第10話 巫女との邂逅
私はまた、同じ夢を見た。
通常、目が覚めて覚えている夢というのは、断片的で短いストーリーが複数、曖昧に思い出すのだけれど私の場合はそうじゃない。
いつも同じ人が現れ、私がその『誰か』を認識すると空間が形成され『どこか』に私は立っている。
そして私はいつも『何かをしなければならない』という焦燥感でその場にいる。
とても鮮明に、まるで夢とは気づかないような五感を支配されている感覚があって、自分の意識で行動できるのだけどそれは『何かしなければならない』という衝動が原動力となっている。
――もう一人の、自分。
なぜがそれをはっきりと認識している。
あの日から私は毎日同じ夢をみた。
あの夢のストーリーを作文用紙1枚に納められるほど、より簡潔に書けるくらいに覚えていた。
何故私はこの夢ばかり見るのだろう。
いつものように眼鏡の男が現れ、幼なじみの彼と外国人の彼が殺される。
そして私は目覚める。
何度も何度も救おうとするけど、私の意思はその世界に抗えなかった。
ただの夢の話なのに、なんで私がこんなに苦悩しなければならないのだろう。
毎朝起きる度に、大雨が降っている景色を窓から眺めるような気分になり、自転車のペダルを踏む足は気だるく、夢で助けられなかった彼本人に死亡宣告をしておきながら毎日元気に挨拶をされ、親友である櫻井麻衣は今もなお眠り続け、私はなんだか気が滅入っていた。
学校が終わり、私はいつもの帰り道を家まで残り10分くらいの距離まで戻ってきていた。
あともう少し、もう少しなのに、1時間か2時間くらいかかりそうな気分だ。
時間の流れというのは本人の主観で変わるものなのかもしれない。
そんなことを考えながら、急勾配な車道の隅を自転車を押しながら歩いている。
右後ろから軽トラックの、サードからセカンドへ滑らかにギアチェンジをして加速する音が聞こえる。
通りすぎるのを少し待とうとして、私は邪魔にならないように山側へ避けて停止した。
軽トラックは遠慮がちに自転車の横を通りすぎて、何故かブレーキランプを点灯させた。
運転席に映る人影がモゴモゴと動き、助手席のフロントドアガラスを手動で開けるのがわかる。
知り合いだったかな?と思って、通過待ちしていた自転車を再度押して、軽トラの横へ移動させて運転手と目が合った。
「あら、なっちゃんじゃない~」
「あっ、櫻井君のお母さん!」
ちらっと荷台に目をやると、そこにはプランターに入った色とりどりのお花が所狭しと積まれていた。
「お花の買い出しですか?いつもの車じゃなかったのでわかりませんでした!」
いつもなら『麻衣ちゃんのお母さん』と呼ぶところだけど、事情を考慮して呼び方は変えた。
「そうなのよー、いつも買ってるお花屋さんとの付き合いもあるから、少し予想外の出費もあったんだけどねー」
ニコニコ笑うお母さんはとてもキレイで、まるでお花屋さんの配達かと勘違いしてしまいそうなほどだ。
「自転車、後ろに乗せなさい。送ってあげるわー」
特段珍しいことではないのだけど、なんだか気恥ずかしくなって遠慮してしまった。
「いえいえ、大丈夫ですよ!もう少しですから!」
いいからいいから、と予想通りの展開になり、私は麻衣ちゃんのお母さんに見事強制連行されてしまった。
****
「なっちゃんも大きくなったわよねえ、特に胸とか」
「あははは…はは。そうかな」
私はお花の積み降ろしを手伝ったことで、お母さん改め【みさきや】女将の縁側接待を受けている。
というのはウソで、ご近所同士の《付き合い》という感じでもなく、近しい親戚の間柄といった関係の自然なお茶会に呼ばれた形だ。
「ねえ、なっちゃん」
「は、はい」
女将さんはどこからともなく茶菓子をポンポンだしてきて、どうぞどうぞと言わんばかりに盆の上に積み上げながら話しかけてくる。
「好きな男の子とかいるの~?」
女将主催の女子会であった。
「いやあ、私こんな感じでガサツだからそういうのは、あはは…」
女将さん、そのにこやかな笑顔は眩しいぜ…
「うちの颯人がね、最近なっちゃんのことを気にしてるのよ」
「はぃい!?」
意表を突かれて声が裏返った。
「元気がないみたいだーって」
あぶねー!女将トラップですかー?!
「あらー?なっちゃんったら顔が赤いわねえ、どうしたのかしら」
ニコニコしながら、やってやったぜ!みたいな目をしないでください女将さん…。
「ふふ…」
ま、まったく…どういうつもりなのかわからないけど、お年頃なんですからね!と、したり顔の女将さんを横目にサラダ煎餅をバリバリ食べた。
「冗談はさておき」
と、お母さんは女将として長年培ってきたであろう美しい所作で、スッと脚を揃えて向き直った。
「なっちゃん、何か悩み事があるのかな?」
「ぐはっ!ごへっ!」
口のなかの水分を煎餅に持っていかれていた状態で確信を突かれた私は盛大に噎(むせ)返った。
「いえ、あの…」
片手にお茶を淹れてもらった湯呑みを持って、私は返答に困った。
対女将さんへの返答として最も適切なのは『麻衣ちゃんのこと』だと思っているし、順位をつけることではないにしろ悪夢の話題は出すべきではないと心に蓋をした。
「まあ…麻衣ちゃんがあんなことになったから、なんかちょっと寂しいなって」
大丈夫よとか、心配しなくていいわとか、有り体の言葉が返ってくると思っていたら、意外な言葉が返ってきた。
「なっちゃん、話題を選ばなくていいのよ」
人心掌握術か、それとも私の頭の中が読めるのかわからないけど、自分でも認識できないくらい私は驚いていたんだと思う。
「麻衣はきっと、夢の中でいろいろ旅をしてるのかもしれないわ。だから大丈夫」
と、私にとっては…なんとも際どいラインの言葉を投げ掛けてくる。
麻衣ちゃんのお母さんは私を真っ直ぐみている。別に蛇に睨まれた蛙、という類いの視線ではなく、優しく、何かをただ黙って見守る人の瞳だった。
「三咲さん…」
私は、1人の人間として話そうと…それでもギリギリまで喉に出かかった言葉を、なんとか話そうと覚悟を決めかねていた時、
「あなたも、夢を見る人なのね」
すっと私の肩に触れて、わかっていたかのように呟いた。
「どうしてそれを…」
もちろん、この場での『夢』とは睡眠中の夢を指していることは明白だった。
「麻衣がね、小さい頃によく言ってたの。なっちゃんには不思議な夢を見るチカラがあるって」
あれま。
麻衣ちゃんがどこまで何を話したのかわからないけど、きっとそれは『正夢』のことだろう。
「おばさんね、いつか時期が来たら、なっちゃんと話そうと思ってたのよ」
『おばさん』なんて言葉がちっとも似合わない女将さんは続けた。
ただ三咲さんという人物が、この年齢に達するまでに『何か』特別な経験や知識を身に付けたであろう、年季のような重みを含んだ『おばさん』であることは間違いないと思った。
「私、最近ずっと同じ夢を見るんです」
これを皮切りに、私はイヤというほど見た夢を、作文用紙には収まりきらない尺の詳細を付けてびっしりと話した。
いままで誰にも言えなかった反動が、決壊したかのように一気に溢れだして、最後には泣きじゃくっていた。
―どうしたらいいのかわからない。
私が最後にそういうまで、三咲さんは黙って聞いてくれた。
「1人でよく耐えたわね」
三咲さんは、自分の娘のようにそっと髪を撫でてくれた。
「三咲さんも…?」
物事には、その経験者でしかわからない『土俵』というものがある。それを完全に理解していると感じた私は、もしかすると…という思いで尋ねてみた。
「いえ、私自身はそうではないわ。でもね、遠い…そう遠い昔に、なっちゃんとは違う形で『夢』をみる人を、近くでみていたから」
何かを思い出して懐かしむような眼差しを空へ向ける。
そして暫くして私に顔を向けた。
「これは私の推測だけど」
すっと三咲さんの雰囲気が変わったのを肌で感じた。柔らかさではなく、内側から放たれるエネルギーのような力強い何か。
「なっちゃんの見る『夢』は、特定の時間軸を捉えていると仮定できるわ」
私は目をぱちくりとさせた。
時間軸、とは少々聞き慣れない単語だと思った。
「例えば正夢。この場合『予知夢』と言った方がいいかな。なっちゃんは私たちの住む世界の時間軸から少し未来の時間の空間に干渉もしくは認識できる能力、特性を有してるのだと思うの」
小難しい専門書から言葉が飛び出すように、三咲さんの口からはスラスラと仮説が述べられていく。
私は初めてみた予知夢を思い出していた。台風の強風により飛んできた倒木が、自室の窓ガラスを突き破ってきた映像を。
「この予知夢に関してはこれまでの歴史上においても、数多くの著名な人物や宗教的、歴史的人物などが実在しているわね」
確かに予知夢に関しては、太古から『神の御告げ』として予知夢を使っていたというのはよく聞く話ではある。
続けて三咲さんはこう付け足した。
「なっちゃんの夢特性として、時間と空間、時間と共有空間、多世界干渉、この3つがあるように思えるの」
・時間と空間…同じ時間軸の未来
・時間と共有空間…他人と同じ特定の時間軸、空間
・多世界干渉…別次元への意思ある干渉
「…………」
私は頭上にハテナマークが整列したまま三咲さんを見つめた。
だってよくわからないんだもん…。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
堪らず私は質問することにした。
私の頭脳では到底理解できないことが多すぎる。
「たせかい、というのは『多くある』世界?『他の』世界、どちらの意味ですか?」
女将さんは専門用語を話してる時とは違ってニコニコとした表情で答えた。
「どちらとも言えるわね。量子力学的にいうコペンハーゲン解釈とエヴェレットの多世界解釈では違いはあるけれど、どれも思考実験の域を出ないわ」
ますますわからなくなった。
「簡潔にいうのであれば、世界は1つではない、ということ。私たちは人間で、人間の理解できる解釈で世界の法則を決めている。なぜ地球は丸いのか?それは地球を観測した人間がいたからよ。その時代の文明レベルによって地球は平らだと考えられていたり、太陽は神様だと考えられていたりしていた。全てにおいて『人間原理』であり『人間主観理論』といえると私は思っているわ」
三咲さんはさらに続けた。
「この世界では1+1は2でしょう?でも別の世界では1+1が3かもしれない。人間は空を飛ぶ夢をみて、目覚めたら『夢をみた』と認識する。それはこの世界の法則では『空を飛べない』と決まっているから、空を自在に飛べる『もう1つの世界の存在を認知しない』のよ。でもね、稀に明晰夢と呼ばれる、夢を自在に操る人がいる」
そういうと、三咲さんは私をちらっとみた。
「なっちゃん、あなたもそうでしょう?予知夢とは別に見る夢の中では、自在に自分の意思でその世界を駆け巡ることができる。厳密にいうなら、操っているのではなく、その世界の理に順応しているのよ」
私の理解の範疇であったので、私はコクりと頷いた。
ただ、理解していても空想科学やSF映画のような話で現実味に欠けることは否めない。
なぜなら私の明晰夢というのは、結構な趣向を凝らしたファンタジー世界が多いからだ。
三咲さんのいうことを正とするなら、別の世界では空を飛んだり魔法が使えたりすることになる。
毎回見る夢の中の殺戮者は、腕を変形させたり背中から蜘蛛のような脚を生やしたりしていた。
あれが実在する世界が本当にあるというの??
――この世の常識が足枷になる。
私の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。
「あら、いけない!」
私の緊張を消し去るように女将さんに戻った三咲さんが声をあげた。
「ご予約の準備しないといけないわ。この手の話になると夢中になってしまうのよね~。人間は根源的に時間的存在なのに」
毎月来ている常連様なのよね、と付け加えながら、自分が呑んだ湯呑みをいそいそと片付けている。そして思い付いたように、
「なっちゃん、今日はウチでご飯食べていきなさい。お母さんには連絡しておくから」
と言った。
こうなると私に選択権はない。
言われるがまま茶話会セットを片付けて『麻衣の部屋で待っててね』とだけ言い残した女将さんは、風のように吹き去っていった。
****
麻衣ちゃんの部屋に備え付けられた内線が鳴ったのは、夜の8時30分頃だった。
それまで私は、宿泊のお客さんが常連客だけだと知って(まだ到着してないことをいいことに)露天風呂を貸切状態でのんびりと使わせてもらい、そのあと麻衣ちゃんの部屋で宿題をして時間を潰した。
麻衣ちゃんは私が泊まりにきた時の為に、私の衣類や下着などを保管する専用のケースを用意してくれている。
きちっと畳まれたお泊まりセットをみて、几帳面だと感心しながらもどこか寂しい気持ちになったりした。
去年の今頃は、碓氷家と櫻井家の合同桜見会なるものがあった。
夏になれば、生年月日の星座が蟹座から獅子座へと変わる頃にバーベキューを開催していた。
秋の紅葉、冬の降雪…この地域には、四季折々の豊かな恵みを五感全てで感じさせてくれる大自然がある。
私はこの場所で生まれて、願わくばこの場所で死にたい。
都会で慌ただしく人間の渦に埋もれて疲弊し、自然を壊してコンクリートの建造物に飾られた、観葉植物や植林を眺めて癒されたくはない。
夕飯の呼び出しがあった受話器を置くと、私は足早に部屋を出て鍵を閉めた。
同時に両隣の部屋から香奈ちゃんと由衣ちゃんが顔を出し、まるで姉妹のように2階から1階へと階段を降りていった。
丁度フロントの前を横切ろうとしたその時、女将さんから聞いていた常連客の御一行様が、食事を終えて個室の食事処から出てきてばったり出くわした。
香奈ちゃんと由衣ちゃんは顔見知りらしく、愛想良く挨拶をしている。
私はいわゆる《部外者》なので、目を合わせることもなく会釈して通りすぎようとした。
「おや?見ない顔だね」
20代後半だろうか、男性が声を掛けてくる。
私はさすがに無視するのも申し訳なかったので、声の主へ目を合わせた。
「こんばん……え…?」
時が、止まった。
初見のその男性を見て、私は硬直していた。
一目惚れ、などという甘味なものではない。
なぜこの男が、ここにいる。
身体がガクガクと震えている。
止められない。
私の意思では、止められない…!
「そんなに緊張しなくても…。あれ?ボクってそんなに怖い顔してたかな?あはは」
男は人懐っこい口調で警戒を解こうとしてるのだろうか、私の耳にはまるで入らなかった。
毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩毎晩…!!
『この男』の殺戮を見せられているというのに!
夢の中で完全に覚えきってしまったこの顔を、見間違えるわけもない。
この男こそ、私の悪夢の元凶であるインテリ眼鏡の殺戮者であった。
「なっちゃん高城さんと知り合い?」
香奈ちゃんは不思議そうに訊ねてくるけど、私の頭の中は現実と夢の中が混乱していて言葉が出なかった。
次第に意識が遠退いてゆき、私はその場で眠るように倒れてしまった。
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