二章:蝶の羽ばたき

第11話 星に願いを。

 時間の流れとは、誰が決めたのだろうか。

 ベッドで眠る麻衣の手を握り、気づかぬうちに颯人も眠ってしまってから、時間にしてわずか20分くらいしか経っていなかった。

 騒がしい2人の姉妹がパンや紙パックのジュースを買って戻ってきて、盛大に茶化され困惑する颯人の表情は少し硬い。

 原付きバイクで登校し、同級生の女子が優しくなっていて、腐れ縁の親友にトンデモ科学の御高説を承った。

 そのあと家に帰り、いつもの日常を数日間過ごしたのち、目が覚めたら20分足らずの時間しか経っていなかったなどと、颯人の頭の中は新生の大混乱が巻き起こっていた。

 確かに颯人は数日間を過ごした。

 脳内では克明にそれらの出来事を覚えている。

 しかし目の前の麻衣や香奈、由衣とのこの時間もまた、同じく現実であると認識していた。

『仮に2つの世界が存在する』

『記憶を維持したまま世界を移動する』

 目覚める前の親友はそんなことを言っていた。にわかに信じられないが、颯人は背筋がぞわっとするような感覚に襲われ身震いした。

「香奈、由衣、ちょっとトイレ行ってくる」

 終始硬直した表情と焦点の合わない眼のまま、棒読みするかのようにつぶやくと足早に病室を後にした。


「貴弘、頼む。出てくれよ…」

 大学病院の外に出て、すぐさま久留岐貴弘へ電話をかける。

 3コールしたところで貴弘は電話に出たと思ったら、独りでに喋り始める。

「ただいま『電話に誰も出んわ!』状態です。ピー!という合図で合言葉をどうぞ。スッチャカスッチャカドンドンバリバリ…」

 15秒ほど効果音を羅列させた貴弘にしびれを切らせて颯人が止めた。

「長いな、いつ『ピー』って鳴るんだよ」

「おう、颯人。どした?ピー」

「『香奈ちゃんのパンツになりたい』」

 合言葉変わりに、変態語録を投げてみる。

「うお!遂にお前も『こちら側』の住人になったかァ嬉しいぞよ!姉妹攻略は俺に任せろ!」

 どこにいてもコイツは変わらんなと呆れ半分、期待半分で颯人は質問した。

「貴弘、聞いてくれ。いまから話すことは超真面目な話で、お前にしか理解できん」

 数秒の間があって

「お前まさか香奈ちゃんとヤっちゃったとか?許さんぞ」

「真面目な話つったろ!」

 颯人は柄にもなく電話越しで怒鳴った。これには貴弘もビックリしたらしく、すまんと短く答えた。

「いや、こっちこそごめん。ちょっと混乱してて…。それより聞きたいことがあってさ」

 颯人は近くのベンチに腰掛け、この数日間の出来事をできるだけ詳しく話した。貴弘はとても興味深く聞き入り、一切余計なことは言わなかった。

「鳥肌立ったわ」

 それが貴弘の第一声だった。

「めちゃくちゃおもろいやんけ、どゆこと?なんで他の人には言ったことない俺の空想科学の趣向を颯人が知ってるんだって思ったけど、いやいや世界は広いな」

 こんな突飛な話でも流石は親友、すんなりと理解して信じてくれる。

 貴弘はこれらの情報から新たな仮説を組み立てた。

「a世界、あちらの俺はわからんかったみたいやが、どうもこの2つの世界を移動する手段は『眠ること』みたいだな。このメカニズムはわからんが、人智を越えた何かがあるのは確か。それに時間の流れ方にも違いがあるようだわ」

 時間の流れについて、貴弘はISSを例に説明した。

「例えば、無重力の宇宙でISSに俺がいて、颯人が重力のある地上にいるとき、互いの相対的な速度差によって、2人が測定した経過時間に差が出るんだよ。仮に6ヵ月俺が宇宙に滞在したら地上との時差は0.007秒遅くなる」

 ちなみに時速約27,700kmで飛行していて、地球を約90分で1周、1日で約16周するんだぜ、たまげるよなと付け加えた。

 さらに、地球の常識という物差しで時間の概念を説明することのできない空間も存在するだろう、と。

 

「なあ、貴弘。これから俺はどうすりゃいいの?」

「ん、別に実害あるわけじゃないんだろ?二重生活楽しめよ」

「お前が言うと不埒な意味合いに聞こえるなあ」

「誉め言葉として受け取っておこう」

 貴弘は受話器の向こう側で何か飲み物を飲んだらしい音が聞こえた。

「ところでさ、もし今度あっちに行ったらこの話を俺にしてくれよ。どの世界でも俺はお前の力になってやるゼ」

 電話の向こうでドヤ顔してるであろうことは容易に想像できた。

 しかしいま颯人が頼れるのは貴弘だけだ。

 夢か真か証明はできないものの、颯人当人としてはすべてが実在する世界で体験したことに違いなかった。


 それから数日後、颯人は学校帰りに近くの商店街で貴弘や麻衣と席が隣だった根岸大智と一緒に、買い食いしたりゲーセンで遊んだりして帰宅時間が遅くなった。

 ここ数日はあの夢を見なくなっていて、何が引き金になってるのかさえ追究する気持ちも消え失せていた。

 成長期特有の中二病だろう、20年、30年後には笑い話になるのではないかと楽観的になりつつもあった。

 その日、いつものように三咲さんから夕食の内線コールがあって、ゲームを途中セーブしてから部屋を出た。

 3姉妹は2階の部屋を個別に使っていて、颯人は1階の通路最奥にある『秘密の部屋』のような場所から出入りしていた。

 通路出ると、遠目に女子3人が階段を降りて、フロント前で常連客の高城さんと会話しているのが見える。

「少し待ってから行くか…」

 と、会話を邪魔してはいけないと思った颯人は、少しばかり様子見をしようと物陰で待つことにした。

 ところが突然『えっ?!』っと由衣の驚きの声が聞こえたと同時に、夏希が倒れたのが見えた。

 反射的に高城が夏希の身体を支えてくれたお陰で、二次被害を被ることはなかった。

 颯人は驚いて廊下を一気に走って夏希の元へ駆け寄った。

「どうした?!」

「わかんない、いきなり倒れた…」

 由衣もあたふたして、颯人と高城

を交互に見ながら困惑している。

 高城透は心配そうな面持ちで

「僕が話しかけたら、すごくびっくりさせてしまったみたいでね。とりあえずそこのソファーに横になってもらおう。香奈さんは女将さんを呼んできてくれるかな?」

 わかりました、と香奈は石畳に続く扉を急いで開けて、厨房へ向かっていった。それを見届けた高城は夏希をお姫様だっこすると、丁重にソファーへ寝かせた。

 程なくして三咲が割烹着のまま駆け付け、高城に深々と頭を下げると、高城は三咲へ簡潔に状況を話した。


****

  

「精神的な疲労かもしれないわね…」

 夏希をご両親の元へ帰したあと、家族一気に夕食を食べては片付けて、時計の針が22時になろうかというころに俺は三咲さんと縁側に並んで座り、話をしていた。

「最近あいつ、浮かない顔してたんだよな…」

 このところ、確かに夏希は日に日に顔色が優れないのが目に見えてわかっていた。明るく振る舞ってはいたが、気丈な性格の夏希だから悩み事があったりしても愚痴をこぼすタイプではない。

「なっちゃんもね、人には話せない悩みが沢山あったみたいなの」

 ほう、これは知ってる口振りではないか。

「悩みなんて縁の無さそうなやつなのに、倒れるほどの悩み事なんかあんの??」

「失礼ねえ、なっちゃんは少し人と違う感覚を持った子なのよ。彼女だけしか持たない特別な」

と、三咲さんは寸止めで核心を言わずにやめた。

「違う感覚っていうか…そういえばこの前『あんた死ぬよ』なんて言ってくるから気が触れたんじゃないかと思ったよ」

 こう言いながら、俺は三咲さんの表情の変化をまじまじと観察した。

 ここ最近で夏希の変化といえば、あのわけのわからん発言が1番の起因だった可能性が高い。

 そして俺自身も直近で不可思議な体験をしたことにより、トンデモ系には実に寛容になったといっていい。ならば、夏希の悩み事を聞いたとされる三咲さんが何か知っているのではないかと勘繰ったわけだが。

「あらあら颯人くん。そんなこと言うけど、あなただって人には言えない、信じてもらえないような体験したことあるんじゃないの?」

 三咲さんの表情には寸分のブレもなかった。逆に俺の心に揺さぶりをかけてくる。

「別に、何もないよ。」

 くそっ、三咲さんに心理戦は挑むべきではないな…この人には一切隙がない。

「ふーん」

 わかってるのよ、と言わんばかりに向けられた視線からは一瞬だけ、お母さんではない三咲という女性を垣間見た気がした。

「そういえば昔に東日本大震災ってあったでしょ?」

 唐突にそんな話題を振られる。

 南海トラフ大震災の前、俺たちが生まれる前の震災。もちろん教科書にも載っていて日本人なら誰でも知っている。

「これは実話なんだけど、あの時に不可思議な体験をしたご夫婦がいたそうよ」

 それは大震災の最中、とある老夫婦が体験したことらしい。

 地震が発生し、2人の老夫婦は家の外へ逃げた。2人がしばらく走っていると突然空間の【穴】が開いて、ご主人がその穴へ落ちたそうだ。

 ほどなくしてその穴は消え、ご主人も行方不明になった。奥さんは途方に暮れてしまったらしい。

 ところが震災から数日過ぎたある日、1人の男性が自宅を訪ねてくる。

 その男性は定年を迎え、現役を退いた元警察官だという。

 男性は奥さんに、古いメモに書かれたこの住所とご主人の名前、そして彼が身に付けていた指輪を渡した。

 発見されたのか、と思ったら男性は奇妙なことを言った。

『これはあなたのご主人が《50年前》、私に渡したものです』と。

 男性の話によれば、彼が警察官になり初めての出勤日、警察署の窓口に立っていたら慌てふためいた1人の男性がきて、自分がどこの誰か詳細に話したのだという。それがそのご主人だった。

 そして、大地震のことを話したが当時は男性が錯乱状態なのかと誰も相手にしなかったという。

 そして数日前、東日本大震災が現実に起こり、元警察官の男性は長い間個人的に預かっていた例のメモと指輪を思いだして、住所を調べたそうだ。

 当然当時は存在しない住所だったから調べようもなく、だが男性の慌てようが尋常ではなかったのと、初勤務日だったこともあり強烈に覚えていたという。

 元警察官の彼は奥さんに主人の写真を見せると『間違いなくこの人だった』と、そしてメモに書かれた書体と指輪は紛れもなく主人のものであると奥さんは認めた。

 そしてそのご主人の行方は未だわからないという。


「世の中には、現代科学でも説明できないことが沢山あるものよね」

 三咲さんは感慨深そうに呟いた。

 その話が事実だとすれば、おじいさんは50年前に物理的タイムトラベルをしたことになる。

 SF映画や大型ハドロン衝突型加速器なんかを扱った空想科学作品では、それ自体を人間の手で作り上げたり偶然その方法を発見したりするものだ。

 しかし大地震などの天変地異で条件が揃い『天然のタイムホール』が作られるのであれば、この地球上どこでもそれが起こる可能性があると示唆しているのでないか。

 神隠しといわれる現象もよくよく考えてみれば、田舎などの自然の中で忽然と姿が消えたりすることが多い。

 バミューダトライアングルと言われる海域も存在する。

 フロリダ半島の先端と、大西洋にあるプエルトリコ、バミューダ諸島を結んだ三角形の海域で、昔から船や飛行機、もしくは、その乗務員のみが消えてしまうという眉唾物の現象もある。

 地球という一見人類が知り尽くしているつもりのこの星は、俺たちの常識を遥かに超越する理を内包している。

「面白そうな話をされてますね、ボクも交ぜてもらえませんか?」

 突然聞き覚えのある男の声がする。

「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが、聞こえてしまったもので…」

 高城透である。申し訳なさそうに三咲さんに頭をペコペコ下げた。

「高城様!申し訳ありません、気づかなくて…」

 三咲さんはさっと縁側から腰を上げると女将さんに早変わりして、深々とお辞儀をした。

 もう就寝近い時間だというのに、高城さんはビシッと決まったスーツのままだった。

「いえ、お構いなく女将さん。子供の頃に戻りそうな、そんな話題でしたからつい。良ければその手の話をしてみませんか?」

 そういうと三咲さんの隣ではなく俺の隣に然り気無く腰掛けた。

「この場所は星が綺麗に見えますね、ボクの故郷を思い出します」

 いつもの高城さんとはまた違って、静かな大人のオーラを醸し出している。

 黙って空を見上げたまま、

「颯人くん、あそこに赤色の星が見えるかい?」

 と、東の空を指差した。

 一際明るく輝くその赤色の星。

「あれはアークトゥルスと言って『春の大三角』のひとつなんだよ」

「へえ…」

 全く知識の無かった俺は相槌を打つことしかできない。

「そしてあそこがデネボラ、そしてあそこが…」

「スピカ、ですね」

 そう答えたのは縁側に座り直した三咲さんだった。

 高城さんは俺越しに三咲に微笑み、

「流石、博学な女将さんだ」

 といった。

 俺はこの状況で漸く察した。

 高城さんは会社の接待でこの宿を利用しているが、実のところ三咲さんに好意を寄せている。

 実に気まずい立ち位置である。

 俺はお邪魔虫でしたかね?なんて思ったけど、この状態では抜け出せないのは明白。

『いつもゲームソフトあげてるんだから、これくらい一肌脱いでくれよ~』と言われそうである。

 わかった、わかりましたよ!高城アニキの為に俺、我慢しますから!

「ボクはね、この会社をやらなければ宇宙飛行士になりたかったんだ。実は最終選考まで残ったこともあってね」

 大企業の副社長でありながら、そんな切り札出してきますかアニキ!

「まあ、それは本当に凄いことですね」

 三咲さんの反応は上々である。

「いえ。結果ボクは最終選考で落とされました。純粋に星が好きで、宇宙が大好きで目指した道のりでしたが、僕はその経験があったからこそ今の自分があるのだと感謝しています」

 こんな若きエリート街道を真っ直ぐ進んできたかのような人にも、少年の心を持っていた時期があったのか。

「高城様は宇宙飛行士になって、何をされたかったのですか?」

 「はは、サマはやめてください。いまこの時間は仕事ではありませんから。せめて『さん付け』でお願いします」

 爽やかな笑顔をするんじゃないアニキ!!

 ここは俺も1枚噛むべきかと話題に入ってみる。

「高城さんは宇宙に行きたかったんですよね?宇宙飛行士になりたかったんだから」

 するとアニキは俺をみて

「確かに月にも火星にも行きたかった。でもね、それよりユニバースの集合体であるマルチバース、ああ…ちょっとわかりにくいね。多世界についてもっと研究してみたかった。宇宙に果てはあるのか、宇宙に終わりはあるのか…ってね」

 多世界…とな。

 流石の三咲さんもこれには相槌しかできないだろう。

「高城さん、流石に難しいッスね」

 苦笑いするしかなかった。

「ごめんごめん。子供の頃からこんなことばかり考えててね。お陰で友達は少なかったよ。辛いときは『別の世界に行きたい』ってよく思ってた。なんなら夢の中でみる世界にそのまま居たいって思ったこともあったよ。目覚めないでくれ~なんてね」

 苦笑しながら俺を見るアニキ。

 俺は…別の意味で苦笑していた。

 流れに乗って、笑い話のネタとして何気なく、

「高城さん、もし夢の中が別の世界のゲートだったらどうします?」

 と言った。

「バカなこと言わないで!!」

 三咲さんが突然怒号のような声をあげた。

 あまりに急すぎて尻が数センチ宙に浮いたかと思ったほどだ。


 この時の俺は、三咲さんの想いなど知る術がなかった。

 何気ない言動が世界の命運を分けるトリガーになるなど、誰にもわからない。

【バタフライエフェクト】

 バタフライ効果とも言われるこの現象は、蝶が羽ばたく程度の小さな風でも、それが遠くの大陸で嵐になるほどの変化をもたらす、などという思考実験の話である。


 もしこの時、俺が全てを知っていてまたこの時間に戻れるのならば。


 夜空の片隅に、願い事をされるわけでもなく一筋の流れ星が消えていった。

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