第12話 片翼のスティング

 ニューヨーク某所、18時12分。

 東京、7時12分。

 13時間程度の時差や距離など、現代の通信ネットワークを使えば無いに等しいものだ。

 

 ずんぐりとした巨体に短い白髪、さらにサンタクロースを彷彿させるような白い顎髭を蓄えた白人の男は、ニューヨークの一角で今まさに日本との通信回線を開こうとしていた。

 あと10年ほどもすれば1世紀近く生きてきたことになるこの肉体も、タイムリミットが迫っていることを身体の節々が刻々と知らせていた。

 有り余る資金力を使って日本風にアレンジした内装は、かつての相棒の趣向に合わせてデザインしたものだが、初めは異国の文化に些か抵抗を感じていた老人も歳を重ねるごとにその良さを理解できるようになっていた。

 

 彼の名はスティング・ウォズワック。

 パーソナルコンピューターやインターネット、メディア革命のパイオニアと称された人物の1人である。

 そしてもう1人はスティング・ジョブズ。

 Lppleの共同設立者であり、ウォズワックより世界への知名度は高いのではないだろうか。

 少年時代から類い稀な才能に恵まれ独自の成長を遂げてきた2人は、ウォズワックが21歳の時、16歳だったジョブズと必然的な出会いを果たし、その歯車は大きく動き始める。

 彼らはすぐに意気投合し【ブルーボックス】という、不正に無料で長距離電話をかけることを可能にする装置を自作しては売り捌き、大きな利益を上げた。

 エンジニアリングのウォズワック、マーケティングのジョブズ。

 2人の両翼は見事世界の大空を駆け巡り、世界トップシェアを誇るデバイスを世に送り出してきた。

 更なる飛躍を遂げるかに思えた2人だったが、相棒であるスティング・ジョブズの身体は病魔によって蝕ばまれ、56歳という若さでこの世を去った。


「ワシも歳を取ったわい、のう?ジョブズ」

 ウォズワックは嗄れた声で、それとは対照的な力強い瞳をどこへ向けるわけでもなく、呟いた。

「…肉体は入れ物にしかすぎないさ、ウォズ。まだ『準備』はできないのか?」

「そう急かしなさんな。まったくお前さんはいつも上からモノを言いよってからに…」


 これらの会話は年老いた老人の幻聴による独り言ではない。

 『彼』の定位置である、南窓の和室に敷かれた畳の上に、100センチ四方の銀色メッキが特徴な3Dホログラムデバイスが置かれている。

 起動時にぶぅん、という音はなく、『彼』の意思によってその姿を現すことができる装置だ。

 起動すると四方の端がアクアブルーに淡く光るように設計したのは、ウォズワックが『魂が宿るようだ』と思い立って追加設計したものである。

 そしていま淡く光っているその装置は、『魂』が実際そこに存在していることを示していた。


 数十年前、とある研究チームが脳神経細胞の結合部であるシナプスのサイズを測ることで記憶容量を測定することに成功した。

 それによると平均的なシナプスは4.7ビット(0.5875バイト)の記憶容量があり、脳全体では約1ペタバイト(1,024TB)の情報の記憶が可能である、ということを突き止めた。

 だがウォズワックは、

《人間の脳全てをデータ化すると、さらに容量が必要なはずだ》と、独自のデータ保管装置を開発した。

 同時に《人間の脳をデータ化》させる読み取りデバイスを開発し、病床で朽果てる寸前だったジョブズの脳内から『彼の複製』とも言える脳内データ全てをコピーした。

 ウォズワックの読み通り、人間の脳内データは記憶データ容量だけではなく、相互に機能を維持するための余剰データが数多く存在した。

 再度目覚めた『彼』はそれらを《Apple SEED》と名付けた。


 3Dホログラムとなって姿を現したスティング・ジョブズは、片翼の友へ無表情のまま視線を向けた。

「ウォズ、協力者との打ち合わせはまだなのか」

「いまやっとるわい、もう少しまっておれ」

 推定樹齢約1000年の天然ケヤキ一枚テーブルの上には、世に出回るどんなハイスペックPCよりも優れた、ウォズワック自慢の自作機器がところ狭しと並べられている。

 タタタンッ!と慣れた手つきでキーボードを押し、独自の秘匿回線を繋げる。

 程なくして、ウォズワックとジョブズの中間に用意されていたもう1つの3Dホログラムが作動した。

「準備できたっス」

 音声が映像より数秒早く繋がり、相手の声がクリアに聞こえる。

 そして3Dホログラムとなったスーツをきた眼鏡の若い男が、ウォズワックとジョブズの前に姿を現した。

「お久しぶりです、ウォズワック氏と、」

 男は同じく3Dホログラム化したジョブズに目をやり

「偉大なるジョブズ氏」

 と日本式のお辞儀をした。

「そういう堅苦しいのはいいわい、タカジョー。本題に入ろうじゃないか」

 ウォズワックは椅子からはみ出るくらいの小さな木製の椅子に鎮座したまま、高城透に催促した。

「わかりました。では…」

 高城は一息ついて、

「SR-D07の被験者を見つけました。かなり純度の高い適合者です」

 ウォズワックはその巨体に似合わない素早い動きで立ち上がっていた。

「おおそうか!ボウズでかしたぞ!」

 喜ぶウォズワックに対して、ホログラムジョブズは冷静な声で質問した。

「タカジョウ、SR-D06までの失敗の原因は、なんだね?」

 高城は表情を変えることなく淡々と説明を始めた。

「私たちはこれまで、deeperとして覚醒した者が睡眠状態に入る時にメモリーオーバーライト、つまり記憶データの上書きによって多世界へのアクセス方法を模索してきました。そこで、」

 高城は右手の人差し指を立てて、

「問題1。ジョブズ氏の脳内データを被験者の脳へ上書きする際の不適合」

 高城はさらに中指を加えて、

「問題2。指定座標への多世界跳躍が不可能に近いこと。もしくは指定座標となる『肉体』が転送先に存在しているか定かでないこと。」

 そして薬指を加え、

「問題3。1度実験を行うと被験者が使い物にならなくなるということです」

 既に2人にとっては周知の事実であったため、黙って話の続きを聞いた。

「被験者番号SR-D07、名を萩野あかねと言います。彼女は日本の高校2年生で、優しく気品のあり、頭の回転もよく多くの友人からも慕われている。好きな動物はトイプードル、嫌いなものはグリンピースで…」

 何の話を始めるのかと黙っていたが、ウォズワックは痺れを切らして話に割って入った。

「まてまてタカジョー。被験者の情報なんか要らん。ワシが知りたいのは『出来る』か『出来ない』のか、それだけじゃ」

 高城はまたも表情をひとつも変えることなく言った。

「そこなんです。」

「出来るか出来ないの鍵は、被験者との心的要因が最も重要だったのです。ウォズワック氏、あなたが『要らない』といったその被験者の考え方や好きなもの、育った町並み、心で感じたこと、それらの感性や感情を総括したものが魂であり、人間をデバイスで例えるところのOSと言える存在なのです」

 力説する言葉の内容とは裏腹に、高城の目は冷ややかだった。

「……それで?その『思い出』や感情を知ったところで、被験者との繋がりのない私はどうすればいいのだね?」

 ジョブズが少し機嫌の悪そうな声で尋ねる。

「簡単なことです」

 そんなことも意に介せず、高城はすらりと言った。

「繋がりがないのなら『繋いでしまえばいい』」

 そして、

「萩野あかねのメモリーをコピーしておきました。少々予想外のこともありましたが、問題ありません。シミュレーションソフトは既にそちらへ送ってあります」

 数秒前から机上の自作PCが唸りを上げていたのはそのせいかと、ウォズワックは察した。

「こちらにある古いジョブズ氏のデータは削除しますので、そちらのシミュレーションを十分こなした新しいバージョンのデータをこちらに寄越してください。それと洗浄済みの資金5億ドルほどお願いします。新しい人生が確約させているんですから、安いものでしょう」

 淡々と言ってはいるが、実に強欲な小僧だとウォズワックは思った。その感情を煽るかのように、

「The wealth I have won in my life I cannot bring with me.《私が勝ち得た富は(私が死ぬ時に)一緒に持っていけるものではない》」

 ボクの好きな言葉なんですよ、と白々しく言った。

 この言葉は、生前ジョブズが病床で最後の言葉として残した中の一節である。

「…タカジョー、繋げてしまえばいいと言ったが具体的にどうするんじゃ?」

 苛立ちをグッと堪えてウォズは聞いた。

「送ったシミュレーションを見て頂ければ誰でもわかります。不適合な理由は人格に依存するからですよ。指定座標も被験者に依存します。これまでの6人から得た情報を整理すると、そもそも座標というのは被験者と繋がりのある多世界全てに跳躍可能で、ただ全被験者共通で言えることは『局所場指定ができない』、つまり完全なランダムなんです」


 一般的に夢の中と認識されている多世界に移動した際、その移動した先の世界を受け入れて『現実』だと再覚醒した者、つまり複数の世界を認識できる《観測者》をdeeperと定義している。

 全人類には多世界の均衡を保つ為に、『睡眠』という予め相互干渉を行うためのシステムが組み込まれていた。

 ただし、本人には自覚がない。

 それでも一部のイレギュラー因子、つまりdeeperと呼称される人間が存在し、神の匙加減を越えた発展をしようとするものさえいる。

 世界のバランス、多世界のバランスを保つ為に、deeperという存在はいずれかの世界で必ず消滅させられる運命にあった。

 その1人がウォズワック自身である。

 ウォズワックは別の多世界にて、deeperの力で得た別世界の知識を使い、ブルーボックスを自作して一儲けしようとしていた。

 ところがある交渉の場にて、銃を持った男にブルーボックスを奪われた挙げ句、不運にも撃たれてしまう。

 その時代の医療技術では彼を救うことはできず、意識の薄れる中でウォズワックは臨死体験なるものを初めて経験した。

 血だらけで横たわる自分の肉体を、ふわふわと宙に浮きながら眺めていた。

 その頭には《1本の糸》が垂れていて、それを辿って上空まで昇ろうとしたところ、ある空間に辿り着いた。

 その空間は神々しいまでの光に包まれており、そして自分の白絖の束があらゆる方向へ無数に伸びているのを見た。

 その1つ1つの糸の先に、自分の存在する多世界があることはウォズワックにも分かっていた。

 この世界にも《運命の糸》などと表現される『糸』が存在するが、それは強ち間違いではない。

 人間の出逢いや交わりはこの糸によって、絡まり近づき、または決して交わることのない運命となっている。

 しかしそれを1つの世界単位で見るならば、無数の糸も束になれば遠近関係なく1つの括りとなり収束する、いわゆる【世界線】となる。

 魂となった霊体と、人間が睡眠時に多世界干渉体となるものは極めて近い存在である。

 輪廻転生、死んであの世に還った霊魂が繰り返し生まれ変わることを指すが、生まれ変わるのはその世界ではなく『多世界』のうち、自分の糸が繋がるどこかの世界であるという解釈が正しい。

 ウォズワックはdeeperとして覚醒していたが故に、転生した先で『前世の記憶』を維持したまま目覚めた。それがこの世界である。


 ウォズワックは前世の記憶を辿りジョブズと二度目となる必然的な出逢いを果たしながらも、表のLpple共同設立者という顔とは別に、長年の歳月をかけてdeeperの研究に没頭していた。

 特にジョブズが没したあとの十数年は病的なまでにのめり込んだ。

 だが研究が具体的に進捗することはなく、困窮の極みをみせる。


 数年前のある日、その研究資料が日本からのクラッキングを受けて盗まれてしまう。

 高城透の右腕であるSEの村上だった。

 『ウォズの魔法使い』と比喩されるほどのエンジニアであったウォズワックでも驚嘆した。

 ウィザード級と言われるクラッカーやハッカーは五万といるが、村上の技術力や発想力は、その手口から見ても芸術や神掛かったというレベルを越えており、次世代の筆頭と唸らせるほどの卓越したものであった。

 例えるなら木星にある探査機を、『ちょっと取ってくるっス』と地球に居ながら5分後には現物を持ってくるような感覚だ。


 その研究資料の中には【Apple SEED】の資料も含まれており、倫理的な観点から脅迫されるのではないかと怯んだウォズワックであったが、意外にも高城は協力的だった。

「ボクなら貴方の研究を一気に押し上げてみせますよ」

 こうして日本のSANYと米国のLppleは、水面下で違う形でのビジネスパートナーとなった。

 ウォズワックはLpple関係の事柄から一線は退いていたものの、その発言力や影響力というのは老いても廃れることはなかった。

 実際、数多くのエンジニアからはいまもなお神のように崇められている存在である。

 その影響力を行使してLppleの経営陣に潜り込ませたのが、高城の懐刀とも称される雨音束咲である。

 断捨離のタバサと言われる彼女の才は、無駄なものを慈悲の欠片もなく切り捨て、経営を必ず黒字転換させるところからその名が付けられた。

「無駄なものは片付けましょ」

「無駄なことしないでくれる?」

「あなた、無価値なのよ」

 などと、例えCEOであろうと斬り捨てるものには一切の容赦がない。

 それは服装や化粧、持ち物に関しても潔癖すぎるほどのコスト削減を体現する女であった。

 これまでの彼女の染み1つない実績から、Lppleの経営方針や財政管理は彼女の手中に納められていると言っていいほどに掌握されていた。

 

****


 本社ビルの最上階、高城と村上以外は社長室にいない。

 ニューヨークとの通信が切れた途端に高城は、いつものようにネクタイを緩めて机に腰掛けた。

 高城透の背中から、PCをいじる村上が気の抜けた声をかける。

「500億とは、これまた随分吹っ掛けたっスね~」

「どこかのバカが、女子高生相手に1億の損失出したからな。」

「や、やだな~…まだ根に持ってんスか~」

 ふん、と高城は鼻をならした。

「まあ、あの老いぼれがどうにかするだろう。実際のところ、もう用済みだがな」

 その口元は微かに緩んだ。

「こっちには90億人に1人の『鍵』がある。ジジイには例のゲームソフトで遊んでもらっておけ。時間稼ぎにはなるだろう」

 高城には確信があった。

 いくらdeeperである被験者の神経回路や思考を模倣したところで、それをデバイス変わりに他者の意識を跳ばせるわけがない。

 当初は高城や村上もその仮説を立ててdeeper狩りを行っては実験を繰り返していたが、程なくしてそれらが間違いであると気付いた。

 問題3、1度実験を行うと使い物にならなくなる――。

 これは嘘ではなかった。

 被験者の脳内データを予めバックアップしておき、そこへ他のデータを上書きする。

 実験が失敗して再度被験者のデータを上書きして目覚めると思われていたが、アクセスロックが掛けられたかのように昏睡状態に陥ったまま、再度目覚めることはなかった。

 つまり現在6人の少年少女らは、本社ビルの地下施設で生命維持装置に繋がれたまま、長い眠りについているということになる。


 高城はウォズワックから受けていた

 【Multi-World Memory Transfer Plan】

 (多世界間記憶移動計画:略称MMP)

の主要である《ジョブズ及びウォズワックの記憶移動》に全く着手していなかった。

 それどころか、その実験の意識、記憶跳躍を《高城本人のコピー》で行い、計画そのものを我が物としていた。

 

 ジョブズは既に死に、ウォズワックもいずれこの世を去る。

 老人の願いなど誰が聞くものか。それならば散々蓄えた財産を根こそぎ奪ってやる―――。

 

 彼の欲望はとどまることを知らなかった。

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