。もちろん夢の世界(現実B)で訪れたことのない場所にいたり見知らぬ人に出会ったりもするでしょうが、この“微妙に違う”ことこそパラレルワールドの特徴だといえるのではないかと思います。」

 僕が流暢に講義を行っている最中、生徒たちはただ黙々とその話を聞いていたり、単位のために時間を潰しているだけの人もいた。

 これじゃつまらないな。

 僕が目指すのは、偉そうに知識をひけらかして教鞭を振るうことじゃない。

「この中にアニメが好きな人はいるかい?」

 講義内容とは畑違いの話題に、退屈そうにペン回しをしていた生徒までその動きを止めた。

「僕は今でも色んなアニメや映画を観るし、ゲームもやるよ。その昔には《アニメ高度成長期》なるものがあってね。現代からすると古くさい作品もあったりするだろうけど、今日のアニメの礎になったのは間違いなく過去のクリエイター達のお陰だろうね」

 大半の生徒が僕の話に興味を示し始めていた。

 講義内容から逸脱しています、なんていう生徒も出てくるだろ。

 あらゆる生徒からの質問や野次を想定して、次なる話題に進む。

「ヴァンパイアを扱った作品もあるね、いわゆる吸血鬼というものだ。実はその原作者曰く、吸血鬼という概念やアイデアは夢の中で得たものだと公言している」

 へえ、と数人の生徒が素直な驚きを口にする。

「誰かが新しい作品を作り出すときの《設定》というのは、既存の過去作品を多かれ少なかれ掠め取っていたり、逆に類似しないよう避けて創作するのは否めないよね。それこそ20年以上も前なら、異世界転生だとかハーレム、主人公最強設定の類似作品は五万と存在していた。僕が言いたいのは批判ではないよ。この世にこれから生み出されるものの殆どが、必ず『誰かによって作られた方程式』の上に沿って生み出されているということ。」

 国公立大学の生徒だ、これくらいのことなら理解できるだろうと踏んで、さらに続けた。

「さて、本題に戻します。この世界の法則では、実に様々なことが数学で表すことができます。例えば音。単純な比率を持つ音どうしは、振動のエネルギーを受け渡しやすいという性質(共振)を持っているので、それらの音は非常によく響き合います。 この音階はそのような単純な整数比の音程からできているので、自然に響き合う音階です。これを純正調の音階といいます。純正調音階は、もともと自然法則に基づいて響き合う音を連ねたものだから、神が作った音階と言えるのかもしれない。しかし、この音階の決定的な欠陥は転調ができない点にあります。例えばニ長調では、レとラの比率は(3/5)÷(8/9)=27/40であり、完全5度の音程2/3にはならないので、 ニ長調の音階は不自然で聞きづらいものとなってしまいます。 この欠陥は音楽が発達し複雑になってくると、その発達を阻害するようになってきました。そこでこの困難を克服するために開発された音階が平均律による音階です。」

 量子論からアニメに、アニメから純正調音階、目まぐるしく話題を乗り換え、生徒の殆どが『着地点はどこ?!』と困惑し始めた。

 僕はなかなかに面白くなって、さらに学生の脳内をかき混ぜてやろうと決めた。

「――まるで数学の世界において、自然数だけでは議論が十分にできなくなり、数を整数、分数、無理数、そして虚数と拡張していった歴史に似ています。」

 さっと全体を見回し、せかせかとノートに書き留める1人の女子を見つけて訊ねた。

「えーっと。そう、そこのキミ。名前は?」

え?私??と驚いて隣の友達と顔を見合わせてその子は立ち上がった。

「竹内です」

「竹内さんか、ありがとう。さっそくだけど、空を飛んだ夢を見たことある?」

「えっと、はい。あります」

「どんな感じで飛ぶの?」

 竹内と言った女の子は恥ずかしそうに両の手をパタパタとさせて

「こう、犬かきみたいに…」

 と、か細く呟いた。

 これには教室内一同爆笑した。

「ありがとう竹内さん。座っていいよ」

 緩急を付けたことにより、全員の意識は完全に僕のほうへ集中した。

「おそらくこの中の全員が、空を飛んだり高所から落ちる夢を見たことがあるんじゃないかな?」

 全体の8割くらいの生徒がウンウンと頷いている。

「なのに、君たちは生きている。生身の人間が空中浮遊したり高所から落ちると普通死にます」

 そりゃそうだ、夢だもの。と各々に思っていることだろう。

「肉体は現実Aにありながら意識は現実Bにあるという2つの状態が共存した量子的重ね合わせの状態であるのかもしれない。僕は講義の前半でそう話しました。僕は知ってます、過半数の生徒が聴いていなかったことを。」

 チラッと竹内さんをみると『私は聴いてましたよ!!』という視線を投げてくる。

 過半数はバツが悪そうに苦笑いしていた。

「冗談はこの辺にして。さて、肉体のある現実Aでは空を飛ぶ行為は非現実的で、意識のある現実Bではそれが可能ということは、そもそも物理法則自体が違うことになるよね。おそらく純正調音階と言われているこの世界の音階もその比率を表す数字も、適応されるのはこの現実Aだけです。なぜこの世界に都合よく、あらゆる法則や数式が存在するのか、皆さんは考えてことがありますか?」

 僕はぐるりと全体を見回した。

「様々な空想作品が世に出回る中で、それらが現実になることもありません。当然です、この世界にはこの世界の秩序や法則がありますから。もし、この世界のレベルを越えた技術や知識を現実Bから持ち込むようなことがあれば…」


―神の意思によって消されるかもしれない―


「…A-B間に繋がれた糸が強制的に切られるでしょう。」

 流石に前述浮かんだ言葉は言えなかったので、表現を少し濁した。

 残りの時間はディスカッション方式で質疑応答を行った。


 通常大学の講義はその在校生しか受けないのだが、たまに外部の大学や一般人も潜りこんで講義を聴きにくる者がいる。

その中に意外な人物が僕の講義を聴きに来ていることは予想できなかった。

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