第8話 選ばれた7人目

 1人の少女が少年の跡をつけていく。

川辺を進む2人の少年は終始無言だ。

 少女は木陰を移動しながら様々な推測を頭の中で巡らせていた。


 少女には秘密があった。

 学生生活のなかで不自由な思いをしたことはない。それどころか、皆から慕われ愛される人望と容姿を備えている。

 それ故に、少女の奥底にはフラストレーションとある種の『欲望』が芽生えていた。

 初めは些細なことだった。高校生になり、気品のある『お嬢様』扱いから、もっと親しみやすく活発な少女に変わろうとした。

 だが周囲をそれを許さなかった。

『優しくて、お嬢様って感じがするよね~!高嶺の花っていうか』

 少女へのイメージを投影させる周囲の固定観念は、少女をよりお嬢様へと育ててゆき、確固たるものとなった。

―自分らしさ、なんていうものは存在しない。

 なりたい自分に変われない、変わらせてくれない世界に、彼女の心は膨大なジレンマを内包させていった。


 ある時少女は、夢をみた。


 同じような生活空間の中で、少女に対する周囲の反応が違う世界。

 ちやほやされる舞台とは違う、彼女を畏怖する新しいステージ。

 少女は半ば夢の中の世界に依存するようになった。新しい自分に酔いしれた。


 当初は短かった滞在時間も、日ごとに長くなった。彼女は起床して毎日『夢日記』を詳細につけるようになり、知覚することで、夢の出来事を鮮明に思い出すことができるようになった。そしてその行為こそが《あの世界》をより現実に近づけるものであると確信した。


 しかし今日、その彼女の心を揺るがす事態が起こる。

いつもなら単なる朝の挨拶だった。

 ところが相手の男子は《あちら側の彼女に対する対応》をしてきたのだ。

 距離をおき、警戒するように後退った彼をみて、彼女は『いまどちらの世界に存在しているのか』一瞬わからなくなった。

 しかしそれだけではない。

その男子生徒は『あちらの世界の席順を明確に』口にしたのだ。

 心中穏やかではなかった。

心臓が1回転したのではないかというくらいに驚いた。

 淑やかな表情の奥深くで、彼の一挙一動に目が離せなくなった。

 それと同時に、あちらの世界が単なる夢の仮想世界ではなく、実在するのだということを彼の存在が証明したことになった。


 パラレルワールド。


 並行世界。


 確かに存在していた。

 人類の叡智を結集して立てられた仮説は意外にも、小さな町の一角で証明されてしまったのだ。


 彼女は少年たちの話が聞こえる距離まで近づき木陰に身を屈めた。

 少年の1人が―どちらの世界においてもふざけたキャラの彼が―、聞き慣れない言葉を次々と列挙し、聞き流せる程度の憶測話を幾つかしたのち、少女が最も恐れていた言葉を放った。

「つまるところ、櫻井主観では『高嶺のアカネさん』と『恐怖のアカネさん』が混在してるってことだろ?」

 身震いした。少女は膝が笑うなどという経験はなかったが、全身の毛がぞわりと逆立ち、屈んでいることさえやっとなほど鼓動が上昇していた。

 少女は冷静な判断ができないほどに、混沌とした闇に呑まれていた。


****


 自身の心拍音が頭の中で響く。


 ―どうするべきか?



 ふと、匿名サイトの存在を思い出す。

 私がこの摩訶不思議な現象を体現してから、同様の体験をしたひとが居ないかネットで検索し【明晰夢から世界を移動して戻ってきた】というスレッドを見つけた。

 スレッドの《スレ主》と言われるその話題の提供者は、当事者しかわからない情報を踏まえて様々な内容の書き込みをしていた。

 歴史が少しずつ違い、人間関係が変わっていたり、私のように自身の性格すら周囲から違った認識を持たれている場合もあると。

 私以外にも同様の【住人】がどこかに存在しているであろう推測はしていた。

 しかしそれは、遠い存在でありお互いが干渉しないからこそ成り立つものであると思っていた。

 それがどうだろう、どんな確率でクラスメイトが同じ【住人】となるのか。

 いや、まだ完全に住人となったわけじゃない。【隣人】程度だ。

 私の世界は私だけのもので、誰にも邪魔させるわけにはいかない。住人にさせようとする久留岐は忌むべき存在だ。あの男があれほど博識だったとは予想外というほかにない。

 ――人は見掛けによらないものね。

《あちら側》の私が悪態をついた。

 私は深呼吸をして、気取られないようにそっとその場をあとにした。



****



 帰宅後すぐに自分のパソコンを立ち上げ、例のスレッドを探した。

 私はそのスレッドの最上部にある《同志の方はご連絡ください》と書かれたURLつきのリンク先を素早くクリックした。

 円を主体とした幾何学模様を背景に入力フォーラムが現れる。

 注意書として《あなたの個人情報を入力しなくて結構です。私はあなたを支援することができる。同志と判断できた場合はこちらからご連絡差し上げます》と書かれていた。

 単なるフェイク記事かもしれない、それでも…いまは、部外者の住人の力が欲しい。

 ハンドルネームを入力、返信用の連絡先、現在の状況をできるだけ詳しく―念のため彼のことは伏せておいて―書いた。


 ほどなくして返信を知らせるポップアップが画面の隅に表示される。

 メールフォルダを開き、送り主のアドレスを見る。

sleeping_recollection-d@……


睡眠、リコレクション?dってなに?


 私はrecollectionのテキストを右クリック長押しで範囲指定してコピーし、検索をかけた。

 すぐさま翻訳される。

【回想】…過ぎ去ったことをあれこれ思い出すこと。

 なるほど。直訳で【眠りの記憶】や【眠りの回想】ともなるが、私の状況に合わせた翻訳はこうだ。

 相互世界を移動しても『記憶を呼び起こせる、記憶が維持できる、別世界を認識できる』となる。

 つまり【観測者】ということだ。


 私の考えを先読みしていたかのように、本文には『試すようで申し訳ないが、sleeping recollectionをあなたの立場と解釈で答えてほしい。』とあった。

 私は迷わず『観測者』とタイピングして返信した。

 返事は数秒で返ってきた。まるで私の返信をその場で待っていたような。

 私が相手に試されているように、私もこの問答に対しての反応が気になった。むしろ妙な高揚感さえある。

 私はすぐに返信メールを開いた。

…しかし本文が見当たらない。

画面いっぱいに映し出されたのはQRコードだ。

 私はベッドで充電器に差していたケータイを引ったくるように掴み、カメラを起動してQRコードを読み取る。

 同時にネットバンクアプリが起動し、


 《SR-D07、入金を受諾しますか?》


 とポップアップされる。

 それの下に金額が表示されている。


 《100,000,000円》


 いち、じゅう、ひゃ…く、1億?!

 思わずケータイを両手からずり落としてしまった。


 カンマとピリオドの見間違いかもしれない。ぺたりとその場に座り込んだ私は、再度ケータイ画面を凝視して見直した。間違いない1億だ…億ってなによ…


 もう一度パソコンの画面をみた。なにか見落としている気がしたからだ。

 QRコードの画面をマウスでクリックして保存。

 こうしてる間にも相手は私の出方を見ている。試されている、何かを。


 ―――!


 しまった…。

これは隠しデータの仕組まれたQRコードだ。


 QRコードに予め相手が読み取った瞬間、位置情報を含む個人情報を作成者に送信させる『ウィルス』のようなものを潜伏させるやりかた…。


 やられた……!



 突然、ケータイが鳴る。


 びくっとして画面を見るものの、非通知着信だ。

 流石の私も理解した。

 腹を括って電話にでる。

「……はい」


「はじめまして、萩野あかねさん」

 相手の声は若いが、20代くらいのアナウンサーみたいな特徴のある声だった。

 私の高揚感は一気に地に墜ちた。

「このようなやり方をして申し訳ない。私は君たちの同志であり協力者だよ。だから安心してほしい」

「ぜんっぜん言ってることとやってることが違うじゃない!」

 うまくやられてしまったことに腹が立ってしまい、同時に見抜けなかった自分にも苛立ちが込み上げていた。

「あかねくん、落ち着いて聞いてほしい。キミは世界にとって脅威となりうる存在になっているんだ。観測者とは世界の中心だからね、米国やロシアもキミの存在に気づけば是が非でも捕まえにくるだろう。最悪のことも視野に入れなければならない。」

 この男は何者?私の話を信じているってことは、どこかの研究機関なの?

 男は優しく、それでいてしっかりとした口調で続けた。

「あかねくん、まだお金を受け取ってないようだね。それはキミを守るための資金だ、必要に応じて使って欲しい。ああもちろん、ボクのポケットマネーだから」

「…なんでそんなに……見返りはなに?」

 うまい話には必ず裏があるというもの。

「はは…誤解しないでくれ、僕はこう見えても某大企業の社長なんだ。それにキミと同じDeeperなんだから、仲間は助け合うものだろう?そうだ、キミに僕の会社の名刺をアプリに送っておくよ。今度の日曜日、一緒に話でもしないかい?」

 勝手に話を進めて、なんなのよコイツ…。しかもなんか口調も飄々としてるし、悪い人ではなさそうだけど…。

 はぁ、とため息をついた私は

「Deeperって、私たちのこと?なにこのダサいネーミング」

 ははは、と相手の男は笑った。

「あかねくんは手厳しいね、いやいや恐れ入ったよ。ネーミングってのは語感が大事だと思ってね」

 気に入らない…気に入らない、けど…。

 あれほど追い詰められていた精神状態だったのに、この男と話していると調子が狂う。

 しかし不思議と悪い気分ではなくなっていた。

 そうか、話し合えばいいのか。

 もしかしたら櫻井君ともこんな感じになれるのかもしれない。

 具体的になにをすればいいのかわからないけど、一瞬でも外道なことを考えていたことと比べれば善良な判断だと言える。

 端から自分のことだけを考えて、対話を試みようとしなかった私は未熟だった。

 ふーっと深呼吸する。

「わかったわ、それじゃ来週の日曜日」

「本当かい?!いやあ~嬉しいなあ、それじゃ前日にまた連絡するから、何かあったら連絡してくれ!」

 子供のようにはしゃぐ彼を一旦制止させる。

「まってまって、名刺送るっていってたのにまだ来てないわよ」

「あ?あれ、ああそうだったね!嬉しさの余り忘れちゃってたよ、ははは」

 ほどなくしてケータイの着信音がなる。

 手早く送られてきた名刺画像を展開。


【株式会社SanyInteractiveEntertainment】


 社長 兼 CEO 高城透


 「えぇ……」

 私は完全に気後れしていた。


****


 高城は耳に着けたイヤホン型マイクを取ると、デスクの上へ乱雑に放り投げた。


「いやあ~さすがっスね、高城さんは!職業間違えたんじゃないっスか?俳優にでもなれば…」

「うるさいな、さっさと仕事しろ」

「へいへい、おーこわ」

 高城は胸元のネクタイを右手で軽く左右に振って緩める。

「だいたいお前、送金金額1桁間違うってどういうことだ」


 東京都港区に本社を構えるサニー・インタラクティブエンタテインメントは、表向きplayerStationというゲーム機のパッケージソフトウェア会社だ。

 その最上階に位置する社長室で、高級なレザーオフィスチェアに座ることなく歩き回りながら萩野あかねと会話していた。

 そのチェアに深々と腰かけてパソコンのキーボードを叩いているのは、高城の右腕であるSEの村上。

 村上は例のトラップを仕掛けたQRコードで入手した、萩野あかねの写真フォルダを開けてディスプレイごと高城へ見せた。

「見てくださいよあかねちゃん、すっごく美人さんっスよ~!」

 高城は一瞥して

「お前、それでわざと金額間違えたんじゃなかろうな?」

「やだなあ…いやむしろその金額だったからこそ、あかねちゃんも気を許したって考えれば安いもんでしょ。」

 まったく、といった表情で細めのフレームの縁くいっとあげて、高城は机に腰かけた。

「村上」

「うっす」

「これで7人目だ。今回は成功させるぞ」

 村上は右手をひらひらとして承諾の意を示す。そして今回はプラン変えるんスか?と尋ねた。

「これまでの実験から、他人へのメモリーオーバーライトには心的要因が大きいことがわかった。被験者D07とはこの心的要因を解消する。村上」

 呼ばれた村上はカタカタとタイピングする手を止めて

「日曜日のデートプランっスね。もうできましたよん」

 浮かれたワードに思わず、腰かけた机からずり落ちそうになった。

「地下の状況はどうなってる」

自身の気を締めるように語句を強める。


 この本社の地下には、図面にも載っていない広大な地下施設があった。

 ひと昔は中央区に本社を構えていたが老朽化を口実に新本社の建設を開始し、その巨額な工費を米国のIT企業Lppleが肩代わりするという前代未聞の融資のお陰で現在の本社ビルが建った。

 しかし当時世間では『Lpple、SANY買収本格化か?』と新聞では取り沙汰になり騒がれていたものの、LppleはSANYの株価下落を懸念して事前に『日本の技術力は世界を牽引してきた。これからもそれは変わらないだろう。これは最大限のリスペクトと感謝の証だ』と公式に声明を発表していた。

 その水面下、米国のLppleと日本のSANYは世界の理をも超越せんとする、ある計画を極秘裏に進めていた。


【Multi-World Memory Transfer Plan】

 (多世界間記憶移動計画:略称MMP)


 そしてこの計画により既に6人もの少年少女が、この本社地下施設の中の特殊な液体の中で眠らされ、魂の抜け殻となっていたのである。


 

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