幕間
60話 幕間 ~夜に潜むもの・2~
「インジフ、本当に御子は既にそこまでの青の力を?」
「ああ
時は僅かに遡る。
生まれてすぐ神隠しにあった英雄天人族の赤子が無事に成長し、ついにその姉と巡り合った日の同じ夜。
場所はザヴジェル独立領の西部、霊峰チェカルから遥か北西に広がる森の中。
人里離れた夜の森といえば、言わずと知れた魔獣の領域だ。滅多に人間が入り込むことなきその危険地帯を、五つほどの人影が風のように疾走していた。
「そうだな。御子の青の力を喩えれば、闇夜を照らす今宵の月光のよう、といったあたりか。量だけではなく、それほどの輝きをもった御方よ」
「なんと、それはお会いするのが楽しみでならん。そうかそうか」
いつになく明るい月光がまだらに漏れる深夜の森の中、木立を縫って亡霊のようにはためく無数の外套。人影は全員が軍馬が疾駆するほどの速さでひた走りつつも、先頭を走る二人は息切れもせずに会話を交わしている。
「それにしても、この報せが姫や<青槍>殿と行き違いになったのは残念でならない。常ならば真っ先に飛んでいくのはあの二人であろうに」
「里からの方角は概ね同じとはいえ、さすがにファルタには寄らずに進んでしまうだろうからな」
彼らが話している二人とは、表社会では天人族の英雄として賛美されている月姫ダーシャと、青く輝く神槍を持つ偉人ケンタウロス、フーゴのことだ。
ただ驚くべきはその話の内容よりも、全員がかなりの速度で走っているにもかかわらず物音が殆どしないこと。いや、人里離れた危険な森の中なのに、彼らが荷物ひとつ、武器ひとつ持っていないことも異常といえば異常なのかもしれない。
「ふふふ、こうしてお主と夜の森を走っていると、かつて共にハナート山脈を越えた時のことを思い出す」
「それはもう言うな。我らは
深紅に輝く瞳が二対、一瞬だけ交差して再び前方に注がれる。
「……王への恩義は今もこの胸に」
「……王が不在の今、我らの忠誠は御子に捧ぐ」
と、彼らの前方の森が不意に動き出した。
樹木系の凶悪な魔獣、群生した原生トレントだ。
「――魔木ごときが、我ら<
「愚かな魔獣とはいえ、許されざる愚挙よ。御子をお迎えしての帰路に備え、少し掃除しておくか」
原生トレント、それはハルバーチュ大陸全土に生息する悪夢のような魔木のこと。
体長は数メートルから大きなものは十メートルを超え、全ての枝をしなる鞭のように侵入者に叩きつける。その威力は鉄鎧ですらものともせず、知らずに森に踏み込んだ者を片端から喰らい尽くすという貪欲な魔獣だ。
が、疾走する人影に誰一人として慌てた様子はない。
各々の足運びは猫科の猛獣の如くしなやかに、それぞれの顔に紅く輝く瞳はただひたすらに前方で枝を広げはじめた魔木の群生を見据えている。
「……狩り尽くすぞ。かかれ」
先頭から二番目を走る男の囁きに、その後ろを走る人影が深夜の森の中で弾けるように散開した。
同時に全員の爪が長く伸び、蒼く輝き出す。ヴァンパイアネイル――夜の覇者ヴァンパイアしか持ち得ない、空間ごと敵を切り裂く無双の殺戮手段だ。
散開した人影が鋭く跳躍し、群れなす魔木に一斉に襲いかかる。
音もなく繰り広げられる圧倒的な蹂躙劇。悪夢と呼ばれる魔木の枝が次々に斬り落とされ、丸裸にされて幹までもが青い閃光と共に分断されていく。
「――たわいもない。素直に隠れたままでいれば良いものを」
彼らが動きを止めた時には、人跡稀な森の中にぽっかりと、月明かりに照らされる広々とした空間が出来上がっていた。
「……今宵は
「見ろ、あの輝きを。王が御子の帰還を祝福している」
彼らが紅き瞳で見上げる空に、黄金色に輝く五つの影月が静かに浮かんでいる。
「さあ、御子が待っている」
「ファルタまであと少し」
「いざ、行かん」
呟きにも似た静かな号令の下、かつてのこの大陸の覇者たちは再び風のように走り出した。
だが、目的地についても目的の人物はおらず、噂をしていた人物らと遥かザヴジェルの南領境で合流してしまっているのを知るのは、今しばらく先の出来事。
この百年にわたって隠れ里で力を蓄えてきた、彼らヴラヌスの幼生たち。
夜の覇者と恐れられる彼らヴァンパイアが世界の表舞台に立つのは、もう少し先のことだ。
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