第6話 静寂の歌姫と戯れる妖精

『あんた今日死ぬよ』宣告から1週間の刻が経った。

 日にちを間違えたとはいえ、猶予期間が長すぎてあくびが出そうだ。


「ふぁ~~」

隣で三女の由衣が木のベンチに座ったまま代わりにあくびをした。


 俺たち(香奈、由衣)は日曜日ということもあり、山から遥々バスを乗り継ぎ最寄り駅まできた。

 櫻井家ではこれを『下界へ降りる』という。

 三咲さんは「下界では人界の民に気を付けるのよ~」などとクエストNPCみたいなことをいうものだから『デスルーラで戻ります』といったら『ルーラで戻りなさい、ここセーブポイントだから。デスペナは夕食抜きよ』と切り返された。やるなお主…


 今日は麻衣の面会の日になっている。

 三咲さんはどうしても手が離せず面会には3人で行って欲しいというので、学校の日より1時間遅いくらいの朝っぱらから、半分保護者気分で妹2人に付いてきている格好だ。

 香奈は比較的私服に気を使っているようで、薄ピンクのレーストップス9分袖、ベルト付き花柄フレアスカート(紺)、そして白のファーコートを羽織っていた。

 靴も黒のレースアップヒールを履いていて、なかなか最近の女子高生という感じが出ていた。そういえば家を出る前、NPCに『触角オッケー?』などと髪型をチェックさせていたな。NPCは『イー!イー!』と、この世代には分からないであろうジョークで返していたが…。

 対して由衣は割合露出度が高い。

 黒いオフショルワンピースにケーブル編みの白いニットカーディガンを羽織っただけの、実に簡素でローコストなコーディネートになっている。


 この町はひと昔から観光業で栄えてきた。

 俺たちの住む山の中は、白川郷のような佇まいはないものの、それに近い景観や歴史上の重要文化財がいくつかあり、それ故観光客が多く訪れるのだ。

 なので交通インフラ整備には当面心配はなく、ここの地方財政は比較的安定しているらしい。

 それなのに何故か最寄り駅の景観は昔とちっとも変わらないし、自動改札機すら未だ設置される気配はない。

 改札機がないから降りる時は車掌に手渡すか、なんならそのままスルーしても問題ない。

 それほど過疎地なのに、特急電車は止まる。だから乗車券と特急券を買わなきゃいけなくて、それがわりとお高い。

「由衣、券無くすなよ。降りるところはここと違って都会だからな」

「はいはーい」

適当に返事しよって…。


 俺たちは片道約1時間30分の車内を各々に過ごした。由衣と香奈は隣同士に座り、由衣は小型のワイヤレスイヤホンをつけてなにかのパズルゲームアプリをやりながら時折「とう!」と言いながら激しく指をスワイプさせ、その長い黒髪を右に左にふんふん振って「しゃー!」とガッツポーズした。

 それを横目に香奈は音楽を聴いている。

 俺も皆にならってワイヤレスイヤホンをつけて動画サイトを観ることにした。

 ふと、由衣が使っているイヤホンが気になる。

 あれ結構高いやつだよな…?

 ひと昔だと専用の充電ケースが必要だったのに、最新式だとケータイ本体から1メートル以内であれば自動でワイヤレス充電できる上に、ケータイカバーも進化して、カバー自体がフル充電1回可能なワイヤレス充電機能搭載に変わった。

 本体バッテリー保持時間の限界を外部オプションで補おうというわけだ。

 いまは如何にこのカバーの薄さと充電回数を増やせるかで各社が競争している段階となっていて、価格帯ではどこも同じような値段だったと記憶している。

 『そのイヤホンどうしたの?』なんて聞いたら野暮かもしれんと考え直し、動画サイトを開いた。


 1時間ほど様々な動画を漁り、他の目ぼしいものがないかチェックしていたら【オススメ動画】という、なにを基準にオススメされているのかわからない動画をスクロールさせ、ふと【森の妖精が奏でるVimerの一等星の夜、うたってみた】というタイトルが目に留まった。

 Vimerとはヴェメという独特な声質と抜群の歌唱力をあわせ持つ、いまの時代の代表的シンガーソングライターだ。

 約20年ほど前、通称【歌い手】と呼ばれる一般人は、ある程度の歌唱力をもって現存するシンガーの歌を真似て自身の動画を撮り、それを動画サイトにアップロードして再生回数を上げ、ここに広告動画を挟むことにより広告収入を得るというシステムで生計を立てていた。

 現在はスマホの性能が飛躍的に向上したことにより、一昔と広告表示の仕様そのものが変わった。

 アプリのアイコンサイズ一つで動画が流れ、一画面に最大20個同時に広告が流れることで収益が何十倍にも増えた。

 それが【tree_house】という動画サービスだ。

 ちなみに配信者は試聴者を集める根っこに例えられ、rooterと呼ばれたりしている。


 ふぅむ、聴いてみるか…ポチっとな。もちろん声には出さない。

 画面左下の再生回数は260万再生と表示されていて、どうやら顔出しNGの歌い手のようだ。名前はyu→na《ゆ→な》か。


グランドピアノの前奏からの第一声。


…思わず笑ってしまうくらいの美声!

これは他とは次元が違う。

 本人に似せた声でない、その歌い手自身が持つ圧倒的な歌唱力。まるでこの歌が彼女のものであるかのような透き通るような声だった。

 ドローンでの空撮を巧みに使い、大自然の中や川辺でのシーンを織り交ぜ、うまい具合に顔が映らないように編集をかけられ、顔が見てみたい!というユーザーの心を煽惑してくる。

 腰くらいに伸びた黒髪、黒いオフショルワンピースをまとった彼女の後ろ姿は間違いなく【歌姫】だ。

 残り15秒ほどの大自然映像を見ながら、コメント欄を見ていたら『5:21の川辺に岩があるんだけど、なんかスマイルマークに見えて声が耳に入らない』と書かれていた。そのコメントに続いて『歌い終わってて草』『特定ヨロ』などと、よくある無意味な掛け合いが続く。

 タイムバーを指定された時間に合わせ、岩を拡大表示して…我が目を疑った。

これうちの集落なんですが!?

 そら似とかそういうレベルではなく、間違いなくあの場所。

 その場所に行ったことのある人間しか識別不可能な場所。

 いやそれよりも、この場所は地元民でも行かない場所で、知ってるのは櫻井家と碓氷家くらいかも知れない。

 何故ならそこは私有地を通らないと行けない秘境の場所だからだ。


 だとすれば。

 歌い手の衣装は最近の流行りかと思っていたが。

 まさか。

 いやいや、まさか。

 んなアホな。


 「あのすみませんお忙しいところ大変恐縮なんですが」

 と、ゲームに夢中になっている我が妹にケータイの画面を見せる。

「もー、なによー」

と、目だけ画面をチラ見した瞬間の表情変化を俺は見逃さなかった。

「おま…由衣、妖精エルフだったの?」

「…違うよ、人間ヒューマン

 なにか様子が変だと気づいた香奈が、イヤホンを外して画面を覗き込む。

「あーこの人有名だよね。私もたまに聴く」

と香奈はごく普通の会話をする。

「これ、由衣だぞ」

ん?という顔をして

「あー、服ね。ホントだ同じじゃん」

 由衣も『うんうん、これ2000円だったんだよね』と同意しつつ、顔は明らかにひきつっていた。

「なあ、これ三咲さん、お母さん知ってるのか?」

 由衣は『もくひします!』といい、俺は『刑事事件なら黙秘できるがこれは民事事件だぞ』と理詰めした。

 由衣はしばし沈黙していたが、もーわかったよぅ、と諦めて『そうです私です』と―意外にもアッサリ―認めた。

 香奈は『うそ…』と消えそうな声で呟いたが、それは野太い車内アナウンスに掻き消された。



****



「お母さん以外、誰も知らないことだからね、同級生も先生も。」

 駅から大学病院へ向かう途中、3人は横に並んで歩きながら話をした。

「同級生っていっても由衣の学年2人しかいないじゃん」

 田舎あるある。小学校、中学校の学年全体で数人しかいない。お陰さまで運動会が開催されないなどの弊害もある。

「それで?お母さんはなんて?」

「やれるまでやりなさーい!って」

 こらこら三咲さん…。

 ここで香奈が割り込んできた。

「これまで結構な動画上げてたけど、機材とか撮影誰がやったの?由衣じゃないでしょ?」

「お母さん」

なにやっとんじゃい三咲さん!

「お母さんドローン飛ばせるの?!」

「驚くところそこかよ!」

「いやあビックリでしょ…yu→naが由衣だとは。声ぜんぜん違うんだもん」

 そこは同意するけども。


 由衣の話によれば、丁度去年くらいから元々SNSで【うたってみた】系のショートムービーをちょくちょく発信していて、人気に火がついたらしい。

 そこからtreeの動画サイトを開設し、1週間もせずにチャンネル登録者数100万人を突破したそうだ。

 驚いた由衣は内密に三咲さんへ相談し、活動をあっさりオーケーされたらしい。

 由衣の銀行を開設し、細かい設定や機材も揃え、動画編集をやり、確定申告や所得税云々、資産運用まで、完全プロデュースしてくれているとのことだ。

 三咲さん、あなたという人は……。

 それからというもの登録者数は軒並み増えてゆき、日本屈指の動画配信者と双肩できる規模の歌い手配信者となったそうだ。実のところいくつかのレーベルからCDデビューのオファーもあったらしい。

 これには由衣が首を縦に振らなかった。『yu→naとして、自分が好きな歌を唄いたい。何かに縛られて唄うのは嫌だ』と。

 俺は頭の中で先程の動画に出演していた【妖精】部分をジャージ姿の由衣に置き換えて、のびやかに歌う姿を脳内再生してクスクス笑った。


 大学病院までは駅からそう遠くなかったから、歌姫話で大いに盛り上がってあっという間に到着した。

 途中お花屋さんで買ったお見舞い用の花を腕に、正面玄関口とかかれた自動ドアをくぐった。

 三咲さんから予め病室までのルートをレクチャーされていたので難なく到着。

 個室の入り口には室名札があり『ご面会の方はお名前をご確認の上お入りください』とプライバシープレートが貼られていた。

 マグネットタイプなので外して名前を確認、櫻井麻衣と確かに明記されている。

 ドアを引いて入室しようとしたら、ドアはびくともしなかった。

「ぬお!?」

「お兄ちゃん、それ横スライド式」

 香奈が間髪入れずに指摘、恥ずかしさのあまり唇をモゴモゴしながらドアを開けた。

 室内はアルコールの匂いがした。

 イメージしていたモニター心電図の電子音はなく、ドア正面のカーテンレースを左に迂回して麻衣のベッドへ。

 俺と香奈は窓側、麻衣の左側へ、対面するように由衣がいる。

 兄妹といえど寝顔を見ることなんて滅多にない。こっちは散々見られたけどな…。

「お姉ちゃんってキレイだよね~」

 由衣が顔を近づけてまじまじと見る。

「こうやって見るとさ、眠れる森のなんとやら、って感じするよね」

香奈もベッドの手すりに手をかけて、覗き込むように姉の顔をみた。


 麻衣の病名は『クライン・レビン症候群』という珍しい病だ。

 実際「眠れる森の美女症候群」とも呼ばれ、症例の少ない奇病として難病指定もされている。

 その名の通り眠り続ける病なのだ。

個体によって症例も様々らしく、ひどい場合だと数ヶ月ほど眠り続けるという。

 原因は現代医学でも解明されておらず、また、発症例も極めて少ないことから明確な治療法も確立していないのだとか。


「お兄ちゃん、チューしたら目覚めるんじゃないの?」

 歌姫ならぬアホ姫がとんでもないことを言い出す。

「あのなあ…」

 血は繋がってないからセーフでしょ☆などと、ギリギリアウトな発言をしてくる。

ウィンクしてくるのはよせ。

 香奈、なんとか言ってくれと目線を送ると、

「案外あるかも…」

「ねーよ」

 ダメだこいつら、早くなんとかしないと。


 アホ姉妹を放っておいて、お見舞いに買ったガーベラの花を、ベッド脇にある荷物台に置く。

 キャスター付きの点滴棒には透明な液体と黄色い栄養剤のようなパックが2つ吊るされ、そのチューブの先は麻衣の右腕に栄養を流し込むため1滴、また1滴と時を刻むように送り込まれていった。

 香奈と由衣に五千円札を渡して、売店で飲み物とパン、ちょっとしたお菓子を買ってくるように頼んだ。

 ホントなら電車で少しばかり居眠りしようと思ってたが、ああいう状況になったため逆に覚醒してしまった。


 病室の窓からは少し肌寒いけど、心地よい風がなびいている。

 ベッドの横に椅子をおいて腰掛け、点滴された側の手の甲に軽く触れてみる。

 やわらかい手だな、と率直に思った。

 毎朝趣向を凝らして起こしに来てくれる麻衣を疎ましく思ったことはない。

 旅館の手伝いを兄妹の中で率先してしてくれてるから、俺はしなくていいかと甘えていたのは事実だ。否定はしない。

 この1週間で麻衣がいない空白の大きさを知った。きっと妻が入院した夫もこんな気分になるんだろうなと、妙にセンチメンタルな気持ちになったりもした。


 様々な想いを回想しているうちに軽く触れていたはずの手は無意識に強く握り、優しく包まれたような安堵に俺は瞼を閉じていた……



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