第7話 漂う座標

「……い、おーいお兄ちゃん!」

 ハッとして辺りの状態を把握しようと脳がフル回転する。

「も~、学校遅れるよ!」

………?

 学校?学校、学校…あぁ、そうか学校だ。

【みさきや】の正面玄関口を出たところで、白昼夢でも見ていたのか、茫然と立ち尽くしていたようだ。

 ふいに自分の右手が上着ポケットに差し込まれていることに気づく。

「わりぃ香奈!カブのキー忘れた!」

カブとは野菜ではなく、スーパーカブのことだ。

 デビューしてから今年で75周年というホンダのスーパーカブは、十数年前にモデルをリニューアルしてカラフルなものが発売された。

 他社の原付きバイクはリニューアル頻度が高いが、カブに関しては周知のとおり何十年と代わり映えしないデザインと性能を維持し続けている。

 俺は青色、香奈は黄色、赤色は…はて、誰だったかな。

「もー颯人くん!階段に落としてたよ、かーぎ」

「お!さすが麻衣お嬢様!助かるわ~!さんきゅさんきゅ!」

 受け取った鍵をバイクに跨がりながら鍵穴に刺し、ブレーキレバーを握りながらスターターボタンを押す。全員が準備できたのを確認して、いつものようにスロットルグリップを―全開にした。


 家から一直線に坂を下り、1度反対側へ渡るために石橋を通過、短いS字の登り坂を上がると夏希が待っていた。

「ヤッホーおはよ~」

アイドリング待機してるので、すかさず3人の最後尾を追従する。

 俺はふと思い付いたことを口にする。

「これさあ!」

 隣で走る麻衣が『なーにー?』と大声で聞き返してくる。

「自転車だったら大変だろーなあ!」

 麻衣は『前に同じこと私が言ったじゃない!』と訝しげな面持ちで叫んだ。

 ああそうだっけ?と記憶をたどりながら、忘れちゃったのかとその場は流した。


 いつも通りの時間に学校へ到着し、駐輪所へ4台のカブを停めにいく。

「おいーっすっす!」

時を同じくして久留岐貴弘がいつものように正門をくぐって自転車で到着。

「やあ、麻衣さん香奈さん夏希さん香奈ちゃん可愛いね」

妙にイケボを意識して、女子3人に紳士的な頷きを加えて挨拶をする。最後の一言なんなんだ。

 施錠を済ませた麻衣と夏希は澄ました顔で、おはよう、と言ったが香奈はけがらわしいものを見るように目を細めてシカトした。

「いい!すごくいい香奈ちゃん!あの凍てつくような眼差し!俺の為に放置プレイとかもうね~ハァハァ」

 3人が通り過ぎるや否や、貴弘は毎度お馴染みのHENTAIモードになる。

「お前なあ…」

「生まれ変わったら香奈ちゃんのパンツに、俺はなる」

「もはや生物じゃねえ」

「それでな、香奈ちゃんの純血を守りきる。騎士の称号、手にいれるわ」

「それはないと思うな」

「…ッ!それはナイト思う…だ、と…。お前天才かよ!!」

だはは!とバカ丸出しの笑い方をしながら俺の背中をバシバシたたく。

 そんなつもりはなかったんだけどなあ…。



 教室に入り、席に向かう途中

「おはよう櫻井くん」

と挨拶され、目があった。萩野あかねだ。

 咄嗟に俺は妙な危機感を感じ反射的に半歩後ずさった。

 …なんだ?何を…構えている??

 萩野あかねは艶のある黒髪ストレートで、肌は透き通るように白くて切れ目、実に婉容えんような顔つきをしている。

大人びた容姿と相まって隠れファンの多い女子だ。頭もいいし、控えめな言動は教師からの受けもいい。

――なのに、胸のざわつきが消えない。どうして…

「どうしたの?」

萩野あかねはキョトンとして首を傾げた。

「ああ、おはよう。…見惚れてたんだよ」

 自分でも訳のわからないことを口走ったが、そんな恥ずかしさも消しとんでいた。

隣にいた貴弘でさえギョッとしていたのだから相当なことだ。


 その後、自分の席を間違えた上に席順まで変わっているんじゃないかと俺が言い出すものだから、夏希が見かねて本当に大丈夫なのかと聞いてきた。

 朝のホームルームが始まるまでの時間が異様に長く感じる。


 頭の中で『何かがおかしい』と感じている。

 それでも『それ』が何かわからない。


 ―俺は…誰だ?


 白昼夢?幻覚?いやいやラリってなどいない。99対1の脳内戦争で1の存在感がとてつもなくでかい。

 その1の疑念を『世界の意思が無かったこと』にしようとしている。

 何かを、何かを…


「どういうことかね櫻井氏」

 無限ループしそうな思考を止めたのは、他でもない貴弘だった。

 顔つきをどこぞの性悪検事みたいなネズミ顔にして、眉をピクピクさせる芸当まで披露してくる。

「いつからだね?チミ」

俺の机を拳でどんどんしながら尋問を開始する。

「…あぁ?なにが??」

「アカネたんのことだろ常考!」

 まーた妙なネットスラングを。

「いつって…なんもねーよ」

「またまたご冗談を!『キミに見惚れてだゼ…ずっきゅん☆』とか言っちゃってあーた!」

 色々蛇足すげーな…

 こらこら指ピストル向けて、ずっきゅん☆連射すな。


 うーむ、と俺は唸った。

 目の前の貴弘を見ていると、俺の考えすぎか、もしくは中二病を発症したのかもしれないとさえ思えてきた。

「なあ」

 ふざける意味合いがないことを伝えるトーンで貴弘に話しかける。

「んん?」

「原付き免許って何歳から取れる?」

「そりゃ16からだろ、じゃなきゃ香奈ちゃん乗れない…ってかお前マジで大丈夫か?」

「んー、大丈夫っつーか。それより俺って自転車通学してたことないよな?」

「自転車通学は駅から学校までの全生徒だろ、お前らンとこは特例処置で原付き通学できるんじゃねぇか。それこそお前ン家ちからここまで毎日チャリ通とか、競輪志望かっての」

と貴弘はここまで言って、急に『ははあなるほど』と言った。

「櫻井お前さ、一応確認するけど『別の記憶』でもあんの?わりと真面目に」

貴弘はいつもふにゃふにゃしている男だが、実のところかなりのキレ者で勘が鋭い。

 俺が長い間こいつとつるんでいるのは、信頼に足る人格者だからに他ならない。

「…なんというかな……雲を掴むような感覚なんだよな」

「実にィ…面白い」

貴弘が自信満々の顔で科学者が白衣をはためかせるような仕草をした。

「この…世界の混沌を望むオレ、久留岐くるぎたかッ…」ひろが!とは続かず


「貴弘はよ座れ」

 と、いつの間にか教壇に立って出席簿を持った現国のガチムチ教師が、ドスの効いた声で一喝した。

「直ちに1名様ご着席いたしまあす!」

 超絶早口でのたまった挙げ句、脱兎の如く席に戻る貴弘であった…。



****



 放課後、俺は貴弘を呼び出す前に本人に捕まり、今朝の話の続きをすることにした。

 帰宅部の麻衣と夏希は先に帰り、香奈は部活のため18時頃に家へ帰ることになっている。

 俺たちはひとまず最寄りのコンビニへ向かった。

 貴弘は自転車に乗ったまま俺のカブ後部のキャリアを掴み、警察に見つかったら即刻厳重注意されるであろう荒業で自動運転を楽しんだ。

 適当な飲み物とフライドチキンを買って【みさきや】の前を流れる川の下流にあたる川辺にカブと自転車を手押しして向かい、学ラン姿の男2人は腰をおろした。

 4月の川辺はまだ肌寒さは残るものの、日ごとに日照時間が伸びてきているせいか空も明るく、心地よかった。


「んま、本題に入ろうや」

 貴弘はHENTAIモードを解除している。

「俺の仮説…てか、よくあるライトノベルの設定やら空想科学的なやつな。知る限りのことを言うから、なにか引っ掛かったら言ってくれ」

「おう…」

 つまるところ俺たちは今から、端から見れば中二病全開なトークを開始するわけだな。

「まず…いや、俺が質問していく。その方が導きやすいかもしれん」

「おけおけ」

 貴弘も俺も、コンビニで買ったモノの存在を既に忘れていた。

「んーじゃあ、萩野のところから。なんで『見惚れて』とか言った?正直なところ普段お前はそういうこと言わん。大体萩野は高嶺の花って位置付けだろ。」

 こういうときの貴弘は実に頼りになる。

感じたままのことを正直に話すことにしよう、例えトンデモ系だろうと。


「なんか挨拶されたとき『こいつこんなこと言うやつだったか?』って思ったんだよ。いまの萩野がどういう人格の人かも理解してる、以前からな。でもなんか、恐怖みたいなものも奥底で感じたんだよな、こいつヤバいやつっていう」

続けろとばかりに会話を遮らない貴弘。

「それで、単純にその場しのぎで言っちゃったんだよ。ホントに他意はない。それと席だってなんか窓際の後ろから2番目って思い込んでて…みんなの席順違うって」

ふーむ、と貴弘は唸った。

「それは『既視感きしかん』とか『デジャブ』っていわれる類いじゃないか?」

 それは俺にも理解できた。要するに『実際体験してもないことや、行ったことのない場所、人などに初めて遭遇したとき、前から知っているような感覚になる』ことだろう。

 そこで貴弘は続けた

「こういうデジャブは大抵、創作書籍とかアニメならパラレルワールド、多世界解釈ってのに結び付けられるのがお決まり。時間跳躍したり、世界線が移動して…などなど。やりたい放題よ。んでお前からみて周囲が『何言ってるの?』っていうオチが100%」

 まさにソレが今朝のやり取りだったというわけか。

「ここで重要なのが、櫻井、お前が『観測者』ってことな。そこに大概くっついてくるのがシュレディンガーの猫とかいう理論だわけよ。」

 さっぱりわからん。

「つまるところ、櫻井主観では『高嶺のアカネさん』と『恐怖のアカネさん』が混在してるってことだろ?もちろん単純にお前の勘違いって線もある。もしくは心理的な内面を読み取った、とかもな。ただそれがもし『櫻井主観で事実』なら、お前は別の世界の記憶を保持してることになる。なお証明はできない」

 さらに続きそうなので一旦話を遮った。

「貴弘、お前なんでそんなに詳しいの?俺にはさっぱりわからんのだが」

 よくぞ聞いてくれたとばかりに目を嬉々とさせて

「そりゃ当たり前だよ、俺、タイムトラベラーだもん」

「…………」

「ごめんいまのウソ。いっぺん言ってみたかっただけ」

 この流れでそれはないわ、マジで信じそうになった。

「好きなんだよ、そういう空想科学。でも空想とか架空としてネタで終わるのと、もしかしたら実際に起こり得ることかもしれんって考えるのだと、毎日の面白さみたいなのが変わってくるだろ?」

 お前そんなこと考えてたのか…今朝の《香奈ちゃんのパンツになりたい》ってどうしちゃったのよ…。

「でもまあ、身近な櫻井がそんなこと言ってくるとは正直思わなかったな」

…俺も同じこと思ってるぞ。


「ちょっとまてよ?」

 貴弘はふいに何かを思い出したらしい。

「いやなに、仮に2つの世界が存在すると仮定するだろ。別々に肉体は存在してるってことになるけど、櫻井お前どうやってこっちに来たわけ?まさか電子レンジ魔改造したとかじゃないよな?」

 最後の意味はわからなかったが、確かに、もし俺が別の世界から魂、もしくは記憶を移動してきたとしたら、その手段はなんだろうか?

 それ以前に、このあやふやな記憶がどうも腑に落ちない。

「それはアレだ。仮定を前提としていえば、ええっと…この世界をa世界として別の世界をb世界としたら…」

 自我を認識している本体が別の世界へ移動すると、その世界の均衡を保つ為に前居た世界の記憶改変(改竄)が行われる、ということらしい。

『持ち込み禁止メモリー』ということになるわけか…

「貴弘、この現状で混ざってる不可侵記憶のまま、再度b世界へ移動したらどうなんの?」

 いやあ、それはわからんと言った。

「ただな、もし仮に櫻井自身に『記憶を保持したまま移動できる能力』があるとしたら、常に上書きされていくんだろうな」

 さすがにアニメの観すぎか。

「まあ半信半疑ではあるけど、いま重要なのは櫻井の【記憶圧縮フォルダの解凍】じゃね?現状何かが枷となって不透明なわけだろ。何かのトリガーで…」

というと急に立ち上がって

「そんなうまい話あるかーーーい!!」

と叫んだ。

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