オフィスの最適化
rita
第1話
青野晴太の一日は倉庫内の整理から始まる。元々は経理部所属で、その後自ら志願して営業課へ回ったものの成績はぱっとせず、販売促進課へと移動が認められたものの、営業部員同士の争い事に嫌気がさし、物品相手の総務部用具課へと配転を願い出た。主な仕事は必要な物品の買い付けと管理などで、単調ではあるが、前向きに取り組めば面白みのある仕事だとわかると毎日は愉快だった。帰宅が早くなったのもありがたかった。何しろ新婚六か月のほやほやなのである。新妻は二つ年下で大学の後輩にあたる。女は一歩下がって当たり前という今どき珍しい古風な女で、並みいる敵をおしのけてものにした相手だった。用具課に配属されて最初に着手したのは、事務所内の整理だった。デスクの周りにモノがあふれていた。スチールキャビネットの木製のボックス類が並び、中にモノがあふれていた。果たしてこのモノたちは、オフィスにとって本当に必要なモノたちなのだろうか。
ある日彼が棚の中から取り出したものを手に取って、表裏くまなく観察していると、今年入りたての新入社員がそばに寄ってきてたずねた。
「いったい、何をしてるんですか」
「確かめてるんだよ」
「何を確かめてるんです」
「使えるか使えないか、それを見ているんだよ」
「全部、使えるんじゃないんですか」
「じゃ、たとえば君は、このマスキングテープは何のためにあるか知ってるかい」
斜め向かいにいた女子事務員がちらとこちらを見て、不愉快そうに顔をそむけた。彼の妻をはじめとして、多くの女性がこうした飾り小物を好むものだとよく知っていた。彼はしまったと思ったが、相手が小さく首をふったので嬉々となって続けた。
「知らないということは君にとってこのテープは、無用の長物ということなんだ。もちろん、テープを重宝している人も多くいるだろう。けれど、僕が言うのは、用具は万人が必要として初めて用具としての働きをなすということなんだ。つまり便利なモノでも、使い勝手が悪かったり使い方を知らない人がいたらそれは不要なものということなんだ。つまり僕は、最小公倍数でモノの価値をはかるのではなく、最大公約数的に必要なモノだけを残そうとしているんだ」
「なるほど」
「もちろん消費社会なのだし、経済の点でも少々無駄でもモノが多い方がいいという意見はもっともだとは思うよ。けれど僕は、日常にモノがあふれているのが、高度に文明が発達した状況とはとうてい思えないんだ。なぜなら、モノが多ければ多いほど選択肢は広がるけれど、その分、迷いも増えて結局、人間を疲れさせるばかりになると思えるからなんだ。迷うということは、時間的なロスにもつながる」
「でも、僕、このダブルクリップは書類をとじる時に使いますよ」
「君は若いし手先も柔軟だからそう思うんだよ。もちろんこのクリップは、こちらの目玉クリップに比べたら使い勝手はいいよ。場所も取らないし。でもほらあそこを見てごらんよ」
彼はそこで思わず声をひそめた。
「白い包帯を巻いている人のことですか」
「部長はダブルクリップで指をはさんだんだ。それにあちらで電話をかけている人」
「耳の上に絆創膏をはっている人のことですか」
「そうだ。経理課長は、斜め後ろから飛んできた目玉クリップの犠牲になったんだ。このクリップは固くて開きにくいからね。女の子が扱うには力の入れ加減がむずかしい代物なんだよ」
「扱いづらいだけでなく、怪我をしては何にもなりませんものね」
「そうだ。だからオフィスの用具にも最適化が必要なんだよ。たとえば、計算機科学の分野には、問題解決法というのがある。これは全ての可能性のある解の候補を体系的に数えあげ、それぞれの候補が問題の解となるかをチェックする方法なんだ。用具に当てはめるとなると、一つ一つ使い勝手を調べる必要が出てくるんだけれど、相手はモノだからね。数式に当てはめるように簡単なわけにはいかないんだ」
「じゃどうすればいいんですか」
「それぞれに定義を決めるのさ。たとえばテープなら、透明で紙を張り付けられるモノ」
「でも、それじゃ、一つに絞れないじゃないですか」
「あとは価格だよ。安ければ安いほどいい」
「なるほど、そうすればおのずと必要なものはわかってきますね」
「だからさ、それ以外の高価なモノはこの際、廃棄処分でいいと思うんだ」
彼はセロテープ以外のテープというテープを束にして袋にどんどん投げ入れて行った。それを見ていた新入社員も、傍らから手を伸ばし、袋に押し込んだ。
「なんだか、もったいない気もしますけど、一つに絞るのが最適化なんだからしようがありませんよね」
彼は嬉しくなって大きくうなずいた。新入社員はそれにこたえるかのようににこりとし、そのうちにオフィスの奥へと駆けて行った。戻ってきた新人が手に携えていたのは木製のダストボックスだった。ゴミでいっぱいだったが、それを丸ごとミ袋に詰め込んだ。その様子を見ていた中年の太った女子事務員が文句を言いに来た。
「そのゴミ箱、どうするつもりなんですか」
「捨てるんですよ」
女性は呆れたようになった。
「これ、うちの部長が海外旅行に行った時に買ってきて下さったのよ。桜材でできた特注の高級品だって、みんなでありがたがって使ってるんですからね」
「お土産家だろうが特注品だろうが、ムダなモノはムダなんですよ。通り道をふさぐようにして置かれているゴミ箱は不用品とします」
「それじゃ、ゴミはどこに捨てろと言うのよ」
「廊下のつきあたりにある、大きなポリ容器、あれで十分なんじゃないでしょうか」
「あれは食堂用で生ごみ専用なんですよ。それに私の席からだとかなり遠いわよ」
事務員が反論すると新人は我が意を得たりとばかりに続けた。
「いいじゃないですか。遠ければ遠いほど運動になって」
女は顔が真っ赤になったが、やがてそれもそうだと思いなおしたようだった。
「なるほどね。いいアイデアだわ」
部下がしたり顔でうなずくのを見て、彼は思わずその肩をぽんぽんとたたいてみせた。
「いいぞ、その調子、その調子」
以来、彼はオフィスの最適化がすっかり楽しくなった。彼は朝は誰よりも早く出勤し、業務終了のベルが鳴っても遅くまで居残って、事務用品から湯沸かし室のタワシに至るまで、社内にあるモノをしらみつぶしに調べて、いらないモノ見つけに奔走した。
そのうちに彼は家でも、電気、水道、ガスの最適な使い方にこだわるようになり、節約志向が高じて、歯ブラシにのせる歯磨き粉の分量にまで口出しするようになっていた。利口な妻もこれにはすっかりお手上げだったが、最適化に関することで何か言おうものなら、夫を怒らせるのが関の山だから、文句も言わずに引き下がることにしていた。
実際彼の徹底したやり方は、オフィス内に社員のやる気という目覚ましい効果をもたらしていた。長電話はなくなりメールは短文を心がけられるようになり、無駄話ばかりの会議のかわりに営業に力を注ぐうちに、会社の業績は右肩上がりに伸びていった。やがて彼はわずか三十二歳にして総務部長へと出世を遂げ、経理課の連中を差し置いて、金の出し入れまで管理するようになって、事務所内で彼に意見するものはだれ一人いなくなった。
ある日の昼下がり、昼食を済ませた彼がいつものようにオフィス内のいらないモノたちを抱えて、焼却炉のある事務所裏手に向かって歩いていた時だった。どこからか小さくつぶやくような声がした。
「いつもすいませんねぇ」
あたりを見渡したが、誰もいない。見ると、焼却炉の奥の花壇の縁に何かがいた。背広を着た身長五十センチほどの髭面の男だった。きびきびとした動作で立ち上がり駆けつけてくる。前に立ちはだかるようにしてぺこりと一礼するのには驚いた。
「どうも、はじめまして。少しお時間、よろしいでしょうか」
彼は手にした段ボールを足元に置くと、身をかがめるようにして男が胸ポケットから取り出した名刺を受け取った。”地球未来研究所”とある。この男いったい何者だろう。すると男はその疑問に答えるように言った。
「あなた様が、炉の中にいろいろなモノを捨ててくださったおかげで、大変良い研究ができました」
彼は長い前髪をかきあげながら、自慢げに胸を張った。それから胸ポケットからハンカチを取り出して額に浮いた汗をふいてから、深々と頭を下げた。
「どうかお許しください。この通り。あなたが焼却炉に捨てたいったモノを拾っていたのは、この私です」
「捨てたモノを拾って研究って、いったいどういうことなんです」
「いえいえ、私は地球の未来が住みよい星であってほしいと願っているだけですよ。現状はひどいものですからね。動乱、紛争、核開発、環境破壊に大気汚染。せめて自分にできることから何かできないかと考えたのです。行き着いたところはあなた様と同様、この世にはモノが溢れすぎているということへの疑問でした。そうじゃありませんか。モノを大切に使うことなく、余りモノばかり作ってどうするんです。これこそが、環境破壊や大気汚染の元凶となっているにもかかわらずですよ。誰も改善する気がないなら、私がせめてゴミの始末だけでもなんとかしよう、このように考えたわけです」
「なるほど。そういうことでしたか。それで研究は上手くいったのですか」
「だいたいはね」
「ゴミの始末って、どんな風にするんです」
「食べるんですよ」
「食べる。君が、その小さな身体で」
「いやいや、まさか僕ではありません。僕が開発したロボットたちがです。色々な奴らがいますよ。鉄が好きな奴もいればプラスチックしか食べない奴。セラミックが大好物という贅沢者まで様々ですよ」
「言っていることが、よくわからないんだが」
「それはそうでしょうとも。彼らはいわば未来型ロボットなのです。舌と歯がシュレッダーより破砕機より頑丈にできている未来型ロボットなのです。よくしたもので、彼らの内臓からは鉄の化合物や合成樹脂を水、窒素、リン酸として排出される特別な酵素が出る仕組みになっているのです」
「君はなかなか有能なんだね」
「まあね。実はあなたが今取り組んでらっしゃる最適化に、私も一時期夢中になったことがありました」
彼はやっと合点がいったというようになった。
「それでそんな身体になったってわけですか」
「ええ。まあそういうことですね。ある薬を開発したのですが、それを飲み続けているうちに、こうなってしまったんです。慣れるまで苦労しましたが、身軽で動きやすいので今はとても気に入っています。食事もそれこそ少量で済みますし」
彼はすっかり感心してうなずいた。
「いやいや、大きな声では言えませんが、小さくなってからは、どこでも忍び込むくせがついてしまったんですよ。ゴミ処理の技術も、ある大学の研究室で知りえた情報をヒントに考え付いたものですよ」
「君が優秀な研究者だというのはよくわかったよ。それで、僕に話というのはそれだけ」
「実はここからが本題なのですが、ゴミ処理のできるロボットは完成をみたので、現在あらたなロボットを開発している最中でして、そちらのお話を聞いていただきたいと思ったのです」
「是非伺いたいね」
「ありがとうございます。他でもありませんが、お勤めになっている会社の建物が、近々耐震検査が行われると伺っています」
「ああ。でも君はどうしてそんなとを知っているの」
彼はイチョウ並木の向こうにそびえる、柱に錆びの目立ち始めた鈍色の建物を見上げるようにして言った。
「先ほども申しましたでしょう。小さくなってからというもの、どこでも入り込んで他人の話に聞き耳をたてるくせがついたことを。焼却炉に通ううちに、あなたの会社の従業員の人たちが話しているのをたまたま聞いてしまったのですよ。盗み聞きなんて、いけなかったですかな」
男は同意をうながそうとげたげたとした笑い声を上げた。その声はややかすれ気味であったけれど、いかにも中年男らしく彼はすっかり親近感を覚えた。すると男は一転、厳しい声で続けた。
「それで耐震の話なんですが、基準を満たしていないとなると、建て替えをしなくてはなりませんが、そこのところは大丈夫なんですか」
「お金ですか。それについては僕も詳しくは知りませんがね。でも、このご時世ですから、なかなか大変なんじゃないでしょうか」
「それについて、いい考えがあるのです。よかったら私の話を聞いていただけませんか」
一週間後、耐震検査が予定通り行われ、結果はクロと出た。男が予想した通り、事務所の建て替えが必要との診断が下されたのだ。社長や社の役員たちはオロオロとなった。協議を重ねたが解決策は見つからず、やがてお知恵を拝借とばかりに彼に泣きついて来た。彼は待ってましたとばかりに、社長室へと出向くと居並ぶ役員を前にして、男の提案をさも自分が思いついた案のようにして披露した。社屋の建築を自分の知っている研究所に委託すれば、仮事務所とセットで費用は時価の十分の一で済むというと、皆、大喜びした。
「それこそが経費節約、最適化というものだよ。君、素晴らしいよ」
男はやってきて、まずロボットによるプレハブ社屋の建築が始まった。それはそれはよく動くロボットたちで、人間の1.5倍はあろうかというロボット十体が朝から晩まで大車輪の働きを見せたおかけで、三日で仮社屋は完成した。男はまた一段と小さくなったようだが、彼がそれを指摘するとからから笑って言うのだった。
「まあ、僕は進化し続けてますのでね」
古い社屋はそのうちに、風化による崩壊が始まった。進めたのは古いコンクリートの建物に巣くう小生物たち。このまま侵蝕が進めば建物はいつか跡形もなく消えてなくなるかもしれない。一方で新社屋の完成は遅々として進まなかった。苦情の電話を入れると男はまたもや飛んできたが、ロボットが故障していて、現在全力を挙げて修復作業にかかっているとのことだった。やがて一年が過ぎた。オフィスは相変わらずバラックのままだった。業績は良い時もあれば悪い時もあるで、新しい社屋の建設はロボットに頼る以外に方法はなかった。男は再び駆け付けてきたが、言い訳ばかりで話にならなかった。彼が最後に男を見たのは、その翌年のことだった。約束が違う、法的手段にも訴えるつもりだと責め立てるつもりが、現れた男を見た時、彼はようやくことの成り行きを理解した。最適化のすすんだ男はアリよりも小さくなっていたのだった。
高齢の社長が退任し、いよいよ彼が社長へと就任した。彼は用具課の最初の仕事として、整理整頓を始めた時、同感してくれた新入社員を総務部長に抜擢し、事務所内の最適化は彼に任せいたので、仕事と言っても終業のベルがなったあと、デスクからデスクを回って、デスクや棚の周りを見て回るだけで済んだ。人員整理も推し進めたおかけで、社の経営は安泰だったが、彼は時々考え込むことがあった。オレの考えていた理想の最適化とはこういう色のない殺伐とした風景だったのだろうか。働く人間もどこかしら顔に生気がなくなっているように見えるが。
そうこうするうち、ある夜家に戻ると、家内は真っ暗だった。こんなことはめったになかった。妻はいつもどんなに遅くなっても起きて彼を待っていた。そして表のドアが開く気配に気づいて、玄関先まで駆けつけてくるのだった。ふと悪い予感がよぎったが、妻に限ってと思いなおすと、まず玄関の灯りをともした。それから廊下、ダイニング、リビングと順々に灯りをともしていった。彼がその封筒を発見したのは、リビングのローテーブルだった。お礼の類いの手紙もメールも開く必要はない。彼が効率的な仕事の進め方のために、事務員たちに再三実行させてきたことだった。けれどどうやらそれは、お礼の手紙ではなさそうだった。封を開き便箋に書かれた文字を何度も読み返した。彼は大きくため息を吐いた。手紙には妻の美しい文字でこう記されていた。
”最適の相手が見つかったので出て行きます”
オフィスの最適化 rita @kyo71900
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