一章:それぞれの始まり

第1話 夢ではない、どこか。

 いつかみた、夢。


 それは子供が描く未来のことではなく、レム睡眠とノンレム睡眠を繰返し、その副産物として『見る』儚くおぼろげな夢のことだ。


 なぜ人は夢をみるのか?


 一般的に知られている【記憶の整理】というのは俄に信じられないが、それでも確かめようのないことなので、そんな不確定な情報でも一応の納得をしている。

 だが、夢占いとなると実に不謹慎ではあるが真実味があるように思えてしまい、抽象的なキーワードをピックアップしては自分の深層心理とやらを「なるほどなあ」と根拠もなく信じてしまうから不思議だ。


 ときに『正夢』というものも確かに存在することは広く知られている。

 夢でみた鮮明な情景や光景が、自分の目の前で現実に再現(?)されてしまうことだが、これらの事象が現実で起こっている最中、本人はどえらい既視感とやらに襲われているのだろうかと俺は考えた。

 見方を変えれば【未来をみた】ことになるわけで、内容次第では当の本人の精神的負荷は少なくないはずだ……。


 ここでようやく俺は我に返った。

物思いに耽るととんでもない集中力で周りの喧騒を書き消し、マイフィールドを無制限に全面展開してしまう。

 いかんいかん、とかぶりを振って追い払い、高校二年の櫻井颯人さくらいはやとは、自宅が旅館である帰路を一直線に帰るわけでもなく、寄り道してのどかな渓谷にまたぐ木造の橋の中央で、自転車を隅に寄せて渓流を眺めながら夢について考えていたのである。


 高校は自宅から「下山」する形になり、帰りはグランツールよろしく山岳を1時間半ほどかけてママチャリで登ってくる。

 卯月、四月上旬とはいえまだまだ寒さが残り、この前は桜が咲いているのに大雪が降るという珍事があった。

 夢は夢でも、未来の進路のことはまったく考えておらず、せめて大学行かないとマズイか…とは思っているが、俺が小学低学年の頃に両親が大地震による土砂崩れで他界してから、女手一つで旅館を切り盛りしている近所の女将さんが俺を「1人増えたところで変わらない!」と養子縁組をして引き取ってくれた上、同級生を含む実娘三人と俺をいまもなお育てている義母のことを考えると「県外の大学行ってくるわ!」とは、なかなか言えないのである。

 ふいにポケットの中の胃腸薬が手に当たり、昼に飲み忘れたことを思い出した。

「夢…、ねぇ…」

「さくらーい!」

 突然遠くから自分の名前を呼ばれて、その方角を見る。

 米粒程度にしか見えないその距離でも、全力で自転車を漕ぐそれが近所(といっても田舎の近所、お隣さんというのは徒歩十分以上かかるといっていい)の同級生だと認識できた。

 午前中は雨が降っていて、下校する時間にはすっきり青空が見えていたから、自転車のハンドル中央に傘をかけたままカランカランと音を鳴らして立ち漕ぎで近づいてくる碓氷夏希うすいなつきの顔は実に晴々としている。

 やあやあ、と少し息を切らせながら自転車を降りて押しながら俺の隣に来ると、短めの髪をぶんぶん振って、あっちー!と一声あげた。

「さくらい、マイは先に返ったの?」

「…じゃないか?今日はお客さん多いから、手伝わなきゃ!とか言ってたし」

 マイ、とは櫻井麻衣、義母の実子であり義姉妹であり同級生である。

 俺の誕生日が麻衣より二ヶ月早いので意識的には兄のつもりでいるが、昔から家族ぐるみでキャンプしたり旅館の温泉に入ったりしていたから、成長期特有の男女のナンタラという意識すら微塵も芽生えない良好な関係といえる。


 そして面前の夏希も似たようなもので、俺の名前を呼び捨てにするし、鞄でバシバシ叩いてくるし、これでも由緒正しい碓氷神社の巫女なんだから、アニメで出てくる巫女とは現実的にえらい違いだと思わざるを得ない。

 とまあ察しのように、田舎のこの地域で同級生といえば俺とこの二人を含めた三人だけなのだ。

「さくらい~、あんたも少しは手伝ってあげりゃいいのにマイちゃんカワイソ」

手伝う、とはもちろん旅館のことだ。

「バカいえ、俺なんかなんもできねえよ」

「バイトだと思えばいいのよおー!どうせ部屋でえっちな妄想くらいしかしてないんだから~!」

 ハッ!今は文明の利器があってだな!と言おうとした刹那、いつの間にか手にしていた傘の先で、あろうことか俺の大事なところをガスガスと突いてくるではないか!

「あたっ、ちょ、やめんかーい!」

 あははは、と夏希は笑い、スカートをクルクルとはためかせながら俺の周りをまわった。

「そういえばさ」

ピタリと動きを止めた夏希が、不意に真面目なトーンになる。

 夏希の9割はアホ子で形成されているが、1割の確率で【大幣モード】へ移行する場合がある。

 大幣モードとは、碓氷神社の家系というところから安直に関連付けたお祓いに使う大幣を、ファッサファサ振るアレを連想しているのだ。

 こいつは昔から妙に勘がよかったり自称霊感が強いから、神妙なその瞳を見ると嫌な予感しかしない…。

 悪霊が取り憑いてるとかいうなよ…。


 

「あんた、今日死ぬよ」

「……は?」



*****



 私はまた、同じ夢を見た。


通常、目が覚めて覚えている夢というのは、断片的で短いストーリーが複数、曖昧に思い出すのだけれど、私の場合はそうじゃない。


 いつも同じ人が現れ、私がその『誰か』を認識すると空間が形成され『どこか』に私は立っている。そして私はいつも『何かをしなければならない』という焦燥感でその場にいる。


 とても鮮明に、まるで夢とは気づかないような五感を支配されている感覚があって、自分の意識で行動できるのだけどそれは『何かしなければならない』という衝動が原動力となっている。


 ――もう一人の、自分。


 なぜかそれをはっきりと認識している。


 そしてその中の私は二十歳前後で、いまの私より年上。それを疑うことなくその世界の理としている。


 私は幼少から正夢というものをよく見た。

 幼い私は当初、その偶然の産物に超能力を得たような高揚感と、沸々と込み上げる好奇心に胸を踊らせていた。

 『よく見た』といっても半年に一度や二度程度で、毎日のように見たわけじゃない。でもそれは回を増すごとに鮮明になっていった。

 最初に見た正夢は、台風の最中、飛んできた木々が本堂の少し外れたところにある私の自室の窓に飛んでくる、というものだった。

 私は目覚めてその夢が『現実に起こる出来事』であることを何故か理解していて、水色に装飾されたベッドから起き上がると、すぐ右隣の窓へ歩み寄った。

 私の部屋は神社ということもあって、周りの景観と統一されるように入母屋が特徴的な木造建築の二階にある。

 南向きの窓からはいつもの明るい日差しはなくて、灰色よりもっと暗い、黒色の雲が空を覆っていた。

 そしてすぐベッドへ戻った。

 ごう、と強い風が何度か窓を打ち付けたとき、その時がきた。

 からからっと瓦が捲れ、その瓦が瓦の上を転がる音が聞こえた刹那、どこからともなく折れた木の枝が、車で撥ねらた男鹿の角のように窓ガラスを突き破ってきた。


 そう、まさに夢が現実となった瞬間だった。


 それから私は様々な夢をみた。


 その殆どが私を中心としたものだったけど、時折、見たことのない景色だったり知らない人と話してたり、時にはファンタジーのような世界にいたりもした。

 もちろんそれは正夢ではないけれど、なんと表現したらいいのかわからないような現実味があった。


 中学生になり神社の裏方の手伝いなどを始め、高校生になり、白とネイビー配色のセーラー服に胸がときめいていた頃には、親の強要でもなく神楽や舞いを何気なく覚え、知らず知らずの間にお参りの作法や言葉使いを覚えていった。

 その頃から私は、覚えている夢の鮮明さや滞在時間が増えていった。

 正確には『覚えている時間が長くなった』というべきなのかもしれないけど…。

 ある時気になってケータイで『夢の滞在時間が増える』と調べたところ、明晰夢という、少々聞き慣れない言葉を知った。

要約すると『夢を夢だと認識して見る夢』みたいで、細かい定義などを見ていくとなんだか私のとはちょっと違うかな?と首を傾げながらも、一応知識として理解しておいた。


 そして高校二年生になったばかりの第二週目――私にとっては悪夢の始まり――女子特有の周期にあたるその日を今月も無事迎え、初日だから大丈夫かな?と鞄の奥に忍ばせた専用のポーチを御守りに何事もなく学校を終え、両親と夕食の団欒を過ごして部屋に戻った頃には、気づけば時計の針は23時を少し越えていて、私は知らぬ間に深い眠りに落ちていた。



***



 ………今日はどこだろう…?



 最近の私は夢の中を自分の意思でコントロールできるようになっていた。

 空を飛んだり、断崖絶壁から飛び降りて着地したり、時には動物と話をし、壁を通り抜け、魔法を使ってみたりなど、架空の物語に出てきそうなことは1通り試し尽くした。


 白い霧のような視界が徐々に晴れていき、足元がいかにも脆そうな岩場だと気づく。地質学に全く知識のない私から言わせてもらうと『茶色い崩れそうな石』

 ふと隣、いやその周辺一帯に私の背丈を軽く越えたサボテンが多く生息していた。砂漠??なんて考えた直後、目の前に膨大な大きさの水面鏡――湖があることに気がついて砂漠説は一瞬で崩れた。

サボテンに湖とはこれ如何に?さすが私の『夢』だなあと感心していたら、その湖の上空に人影が2人いることに気づいた。

 上にと言ったものの、水面スレスレに浮いているわけではなく、高さは地上50メートルを優に越えていた。

 2人は何か言い合っているように見える。

1人は外国人でどこかテレビでみたことがあるような、見覚えのある顔だった。

 その外国人に向き合うように立っているのは、服装を見る限り日本人に見える。

 背を向けているので顔はわからないけど、時折見える顔の輪郭的におそらく私と同じ高校生か大学生。

「役員報酬1ドルのお偉いさんも、自分の命ともなれば一方的に多大な犠牲を要求するんだな!」

 突然、高校生か大学生の男の子は怒りを露にした声でその外国人を罵った。

 どういうやり取りの中で、その一言が出たのかさっぱりわからないけど、それよりも――。

 私はこの声の主を知っていた。

そして彼ら2人を見上げながら立ち尽くす私は、その男の子が同級生の櫻井颯人だと確信した。

「颯人…なんで私の夢に………出てくんのよ…」

はやと、なんて呼んだのは初めてかもしれない。私は普段彼のことを『あんた』とか『さくらい』としか呼ばない。

 さらに女友達同士ともなれは『あいつがさ~』と、彼に対する敬意なぞ一切払わない呼称で呼ぶ。

 ただ、颯人は悪いやつではないしむしろ良いやつだったから、そんな呼び方云々は当人同士どうでもよくて、信頼しあってる幼なじみだからこそできる友情の証のようなものだった。


 なおも頭上の2人は何かを言い合っている。状況からして非常に険悪な雰囲気で、1人が颯人だとわかると途端に何かの主人公のような、映画じみた演出に見えてくる。

 それと同時にもう1人の外国人が誰なのか、とても気になってきた。

 む~~~!と目を凝らして見ていると、彼ら2人のいる少し離れた場所から突然、雷とも爆発とも言いがたい、とつもない爆音が轟いた。

 水面が噴水のような、いや…地面がゴムのように鋭角に盛り上がって、水中から戦闘機が現れたのかというくらいの早さで《空間》へ突入してきた。

 私にはなぜか『ソレ』を知覚できていて、この空間が外部からの進入は一切できない隔離された場所であると、既に頭の中でわかっていた。

 私は胸の中で、その異物のような存在に不快感を覚えた。


 しかしその物体(?)は爪楊枝で電話帳を貫通させるかのような無謀な突貫をゴリ押しで行い、分厚すぎる空間の膜――のようなものを破れずに最大限に引き伸ばされた状態で暫し停止した。

 が、物体は更なるハイレートクライムをするかのように上昇を続け、空間の膜がギリギリと音を立てるような、まるでそれを愉しむように回転を加えて、遂に――パァン!とはならず、ぬるりと磯巾着から吐き出されたように物体が『ふんぬ!』と一声出して空中へ姿を現した。

…のだが、突然の訪問者はなんと、全裸の男だった。


いやいやいや…!

おかしいおかしい!

いままで見てきた様々な夢の中で、これが一番色々とやばい。

 咄嗟に両手で顔を隠しながら、指の間からちらりと状況を確認した。


「いやあまったく、苦労しましたよ。ジョブズ氏」

 突如現れた露出狂の男は飄々とした口調で、アメリカンスタイルよろしく大袈裟な身振りを加えて言った。

「まさかdeeperになるための要素に自然のエレメントが必要だとはネ!まったく、ド田舎は好みじゃないが日本にここだけしかないんじゃあ仕方ないよねぇ」

 とてもねちっこい口調になり、生理的に受け付けない男だと私の魂が拒絶反応を示した。


 でもこの男…さっきジョブズ氏って言った??ジョブズって…あの?

 世界有数の大企業であるIT企業Lppleの故スティング・ジョブズ氏。もう亡くなってから数十年の歳月が過ぎている。

 確かに言われてみれば当時のままの姿に見えなくもない。実際見たことないけど。

 私はこの露出狂の男に見覚えがなかった。

 何故か全身ずぶ濡れで髪はオールバックになり、年は30未満でいかにもエリート臭の漂う細い縁のメガネは、キナ臭いセールスマンのようだった。

 しかし颯人の反応は違った。

「…お前!いやお前らグルかよ!」

「うるさいガキは嫌いだよ、颯人くん」

 まったく話の脈絡が無さすぎて、さっぱりわからん。

「てめぇ!!」

 たぶん殴り掛かろうとしたのかもしれない。

 こちらの気持ちとは裏腹に話は勝手に進んでゆく。

「この次元はねぇ」

 男は獣を仕留める狩人のように、凍てつく眼差しで颯人を捉えた。

「なんでもありなんだよねぇえへへへへっハィあ!」

 男の発する語尾は奇声ともなんとも表現し難い狂気を帯びている。

 間合いを詰めた颯人の行動が悪手だと私にはわかった。

 なにか来る…!

全裸男の右腕全体が鋭い刃物のような奇怪な形へ変貌し、背中からムカデのようなものがぐわっと四方八方へと伸びたかと思ったら、颯人へ襲いかかった。

 瞬時に私は他の明晰夢の中で会得した『魔法のようなもの』を発動すべく右の掌を空中にかざして思い付く限りの単語を強く念じた。

『颯人を守って…!壁、バリア、妖精、神様…なんでもいいから!!』

 その瞬間、何か暖かな優しい風が身体を包んだように感じた。

 すると今まで1度も見たことのない鮮やかなエメラルドグリーンの帯が右手にまとい、一直線に颯人の元へ…届かなかった。

 私の周りに目には見えない球状の何かが、発動したであろう淡緑色の帯を完全に無効化した。

なんで?!夢に干渉できない…!

こんなこと今までなかったのに…!


 何かのファンタジーな夢かと思っていたら、幼なじみやご老人が意味不明な露出狂のメガネ男に惨殺される悪夢だった。

 これほどまでに鮮明で臨場感のある夢は初めてだ。

 授業も耳に入らず、1日中昨夜の見た夢のことばかり考えていた。

 流石に正夢とか予知夢の類いではないにしろ、鮮明な夢を見る時に限って、現実世界では何かが起こることを身をもって知っている私にとって、無視できることではない。

 それでも私には皆目見当つかなかった。

 

 颯人には、二人きりになった時を見計らって『何かに警戒するように』伝えなきゃならない。

 何かってなによ…と自問自答しながらも、そういえば颯人っていつも帰りに橋のとこいるよね…と思い出して、どういう風に伝えたらいいのか考えてたらホームルームが終わった。


 そして私の思惑通り、颯人は例の橋のとこにいた。

 私はいつも通りを装い、1日考え続けた末の言葉を放った。


「あんた、今日死ぬよ」

「……は?」


やらかした……!


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